第九十六話 珍道中
「ナコ、無事か……!」
ナコの私室へと必死に駆け戻った魔王は、彼女の部屋の扉を開け放って、室内の光景に唖然とした。
「ケルちゃんっ……!」
部屋に飛び込んだ魔王に、ナコははっと顔を上げる。
ナコの元気な姿を見て、ひとまず魔王はほっと胸をなでおろしたけれども、状況は楽観できるものではなかった。
部屋の中央にたたずんでいるナコの周囲には、死霊どもが多数群がっていたのだ。
戦うすべのないナコは、両腕で体を抱えておびえたようにその場に立ち往生している。
そして、そんな彼女から一定の距離を離して、死霊どもが彼女に向かってウーッ、ウーッー、と耳障りな唸り声をあげながら手を伸ばしているのだ。
けれども、まるでナコの周りに強固な結界でも張られているかのように、死霊どもは目に見えないなにかに阻まれてナコに近づくことができないでいるようだった。
(どういうことだ……? まさかあれが、ヨハンの言っていた『聖血』――……?)
さきほどのヨハンを言を思い出して、魔王はわずかに目を見張る。
創世の女神にもっとも近い力を持つ聖遺物、『聖血』――。
その類まれなる力がナコを守っているのだろうか。彼女自身は、その力に無自覚だったとしても。
(……やはりナコは、ヨハンの言うとおり『聖血』の継承者なのかもしれないな)
死霊どもを寄せつけないあの力、彼女が創世の女神と同様に聖なる存在であることの現れなのだろう。
『聖血』は、自分たちの持つ聖遺物のように剣や槍、弓や衣といった武器や防具の形をとっているわけではなく、彼女の体内に流れて彼女と一体化している。
彼女自身が聖遺物といっても過言ではないと思うのだが――。
(ナコはいったい、どれほどの力をその内に秘めているのだろう……)
過去、『聖血』の継承者がいたという記録はない。
そのため、その潜在能力は未知数なのだ。
もしかしたら、自分や勇者をも凌ぐ力を秘めている可能性もある。
(彼女が『聖血』の力に呑み込まれてしまわないよう、私が守らねば――)
ナコの力を目の当たりにして、魔王は決意を新たにしながら、彼女を襲っている死霊を赤い切れ長の目で見据えた。
「ナコ、少し待っていろ。いま、助ける。――不浄の者ども、彼女のもとから去れ」
魔王が魔力を込めて片手を振り払うと、彼女に群がっていた死霊が一気に浄化された。
(ふん、他愛もない……)
それには目もくれずに、魔王はマントを払いのけてナコに歩み寄る。
「ナコ、大事ないか」
「ケルちゃんっ……!」
両腕を伸ばして駆け寄ってきたナコが魔王の腰元にしがみついて、魔王は背を屈めてそんな彼女の小さな体を抱きしめる。
「駆けつけるのが遅くなってすまなかった。怖い思いをしたな」
「ううん……! 助けにきてくれてありがとう、ケルちゃん。あの変わった人たち、いきなり部屋に入ってきたからびっくりはしたけど、わたしに近寄ってくるだけでなんでか襲ってこなかったの。だから、大丈夫だったよ」
魔王から少し体を離して、ナコは、えへへ、と嬉しそうに笑ってみせる。
(やはり、『聖血』の力は底知れないな……)
聖遺物と同化したといえるナコには、いったいどれだけの潜在能力が秘められているのだろう。あまりにも強大な力が秘められているとしたら、彼女自身の身を滅ぼすようなことがなければいいのだが――。
魔王は、そんな彼女の頭をなでてから立ち上がった。
「ナコ、詳しい説明は省かせてもらうが、いま、この城をさきほどの死霊どもが襲撃しているのだ。我々は、彼らを率いている親玉を退け、この城を守らねばならない」
「襲……撃っ……!?」
ナコはおびえた様子で瞳を揺らしながら、魔王の腕をつかむ。
「この城を……ていうことは、みんなが襲われてるってことだよね……? お姉ちゃんやエリアス様、レオさん、ヨハンは大丈夫かな!? サトクリフやギルは!?」
必死に皆を気にかけているナコに、魔王は口角を持ち上げてほほ笑みかける。
