地獄の始まり
全ての契約書にサインが終わると、彼女は嬉しそうに契約書を鞄にしまった。
そして丈夫そうな鞄に鍵をかけ、何度も鍵がかかったか確認する。
(・・・これで、もう取り消しは出来なくなった・・・)
契約書を鞄にしまうと、彼女は小型の通信魔導具を取り出してどこかに連絡を始める。
そんな様子を私がボーと眺めていると、通信を終えた彼女がニコニコとした笑顔を向け、
「今日はお疲れ様。
もしよかったらこの後、少しだけ付き合える?」
と聞いてきたのだ。
まだアルバイトの出勤時間まで余裕があった為、私は少しなら付き合えると答えた。
すると彼女はイソイソと机の上に広げた全ての書類を片付け、私を手招きする。
私が彼女についていくと、学校の裏にある駐車場に軍の小型魔法車が一台止まっていた。
彼女は車に乗り込むと私を助手席に乗せ、どこかに向けて出発する。
それから少しだけ車に揺られると、町にある高級レストランに到着した。
彼女は手馴れた手つきでレストランの駐車場に車を停めると、心配そうな顔をする私にニコニコとした素晴らしい笑顔で話しかけてきた。
「今日は本当にありがとう!
感謝の気持ちをこめて、今日の食事は奢らせてもらうわね」
久しぶりだった。
本当に久しぶりに美味しい食事を食べた。
柔らかいパンにナイフで簡単に切れるステーキ、野菜がゴロゴロ入ったスープに、変な匂いのしない綺麗な水・・・。
そんな素晴らしい料理が私の目の前に並んだのだ。
それを見た瞬間、私のお腹から「クーー」という可愛い音が聞こえた。
その音を聞き、彼女はクスクスと微笑みながら一杯のワインを注文するのだった。
今や地球軍は地球経済に無くてはならない存在となっている。
その為、どういった商業施設であっても軍人には様々な特典が存在している。
娯楽施設には軍人割引があるし、デパートでも軍人は一般人よりも安く買い物が出来る。
銀行の金利も軍人だけは高く設定されているし、保険や医療も軍人は優遇されている。
そして、こういった高級レストランにおいては軍人専用の部屋まで用意されている程だ。
そんな一般人が立ち入る事も出来ない個室で、私達は食事を楽しんだ。
美味しい料理をお腹一杯食べた私は、少しだけ膨らんだ己の腹部を見てしみじみと実感した。
(ああ・・・、私は・・・、もう本当に後戻り出来ない所まで来たんだな・・・)
と。
それからというもの、彼女は毎日に高校に現れ、私以外の様々な生徒を軍に勧誘していった。
しかし、他の生徒は勧誘を受けて相当悩んだらしい。
そんな軍に入るかどうか悩み続ける生徒に対して、彼女はこう言った。
「この学校で一番最初に地球軍に志願したのは・・・、誰だと思う?」
そう言うと彼女は、私の名前を出した。
これが、彼女の切り札だったのだ。
私の名前を聞いた生徒達は一人、また一人と契約書にサインをしていった。
これが彼女の・・・いや、軍のリクルーターのやり方だ。
「思春期の子供は、自身があこがれる生徒が軍に入るのを見ると、自身も軍に入りたいと考えやすい」
という一文が軍の勧誘マニュアルのトップにある事を知ったのは、私が入隊して暫く経った後だった。
確かに私は白毛人ではあるが、スクールカーストでは常に上位に居た自負がある。
噂では私のファンクラブもあるようだ。
そんな私が「率先」して軍に「志願」したという情報は一瞬で校内に広がり、就職先の無い生徒達は次々と軍に志願した。
その結果、クラスメイトの大半が卒業と同時に地球軍に入隊する事が決まった。
時折、クラスで友人達が地球軍に志願した事を話している場面を見たことがある。
「軍人になれば軍人用の医療保険に家族も入れる。そうすれば病気で寝込んでいる親父をちゃんとした病院に入院させることが出来るんだ」
「色々な仕事を経験する事が出来るんだって、そうなれば例え大学に行かなくても就職先に困る事も無いんだってさ」
「無料で宇宙旅行が出来るもんだしな。他の星でも地球軍人は人気があるから、どこの任地でも現地人にモテモテだってよ」
「そもそも戦闘なんて殆ど無いらしいじゃん? 精々が宇宙海賊退治だって言うし・・・、余裕だろ?」
「もしも勲章なんて貰う事が出来たら・・・、軍を辞めた後も色々と手当てが付くんだってさ!!」
「本当!? 私頑張るわ!!」
そんな会話を、彼らはニコニコと素晴らしい笑顔で語り合っていた。
・・・でも実際は、そんなの幻想だって皆も理解している筈だ
表面上は笑顔を張り付けているけど、本当は全然そんな事を考えていないのは、手に取るように分かる。
(・・・だって、そうでしょう?
