第九十二話 母との約束
(エリアス、帰ってこないな……)
一足先に自分の部屋へ戻ってきたアキは、エリアスの寝台の上に腰かけて、ふう、と浅く息を吐いていた。
ふと窓の外に目をやれば、すっかり夜も更けこんで、夜空には満天の星空が広がっている。魔王城以外に建物のない場所で見る星々は、全天に金銀の宝石を散りばめたように瞬いていた。
(……きっと、エリアスもあの空を眺めながら、レオたちと話してるのかな)
アキは、さきほど食事の間で起きた出来事を思いだす。
魔王主宰の晩餐会で、魔王からエリアスとレオが小さい頃に起きた悲しい事件の話を聞いてから――レオが頭を整理すると言って早々に席を立って、エリアスがレオを追って食事の間を出て行ってしまったのだ。
それで、なんとなく晩餐会はそこでお開きになって、エリアスたちを追うわけにもいかなかった自分は、先に湯浴みを済ませて部屋に戻ってきたところなのだ。
エリアスたちがどんな話をしているのか、気にならないといえば嘘になるけれど、あのふたりが話しこんでいるところにずかずかと入りこんでいくことはできなかった。
それでひとりで部屋に戻ってきたはいいものの、なんとなく落ちつかなくて、こうしてエリアスがいないのをいいことに彼の寝台に腰かけて寂しさをまぎらわせているのだ。
(それにしても……)
まさか、エリアスとレオが同じ村の出身だったなんて思わなかった。
仲が良いとは思っていたけれど、本当の幼なじみだったなんて想像もしていなかった。
前にレオに聞いたときは、彼が勇者の魔法使いに候補に選ばれて、エリアスに会いにいったときがふたりの初対面だと聞いていたから……。
さらに、ふたりの故郷の村がヨハンのお父様――『神殿』の教皇様によって壊滅させられて、家族や村の人たちが惨殺されて、その記憶をふたりとも失っていたなんて……。
「―――……っ」
エリアスとレオ、そしてヨハンのいまの気持ちを思うだけで胸が潰れそうで、アキは胸もとをきゅっと握りしめる。
どれだけつらかっただろう……。どれだけ、悲しかっただろう。
自分では想像も及ばないような境遇に、ただただ悲しくなってしまって、アキはにじんでしまう涙を指先でぬぐうと、反射的にエリアスの寝台に突っ伏した。
そのとき――
かちゃり、と遠慮がちに扉が開かれたのだ。
(――――っ!?)
びっくりして跳ね起きると、ちょうど戻ってきたらしいエリアスが、彼の寝台にうつ伏せに寝転んでいたアキを凝視していた。
わ、わ、わ、見られた―――っ!?
「……え、ええと、なにしてるの、アキ?」
首をかしげながらも、エリアスはくすくすと小さく笑っている。
――これは間違いなくからかわれるっ……!
それに、勝手にベッドを占拠していたことも謝らなければならない。
アキは寝台の上に正座すると、だらだらと冷や汗を流して動揺しながら、がばりと頭を下げた。
「エリアス、ごめんなさい……! あの、これは何事かといいますと、エリアスどうしてるかなって心配のあまり、思いあまってエリアスのベッドに突撃してしまったっていうかっ、けっして深い意味はなくてですねっ……!?」
なに言ってるんだろう私……!