「問題ない。さきほど何人かと合流して、勇者とヨハンで死霊を率いている親玉を倒しに向かい、サトクリフとギルは魔物たちの避難の誘導に当たっている。それから、姉のことはレオが助けに向かったから大丈夫であろう」
「レオさんが……! よかったあ――……っ」
ナコは涙をにじませて目もとをぬぐっている。
魔王は、そんな彼女を自分のマントで包み込むと、彼女の肩を抱いて歩き始めた。
「ナコ、ゆくぞ。勇者とヨハンが待っている。我々も加勢せねば」
「うん……!」
おそらく、ナコの『聖血』の力も勇者たちの助けになろう。
魔王はナコを伴いながら、勇者たちの待つ地下室を目指し、道中を急いだ。
「……なんというか、不気味ですね、ここ……」
地下室へと続く狭い階段を下りながら、後方のヨハンがつぶやく。
前方を歩いていたエリアスは、ヨハンを振り返ってうなずいてから、あらためて自分たちのいる地下道を見まわした。
古い石畳で造られた地下道は、あまり人が通ることはないのか、黒ずんでいてところどころ苔が生え、肌にひんやりとくる湿気に満ちていた。
薄暗い道内を、自分の持っているカンテラの灯が照らし、周囲の狭い石壁に自分とヨハンの陰をゆらゆらと映しこんでいる。
(……このじめじめした感じ、あのときのクエストを思いだすな)
エリアスは用心して前方を見やりながら、いまの状況と、前にアキやミーナたちと挑んだ古代遺跡のクエストの光景を思い比べていた。
(今回は、みんなに迷惑をかけないようにしないと)
――前回みたいに、太陽の女神の力を暴走させるわけにはいかない……。
力の制御が自分の大きな課題だ、と悶々と考えていたそのときだった。
突如、自分の後方とヨハンの前方――ちょうどふたりの間にあたる側面の石壁が突き破られて、死霊のだらりとした手が覗いたのだ。
「わ、わああああっ!?」
おばけ屋敷かと突っ込みたくなるような突然の襲撃に、さすがのヨハンも真っ青になってその場に尻餅をついている。
ヨハンは聖職に就いているからか、死霊のような不浄のものには過剰に拒絶反応が出る……というか、要するにおばけが苦手なのだ。
ヨハンに反してゲテモノ系はなんということもないエリアスは、冷静に腰の聖剣を抜くと、現れた死霊の脳天を一突きして浄化した。
「……大丈夫、ヨハン?」
周囲に死霊の気配がないことを確認してから、エリアスは、まだ心臓がばくばくしているのか床に座り込んだままのヨハンをのぞき込む。
ヨハンはよろよろと立ち上がって、一度短く息を吐き出すと、ローブの汚れを払った。
「あ、ありがとうございます、エリアス……。不覚をとりました」
「それは、大丈夫だけれど……」
よくよくヨハンの手先を見ると、まだ少し震えているようだ。
(どうしようかな……)
エリアスは、んー、と悩んでから、片腕をヨハンに差し出した。
「怖いなら、よかったら、俺の腕につかまる?」
あまり深く考えずに良かれと思って提案したところ、言った途端にヨハンが毛を逆立てた猫みたいに肩をいからせた。
「――は、はあ!? そそそそそんなアキみたいなことできるはずないでしょうっ、恥ずかしい!」
照れた様子で言い放ってから、ヨハンはエリアスを追い越してすたすたと前を歩きだす。
「こんなことで時間を使っていないで、さっさと行きますよ! エリアス、僕についてきてください!」
ヨハンはこちらをちらっと振り返って早口でまくし立ててから、エリアスを置いてどんどんと先に進もうとする。
エリアスは、ヨハンの強がりに苦笑しながら肩をすくめた。
「ヨハン、ほら、ひとりで行くと危ないよ」
「へ、平気です!」
あっという間にこちらと距離を離して、だいぶ小さくなってしまったヨハンの背中から、強がっているのがありありとわかる返事がくる。
強情なヨハンらしいなあとくすりと笑いながら、エリアスが足を進めようとすると、ヨハンの後方の壁の石つぶてが、ぱら……と落ちるのに気がついた。
エリアスは口もとにメガホンのように手を当てて、ヨハンに声をかける。
「あ! ヨハン、後ろから死霊!」
「へ……?」
途端、さきほどの要領でヨハンの後方にある側面の壁を突き崩れ、死霊の腕がヨハンを狙ってうごめいた。
