3 だから二人には任せられないのだ
さくらがつっこむまでもなかった。
しっかりと、気品のただよう少女、内田ゆり子が指摘してくれていた。
「おかしいわよ、それ」
「え? おかしいかな? こんな感じじゃだめかな?」
「いきなりおばあさんが鬼退治しちゃうの? そんなことできるわけないじゃない」
「でもね、強いおばあさんっていう設定だったらできるんじゃないのかな。ほら、お洗濯を、もみもみと手洗いでやっているようなおばあさんなら、握力だって100キロくらいはあるんじゃないのかな」
「だめよ。そもそも、おばあさんが強くちゃだめなのよ。……弱い人たちが頭を働かせて、どうにか工夫して悪い鬼をやっつける。……もしくは、弱い人たちが集まって、どうにか協力して悪い鬼をやっつける。そういうのが物語の基本だと思うけれど」
ああ、なるほどなぁ、
と、さすがの大月真緒も同意せざるをえなかった。
大月さくらも、ほっとした表情だ。
大月真緒は、もう一度腕を組んで、
「あ、じゃあさ、ゆり子ちゃん。こういうのはどうだろう。おばあさんは工夫をして、だんごを使って悪い鬼を退治するんだよ」
「……だんご? どうしてだんごが出てくるの?」
「この、3つのだんご、っていうヒントはね、ホウ酸だんごに違いないよ。おばあさんはホウ酸だんごをばらまくの。鬼たちはそれを食べちゃうの。そして食中毒をおこす。全滅する」
「ゴキブリ退治じゃないんだから……。それよりこのヒントの中には、悪い鬼がたくさんいるって書いてあるじゃない? たったの3つのだんごで、沢山の鬼を退治するつもりなの?」
「鬼たちは、3つのだんごを取り合って血みどろの戦いをはじめるんだよ。同士討ちでバタバタと鬼が倒れていって、勝ち残った鬼がだんごを食べる。食中毒をおこす。全滅する」
「ずいぶんとアホな鬼たちね……。でもわたし、おばあさんも食べられてしまうと思うんだけれど……」
「じゃあさ、おじいちゃんもぎっくり腰で死んでしまうことにしよう。天国で再会して、みんな幸せ」
ぎっくり腰じゃ死なないよっ⁉
困惑顔の大月さくらは、いよいよつっこみそうになってしまったのだがぐっとこらえていた。もちろん、さくらがつっこむまでもなく、
「……あの、真緒さん」
と内田ゆり子が口を挟んでいた。
「全滅しちゃったらハッピーエンドにならないじゃない。童話っていうからには、経過はどんなにひどいものであっても、エンディングでは子どもたちを喜ばせたり、もしくは、感動させたりするようなものにしなきゃならないって思うのよね。……ああ、でも、主人公が死んでしまってエンディングっていうのも、わたしはアリだと思うけれど、ぎっくり腰で死んじゃうっていうのは無理やりじゃないかしら?」
「あぁ、たしかにそうかぁ」
「それよりもわたしはね、3つのだんご、っていうヒントは、3匹の動物、っていうヒントと深いつながりがあるんだと思うわ。きっと3つのだんごを使って、3匹の動物を仲間にするのよ。おばあさんが鬼と戦うのは、きっとそれからね。……それから、わたしはもう一つ思ったことがあるんだけれど、桃と、少年、この二つもなにか繋がりがあるんじゃないのかという気がするの。だってほら、おじいさんとおばあさんが一つの組み合わせになっていて、3つのだんごと3頭の動物が一つの組み合わせになっているんだとしたら、少年と桃、この二つも繋がっているような気もしないかしら。なんとなくだけれど」
へー。内田ゆり子ちゃんってすごい。
大月さくらはそう思った。
たしかにヒントは少なかった。
桃、おじいさん、おばあさん、少年、3つのだんご、3匹の動物、悪い鬼がたくさん。
自分の姉。大月真緒はというと、普段の能天気さと、頭のなかにお花でも咲いているかのようなアホっぽさを存分に発揮して、少ないヒントからおかしな物語を作り上げようとしている。それをまさか、自分と年頃が同じような内田ゆり子ちゃんが、冷静な分析によってたしなめているのだ。
アホの姉。
頭脳家の内田ゆり子。
その二人の構図が、さくらの頭の中に出来上がってしまったのだった。
すでに大月さくらは、自分がお仕事に参加できなくなってしまった不満などは忘れてしまった様子で、内田ゆり子のことを応援しはじめたのだった。
その矢先のことである。
「分かった。そういう物語を目指そう。――じゃあさぁ」
と大月真緒が問いかける。
「ゆり子ちゃん、3匹の動物って何がいいんだろうね」
「そんなものは決まっているわ」
と言ってから、内田ゆり子はその眠そうな瞳に、得意げな光をともしながら答える。
「サルと」
「うん」
「チンパンジーと」
「うん?」
「ゴリ――」
ちょ、ちょっと待って。
さくらがつっこむまでもなく、大月真緒が、「ちょ、ちょっとまってゆり子ちゃん」と口をはさんでいた。
「なにかしら」
「サル率高くない? 好きなの?」
「好きって訳じゃないけれど……。頭もいいし、なにより手を自由に使えるところが戦いには向いていると思うのよね。武器を持つことだって出来るじゃない? 火縄銃くらいなら使いこなせるかもしれないし」
「待ってよゆり子ちゃん。さっきゆり子ちゃんは、弱い人たちがいろいろな工夫をして鬼たちをやっつけたほうが物語っぽくなるとか言ってなかったっけ?」
「そうだけど?」
「なんだか工夫の余地もないほどに強いような気がするんだよね。サルはまだいいとしても、チンパンジーあたりから戦闘能力がとんでもないことになると思うの。……ほら、ゆり子ちゃん、古代にあったギネスブックっていう記録書は知ってる? 最近リーディングによって解読されたらしいんだけど」
