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鬼はここっ!  作者: なつの友司
7/7

6 麻里奈はそれでいいと言う。私もそれでいいと思った。



 物語が完成する頃には、太陽はすっぽりと隠れてしまっていた。

 時刻にして21時である。

 窓から見渡(みわた)せる奈良盆地(ならぼんち)は、ほとんどが田園風景である。すっかりと暗くなってしまった景色(けしき)のなかで家々がわずかに光っているのだが、それはまるで星々を見ているかのようでもある。

 大月さくらは、「すべてをやりきった」とばかりに窓を見つめているのだが、しかしその眼差(まなざ)しには何も映り込んではいなかった。

 さくらの背後から、

「……なるほど。見事だわ」

 という内田ゆり子の声がかかった。そして同じく背後から、

「……うん。そうだね。私たちじゃ、こうはならなかった」

 大月真緒(おおつきまお)も、同感だった。

 この物語を書ききった大月さくらは、(ひたい)から、つぅ、と汗を流していた。()れないことをやってしまったせいなのか、知恵熱(ちえねつ)でも発生しているのかもしれない。

 その大月さくらはやがて、ぼんやりとした視線を、ノートパソコンへと落とす。

「……桃、おじいさん、おばあさん、少年、3つのだんご、3匹の動物、……それから、悪い鬼。……足の悪い鬼になっちゃったけれど、これでキーワードは全部使えたよね」

 カロリーを大量消費してしまった顔つきの大月さくらに、大月真緒は嬉しそうな顔つきで手を伸ばす。

 がしっ、とさくらのミドルヘアを両脇(りょうわき)からひっつかみ、「さくらぁ、すごーい」と左右に振る。

「……わっ、うわっ、や、やめてよおねえちゃん」

「だってこれって童話だもんね。うん。むしろこっちじゃなきゃ童話にならないような気がするよ。なるほど。戦争なんか起こさなくたって物語はつくれるんだね。私たちは、悪い鬼、っていうからにはチンピラのような鬼っていう(とら)え方しかできなかったけど、こんな感じにすることもできたんだね」

 それに内田ゆり子も続いた。

「……そうね、さくらちゃん、ありがとう。これなら絵本、もとい報告書(ほうこくしょ)だってより良くなるはずよ」

 しかし、童話を完成させてしまった大月さくらは、なぜか屈託(くったく)のある表情だった。

「……で、でもさ」

 どことなく満足しきれていない声色(こわいろ)で、

「こ、これってさ、古代にあったはずの童話(どうわ)を蘇らせてみようっていうお仕事なんだよね? ……わたしの予想なんだけど、やっぱりこの物語は、足の悪い鬼なんかじゃなくって、本当に悪い鬼が出てきて、それを少年たちがやっつけるような勧善懲悪(かんぜんちょうあく)のお話だと思うんだけど……、こんな物語じゃ、だめなんじゃないのかな」

 大月さくらはしょんぼりとした。

 この物語は、古代人たちをがっかりさせてしまうような物語であるはずなのだ。元々は、絶対にこんな物語であるはずがない。

 しかし、

 そこに救いの声がかかった。

 支部長。麻里奈(まりな)である。

「いいわよ。さくらちゃん、その物語にしましょう」

 え?

 とさくらは首を向けた。

 支部長席に座っていた麻里奈は、まるで九官鳥(きゅうかんちょう)のように甲高い声で、

「よし、まお、今の物語を翻訳。ゆり子はイラストを描いて」

「らじゃ!」

「はい」

 すると問題児二人は、水をえた魚のように自分のワークデスクへと座り、せっせと作業にとりかかったのだった。

 またしても、ぽつん、と取り残されてしまったさくらは、これからどうすればいいのかが分からない。

 だからせめて、さくらは支部長席へと歩いていき、

「……ご、ごめんなさい」

 と小さな声で謝った。

「へ? どうしてさくらちゃんが謝るのよ」

「だ、だって」

 さくらの今日のお仕事とは、あくまでも盗み聞きをしていることにあったはずだった。だから、勝手に二人の間に割って入って、ノートパソコンを強引にひったくり、「たとえばこういうのはどう!?」とか、「違う、だからそれじゃきな臭いお話に!」などというアドバイスをしながら、監督役(かんとくやく)として物語を完成させてしまったことは、ある意味暴走だった。

