2.シュムック・カッツェ・ヒェン
ジルベルトは心底気味が悪そうにこちらを見ていた。シュネーは毛を逆立てて威嚇し、私は彼の視線の先をたどって驚きを隠せずにいた。
「ジル、――おまえは何を言っている?」
クレメントが困惑した表情で尋ねる。
すると彼はふっと鼻を鳴らして、滔々と説明をはじめた。
「フルールの肩にいる悪魔のことですよ。子猫の姿などまやかしもいいところだ」
ふたたび広間にざわめきが広がる。
「ジル様……?」
スピカがおろおろと声をかけ、周りの令息たちも訝しげに彼を見やっている。そこではじめて彼ははっとしたような顔をした。
一方の私は、自分が口にすることの許されなかった愛称を彼女が呼んだことに、少なからず悲しさを覚えていた。
「まさか、誰も見えないのか? あの悪魔が」
ジルベルトは、私の肩のあたりを指差した。その無作法さにクレメントが顔を歪め、集まった貴族たちもさざめいている。
ジルベルトの顔に、はじめて焦りが浮かんだ。
「フルールの肩には猫の悪魔がいるのだ」
彼は、先ほどの勢いをそがれたかのように、弱々しい声で説明した。
「私にはそのようなものなど見えないぞ」
兄王子のきっぱりとした答えに、今度はジルベルトのほうが困惑する。
「兄上、兄上が譲ってくれたではありませんか。あの古びた絵本を……」
「絵本……ああ、おとぎ話の、魔女の話のことだろうか」
合点がいったというように答えるクレメントを見て、ジルベルトはほっとしたようにうなずく。そして、続けた。
「あの本にあった愛の魔女。あれこそがフルールなのではありませんか」
「――まさか! そんな訳がないだろう」
クレメントの語気が強まる。
「いいえ、証拠ならございます。誰も見えないというが、幼きころから、彼女の肩にはいつでも猫の悪魔が乗っていたのです」
「猫の悪魔だと?」
「真っ白で毛玉のようななりをしており、瞳は右が氷のような色、左が……、けがらわしくも私と同じ紫色をしています。しかも、あの猫とは、私の命魔法をもってしても、会話が成立しないのです。少なくとも猫ほどの知性があれば、そんなことはありえません。あれは魔性です」
ジルベルトは自信に満ちた目で断言した。
命魔法という言葉に広間がふたたびざわめき、取り巻きたちも顔を見合わせたが、ジルベルトは気づいていない。
スピカもしばらく困惑の表情を浮かべていたが、はっと私のほうを見ると、震えながら彼に寄り添った。――ただ、その口元がほんの一瞬、弧を描いたように見えた。
「それに、あの本にあったではありませんか。魔女には見分け方があると。シュムック・カッツェ・ヒェン。宝石のような愛らしい猫がそばにいるのでしょう?」
クレメントは難しい顔をして考え込んだ。そして、しばらく時間をもらいたいと告げた。
「ただし、フルール嬢がくだらぬ嫌がらせをしていたなどという事実はありえない。それは先ほども言った通り、王家が間違いなく証明できるのだ。――仮に、たとえ、そのような事実があったとしても、このような場でおまえが断罪できる権利を持っているわけではない。わかっているだろう?」
クレメントはさっと手を挙げた。そして、集まってきた近衛兵たちに、ジルベルトにスピカ、その取り巻きを連れていくように告げた。
ジルベルトたち一行は顔を青ざめさせ、不満げに叫んでいたものの、そのまま連れられていった。
「皆、弟がすまなかった。彼は少し前まで病弱だっただろう? 急に教育を詰め込んだせいでどうやら疲れが出てしまったらしいのだ。――申し訳ないが、今夜のことは忘れてほしい」
威圧感のある笑顔でそう宣言すると、貴族たちは作り笑いを浮かべながらも、丁寧に了承した。