もし本当に地球軍が素晴らしい就職先だと思うなら。
何故・・・。
みんな・・・。
一人きりになると・・・。
・・・泣いているの・・・?)
高校の卒業式が行われた日の校庭は壮観だった。
校庭には大型の軍用魔法車がずらりと並んでいたのだ。
そして、卒業証書を貰った生徒達は家族に証書を手渡し、代わりに軍人から受け取った軍服に着替えてから魔法車に乗り込む。
高校の校門を魔法車が出た時、魔法車の中は今から修学旅行にでも出発するのかと言うくらいに華やかな雰囲気だった。
しかし、徐々に軍の基地が近付いてくると車内には重い空気が流れ始める。
そして基地のゲートを魔法車が潜った時、数人の生徒達がシクシクと泣き始めた・・・。
新兵達は隊舎に案内され、それから一週間程度は平和な時間が流れた。
教官達もニコニコと優しそうな笑顔で私達に接してくれたし、気持ち悪いくらいに親切丁寧に対応してくれた。
・・・これは、最初から厳しい態度で新兵に接すると脱走する可能性がある為の対応だった。
徐々に軍の雰囲気に新兵が慣れ始めた頃。
・・・そう・・・、丁度、私達が宿舎に到着してから一週間後の事だった。
起床時間になり、基地内に起床ラッパが鳴り響いた。
私達はモソモソと軍服に着替え、ゾロゾロと舎前に移動し、ノロノロと整列する。
普段なら、そんな様子を教官達は微笑みながら見ている筈だった。
しかし、その日から教官達は本性をあらわしたのだ。
私達の整列を見ていた教官達が・・・、キレた。
「貴様らあああああああ!! 何様のつもりだあああああ!!」
いきなり怒鳴りつけられた私達は硬直する。
昨日まではニコニコとしていた教官達が、まさに鬼の形相で私達を怒鳴りつけたのだ。
そして数人の新兵が髪を掴まれて列から引きずり出され、その場で殴り飛ばされる。
それは、まさに恐怖の時間だった。
教官達は狂ったように私達に暴力を振るい、しまいには女子すらも蹴り飛ばした。
その光景を見て、数人の新兵が失禁してしまったが、誰が彼らを責められようか?
すると教官は震える新兵達を満足気に眺め、
「今日からお客様扱いは終わりだ!! お前ら覚悟しておけ!!」
と怒鳴り、朝礼は終了した。
全員が黙りこくりながら宿舎に戻ると、全ての部屋がグチャグチャに荒らされていた。
廊下には靴が散らばり、室内ではベッドはひっくり返り、ロッカーは倒され、下着までもが散らばっている。
一体、何が起こったのか分からずに硬直する私達に対して、またもや怒鳴り声が響いた。
「集合だ!! 全員!! 舎前に集合!!
まともに荷物の整理も出来ないクズども!! さっさと来い!!」
その声を聞き、私達は思った。
(ああ、始まったんだ。
本当に始まったんだ。
今日から、地獄が始まったんだ・・・)
と。