 さくらは、そこまでのことは指示されていなかったのだ。

 なにより不安なことがある。

 あの物語とは、あくまでも大月さくらが考えた物語でしかなくて、古代人が考えた物語とはまったくの別物になってしまったはずなのだ。それが、このPRF研究所では許されるのだろうかと思うのだ。もし許してくれるのだとしても、古代人たちは許してくれるのだろうか。――いや、そんなわけがない。

 誰に罰せられてしまうのかは分からないが、どこかの誰かが自分のことを非難するはずなのだ。

 それが恐ろしくて、出しゃばりだった自分を反省していたのだが、

「あのね、さくらちゃん」

 支部長の声は優しかった。

 ヘリウムガスでも吸ったかのような甲高い声で、麻里奈は説明する。

「そのほうがいいのよ」

「へ?」

「だいたい、これってただの報告書(ほうこくしょ)みたいなものだから、あれがそのまま(おおやけ)になるなんてことはまずないわよ。それにね、そのほうが良いっていう意味は、私の見解でしかないんだけどね、……えっとね」

 麻里奈は、何かを思い出すかのように虚空(こくう)を見る。

 まるで亡くなってしまった誰かを思い出すかのような瞳だった。

「この世の中は、知らなくてもいいことだって多いの。温故知新(おんこちしん)という言葉がある一方で、(やぶ)をつついて(へび)をだすという言葉だってあるわ。わたしたちはね、古代の遺物(いぶつ)から読み取った情報をもとにして、未来を作っているような状態なんだけれどね、でも、いったい何が、知ってもいい情報なのか、いったい何が、知らなくてもいいことなのか。それらって、完全に解読してみないと分からないことばっかりよね。……わたしは、だから、嫌なの」

 何を指して、「だから」と言っているのかはさくらには分からなかったし、いまひとつ的を得ていない意見でもあった。何を伝えたかったのかがさっぱり見えてこない。さくらは首をかしげてしまう。

 ただ、

 麻里奈は麻里奈で、そのリーディングによって何か知ってはいけないことを知ってしまったのかもしれないだろうとは思った。そして、そのことを大いに反省しているのだろうと。

 さくらは、そう思った。

「だからね、別にいいんじゃない? こういうおふざけがあったってさ。……それに、古代人たちだってきっと許してくれるわよ。あの二人の物語は正直どうなのかなって思うけれど、さくらちゃんの些細(ささい)なおふざけが許される程度には、祖先だって寛容的(かんようてき)だと思うわよ」

 おふざけ。

 おふざけだからこそ、さくらは許されはしないだろうと思ってしまうし、おふざけだからこそ、さくらはお給料をもらえるような立派な事はなにもできていないとも思ってしまう。

「さくらちゃん。一つ問題を出してもいいかしら」

「……え?」

 突然の展開に、さくらは頭がついていかない。

 麻里奈は、そんなことはおかまいなしに出題する。

「ここ、PRF研究所、奈良県耳成山支部(ならけんみみなしやましぶ)は、子どもたちに関係するようなお仕事を任されている。……これは分かっているわよね?」

「……あ、はい。分かっています」

「そして、わたしのイスの背後に置いてあるアタッシュケース。このケースの中には、かつて子どもたちに読まれたはずの童話のなりの果て、まるでボロ雑巾のようになってしまった遺物(いぶつ)が入っているわ。もちろんこの遺物は、普通に読むことなんて絶対にできない。リーディングを使わない限りはね」

「……はい?」

 麻里奈がどんな問題を出そうとしているのか、さくらにはなかなか理解できない。

 しかし、麻里奈は喋り続ける。

「では、このアタッシュケースは、一体誰が、この職場へ届けようと考えたのかしら」

「……」

 なんとなく理解できたかもしれない。

 麻里奈がどんな問題を出そうとしているのかだけではなく、何を伝えようとしているのかもぼんやりと見えてしまったのである。

 さくらのわずかな表情の変化を、麻里奈は見逃さなかった。

「このアタッシュケースはね、わたしよりももっと熟練(じゅくれん)したリーディング能力者が、この支部へと送りつけたのよ。子どもたちに関係するような遺物(いぶつ)なら、この職場に送りつけちゃえー、ってね。仕分けされてやってきたの。しかもね、これって童話なのよね。きっと沢山発行だってされたはずよ。だったらこの残骸とまったく同じような残骸が、各地から出てくるかもしれないのよ。そして今の世の中、私よりも有能なリーディング能力者なんて腐るほどいるんだから、絶対にもっと完璧な形で、この童話を復元させられる人も現れるはずなのよ」