手を必死に振りながら、しどろもどろで弁明すると、エリアスはあいかわらずおかしそうに笑ったまま、なにも答えずにアキのとなりに腰かけた。
「エ、エリアス――……」
白い麻のシャツに黒の細身のズボン姿というラフな格好のエリアスは、銀の月明かりの演出も相まって、妙に色っぽくみえる。
けっしてなにかあるわけではないのに、不思議と意識してどきどきしてしまって、アキはエリアスと並んで寝台のふちに腰かけると、赤くなった顔を見られないように膝の上に視線を落とした。
(……お、落ちついてください、心臓……っ)
必死に雑念を払っていると、エリアスがこちらの心中には気づいていない様子で、のんびりとほほ笑んだ。
「……ありがとう、アキ。俺やレオのこと、心配してくれていたんだね」
エリアスが、頬をかきながら申しわけなさそうに笑う。
「俺、いつもいつも君に心配をかけてばかりで、ごめん。魔王からレオや俺の過去の話を聞いて、いろいろと考えてみたんだけれど――俺は、自分の存在のせいで、かけがえのない人たちを傷つけて、亡くしてしまった……。それは、償いようもないことだ」
「それは――」
言いかけたアキを制するように、エリアスが軽く手をあげる。
「以前の俺なら、俺のせいでみんなを傷つけないように、みんなと距離を置こうとしてしまったと思う。けれど、いまは違うんだ。いまは、そうやって事実から目を背けるんじゃなく、俺のために犠牲になってしまった人たちのために、仲間に支えてもらって『勇者』としてこの世界を守ること――それが、俺にできる一番のことだと思っているんだ」
ぐっと拳を握って、エリアスが自分に言い聞かせるように言う。
「勇者としてこの世界を救うこと――それが俺の使命で、俺が生まれてきた意味で、俺にしかできないことなんだ。だから、なにがあっても最後まで戦い抜いて、みんなが幸せに生きられる世界を勝ち取ろうと思う。みんなが――仲間がいてくれれば、きっと叶えられると思うんだ」
エリアスはそこで言葉を切って、なにかがふっきれたような晴れやかな笑顔をアキに向けた。
「――……俺、精いっぱい頑張るから。だから、君に見ていてほしいんだ。君がいてくれたら、俺は、なにがあっても負けないから」
その言葉から、勇者である自分をずっと責め続けていたエリアスが、はじめて勇者の運命を受け入れて前に進もうとしているのが伝わってきて――。
アキは胸がじんとして、おもわず涙がこみあげてくる。
ずっとひとりで、なにもかもを背負いこんで頑張ろうとしていたエリアス。
『勇者』として気負い続けていた彼が、いまは、のびやかで生き生きとした笑顔を浮かべてくれているのが嬉しくて――アキは、エリアスの手を両手でしっかりとって、涙ぐんだ顔で何度もうんうんとうなずいた。
「もちろんです、エリアス……! 私でよかったら、なにがあっても最後までエリアスのとなりにいさせてください。私も一緒に、戦わせてください……!」
すべての戦いが終わって、平和になった世界を見渡しながら、エリアスやレオ、ヨハン、仲間のみんなとハイタッチするときがくるまで、彼のとなりで戦い続けよう。
彼の大きな背中をずっと見つめていよう――勇者様の凛々しい背中を。
エリアスはそんなアキを見つめると、照れた顏で可愛らしく笑った。
「――……ありがとう。アキやみんなが支えてくれるから、俺は『勇者』として足を踏んばって戦い続けられるんだって、やっとわかったんだ。けっして、ひとりではここまで来られなかった。だから――」
エリアスはそこまで言うと、表情をあらためてアキを見つめた。
「俺の『勇者の片腕』になってくれてありがとう、アキ。君がいてくれるから、俺は、いままでもこれからも頑張っていける。だから、これからも俺についてきてください」
律儀に頭を下げてくれるエリアスに、アキは彼の顔を覗きこむと、はい、とにこやかに笑ってうなずいた。
エリアスがアキの腰に腕をまわして、自分のほうへ引き寄せてくれる。そっと彼の肩にもたれていると、彼が気恥ずかしそうに後ろ頭をかきながらぽつりと言った。
「……それで、すべての戦いが終わったらなんだけれど――俺、村のあった場所に行って、母さんに会ってこようと思うんだ。『勇者』の使命を無事に果たせましたって、伝えにいきたいと思う。そのときに、よかったら君も一緒に来てくれたら嬉しいんだけれど……――駄目かな?」
うかがうようにアキの顔を覗きこむエリアスに、アキは一瞬きょとんとしてから、すぐに内容を理解して、うんうんと何度もうなずいた。
「わ、私でよければ、ぜひお母さまにご挨拶させてください……! それで、私からもお礼をお伝えさせてください。エリアスとめぐり合わせてくださってありがとうございますって」
なんだか、エリアスのお母さまに恋人として紹介してもらえるような感じがして、じわじわと顔が熱くなってしまう。
なんともいえない気恥ずかしい空気のなか、エリアスが顔を赤くしながらも、幸せそうに笑んでアキを見つめた。
「ほ、ほら、母さんが、かわいいお嫁さんをもらってねって、言っていたから。だから、アキのことを母さんに紹介させて、ほしくて……! 君が俺の、大切な人だから」
照れてしどろもどろになりながら言うエリアスに、アキも心臓がどきどきして真っ赤な顔を必死にふせる。
(それは私を、エリアスの将来のお嫁さんとして紹介してもらえる……ってことだよね?)
