2 大月さくらの初仕事は盗み聞きだった
PRF研究所、奈良県耳成山支部。
その職場は、標高130メートルほどの耳成山の、中腹ほどにある。
そこにある建物は、一階建てのコンクリートの建物であり、大月さくら13歳から言わせてもらうと「どこからどうみても幼稚園」でしかなかったのだが、中に入ってみれば立派な職場にはなっていた。
そもそもPRF研究所というのは、古代文明・文化を研究するために作られた団体である。だから立派でないわけがないのだ。
ただ、7月2日土曜日。
さくらが履歴書を持っておとずれたこの耳成山支部では、さくらは自分と同じ年頃の少女でありながら、なんと支部長を任せられている人物と出会ってしまい、非常に驚かされてしまったのだった。当然のことながら、「こんな職場で大丈夫なのかな?」などという感想も覚えてしまった。
しかも、めちゃくちゃ可愛い女の子だった。
支部長の身長は、自分とまったく同じ151センチメートル。髪型は丸みを帯びたショートカット。目つきは鋭くてちょっとだけ怖いところもあるのだが、目を合わせているうちにそわそわして挙動不審になってしまうあたりは、もしかしたら人間恐怖症かなにかだと思う。そしてなにより、あの声のトーンが高すぎるところが可愛らしかったのだ。まるでヘリウムガスでも吸ったかのような声だった。
その支部長、麻里奈の説明によれば、
「面白ければなんでもいい。それは、この世界に生きる人たちにとっては何よりの活力なんだけれどね、まさにそんな楽天的なスローガンを掲げている人々のうち、古代研究に興味を覚えてしまった一部のアホ……じゃなかった。一部のえらーい人々が集まってできたのが、このPRF研究所なのよ。面白ければなんでもいい。……今の幹部たちだってね、その程度の役儀しか持っていないのよ」
ということだった。
ならば、「そう」なのかもしれない。
自分と同じくらいの年頃の少女が、なんと支部長を任せられているくらいなのだから、のんびりとしたお仕事が始まるのだろう。
そんな予感があった。
それと同時に、安心もした。
100人に1人くらいの割合で、へんてこな「能力者」が現れてしまうこの現代において、大月さくらはまったくのノーマルである。シャープペンの芯を念力で持ち上げるとか、2秒先の未来を予知できるとか、あまり役にもたたない能力ばかりを持った人たちばかりではあるのだが、それでも大月さくらにとっては特別なのだ。
小さなころから家事ばかりをやっていたために、その程度のことならば完璧にこなせるのだが、それは特別なことではないだろう。やっぱりズボラな姉の面倒をみたりすることくらいがせいぜいであって、どう考えても自分は平凡でしかないのだ。
そんな自分にも関わらず、麻里奈は「あなたのような人には、ぜひ居てほしいわね」と言ってくれていたのだ。つまり、こんなに平凡な自分でも務まるのだ。――ならば、深く考える必要はないと思う。
むしろ、ワクワクと胸を弾ませるようにさえなっている。
どうやら麻里奈がしてくれた説明によれば、「この支部ではね、子どもの遊びに関係するようなお仕事を任せられているの。そして明日は、みんなで絵本を作ってほしいのよ」とのことである。
最高に楽しそうなお仕事だと思っていた。
が、翌日。
7月3日の日曜日。
昼食をとってからすぐ、大月さくらは姉に連れられて耳成山支部へとやってきたまでは良かったのだが、初勤務としてワークデスクへと座らされて以来、なにもすることがなくなってしまったのである。
――えっと、私、これからどうすればいいんだろう。
さくらのワークデスクには、1枚の書き置きが残されていた。
そこには、麻里奈の文字でこう書かれていた。
『大月さくらちゃん。今日のあなたのお仕事を教えます。目の前で絵本を作っている二人のことを、監視していてください。いえ、正しくは盗み聞きをしていてください。今日のあなたのお仕事は、それだけです。わたしがどうしてこんな指示をしているのかは……、たぶん、盗み聞きをしていれば、そのうちに理由が分かると思います』
さくらは、横目をつかって支部長席を見た。
そこでペンを走らせていた麻里奈は、その視線に気がついた。そして、「よろしくね」とでも言わんばかりにアイコンタクトを送ってきた。
――ぬ、盗み聞きって言われてもな……、どうしようかな……。
さくらは視線を、正面へと向けた。
逆光がまぶしいためにさくらは目を細めながら、ちら、と正面ワークデスクに座っている人物を観察してみた。
二人である。
一人はさくらの姉。大月真緒16歳。
黒髪のロングストレートで、私服で、黙っていれば美人で5ヶ国をマスターしているほどの超かっこいい自慢の姉でだが、今日も今日とて能天気そうな笑顔をへらへらとうかべたままで、「これはないよねぇ」と言いながら、すぐ隣に座っている人物に同意を求めていた。
その、もう一人の人物とは、いかにもおしとやかそうな感じの、さくらと同年代の女の子だった。
