魔王と元勇者な女奴隷
「ボクを捨てるのか。酷い奴だな。ああ、なんて酷い奴だ。人間性を疑うよ。ああ、そうだった、キミは人間じゃないんだったな。全く酷い奴だ。女の身で最後の勇者とまで呼ばれたボクが全てを捨ててキミの奴隷になったのに、キミはボクを捨てるんだ。酷い奴だ。ああ、まったく」
と、ネチネチと責められた。
陽の入らない暗い部屋。
寝床の中。お互い寝起きから間もなく。
裸を隠す様子もない彼女から。
無視するとしばらく拗ねられることは何度も経験済みなので、八本ある腕のうち四本で抱き寄せて、彼女の額に口づけしながら、言った。
「仕事が終わったらすぐ帰ってくるから。捨てないから。待ってておくれ、ハニー」
だいたいこれでひとまず落ち着くことが多いのだが、今日は不満顔をされた。
「キミ、台詞が六日前とほとんど同じだよ。ボキャブラリィを疑うよ。前から思ってたんだよね。キミ、戦うときの前口上もだいたいいつも同じだったしさ。『闇を統べる魔王の恐ろしさを知るがいい』とか何度も聞いたしさ。本気度を疑うよ。分かったよ、本気じゃないんだね。演技してるんだ。内心ではもうボクに飽きていて、ボクを捨てる気なんだ」
相変わらずめんどくさいな、この娘。
「あ、キミ、めんどくさいって顔したな。なんて奴だ」
めんどくさい上に察しが良いときたもんだ。めんどくささ倍増。
彼はため息をついた。
まあ、黙らせる方法は分かってるんだ。
今度は八本の腕全部で抱きしめて、そのまま体重をかけてベッドに押しつけ、互いに呼吸が苦しくなるまで口づけをした。
「……」
「続きは帰ってからだ。いいね?」
「……ボクもつれてってくれればいいのに。
ほら、最初の頃はボクを鎖につないでつれてってくれたじゃないか。四つ足で這いつくばって歩けとまで言ってくれたじゃないか。ボクはキミに奴隷らしくかしづいて、周りにそれを見せつけて。そうしてくれればずっと一緒にいられるのに」
「いや、あれはなんか変な気分になるから」それに、実は這いつくばって歩けとまで言った覚えもなかった。多分、捏造されてる。しかもわざと捏造されてる。
「なんだい、変な気分って。あのときは、こっちのほうがよっぽど変な気分だったんだ。いいよ、快感だったと認めてもいい。みんながボクを蔑んだ目で見て、けれどキミが、ボクはキミの所有物だからキミだけがボクを好きにするんだと言ってくれて、ボクにはもうそれに逆らう力が無くて、キミにへつらうしかなくて、ああ、これが今のボクなんだと思ったら腰が砕けるぐらいに快感が走ったんだ。四つん這いだったけれど、もし立たされていたとしても立っていられなかっただろう。キミの一番内側の膝に頬をすり寄せて舌を這わすのが本当に快感だった。そこから太股を伝って、さらにその上の……」
「ストップ、ストップ。頼むよハニー、戻ったらいくらでも聞くから。仕事が山積みなんだ」その話、何分続く? いや、もしかして何時間?
「なんだいなんだい、キミは本当に女心が分かってないな!
ボクはキミに話を聞いてほしいんだ。話を聞く時間も取れないなんて、甲斐性を疑うよ」
いや、だって、絶対長いし。
そう思ったら、それが顔に出ていたらしく。
次の瞬間、ボフッという音がして、視界の一部が白く染まった。枕を複眼に投げつけられたと分かった。ちなみに、彼の種族は枕を使わないので、彼女のためだけに作らせた特注品枕。
枕が床に落ちる前にキャッチしてから、改めて彼女を見ると、既にそっぽを向いて背中を向けて横になっていた。
彼は声をかけてみた。「ねえ、ハニー」
「……」
「君を捨てたりはしない。君は言葉では信じてはくれないみたいだが、何度でも言うよ」
「……」ぷいっ。
そっぽを向いた彼女の顔を見ようと彼女の身体をまたいで反対側に移動してみた。彼女は、くるっと身体を回転して、そっぽを向き直した。
膝を抱えて丸くなって、まるで、どこまでも縮んでしまいたいと思っているような。そんな背中。消えてしまいたいと思っているような。
彼には予測できない気分の浮き沈みときっかけで、時々、彼女はそんな態度を取る。
放っておくと、彼女はずっとこのまま。
多分、彼女が敗北して自由と尊厳を失った日から、どんなに口では順応したふりをしていても、彼女の中の何かは壊れ続けているのだろう。壊したのは彼の種族であり、彼であり、今更彼女に健全な精神で生きて欲しいと思うのは傲慢に他ならないが。
だが。
「仕方ないな」
彼はため息をつくと、自分の腹にある糸疣から粘着性のある糸を出して、手で軽くまとめてから、ぐるりと彼女の身体に引っかけた。それから、無理矢理に仰向かせた。膝を抱えた姿勢を強引にほどかせ、顔を真正面から見た。
「あ、キミ、縛るなんて、反則だぞ」
彼女が文句を言いながら目を逸らそうとするのを無視して、ぐいっと両手をつかんでまとめて引っ張り上げて、その腕に糸をぐるぐるとまとめて封じてから、寝台の柱に糸の端を結びつけた。それから別の糸で、暴れる両足をおさえつけてぐるぐる巻きにして動きを封じた。
「キミ、またボクを縛ったまま放置して仕事に出かける気だな! どうなるか分かってるんだろうね! また色々漏らすぞ! ボクは構わないけどね! キミの寝床をぐしょぐしょに汚してやる! 帰ってきたキミが鼻をつまもうが、一生取れないにおいを染み着けてやる」
「今更、気にしないが」この寝床の半分は、もう彼女のにおいでできているようなもんだ。「好きなだけ漏らすといい。君がどんなに臭くなっても、どんなに周囲を汚しても、捨てないよ。洗いはするが。湯浴み場の用意もさせておこう。じゃあ、私は仕事に行く」
「あ、待って」
無視して仕事に行くべきか迷ったが、とりあえず足を止めて振り返った。
彼女は言った。
「目隠し、していって。
身動きできないまま目隠しされると、時間の感覚がおかしくなって、気が狂いそうになるんだ。でも、それが終わる瞬間が、全てを上書きするほどに快感なんだ。まるで自分の一生分の時間が救われたように感じるんだ。前にしてくれたとき、糸をほどいてくれたキミが救世主のように見えたのを覚えているよ。魔王なのにね。ああ、ボクはキミを信じてる。ボクはキミを信じられる。信じるよ。
だから、ボクの目を、キミの糸で、開かないように閉じてくれ。お願いだ」
彼は、彼女の言葉に応えた。彼女の頭部を何重にもぐるぐるに糸で巻いて、視界を塞いだ。
糸で両手を縛り上げられ、両足も封じられ、目を隠された彼女を上から見下ろした後、彼女の唇に長めの口づけをしてから、彼は仕事に向かった。