うじむし10
周囲には肉食の昆虫の群。
私はそれを眺めながら、速くなった自分の呼吸の音を聞いていた。
虫共は、まだ私には気が付いていない。
周囲には私よりももっと食いやすそうな餌が沢山あるからね。
それは私より若いウジムシであり、羽化をまつサナギであり、生まれてすらいない卵であり、そして腐ったネズミの死体だ。
だけど、それも長くは保たないだろう。
いずれ虫たちは私を食らう。
巣から這い出して、そっと後ろを振り返る。
私と違い、サナギ型に進化した同種たちの姿がある。
今なら僅かな抵抗さえも無く、簡単に彼等を食うことが出来る。
やるなら、今しかない。
私は巣穴から這い出し、彼等の元に近付いた。
死んだネズミと違って、温かく動いているのが感じられた。
私に気付いたのか、サナギ達動きが激しくなる。
ふーっ、と長く息を吐いた。
改めて自問する。
本当にやるのか?
虫とはいえ、今成長しようとしている同族を自分の糧とするなど。
こんな体になって、自分が暮らしていた世界とかけ離れている場所で、兄弟姉妹を手に掛けたとしても、次の瞬間には死ぬかもしれないのに?
そうまでして生きたいのか?
あぁ、そうだ。
生きたい。
自分でも驚くほどに私は生きたいと思っている。
死にたくない、生きていたい。
こんな生になんの意味があるか分からないけど、私は生きたい。
私をこんな体にして嘲笑っているかもしれない、いるかどうかも分からない神に復讐する為じゃない。
異世界転生や成り上がりに対する憧れでもない。
生きたい。まだ死にたくない。
ただそれだけの、浅ましい本能的な願いだ。
だけど、だから、ごめんなさい。
これから大きくなり私よりも生きられるかも知れなかった虫の兄弟姉妹たち。
私は貴方達を食べます。
食べて、力にして、生き足掻きます。
ごめんなさい。そして、勝手だけど……、許して下さい。
いただきます。
柔らかなサナギに向かって私は口を開き、噛み付いた。
口一杯に濃厚な苦味が広がる。
サナギが命の危機に反応して滅茶苦茶に暴れる。
食べてはいけないものを食べている忌避感と嫌悪感。
ネズミの死体を食べていた時とは比べ物にならない気持ちの悪さ。
食べたくない。吐き出したい。
でも私は噛み付いた口を放さなかった。
咀嚼し、飲み込む。
『獲得経験値が一定の値を越えました。白氏 瑠璃 はLv. 1からLv. 2にレベルアップしました』
『称号:『共食い』を獲得しました』
『獲得経験値が一定の値を越えました。白氏 瑠璃 はLv. 2からLv. 3にレベルアップしました』
『獲得経験値が一定の値を越えました。白氏 瑠璃 はLv. 3からLv. 4にレベルアップしました』
『獲得経験値が一定の値を越えました。白氏 瑠璃 はLv. 4からLv. 5にレベルアップしました』
『獲得経験値が一定の値を越えました――――
所得“業”が一定の値を越えました。これより“限定神化”を開始します』
今の私には、システムさんの素敵ボイスにさえ反応する余裕がない。
生きるために、死なないために、餌食にされないために。
私が食らう。怪物のような虫たちに食われる前に、私が同胞を食らいつくしてやるのだ。
『“限定神化行程”第一……第二……コンプリート。第三行程………………エラー……。“限定神化”は通常行程での施行に失敗しました――――』
サナギの最後の一体を食い尽くした。
この時になってようやく肉食昆虫達は、私が大事な食料を食い荒らしたことに気付いたらしい。
カチカチと顎を鳴らして慌てたように集まってきていた。
もう遅い。仲間の血肉を啜って私は経験値を稼いだ。全部取り込んでやった。
もう手遅れだ。何もかも。
レベルアップした私のステータスは……。
《ステータス》
名前:白氏 瑠璃
レベル 10
種族:ベイビーリトルマゴット
HP:20
MP:20
SP:20
攻撃力:10
防御力:10
素早さ:10
スキル
N:『警戒』
R:『酸性血』『酸耐性』
HR:『魔術知識』
称号
『システムを愛する者』『共食い』
カルマ値:150
※ 進化待機中です。
……ッ
想像以上に成長していない。やはり、幼虫じゃ強くなれないのか?
全く足りない。まだ足りない。虫たちを倒すことなんて出来やしない。
これじゃあ、何のために兄弟家族を食い殺したっていうんだ。
進化するまでは漕ぎ着けられたけど、昆虫たちの前で進化は出来ない。
今まで無かったカルマ値とかいう項目が増えているけども、これが使えるものなのかどうかも分からない。
システムさんの声も、何かに失敗した、というのを最後に聞こえなくなった。
いったい、どうしたら……。
嫌だ、このまま死にたくない……。
力が……。
力が欲しいッ!
『――――トリガー確認。システム権限発動――――
称号【システムを愛するもの】により強制干渉開始。“限定神化”を特別行程にて続行します』
ドクン――――ッ
世界が震えたような感覚がした。
『――――コンプリート。白氏 瑠璃の“限定神化”を完了しました』
力が、光が、溢れていく。
身体中から、私自身を引き裂いてしまうような力が!
目の前が真っ白になる。それなのに視界が広がっていくのが分かる。
「あ"、あ、あ、あ"ぁ"ああああああああッ!!」
焼け付くような感覚に思わず叫んだ。
声が出る……! 魂の奥底から、押さえつけられていた怒りが迸っていくかのようだ。
周囲の……、いや、足元の虫たちは怯えたように後退り、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
私はそれを見下ろし、腕を振るった。
そこから流れていくのは、今まで欠片も概念を理解できていなかった魔力。
それをどう使えばいいのか、今ははっきりと把握していた。まるで頭の中に“魔法”そのものを叩き込まれたみたいだ。
少し意識するだけで、魔力は手足のように動く。
魔力を捻れば、魔法となる。
私の命を脅かす虫共を残らず殺すための魔法に。
「“棘霜之原”」
そう呟くと、辺り一面、あっという間に地面が凍り付き、鋭い霜が虫たちを串刺しにした。
一瞬だった。
恐ろしかった虫たちが、一瞬で全滅していた。
串刺しにされた虫たちは全てを凍らされ、踏まれた霜のようにくしゃりと砕けていく。
砕けた虫の体を更に踏みつけ、ぐりぐりと磨り潰し、土へ返してやる。
私を脅かし、追い詰めた罰だ。仕返しだ。魂の欠片も残さん。
「あは、はは、はははあはあはははは!」
凍った虫たちを踏みつけにして、私は笑った。
笑いが込み上げてきて止まらなかった。
私に襲い来る理不尽を踏み潰してやった。私を襲った末路がこれだ。私は勝ち、生き残った。
死ね、みんな死んでしまえ、私を脅かすもの、追い詰めるもの、邪魔するもの、みんなみんな殺してやる。
執拗に、何度も何度も踏みつける。
霜を踏み砕いて遊ぶ子供のように。
「は、はは、はぁ……、はぁ……」
全ての虫たちを踏み潰したと安心したとき、一気にテンションが下がって、疲れが出た。
いわゆる賢者タイム。
なんか、すんッ、と頭が冷えたわ。
あぁ、超疲れた。
近くの木の根本に座り込む。
うん、座り込むことができるんだよね。
見慣れた手、足、頭に手を伸ばせば、髪の毛があるのが分かる。
そして体。かつての自分よりかなり幼いけど、立派な人間の体。
わぁお、私、人間に戻ってるじゃん。