「……」

「だいたい、こんな未熟(みじゅく)なリーディング能力者の、しかも未成年のわたしが、支部長をやっていること自体おかしいのよ。大人たちはいったいどこまで能天気で、暇で、お金を持て余しているのよっていうお話。楽しければなんでもいいんじゃないかしら。いろいろな意味で未熟なわたしのことを、こんなところの支部長にしてしまったのは、大人の責任なの。そして大人たちは、こんな未熟な職場へ遺物(いぶつ)を送りつけてしまったんだから、どんな報告書になったとしても大人の責任なの。そういうことにしておきましょうよ。そして、こんな職場にも関わらず、さくらちゃんは最善を尽くしてくれたんだから。……それでいいじゃない」

「……」

「そう思わなきゃ、やってられないわよ」

 それは一理あるかもしれない。

 さくらは屈託が晴れたような、それでいて何かを気まずく思ったままでいるような、複雑な顔をしてしまった。

「……ま、まぁ」

 と、麻里奈も、ちょっとだけ気まずそうな顔つきをして言う。

「わたしのリーディングが未熟なのがいけないんだから、別にいいの。……あ、で、でも、わたしのリーディングが未熟だということを正当化しているつもりなんてないのよ。……た、たしかにそれを言い訳にしたいという心の内も、あるにはあるんだけれど……」

 くす、とさくらは笑った。

「はい。分かりました。そういうことでしたら、あまり深く考えないことにします。わたしもあの物語を作ることができて、とても楽しかったです」

「……あ、う、うん。ねぇさくらちゃん? 分かってる? 今のは言い訳なんかじゃないんだからね?」

「はい。大丈夫です。ちゃんと分かっています」

 本当かなぁ?

 と麻里奈は怪訝(けげん)な顔つきである。

 そこに、ぼそっ、と別の声がかかった。

「声が幼稚園児(ようちえんじ)のまま止まってしまっていることについて何か言い訳は?」

 大月真緒(おおつきまお)だった。

 ワークデスクへと座り、ノートパソコンのキーボードをかちゃかちゃと叩いている。どうやら5か国語で報告書(ほうこくしょ)を作っているらしい。たしかに、大月真緒は子どもの頃から漫画が大好きで、「いろんな国の漫画も読めるようになりたい」とただそれだけの理由で多国語(たこくご)の勉強をして、しかも使いこなせるようにまでなってしまったのだ。

 大月さくらにとっては、自慢の姉である。

 姉の発想力にはひどく問題があるようなのだが、それでもこの職場で働きつづけることができるのは、その能力を買われてのことだろう。

「ま、まお……。言っておくけど、あなた、わたしの未熟さを後ろだてにして好き放題やっていることは知っているんだからね?」

「え? なんのこと?」

 麻里奈は、ぎろっ、とにらみつけて(くや)しそうな表情である。

 そこに、もう一人の声がかかった。

「絵が下手くそなことに関しても、なにか言い訳は?」

 内田ゆり子だった。

 彼女は現在、自分のワークデスクへと座っていそいそとクレヨンを動かしているところである。

 さくらがそのイラストを、ちら、と横目で見てみると、

 ――うわっ、すごいうまい。

 驚いた。

 イラストレーターが描いたような生き生きとしたキャラクターが描かれていたのだ。馬、ヤギ、イノシシ。背景だってシンプルだけどうまい。しかもだ、さくらが先ほど自分が作った物語が、リアルタイムでイラストへと化けていくその様子は感動的である。

 たしかに、なるほど。

 内田ゆり子の発想力もなかなかすごいものがあり、先に出来上がってしまった童話がみるみると下品になってしまったのはほとんど彼女のせいでもあるのだが、そんな問題児でもこの職場で働くことができるのは、こういうところに理由があるのだろう。