つい先ほど、「はじめまして、内田ゆり子です」と自己紹介をされたばかりである。
髪の長さはさくらとだいたい同じミドルヘアではあるのだが、内田ゆり子の髪型は、鎖骨のあたりでゆるいウェーブが作られていた。
そしてゆり子の私服とは、薄いブルーのワンピースであるのだが、ちょっと大人びた髪型とも非常に相性が良いように思える。落ち着いた感じの物腰だってそうだ。名前に「ゆり」という言葉があるとおりに、花のような清楚な少女であった。
そのゆり子が、
「……そうよねぇ。……これはないわねぇ」
と、なんえなく眠そうな口調でうなずいていた。
「もう、こんなんじゃやる気でないよねぇ」とへらへら笑いながら真緒が言い、
「……そうよねぇ。……でないわねぇ」とゆり子が頷いた。
だが、二人が気だるげになっていたのは最初だけである。
やがて二人は、「まあ、これはこれでしょうがないよね」、「ええ、深く考えずに、形にはしてみましょう」と言いながら、居住まいを正して仕事にとりかかったのだった。
今日の二人の仕事とは、絵本を作り上げることである。
今から1500年前の、世界が滅びてしまうまえの日本。
そこには、子どもたちに愛された童話がたくさんあったはずだった。それを現代によみがえらせてみようというのが、本日の、この耳成山支部がまかせられている仕事なのだ。
しかし、よみがえらせるにしても大変である。
ただでさえ、その1500年前の歴史には空白があるのだから、口伝なんかはほとんど息絶えてしまっているような世の中なのだ。
どんな絵本だったのかなんて、知る人もいないだろう。
これから二人は、リーディングによって得られたヒントを使って、童話を作って報告書として提出しなければならないのだ。
桃。おじいさん。おばあさん。少年。3つのだんご。3匹の動物。悪い鬼がたくさん。
今回はいくらなんでもヒントが少なすぎる。そういう意味でも最悪なのだが、やっぱりなによりも最悪なのは、あの問題児二人の発想力だ。これからどんなにひどいものが出来上がってしまうのかは、麻里奈には分かりきっている。
だからこそ、
(大月さくらちゃん。あなたならきっと、ここに必要な人間になるはず。頑張って)
そんなことを祈りながらも、麻里奈はただ傍観することに決めたのだった。
「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが平和に暮らしていました。……なんて、こんな感じでどうかなぁ?」
そう問いかけたのは、大月真緒。
さくらの姉である。
ワークデスクにノートパソコンを置き、思わせぶりに腕を組みながら言った。
それに答えるのは、隣のワークデスクにいる内田ゆり子。
「……うん。いいんじゃないかしら。……わたしもそれでいいと思うわ。……ちょっとだけありきたりかな? なあんて思ったりもしちゃったけれど、よく考えてみればこれって、童話なのよね。衝撃的なプロローグである必要なんかないのよ。……むしろ、シンプルであるに越したことはないと思うわ。それでいきましょうよ」
「うん。そうだね。ゆり子ちゃんならそう言ってくれると思ってた」
真緒とゆり子は、顔を合わせて笑いあった。
それを見ている大月さくらはと言うと……、
「……」
面白くなさそうな表情である。
二人の対面側のワークデスクで、居心地もわるそうにイスにちょこんと座り、ちら、ちら、と二人のことを眺めながら、ひょっとすると嫉妬でもしているかのような雰囲気で、小さく口をすぼめている。
――私も、絵本作りに参加したかったな。
昨日から楽しみにしていたのだ。
古代のことに関わるというだけでも楽しそうなのに、古代の絵本を復元させてみるだなんて、いったいどんなに楽しいお仕事ができるのだろうかと想像してしまい、夜だってワクワクとしすぎて眠れなくなってしまったほどだったのだ。
若干メルヘンチックな妄想だってしてしまった。
しかし、まさか、バイトとして初出勤をしてみれば「盗み聞きをしていて」という指示を受けてしまい、いきなり何もすることがなくなってしまったのだから、面白いわけがない。
しかも、自分の姉が、自分の知らないような笑顔を浮かべているところも……、ちょっとだけ面白くないかもしれない。
……ちょっとだけ。
むうう、と内心憤っていた。
それらすべては麻里奈の狙いでもあったのだが……、さくらはそんな胸中に気がつくはずもなく、ただひたすらにプスプスと煙でもあがりそうなほどにもどかしい思いをしながら、アイドリングを続けるほかに術はないのだった。
「真緒さん、続けて」
と内田ゆり子が言い、よっしゃまかせろ、とばかりに大月真緒は口を開く。
「おじいさんは、山へ芝刈りに行きました」
「うん」
「おばあさんは、鬼を退治しに行きました」
何それ。
大月さくらは思わずつっこみを入れそうになってしまったのだが、それよりも早く、「まって。それっておかしいわよ」と内田ゆり子が口を挟んでいた。