「ひっ、わあああああっ!」
「……言わんこっちゃない!」
またまた尻餅をついたヨハンをはらはらして見ながら、エリアスは聖剣の柄に手をかけて、ヨハンを助けに地を蹴った。
そんなこんなでヨハンと珍道中をしながら地下通路を進み、エリアスたちはなんとか地下室までたどり着いた。
そこは、地下室というよりは地下洞窟になっていて、洞窟の先は海につながっているようだった。
(どうりで湿気が強いはずだ……)
地下洞窟はごつごつした岩肌が天井高く続いていて、下は砂利と砂浜が広がり、海から流れ込んでいる紺碧の地下水が、ちゃぷん、ちゃぷん、と小さく波打っている。
海へと続く洞窟の出口――その岩の間から入り込む光が、水面や洞窟内の濡れた岩肌をキラキラと輝かせていた。
「……ずいぶんと、遅かったじゃないか」
波打ち際の簡素な桟橋には一隻の小舟が停泊していて、その手前にどす黒い顔つきをした男性教師が、にやりと口もとを笑ませてたたずんでいた。
生気の感じられない死人の雰囲気を漂わせていて、彼が死霊魔法によって許されない方法でよみがえってしまったのだと一目でわかる。
他の死霊と違って言葉を話せるのは、彼が死霊魔法を直接受けた被検体だからなのだろうか……。
一定の距離を保って足を止めたエリアスとヨハンを前に、男性教師はくるりと背を向けて顔だけ振り返った。
「それじゃあ、私はこのへんで退散させてもらうよ。親玉の私が浄化されては、せっかく魔王城を襲わせている死霊どももすべて消滅してしまうからね」
そう言うと、男性教師は桟橋を駆け渡り、停泊していた小舟に軽やかに飛び移る。
「――待て!」
即座にエリアスが駆けだそうとすると、男性教師が船の上でぱちんと指を鳴らした。
途端、死霊と化した狼の群れが地下洞窟を埋め尽くすほどに出現する。
「くっ……!」
――これでは、近づけない…!
狼たちに阻まれる自分たちの視線の先で、男性教師を乗せた小舟が桟橋を離れていく。
ヨハンがくるくると十字架の杖をまわして、とん、と杖の先を地に突いた。
「エリアス、行ってください! ここは僕が引き受けます!」
「わかった!」
エリアスはヨハンにうなずき、大きく足を踏み出してその場から跳躍する。狼たちの群れの頭上を飛び越えて、一気に男性教師の乗る小舟に飛び移った。
「なッ……!」
小舟を大きく揺らして着地したエリアスを前に、男性教師が驚愕の表情を浮かべる。
「さすがは噂に名高い勇者……! 恐ろしいほどの身体能力だな」
「貴方を逃がすわけにはいかない!」
エリアスは、抜き身の聖剣を男性教師の喉元に突きつける。
――俺が、この人の魂を救おう。
この人はきっと、『神殿』が自分たちを妨害するために、融合魔法や死霊魔法をその身に受けてしまったのだろうから。
船の漕ぎ手として死霊が一体乗り込んでいて、死霊がオールを漕ぐたびにどんどんと小舟が岸から離れていく。
(まずい、このままだと海に出てしまう……!)
エリアスと男性教師を乗せた小舟は、次第に洞窟を抜けて海へと漕ぎ出していく。
薄暗い洞窟を出ると、抜けるような青空と一面の海原が広がり、太陽のまぶしさにエリアスは顔に手をかざした。
その瞬間、男性教師が片手でそっと喉元に突きつけられていたエリアスの聖剣を払いのける。
はっとしてエリアスが見おろすと、男性教師は両手をあげて降参のポーズをとった。
「勇者殿と戦って私が勝てるわけはないんでね、抵抗はしませんよ。ただ、せっかくこうして二人で話せる機会ができたんだ。少し、俺の話を聞いてもらえないか?」
「話……?」
聞き返したエリアスに、男性教師は自嘲気味に笑う。
「そうだ。『神殿』で秘密裏に行われている禁止魔法の人体実験の話――おそらくは、教皇の嫡子のヨハン・クラレンス様もご存じない相当に最下層の話だ。勇者のあんたには、知っておいてほしいんでね」
そうして自分は、知ることになるのだ。
この男性教師がなぜ禁止魔法の被検体になったのか、彼の生い立ちと、そこに隠された『神殿』のもっとも後ろ暗い部分を。