「……う」

 と麻里奈が言った。

「うううっ、うっさいわっ! ゆり子は自分のイラストがうまいって言って欲しいだけやんかっ! 言う訳あるかぼけえっ! ばぁーかばぁーか!」

 もはや支部長は小学生だった。

 小学生のような甲高い声で、「だいたいゆり子だって何なのっ! そんな大人ぶった服きちゃって色気づいちゃってもーやだやだ」なんたらかんたら、麻里奈(まりな)はワークデスクをばんばんと叩きながら不満を爆発させている。

 しかし、小学生のようではあるのだが、これでも麻里奈は支部長なのだ。

 この三人は、すごい三人なのだ。

 それに対して、大月さくら。自分はいったいどんなことが出来るのだろうかと思って悩んでしまう。

 100人に1人くらいはおかしな能力に目覚めてしまうこの世の中において、自分はまったくのノーマルであり、イラストが描けるわけでもないし、多国語ができるわけでもない。

 できることと言えば、料理くらいのものだろう。料理なんて、ちょっとかじれば誰にだってできる。

 なのに、こんな平凡な自分が、こんなところにいるのは場違いというやつではないだろうか。

 さくらが一人で勝手に落ち込んでいると、

「……さ、さくらちゃん」

 心なしかげっそりとしてしまった支部長が、声をかけてきた。

「は、はい。なんでしょうか」

「あなたは、ここでバイトをしてくれるのよね?」

「……あ、は、はい。……こんなにつまらない、普通の私でよければの話ですが」

「そうね、あなたは普通よね」

「……」

 せめて否定してくれないのか、という思いと、やっぱりそうだよねぇ、という思いで、大月さくらは複雑だった。

「でもね、よくよく考えてみれば、世の中なんて普通の人ばっかりなのよ」

「……は、はい?」

「いい? 料理ができる中学生なんて腐るほどいるだろうし、掃除や洗濯ができる中学生だって腐るほどいるはずよ。それに、両親がいない小さな子どもだって沢山いるんだから、さくらちゃんも自分が特別だなんて思っちゃいけないわよ」

「……」

 言っていることはすべて真実であって、さくらにしてみれば「は、はい」としか言いようがない。

「自分が特別だなんて思っているやつらはみんな、井戸から出る勇気のないカエルなの。井戸から出てみれば大海がみえてしまうし、地球から出てみれば星の海がみえてしまう。だから謙虚(けんきょ)な人間くらいでちょうどいい。わたしはそれでいいと思うの。とくに」

 とくに、を強調して麻里奈は言う。

「あなたって最高だと思うわよ。この職場には必要だとも思うわ。だってあなた、普通の発想しかできないみたいだし」

 さくらは思わずコケそうになった。

 フォローされているのか、それともバカにされているのか。

 麻里奈(まりな)はとりたてて悪びれもせずに、

「まぁ、最終的に決めるのはさくらちゃんだけれどね。少なくともわたしは、この職場にはさくらちゃんみたいな人間が必要だと思うわよ」

 と自信ありげに言った。

 そこで、

「そうね」

 と横から声が飛んできた。

 イラストを描いていた内田ゆり子だった。そして、ぼそっ、とささやくような声で付け加えてくる。

「……さくらちゃんみたいな子は必要だって、わたしも思うわ。あのカップラーメンの残骸(ざんがい)だらけの部屋だってお片付けしてくれるかもしれないし。ねぇ、まり姉さん」

 まり姉さん。

 そう呼びかけられた人物とは、もちろん麻里奈のことであり、そうやって呼びかけるのだということは、つまり二人は姉妹だったのだろう。

 さくらはそう見当をつけた。

 そしてその瞬間、「あれ?」と思い直す。内田ゆり子の今の発言で注目するべきは、そこではない。

 ――カップラーメンの残骸だらけの部屋?

