うじむし144 しでむし19
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ソウルビートル・スウォームとして虹川 颯太に取り込まれた元英雄学園の生徒の面々は、一様に戦慄していた。
この世には触れてはいけない存在がいる。
それは邪神と呼ばれる存在であり、その系譜に列なるものは例え彼等の中で矮小な存在だと見下されていようとも、人間にとっては太刀打ちできない最悪の災害に等しい。
それは都市を飲み込む大津波であり、山を砕き地を割る天の火であり、家屋も田畑も一切合切空へ巻き上げる竜巻のようなものである。
生前、彼らがまだ学生として勉学を重ねていた頃、学園長が珍しく教壇に立ったことがあったのだが、彼女は愛らしい外見に似合わず、恐ろしい迫力で邪神の驚異について語っていた。
その時、この世界の何処かには邪神を封じているダンジョンがあるのだとも言っていなかったか?
それも、一つではなく、幾つもあるのだと。
決して数は多くない。封印の間を見つけるのも容易ではない。
邪神を崇める者達が数世代に渡りダンジョンに潜ろうとも、いまだに一つも発見されていないのだから、その困難の程が分かるだろう。
だからこそ、学生たちは忘れていた。
それでも確かに邪神はダンジョンの奥に封じられているのだと。
最初に気づいたのは、ハサミやアゴを打ち鳴らす音と、羽を擦り合わせる甲高い音が聞こえてくるということ。
そして、次に気付いたのは、その音が明らかに指向性を持たされているということ。
狙われているのは、自分達の群れのリーダーだった。
リーダーはべしゃりと床に落ちると、ふらふらと食虫植物に誘われる虫そのままに石の棺に近付いていく。
「「「ブブン!」」」
警告を飛ばすも、完全に正気を失っているリーダーには聞こえない。
それでも諦めず再度警告を飛ばそうとして、羽が全く動かないことに気が付いた。
カチン、とただ一回だけ、ハサミが打ち鳴らされたような音が聞こえた。
ただそれだけで平衡感覚が失われ、ぐらりと視界が傾く。
石の棺からは邪悪な気配が隠しようもなく漏れており、リーダーとその仲間たちを見下ろして愉悦の笑みを浮かべているかのようだ。
「あぁ、うん、そうなんだ。スティルも苦労しているんだね。俺? 俺はまだまださ」
光を失った複眼には何が見えているのか、ハサミやアゴをが打ち鳴らされる度に、羽が擦り合わされる度に、リーダーは嬉しそうに笑ったり相槌を打ったり、自分のことを話したりしている。
やがて。
リーダーは突然に怒りだし、アゴをキチキチ言わせたかと思うと、石の棺を封じていた杭を噛みきり始めた。
「「「ブ…………」」」
止めてくれ!
動かない羽を精一杯動かし、リーダーを止めようとするが、異様な怒りに突き動かされるリーダーにはもう何も届かない。
最後の杭が、ゆっくりとずり落ちる。
心臓の弱い人間ならばその時点で死んでいたかもしれない。
だが、不幸にして彼らは一度死んでソウルビートル・スウォームに取り込まれた身。
恐怖に発狂することも、狂死することも出来ないのだ。
石の棺の蓋が倒れた。
棺の中には、明らかにサイズを無視した濃緑色の深淵が広がっており、その奥から耳を塞ぎたくなるようなおぞましい音が聞こえてくる。
それは幾千幾万の嫌悪を掻き立てる節足動物の群、不快な昆虫達の這いずり回る音であった。
虫達は、床に落ちた学生たちなど目もくれず、おぞましいガサガサカサカサとした音を起てながら、隠し部屋からダンジョンへと流れ込んでいく。
やがて、虫達の波に乗り、巨大な悪夢が深淵の奥から姿を表した。
蜘蛛の目と足、サソリの尾と鋏、ムカデのアゴと角。およそ毒虫の脅威を抽出し煮詰めたかのような巨虫が、がさごそと多脚を蠢かせ、のそりと石の棺から這い出てきた。
『ありがとう、ソータ。これで私は自由だわ。約束通り、貴方の復讐に手を貸すわ。私、どんどん貴方のことが気に入り始めているみたい』
巨虫はその牙を擦り合わせ、少女のものと聞き間違えるほどの美声を発した。
だが、気に入っていると言いながら、その蜘蛛の黒い8つの目はなんの感情も映しておらず、永遠の飢餓に爛々と輝いているだけだった。
彼女にとっては、全てが餌なのだろう。
自分達の方向を向いている訳ではないのに、ただそこに毒虫の悪夢がいるだけで、学生たちは自分達が被食者なのだと確信させられた。
既に死んだ身でありながら、一目見ただけで生きることを諦めさせられたのだ。
『ね、一緒に行きましょう、ソータ』
毒虫の悪夢……ズスティルゼムグニは深淵と同じ濃緑色の体液を滴らせる顎口を開き、虹川 颯太を飲み込んだ。
学生達の意識は、そこで途切れた。
新たに群の長となったズスティルゼムグニが、配下の自由意思を認めず支配した為だ。
『貴方がソウルビートル・スウォームで本当に良かったわ。きっと私のために進化してくれたのね』
ズスティルゼムグニが青白く発光すると、その体がほどけていく。
いや、体の一片、細胞――――があるとするならば、だが――――の一つ一つがソウルビートル・スウォームへと変化したのだ。
青白く光る甲虫達は、一糸乱れぬ動きで深淵に向かうと、未だ湧き続ける虫を食らい始める。
食われているにもかかわらず、虫達は何かに取りつかれているかのように前進し続け、ソウルビートル・スウォームの胃に収まっていく。
食われた端から新たにソウルビートル・スウォームが生まれ、群は途方もない規模に膨らんでいく。
しまいにはソウルビートル・スウォームがソウルビートル・スウォームを食らい始め、地下墓所のダンジョンはさながら蠱毒の坩堝と化していく。
そして、僅か数日後。
地下墓所ダンジョンの全てを食らい尽くした銀色の甲虫の群は、南国から飛び立った。
ズスティルゼムグニは嘘は吐いていない。
彼女はちゃんと復讐を遂げるつもりである。
自分をコケにしてくれた無名の神、そしてその眷族の骨の髄まで噛み啜るのだ。
数世紀に渡り封印され、力を蓄え続けた彼女に恐れるものは無い。
肉も魔力も魂を欠片も残さず食らう災害と化したズスティルゼムグニの群体は、通る先に雑草の根さえ残さず、英雄学園に向かって進撃するのであった。