並行の井戸
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
あっれー? ここって確か……。
ああ、変な声出してゴメンね。なんだか前にここへ来たことがある気がして。今、初めて訪れた場所のはずなんだけど。
ちょっと待って。ここの角を曲がって、あの茂みを越えていくとオンボロな木の小屋があって……と、ほらあったでしょ・
いやいや、本当に下見とかしてないんだって。俗にいうところの「デジャヴ」? 既視感って奴。初めて来た場所なのに、なぜか懐かしい感じがしてしまうの。つぶらやくんは、同じような経験、あるかしら?
これってさ、本人以外にはなかなか実感できない奇妙な出来事よね。はたから見たら今のつぶらやくんみたいに、元々記憶にあったのかと、思われて当たり前。
一応、デジャヴとはいったけど、私はこれ、実は違うんじゃないかと思って久しいの。ある時をきっかけに、私はこの既視感にあまりいい印象を持っていない。そのきっかけの話、興味があったら聞いてみない?
すでに気づいているかもしれないけど、私の右の眉毛の上には大きい切り傷があるの。あまり人に見せたくないから、前髪でできる限り隠しているけど、これをこさえてからもうどれくらい時間が経ったかしら。
あの頃の私はたくさん習い事をさせられていたわ。親の意向で、私の興味なんかお構いなくだったから、好きなものも嫌いなものもたくさんあった。特に水泳がね。
泳ぐこと自体は別に嫌じゃないの。でも通っている小学生対象のスイミングスクールが、男女一緒のクラスっていうのが気に食わなかった。小さい頃は構いやしなかったんだけど、小学校高学年辺りになると、自分の身体のこととか気になり出しちゃって。半裸の水着姿な男子の近くにいたくないというか。
――もしこれからもこの状態なら、水泳辞めたいなあ。
バス通いだった私は、いつものバス停でたたずみながら、ぼうっとそんなことを考えていた。やがてずっと向こうの建物の影から、ひょっこりバスの頭が見えて、私は気持ちバス停の前へ進み出る。
いつもならここで、気持ちに踏ん切りをつけられた。今日もやらなきゃいけない、と自分で自分に言い聞かせるの。でもその日はずるずる引きずって、停車したバスが乗り口のドアを開けてくれても、ぼけっとしながら足を踏み出していた。
次の瞬間、確かに乗り口の階段へかけた足が、するりと逃げる。当然、足場があると思っていた私の身体は、あてを外されて前のめり。そのまま階段の2段目に顔を強打した。
幸い、乗り口近くに座っている客はおらず、後ろで待っている人もいない。私は痛むまぶたを押さえながら、律義に機械が吐き出し続けている整理券を受け取ったわ。
痛みはなかなか止まらず、ハンカチをあてがいながらバスに揺られる私。その生地越しに温かいものがにじんでくるのを感じて、「まいったなあ」とも思ったし、「これで休めるかも」とも思った。
案の定、スイミングスクールの入り口で、私はいつも見てもらっているコーチに止められる。ばんそうこうとかを持っていなかったから、ここへ来るまでずっとハンカチで傷を押さえ続けていた。それでもまだ出血が止まっていなかったの。
コーチに連れられるまま、私は控え室で手当てをされたけれど、ガーゼはくっつけた先から5分程度で血がしみ出てしまうほど。転んだ直後より、血の出る勢いが増しているような気がしたの。
予想通り、私はプールに入ることを禁じられる。コーチたちの待機場所であるガラス張りの部屋から、皆の泳ぐ様子を眺めていたわ。一段高くなっている窓から見下ろすプールでは、私と同じ級の子の姿も見える。みんな今月の課題である、平泳ぎに取り組んでいたわ。
この時、私は初めてコーチたちの控え室に入ったのに、どこか懐かしい感じを覚えていたの。予定が書かれたホワイトボード、コーチたちごとに用意されたデスク、その他備品の置かれた場所も含め、私は一度、ここへ来たような気がした。
これまでプールサイドを歩く際、プール側から部屋の中をのぞいたことが何度かある。きっとその時のイメージが残っているのだと思ったわ。けれど最近、新しく入ったコーチの机にすら既視感を覚えてしまうのは、どうしてなのかしら。
結局、水泳の時間が終わるまで、私の出血は勢いを弱めつつも、完全には止まらなかったわ。
家に帰ると、お母さんは私を見て大慌て。できの悪い娘ではあるけど、やっぱり女の子の顔のケガはおおごとなんだって、改めて実感した。
お母さんと一緒に、おばあちゃんもやってくる。私も自身の顔を鏡に映しつつ血に染まるガーゼを取ると、眉毛を軽くかすりながら、数ミリ程度の切り傷が横に伸びていたの。傷の両端には、固まった血が黒ずんで溜まっており、中央部分からはまだ、真新しい出血が見受けられる。