 かなりの問題発言だったような気がした。

 さくらは首を動かして麻里奈のほうを見やると、彼女は口を半開きにしたまま、「ぎくり」と驚いたまま硬直していた。

 時が止まっていた。

 職場がしんと静まりかえっていた。

 誰もが物音一つ出さなかった。

 パソコンのキーボードを打っていた大月真緒は、「んー?」と不思議そうな顔をしながら麻里奈を見つめ、イラストを描いていた内田ゆり子は、くふふっ、といかにも悪い顔をしながら麻里奈を見つめ、その麻里奈はと言うと、まるで置物のように身動さえしなくなっていた。

 実際には、時が止まっていたわけではない。

 麻里奈がおかしな汗をかきはじめているし、ペンを握っていた手がぷるぷると震えはじめているし、小さな声で「……やべ、あいつも壁の透視くらいはできるんだった。……くそ、くそ」とかなんとか、悪態をついている。

 とにかく、どんなに鈍感な人間であったとしても、いまのやりとりで分かってしまったことは多いだろう。さくらもそうだった。だから、

「……カップラーメンの残骸、残骸だらけの部屋、ですか?」

 そう問わずにはいられなかった。

 時がいっせいに動き出した。

 盛大に気まずそうな顔つきになってしまった麻里奈が、わたわたと慌てふためきながら叫ぶ。

「なっ、なんでもないの。なんでもないのよさくらちゃん!」

「……まさか、毎食(まいしょく)カップラーメンなんですか?」

「えっと、ちがっ! 別に、毎食っていうわけじゃないんだけどっ!」

「……支部長は、毎食(まいしょく)ではないけれど、毎日(まいにち)のようにカップラーメンを食べているんですか?」

「ううっ⁉ ……こ、こらゆり子っ! あんたなに余計なことをっ!」

 ばぁん! という大きな音が立った。

 大月さくらが両手でワークデスクを叩いていたのだ。

 麻里奈もさすがに「ひっ」と驚いて肩をすくませる。

「支部長っ! わっ、若いのになんでそんなもの食べているんですかっ! ちょっとその残骸(ざんがい)がある部屋へと案内してくださいっ!」

 あっというまに血圧をあげてしまった大月さくらが、ワークデスクごしの麻里奈につかみかからんばかりの勢いで顔を接近させる。

「案内してくださいっ!」

「えっと、今は、さくらちゃんがここで働くのかどうかという、大事なお話をしている最中で」

「そんなことはもうどうでもいいですから案内してくださいっ!」

「ひぃっ」


 あかんて、やめて、やめといてええええっ!


 そんな声が22時の職場に響いた。

 ずるずると引っ張られるようにして奥へと消えていくその悲鳴は、まるで猛獣(もうじゅう)に連れ去られていく小動物のようだったのだが、それを助けようとする人間は誰もいなかった。

 ワークデスクでイラストを描いていた内田ゆり子は、その手を止めていた。ちょっとだけ驚いた顔つきで、

「さくらちゃんなら、うちの姉のカップラーメン病を正してくれるんじゃないかなーって、ふと思ったから、言ってみただけなんですけど、こんなに効果が出てしまうなんて」

 大月真緒は、ノートパソコンのキーボードをかちゃかちゃと叩いていた手を止め、「あはは」と笑い、

「さくら、普段はすごく大人しいんだよ? めったなことでは怒らないし、いつも静かに微笑んでいる、おばーちゃんみたいな子なんだよ?」

「……そうなんですか?」

「でもね、カップラーメンはダメ。私も2日続けて食べちゃったときには、ぶちキレられたよ。あーなっちゃったらもうダメ。誰にも止められない。なんたって、さくらはさ」

 そこで大月真緒は、思わせぶりにニヤリと笑いながら、いったん言葉を止めていた。

「さくらちゃんは? 何ですか」

「さくらは、家庭(かてい)(おに)だからねぇ」

 そう言って、大月真緒は笑った。

 内田ゆり子も、くすくすと笑う。

 そこに、奥のほうから(おに)の絶叫が、


 なんなのこの部屋はあああああああああああああっ!


 西暦3500年。

 中学生でもバイトをすることが広く認められているような世の中でもあって、身寄りのない子どもたちが力を合わせ、いろいろなことに挑戦(ちょうせん)していることだってあちらこちらで普通に見られるような世の中である。

 今日もきょうとて、世界には(おだ)やかな風が流れている。

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