「……知っているけれど?」
「ギネスブックの西暦2000年版によるとね、怒り狂ったメスのチンパンジーが握力572キログラムを記録したらしいんだよね。ほら、チンパンジーってすごいんだよ。おばあさんの握力100キログラムがだめなんだったら、チンパンジーはもっとだめだと思わない? それにサルが銃を使うとか、妙に生生しくってこわいと言うか」
「……そう言われてみれば、そうかもしれないわね」
大月真緒は、ほっとした表情をうかべた。
その妹の大月さくらも、同じくほっとしていた。
どうやら、ゆり子ちゃんもゆり子ちゃんで過激な発想をすることがあるらしい。そんなときには、大月真緒もたしなめることがあるようなのだ。
なんとなくこの二人。悪くはないコンビであるように思えた。ちょっとだけ危なっかしいところはあるけれど、二人がたしなめ合えば物語は良い方向に進みそうな気がしてくる。これはもう、二人のコンビネーションは絶妙にいいバランスになっていると言わざるを得ないだろう。
ひょっとすると、支部長、麻里奈は、この2人から何か学べることがあるはずだからという理由で、盗み聞きを命じたのではないだろうか。さくらはそう思い直した。
しーんと部屋の中が静まりかえっていた。
次に喋り始めたのは、おしとやか少女。内田ゆり子だった。
「……ねぇ、真緒さん。怒り狂ったメスのチンパンジーの握力が572キロを記録した。……っていうけれど」
「なに?」
「古代人たちは、なにが悲しくてチンパンジーの握力測定なんかしてみたのかしら。それよりも、具体的にはどんな方法で握力測定したのかしらね。怒り狂っているチンパンジーに、むりやり握力計を持たせてみたのかしら。それとも、チンパンジーに握力計を渡してから、むりやり怒らせてみたのかしら」
「それは知らないほうがいいと思う。古代人も結構ヒマだったんだよ」
そうね。
と内田ゆり子が納得した。
コロン、とペンが転がったような音がしたのだが、それには誰も気が付かなかった。先ほどから事務仕事にとりかかっていた麻里奈が、思わずペンを落としてしまったのである。
――どんな会話してんねんこのアホども。
ぼそっ、と小声で言ったのだが、それに気が付いた者はやっぱり誰もいなかった。ちなみに、麻里奈は気が高ぶってしまったときにはなまりが出てしまうことがある。
「それよりゆり子ちゃん、仕切り直しをしてみよう」
「そうね」
二人は雑談をきりあげた。
それから二人は、3匹の動物はいったい何がいいのかと候補を挙げていき、やがてすぐに決まってしまったのだった。
インコ。
猫。
アライグマ。
どうしてその3匹になってしまったのかは――、ゆり子が得意げに解説した。
「インコは頭がいいから、アホっぽいことを喋らせるとこの上なく面白いということでわたしがぜひ入れたいと思っただけなの。でもここからはちゃんとした理由があるわ。猫は愛玩動物で頼りないところもあるけれど、基本的には野性的だし、戦えるはず。アライグマは、物語をしめくくるためにどうしても必要」
とのことだった。
しめくくりとは何なのかについて説明はおざなりにしたままだったのだが、傍観者である大月さくらは、黙って進捗を見守るほかに術はない。
やがて、大月真緒が「あ」と何か思いついたような声をあげてから、「やっぱりね、たとえ童話だったとしても、意外性って大事だと思うんだよね」と主張する。
内田ゆり子も、それには同感であるようで、
「でも、意外性って、たとえばどんなことがあればいいのかしら」
「たとえばさ、悪い鬼は、実は悪い奴じゃなかったんだーとかそういうの。鬼が全滅してしまってからようやく、おばあさんたちは、あぁ、わたしたちはなんてひどいことをしてしまったんでしょう、って嘆くんだよ」
「……うん。まあ、そういう意外性は大切かもしれないけれど、ほんとうにそんな物語になってしまったら後味が悪いわよね?」
「うん。それは私も思うからやめておいたほうがいいとは思うかな。最終的には鬼が悪い奴らってことでも別にいいんだけど――」
「うんうん。それってどんな――」
「あのね――」
「なるほど――、でも――」
このあたりから相談に火がつきはじめた。
新しい設定を付け加えてみたり、なんだか物語がちぐはぐになってきてしまったために白紙に戻してやり直してみたり、とにかくあれこれと話し合うこと2時間。
窓から入ってくる太陽の光がだんだんと傾いてゆき、やがて夕方になるだろうという時刻になって、ようやく二人の物語が完成したのだった。
真緒がパソコンをかちゃかちゃと叩いて文章にまとめ、内田ゆり子が細かいところを修正してやり、そうして出来上がった文章を、大月さくらへと渡してきたのだった。
「ねぇ、さくら、ちょっと試しに朗読してみてよ」
「さくらちゃん。読んでみてくれないかしら」
二人は、満足そうなほくほく顔だった。
それに対して、大月さくらは能面顔だった。
嫌だった。
読みたくなかった。
それもそのはずだ。
作品の方向性は、みるみるとおかしな方向へと流れっぱなしだったのだから。
しかし、大月さくらはついには抵抗を諦めた。まるで洗濯物にかかってしまったハトの糞でも見つめるかのような眼差しで、こめかみに青筋を立てながら、底冷えのするような声で朗読をはじめたのである。