元王子アーロンと泉の精霊(3)
「そういえばアディは、人を探しているのだったか」
それは、本当に久しぶりに思い出したことだった。
そのころには二人はすっかり打ち解けていて、考えられないことに、友人と呼んでも差し支えないくらいになっていた。
アディは頬を染めてうなずく。
『茶色の髪で、眼鏡をしていて、すごく優しい人なの』
恥ずかしそうにするアディを見ていると、なぜだか面白くなかった。
「ーーそれにしても、そのような条件に当てはまるものなどたくさんいるだろうに」
『誰か知ってるの?』
アディが食い下がり、アーロンは多少気圧されながらうなずいた。
現に、アーロンの知り合いにも一人だけそのような容貌の男が居るのだ。
もっとも、その男は優しいという言葉からあまりにもかけ離れている。
冷徹で調子者で、王子の信奉者で、そして抜け目がない。
『ねえ、その人の名前は?』
「アディが探している人間ではないと思うがな。奴には優しさなど皆無だ。第二王子の侍従をしている男で、ーー名はドニ。ドニ・デ・ボンタンという」
アディが目を見開く。
「知っているのか?」
『ーーいいえ』
その目は、落胆に満ちていた。
『あたしが探しているのはね、ニパスっていう人なの』
アディはがっかりした顔をしていたが、正直なところ、アーロンはほっとした。
ーー認めたくないことに、この少女と過ごす時間をいつのまにか心待ちにしている自分がいたのだ。
「き、君が、“ジュール”なのか?」
それは、アーロンと同じくせのあるふわふわとした黒髪をした壮年の男だった。
髪にはちらほらと白いものが混じりはじめている。
華奢な体躯に、どちらかというと地味で、朴訥とした印象の男だった。
シェハーブが気まずそうな顔をして男に寄り添っている。
男はアーロンのそばに寄ると、その顔をぺたぺたと触り、そして涙を流した。
男は目が見えないのだ。
少しだけ聞いていた。祖国だと思っていたサーブルザント王国が企て、シェハーブが実行した、取り替え子のことを。
知りたくなかったから、シェハーブの話をなるべく耳に入れないようにここまできた。
男の目は固く閉じられていて、色はわからない。
けれども確信があった。この人は、ーー自分の本当の父親なのだ、と。
「うっ」と、その男は苦しげにうめいた。
アーロンは驚いて駆け寄り、恐る恐るその体に触れ、支えた。
見えない瞳からは、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちている。
アーロンは戸惑った。それに気づいているのかいないのか、男はアーロンを片手で抱きしめた。
温かかった。生まれて初めて感じる暖かさだった。
そうしてはじめてアーロンは、自分の心が今まで寒かったのだと、気がついた。
サーブルザント王国の父は、豊かな黒ひげを蓄えた美丈夫だった。
髪も目も黒々としており、浅黒い肌も男らしい。豪奢な装飾品がひどく似合う。
幼いアーロンは、そんな父を尊敬し、慕っていた。
だが、父王はアーロンのことなど歯牙にもかけなかったのだ。
ほかの兄弟たちとは明らかに違う扱いに狼狽した。
彼らの頭をなで、誇らしいと声をかけるのに、アーロンを見る父王の目は、汚らしい虫を見るときのようなもので、彼はすくみ上がった。
兄たちも同じ目をアーロンに向けた。
中でも、魔法の才がないと責められたのがつらかった。
友人たちに離れてほしくなくて、彼らの導く道に従った。たくさんの物を無償で与えた。
そうしていつしか傲慢になっていき、使用人には当たり散らした。
いつでも、寒かった。
気がつくとアーロンは泣いていた。
父である人はそれに気がついたのだろう、アーロンの頭を恐る恐る、まるで壊れ物を扱うかのように丁寧に優しく、撫でてくれた。
「シェハーブくんがね、ーー自分を殺してくれというんだ」
サーブルザント王国の間諜であったシェハーブは、取り替え子を成功させるために、父を事故に巻き込んだ。
彼の目は、それがきっかけで光を失った。
そんなことなど露とも知らぬ父の、頼れる右腕として商会に紛れ込み、王国にとって都合のよいシナリオを作り続けていた。
「君は、彼を恨んでいる?」
父が聞いた。
アーロンは少し考えてから、うなずいた。
「もし何も知らなかったら、怖いだけの男です。ーー今は、許しがたい男だと思います。でも……」
何人もの命や人生を変えてきた、敵国の間諜。
自分を生まれたときから利用し、殴り飛ばし、あまつさえ捨てようとした男。
許せないはずだった。
けれども、近頃は少し戸惑っている。
率先して主である農家の男を手伝っているところ。
たまに村にわざわざ降りて、老人たちの雑用を引き受けてやっていること。
シェハーブが用意する食事の美しさとおいしさ。手間がかかっているであろうそれは、自分と同じように、いや、もっと疲れている男が作るには大変そうに見えた。
父もうなずく。
「実はね、僕も許してしまったんだ。とっくの昔にね」
その顔は晴れやかだった。
「僕には、これまで君だと思い、ジュールとして育ててきた子どもがいる。
優しく父親思いの子でね、血が繋がっていないと言われても、彼への愛情は消せないんだ」
アーロンの胸が、つきりと痛んだ。ここでも自分は要らない子どもなのだと、ほかほかしていた心がしんと冷えていくようだ。
その気配を察したのだろうか、父は、慌てて首を振った。
「そういうことじゃないよ。僕はね、ただ、自分にもう一人子どもがいるのだと知って、とてもうれしいんだ」
「うれしい……?」
「ああ!」
父は顔をほころばせた。
「君とは今日会ったばかりだけど、鼻の形が僕と似ているね。それがなんだかうれしかった。
これから少しずつでも、仲良く出来たらうれしいんだ」




