5.冬の果て、温室にて
その日、学園の温室で第一王子クレメントに出会ったのは、たまたまだと思っていた。
「頭に花びらがついている」
彼は、私の頭に乗っていたらしい、青雲樹の花をつまんで見せた。私は紫がかった空色の花びらを受け取り、どうしたものかと考えて、レースのハンカチに包んだ。
一年のほとんどが雪に閉ざされているこの国では、街にひとつは温室がある。
中でも、王城と貴族学園にあるものはひときわ美しく、豪華なものだった。温室は、四人の魔術師が月に一度、魔力を注ぎ込むだけで保たれる。
火魔法による温度管理がなされ、土魔法と水魔法を複合した技術で植物に合わせた水やりが行われる。そして風魔法で受粉ができるようになっているのだ。
第一王子と第二王子は双子だ。けれど、あまり似ていない。
夜のような色彩を持ち、中性的で儚げな印象のジルベルトに対し、クレメントは国王譲りの豪奢な金の髪に、王妃に似た青い目で、背が高く精悍な青年だ。
その容貌から、クレメントは太陽の王子、ジルベルトは月の王子などとこの頃は呼ばれている。
この呼称は、実は私が広めた。
かつて「はずれ王子」などと不敬な呼び名があったことを、私はどうしても許せなかったのだ。
ジルベルトに知られたら、きっと顔を真っ赤にして怒るだろう。墓場まで持っていくつもりの秘密だ。
それにしても、第一王子が一人でいるなど珍しいことだ。
護衛は少し離れたところにいるので、長年疑問に思っていたことを私は聞くことにした。
「クレメント殿下、不躾な質問をしてもよろしいでしょうか」
「フルール嬢、かまわないよ。なんだい?」
少し緊張しながら尋ねたのだけれど、クレメントは表情をゆるめ、気さくな感じで答えた。
「どうして、ジルベルト殿下はいつもお一人だったのでしょうか」
私の言葉に、クレメントの顔色がさっと変わる。
いつも穏やかで冷静な彼が青くなったり赤くなったりするのに驚く。彼は私が戸惑っているのに気づいてはっとして、それからふうと長く息を吐いた。
「恥ずかしい限りなのだが」
そう前置きをして、クレメントは続けた。
「ジルベルトは大人になるまで生きられないと言われていた。両親も私も、彼が苦しんでいる姿を見るのが辛かったのだ。ジルを前にすると、母上などは泣き出してしまう。そんな姿を見せられないだろう?」
「だからと言って、会わないなど――」
私がきっと目を吊り上げると、クレメントは慌てて首を振った。
「会わなかったわけではない。ジルの体調が良く、穏やかに眠っているときを選んで、三人で足繁く顔を見に行っていたのだよ」
「恐れながら殿下。それでは会いに行ったとは言えません」
おっとりと答えるクレメントに、不敬だとわかりながらもため息を禁じえなかった。
「ジルベルト殿下は、いつも寂しそうにしていらっしゃいました。話し相手がたまに訪れるわたくししかいなかったのですから」
「まさか――!」
「それに、殿下はご存知ないかもしれませんが、わたくしがはじめてジルベルト殿下にお会いしたのは、婚約よりずっと前のことです。王城の外れの礼拝堂に迷い込んだとき、中で倒れている殿下を見つけました。そのとき、彼は、家族を探しに寝台を抜け出したのだと聞いています。ジルベルト殿下は、寂しい日々を送られていたのです」
私の話に、クレメントはひどく衝撃を受けているようだった。
少し考えればわかることだろうに、と思うのは、私自身が病で寝込んでいた寂しい子どもだからだろうか。
クレメントは聡明な王子だ。その資質に欠けたところはない。とはいえ、身内が絡むと判断力が鈍る傾向にあるのかもしれない。
「病の辛さは、体の痛みや苦しさだけではありません。心を良い方向に保つことこそがむずかしいのです。思うように動いてくれない身体や制限ばかりの生活がどれほどやるせないことか。健康な人間よりも、たくさんの枷を抱えているのです」
不敬だと咎められるかと身構えていたが、クレメントは真摯に聞いていた。そして、その顔には深い後悔と焦りが浮かんでいた。
「一つ、私からも聞きたい。――君から見て、ジルベルトの侍従はどうだっただろう。今の従者ではない、床に伏している時に部屋付きだったものだ」
「ドニのことでよろしいでしょうか?」
「ああ。彼は、ジルベルトの話し相手になるようにつけたものなのだ」
栗毛で人好きのする笑顔を浮かべた彼を思い出した私は、嫌悪感がよみがえってしまい、思わず眉根を寄せた。
「彼は、ジルベルト殿下を蔑ろにしていました。わたくしも何度か注意をしましたが、態度が改められることはありませんでした。何より、殿下にささやかな嫌がらせをしていたのです。送ったはずの手紙や贈り物を届けなかったりしていたようです」
「それでは、彼が急に任を解かれたのは」
「わたくしが妃殿下に相談したからかと存じます」
クレメントは、今日何度目にもなるため息をついた。
「――君は、ジルのために色々と動いてくれていたのだな。感謝する」
「いいえ、とんでもないことでございます」
それから少し他愛のない話をして、私たちは別れた。
そのとき、温室の奥に、人がいることに、私は気づいていなかった。
ーーー*転生者向け ネージュニクス王国 百科事典*ーーー
・青雲樹の花
日本でいうとジャカランダに似ているが、性質は異なる点が多い。樹高15m以上になる落葉高木。橘月のころに青い花を咲かせる。葉は鳥の羽のように繊細な形をしている。
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