プロローグ
「……ねぇ、これって、本当に童話なの?」
大月さくら13歳は、深い混乱のさなかにあった。
初めてのバイトとしてやってきたPRF研究所の中は、まるでどこかの学校の職員室のようにワークデスクが6つ並べられていた。
さくらを数に含めるならば、たったの4人だけが働いている職場である。
さくらがこの職場へとやってきてから、「あ、良いなぁ」と思ったことと言えば、今のところは窓からの眺めだけだった。標高40メートルほどのところにあるこの職場の窓からは、夕方になりつつある奈良盆地が見渡せるのだ。
さくらは、ノートパソコンを前にしてワークデスクに座っていた。
「もちろん、童話だよぉ」
「そうね、どこからどう読んでも童話よね」
さくらの背後から、二人の少女が得意そうな顔をしながら応えた。
一人は、高校二年生のさくらの姉。もう一人は、さくらと同年代のおしとやかな感じのする少女である。
その二人が、「ほら、さくら、早く続きを読んでみて」、「作りたてのほやほやの童話よ」と催促してくるのだ。
もう、とにかく読むほかにないだろう。
作者である二人が「これは童話だ」と言うならば、童話でしかないのだ。
たとえ登場人物のおじいさんが全裸であったとしても、作品全体に下品な雰囲気が漂っていたとしても、これは童話なのだろう。
さくらは、すべての文句を後回しにすることにして、ひとまずは朗読を続けてあげることにした。
「……とにかくおばあさんは、旅に出かけることにしました」
そのおばあさんの旅の、道すがらのことです。
ぱたぱたと空を飛んで近寄ってきたインコが、おばあさんに話しかけてきました。
「おばあさん、おばあさん、良い匂いがしますね。そのだんごを一つボクにくれませんか? ボクにだんをくれたなら、このボクの鋭いクチバシで、悪い鬼の目んたまをビシビシとつついてやりますよ」
「……いや、あたしゃ別に、鬼を退治しにいくわけじゃないんだよ? 鬼が悪い奴らだなんて誰が決めたんだい? こりゃあたしの予感なんだけどね、鬼はなーんにも悪いことなんかしてないと思うんだよ」
とはいえ、
一人旅が寂しかったのは事実です。だからおばあさんは、だんごをインコへと与えて仲間にしてみることにしました。
そして、インコとともに旅を始めた、その道すがらのことです。
一匹のシロネコが、おばあさんに話しかけてきました。
「おばあさん、おばあさん、なんだか良い匂いがするぞ。だんごだな? おれに一つくれないか? おれにだんごをくれたなら、このおれの鋭いツメとキバで、憎き鬼のことをめちゃめちゃにしてやるぜ?」
「……いや、あたしゃ別に、鬼に恨みなんかないんだけどねぇ。っていうかお前ら」
お前ら、いったい鬼に何の恨みがあるんだい?
そんなことを言ってみたくなったのですが、シロネコが急に猫をかぶりはじめて「にゃーん」、「にゃーん」と足にすり寄ってきた姿は、とても可愛く思えてしまいました。もう細かいことなんてどうでもよくなってしまったおばあさんは、シロネコにもだんごを与えて、仲間にしてみることにしました。
そうして再び歩き始めた、旅の道すがらのことです。
一匹のアライグマが、おばあさんに話しかけてきました。
「おばあさん、おばあさん、なんだか良い匂いがしますわね。だんごでしょうか? 一つわたしに下さいませんか? わたしにだんごを下さったならば、わたしが憎き鬼のキ〇タマをごしごしと洗ってさしあげましょう」
この時点でさくらは、ふたたび朗読を中止した。
――人生って、何なんだろう。
そんなことを思わずにはいられない大月さくら13歳だった。こんなところでバイトを始めてしまったことをちょっとだけ後悔したような気さえした。
そんな風にして大月さくらは虚空を見上げてしまったのだが、そこからすこし離れた席。支部長席に座っている人物が、口元をにやけさせていた。
麻里奈。
14歳にして、この職場の責任者である。
そして、この現場をセッティングした犯人でもある。
決して麻里奈は、セクハラを受けている大月さくらを見て楽しんでいるわけではない。大月さくらならば、自分の期待に応えてくれるような予感がしているのだ。
麻里奈がこんなセッティングをしようと考えたのは、つい前日の、7月2日の夜のことである。