救急箱は持ってきたお母さんだけど、治療はおばあちゃんが引き受けた。すでに時間は6時近く、我が家の夕飯は仕上がりどき。ちょうど火を扱っていたから、お母さんはそれの面倒を見て欲しいと、おばあちゃんが頼んだのよ。
二人きりになると、おばあちゃんは消毒液を垂らした脱脂綿で、ぽんぽんと私の傷をなでて、沁みないかを尋ねてくる。
この時、私はほとんど傷からの痛みを感じていなかった。おばあちゃんが何か触っているなという感触が、少し遠く感じられる。
私が正直に告げると、おばあちゃんは次に、ぎゅっと脱脂綿を押しつけて力を込めてきた。普通の傷だったら、きっと飛び上がりそうな痛みが走ったと思う。それもまた、私の痛覚には届かない。
しばらく傷を押さえ続け、やがておばあちゃんは「ふう」とため息をつきながら脱脂綿を離す。
「あんた、これはただの傷じゃないかもね。おっと、お母さんにはいわない方がいい。信じてもらえないかもしれないから」
首を傾げる私に、おばあちゃんは新しいガーゼを貼り付けながら、言葉を継ぐ。
「こいつはひょっとすると、『並行の井戸』かもしれない。こいつが溢れる時、自分が知り得ないはずのことを、なぜか知っているかのような感覚に襲われることがある……覚えはないかい?」
プールでのことを話すと、おばあちゃんは「並行の井戸」について話してくれる。
人は時に、現実から離れたことに考えをめぐらせる。夢、理想、別世界……それらを頭に思い浮かべても、この瞬間にたどり着くことは不可能なこと。ところが、そうやって思いをめぐらせている時に外傷を負うと、そこから「もしも」が流れ込むことがあると。
よく頭を打った拍子に名案が浮かぶ古典的な表現があるけど、あれは視認できないほどの小さな傷から、「もしも」がほどよく流れ込んだ結果。今の自分ではたどり着けない場所へ、一足飛びにつながってしまった証拠なのだとか。
「だが、注意した方がいい。あまりに井戸が塞がらないと、血と一緒に『今』のあんたが追い出される。そうなればその身体を、『もしも』に譲らなきゃいけない羽目にもなるんだ」
おばあちゃんは念入りにガーゼを重ね、厳重にテーピングをする。それから私が寝入るまで、ガーゼはみじんも汚れなかった。でも貼り付けたまま目が覚めた翌日には、8割方が私の血で染まっていたのよ。
それから止血と出血はいたちごっこを繰り返し、二週間後に私たちの学年は郊外のバーベキュー場へ遠足に出かけたの。
そこは初めて訪れる場所だったのに、また私は懐かしさを覚えていたわ。先生に案内されるでもなく、道筋が分かった。そこからは急な斜面だとか、目立たないけどつまづきやすい石があるとか、一緒に歩く子の役に立つ情報が次々浮かんでくる。ちょっと感謝の言葉をかけられる私だけど、バーベキューへ続く道の脇に、誰もいないテニスコートを見るや、私は急に駆け出していた。
――あのコート。裏手にはトタン屋根の、崩れた小屋がある。
列を乱し、あるはずのない記憶に突き動かされ、私は走り出した。「待ちなさい」と先生の声が後ろから聞こえたけど、私は止まらない。昨日の雨露をわずかに残す下生えたちが踏まれるたび、私の靴と靴下、すねが濡れていく。
テニスコート外側の柵を周り、木立の中へ。そこには記憶にあった赤銅一色に染められた、錆びだらけの半壊した小屋がある。
――あの小屋の横手に、屋根へ登れる長さの板切れが立てかけてある。登らなきゃ、登らなきゃ。
その言葉の通り、小屋の横には、壁とは違う一枚の木材を使った橋が屋根から斜めに架かっていた。私はその板の上を猛然と駆け上がる。後ろから先生がたと思しき、大きめの足音が追いかけてくる。
――屋根の端から跳んだら終わり。跳ばなくちゃ、跳ばなくちゃ。
トタンをがたがた揺らし、私はかつて屋内になっていたであろう方向へジャンプする。
そこにはむき出しの地面と、いくらかの木片、金属片が転がっていたけれど、私の目に映るのは、折れた一本の柱。
どのような役目を持っていたかは、もはや知るよしもない。ただその柱がとても細かったこと。このままの私の軌道と体勢だと、ちょうどあの柱の上に、伸び切った自分の喉があたり、そのまま貫いてもずの早贄のごとき格好になることが、薄々予想できたわ。
先生方の全員が、私をまっすぐ追いかけるばかりでなく、小屋を回り込んできてくれたことには、感謝してもしきれない。柱に突き刺さる直前、横からタックルするように、空中で先生が抱き止めてくれたおかげで、私は事なきを得たわ。
助かった後、どうしてこのようなことをしたのかと先生たちは詰問してきたけど、私はまともな答えを返せない。ただ、私の右目上からの出血は、この直後からぴたりと止まってしまったの。
ひょっとすると私、ここで自殺を遂げた「もしも」の私に、乗っ取られかけていたのかもね。