キャンディフラワーの真心(4)
「どうしてこの場所を僕に?」
僕が尋ねると、ドニはしばらく黙っていた。言葉を選んでいるようだった。
「キャンディフラワーは、あなたの病を治した薬草茶の元になったものだ」
「これが? ーーいや、そもそも僕の病が薬草茶で治ったとはどういうことだ?」
まだ寒さの残る春の風が、僕たちの間を吹き抜けていく。
ドニの長く伸ばした前髪がざあっと吹き上げられて、茶色の目があらわになった。その瞳は、どこか不安げに揺れている。
「今の俺は、研究室に出入りしているだろう。そこの上役が言っていたんだ。
あなたの病気が不治の病だったと。本来なら子どものうちに命を落としていたはずだ」
僕は衝撃を受けた。
自分がどんな病だったのかを知らなかったし、完治したあとに知ろうとしたこともない。
「まだ証明できていないことだが、魔女の力は呪い、聖女の力は解呪なのではと推測されている」
ドニはそう続けた。
「解呪の力……?」
「ああ。彼女の身を包んでいる繭は、恐らく、呪いを少しずつ解いているのだ。
ディディエとかいう小娘は、魔女の呪いで動かされていたわけだろう? 刺されたフルール嬢が目覚めないのもきっと同じ理由だ」
風がキャンディフラワーの甘い香りを運んできた。
フルールがいつも差し入れてくれていた薬草茶の香りだ、とふと気がつく。
「でも、それと僕の病がどう関係があるのだ」
「これは上役も知らないことだが、あなたの抱えていた病は、便宜上病と言われていたが、実は呪いの類だ」
「呪いだと?」
僕は驚き、目を見開いた。
「王家の血筋を中心に、何代かに一度出るんだよ。呪いで命を落とす子どもが。平民には決して出ない。まれに公爵家でも見られるが、それは王家の血が入っているからだろう」
「なぜ君がそんなことを知ってるんだ」
僕が聞くと、ドニは悪びれることなく肩をすくめて「あなたからくすねた王家の歴史書に書いてあったことだ」と答えた。
「権力っていうのは血なまぐさいものだろう? だから、自分には関係のない、ずっと昔の先祖の所業で祟られているなんてこともあるかもしれないな」
「では、その呪いをフルールが解いたということか?」
ドニが頷く。
「それだって本来は解けるはずはなかったんだ。当時の彼女は聖女として覚醒していたわけじゃないだろうし、そもそも死に至るほどの強力な呪だ。彼女がどこまで意識して解呪をしていたのかはわからない」
僕はふと、ディディエの娘とはじめて会ったとき、彼女がつぶやいていた言葉を思い出した。「どうしてあなたがいるの?」と、彼女はそう言った。
兄が言うには、転生者と呼ばれるものたちが暮らしていた世界に、この王国での出来事を書いた書物があったという。その中で、本来僕は死んでいたのではないか。
「これは推測でしかないが」ドニはそう前置きした。
「フルール嬢は、恐らく気づいたんだ。
キャンディフラワーを使った薬草茶をあなたに飲ませたとき、普段より呪いがしっかりと解けたことに。
ーーまあ、はじめは単に領地の特産品だから差し入れただけかもしれないがな」
ドニは呟いた。
「キャンディフラワーの花には言い伝えがあってな。自己犠牲の精神を持つ者を助ける、と」
「自己犠牲?」
ドニは、木のほうを指差す。
近づいてみると、キャンディフラワーの花びらに隠れるようにして、鋭い棘が無数に生えていた。
「キャンディフラワーの薬草茶は、花を煮出して作るんだ。ーーええと、確か、花が30個に早摘み檸檬が3個、花蜜が1000グラム、水を3リットルというレシピだったと思う。
この花を摘んだり洗ったりするのがとにかく大変なんだ」
「棘が刺さるのか」
僕は、フルールの華奢で傷だらけの手を思い出して訊いた。ドニが頷いた。
「キャンディフラワーの棘は、刺さったあと数時間は、電撃を浴びたような鋭い痛みに襲われると聞くぞ」
その日のうちに、僕たちは王城に戻ってきた。僕は、ドニが持参していたかごに、こんもりとキャンディフラワーの花を入れた。
キャンディフラワーの花一つひとつに、命魔法を込めていく、そのたびに、摘んだ時と同じように指先にぴりりとした痛みが走った。
作業を終えたあとも、じくじくと膿んだ傷のような痛みが数時間もの間続いた。
気がつくと僕の手は、かつてのフルールと同じように赤く傷だらけになっていた。
「フルール、ありがとう」
夜の礼拝堂を訪れるのははじめてだった。
フルールの眠る繭には、月の光が落ちて、水たまりのようになっていた。
僕はそう言って、彼女の上に、キャンディフラワーの花を捧げた。
それは、フルールが目覚めるほんの数日前のことであった。
-キャンディフラワーの真心・完-