エリアスがそう考えてくれていたことが嬉しくて、アキは胸がいっぱいになって、恥ずかしさを振りきるようにして目の前のエリアスに抱きついた。
「わっ、アキ!?」
ふいをつかれたエリアスはアキを受け止めながらもよろめいて、アキはそのまま彼を押し倒してしまう。
――わ、やってしまったっ……!
「ごめんなさい、エリアス……!」
あわてて飛び退こうとすると、彼がアキの背中に腕をまわしてぎゅっと抱きしめる。
身動きがとれなくて、アキは彼の胸もとに頭を乗せたまま、肌から伝わる彼のぬくもりを感じていた。
おたがいの心臓の音が聞こえるほどに近い距離――。
エリアスとこんなふうに触れあえるようになったのは、本当に奇跡みたいで、とても幸せなことだと思えた。
遠慮をしないで相手に触れられるのは、恋人同士の特権だと思うのだ。
(いつかエリアスのお嫁さんにしてもらえる日がくるのかな……)
自分が生まれた現実世界を離れて、彼と異世界で生きていく――。
もし現実世界と異世界、どちらかを選ばなくてはいけないときがやってきたら、自分は大好きな彼と一緒に生きる未来を選びたい。
けれどそれは、現実世界にいる両親や友だち、会社のみんな、お世話になった人たちともう会えなくなるかもしれなくて……。
自分は、その人たちを誰も悲しませずにこの世界で生きていくことはできるんだろうか。
その人たちを置いて異世界に残ることは、すごく身勝手なことをしているんじゃないだろうか……。
(この戦いが終わったら、一度、元の世界に帰れたらいいな……。そこで、自分の気持ちを固めて、大切な人たちに事情を話せたらいいな)
両親に、異世界で生きていくと言ったら、びっくりされるか、信じてもらえないかもしれない。
けれど、異世界で大切な人ができた、愛する人が生きる世界で自分も生きていきたい、と誠心誠意伝えたら、きっと、わかってもらえる気がする。
そのときは、エリアスも一緒に私の世界にきてもらえたらいいな――……。
そんなことを思いながら、エリアスのシャツの胸もとをきゅっと握ったそのときだった。
カシャ――ンと、なにか窓ガラスが割れるような音が下の階から鳴り響いたのだ。
はっとしてアキたちが飛び起きたと同時、階下から魔王城の女官たちの悲鳴があがる。
(な、なに―――っ!?)
エリアスは寝台をひらりと降りると、着の身着のまま、壁に立てかけてあった聖剣だけを手に取った。
そうして、息を呑んでいるアキを振り返って言う。
「――ちょっと様子を見てくる! アキはここで待っていて!」
うなずきながらも動揺を隠せずにいると、エリアスがそっとアキの肩に手を置いた。
「すぐに戻るよ。アキも、くれぐれも気をつけて。なにかあったら戦えるね?」
力強い瞳を向けてくれるエリアスから信頼が伝わってきて――アキは不安を振り払って、真剣な面持ちでうなずいた。
「はい……!」
「よし! それじゃあ、行ってくる!」
エリアスは、アキを安心させるように唇を持ち上げてほほ笑むと、くるりと踵を返して部屋を飛びだしていった。
アキはそれを見送ってすぐさま立ちあがると、寝衣を脱いで、いつも防具として身につけている仕事用のスーツに着替え、武器であるペンと手帳が胸ポケットにあることを確認する。
――そうだ、もしかしたら手帳になにか映ってるかもしれない……!
魔物探知能力のある手帳だ。なにか脅威が迫っているのだとしたら、なんらかの表示が出ているのでは――……?
ごくりと唾を呑みこみながら、おそるおそる手帳を開いてみると――
「―――っ!!」
自分の背後にあたる場所に、ひとつの赤い点が点滅していたのだ!
(うそっ、こんなに近くに―――っ!?)
背筋に冷や汗が伝って、勢いよく振り向くと――アキの視線の先、窓ガラスになにか人型をした泥人形のようなものが張りついていたのだ……!
白くむきだしのぎょろりとした目が、恐怖と驚きでがちがちと歯を震わせるアキを捉える。
――な、な、なっ……!
「き、きゃあああああっ!」
おもわず悲鳴をあげたと同時、その泥人形が窓ガラスを割って部屋に入りこみ、アキを狙って襲いかかってきたのだ――……!




