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第八十八話 昔日(3)


 そうして、シェリーさんからエリアスが『勇者』だという衝撃の事実を聞かされた俺たちは、すぐには信じられずにその場で呆然と話を聞いていた。


「……俺が、『勇者』……?」


 隣で自分自身を指さしながらエリアスが呟いて、シェリーさんが肯定するように頷く。


 俺は、まさかという思いで、まじまじとそんなエリアスの横顔を見つめていた。


(……エリアスが、勇者様……?)


 この世界に伝わる勇者と魔王の伝説――。


 俺だって絵本でしか読んだことはなかったが、この世界は、ある一定周期ごとに魔王が復活してこの世界を支配しようともくろみ、創世の女神に選ばれた男子が勇者となって魔王の手から世界を救う――という英雄の伝説が代々繰り返されている。


 有名な話ではあるけれど、あくまでおとぎ話みたいな言い伝えで、本当に勇者と魔王が実在するなんて現実に考えたこともなかった。


 ましてや、その『勇者』がいま俺の隣にいる親友だとか――。


 俺たちが半信半疑でいると、シェリーさんがやさしく苦笑して少し首を傾げた。


「……エリアス、あなたはね、創世の女神様のお告げによって授かった子なの。というのも、私はもともと、一八歳のときに村を出て修道院で暮らしていたの。修道院では結婚をしないで貞潔を守らなければならないから、母さんはずっと独身で清い身を保っていたのよ。けれど、ある日突然、子どもを身ごもったの」


「ある日突然……?」


 おもわず聞き返してしまった俺に、シェリーさんがそっとうなずく。


「ええ。どうしてかわからないけれど、直感的にお腹のなかに赤ちゃんがいることに気づいたの。けれど、そんなおこないをした覚えはないから混乱していた私の目の前に、創世の女神様のお使いを名のる白い狼が現れたのよ」


 そしてシェリーさんは、その白い狼から、


『その子どもは女神の子だから安心すること』


『その子どもは『勇者』になる御子だから、大切に育てること』


『その子どもの名は『エリアス』と名づけること』


 その三つを告げられたという。


 そうしてシェリーさんは、修道院長だけにそのことを伝えて、エリアスを身ごもった身体でこの村に帰ってきて、そして無事にエリアスを出産したんだそうだ。


「このことは、村の大人たちはみんな知っていることなの。みんな、あなたを慈しんで守ってくれていたのよ。……だから――」


 シェリーさんが、長年言うことをためらっていたことを思いきって口にするかのように、エリアスの目をまっすぐに見つめて告げた。


「――だから、あなたは女神様の子なの」


「え……」


 エリアスが一瞬で顔を強張らせる。


シェリーさんは、心の痛みをこらえるかのように、かすれた声で言った。


「本当の母親は、私ではなく、創世の女神様なのよ――」


 そん、な……。


 もし自分が、母親の本当の子じゃないって言われたら、どう思うだろう……。


 今まで築いてきた家族の絆が足元から崩れていくようで、信じられないって、信じたくないって、思うんじゃないだろうか。


 俺が心配げにエリアスの横顔を見たところで、ふいにエリアスが激しく首を振った。


「――違うよ! もし、仮に俺がそういう事情で生まれてきたんだとしても、俺の母親は母さんだよ! 母さんしかいない! だって、俺をここまで育ててくれたのは女神様なんかじゃなくて母さんじゃないか……!」


「エリアスっ……!」


 必死で取りすがって訴えるエリアスに、シェリーさんは感極まって泣きだしてしまう。


 そのままシェリーさんがぎゅっとエリアスを抱きしめると、エリアスも嗚咽を漏らして泣きだしてしまった。


 ……そうだよな、エリアスが『勇者』だってなんだって関係ない。


 エリアスは変わらずエリアスに違いなくて、シェリーさんの息子で、そして俺の親友なんだ。


 シェリーさんの胸のなかで泣きじゃくるエリアスを見て、俺までもらい泣きしそうになっていると、じいちゃんがそっと歩み寄ってきてシェリーさんの肩に手を置いた。


「良い子に育てたの、シェリー。エリアスのようなやさしい子が『勇者』になってくれたら、かならずやこの世界を魔王から守ってくれるじゃろう。――シェリー、エリアスならわかってくれるのではないか?」


 やさしくうながすじいちゃんに、シェリーさんの肩がびくりと震える。


 わかってくれるって……なにをだ……?


 どことなく胸騒ぎがして、エリアスと俺が緊張した面持ちを浮かべるなか、シェリーさんがそっとエリアスの体を離す。そうして、さとすようにエリアスの片手を取った。


「……エリアス、聞いてほしいの。もうすぐ、『神殿』の神官様がこの村にやってくるわ。あなたを迎えにいらっしゃるのよ。神官様がいらっしゃったら、私はあなたを差しださなければならないの」


「差しだす……?」


 エリアスが、無意識にぎゅっとシェリーさんの手を握り返す。


「ええ。『勇者』になる子は、一定の年齢に達したら、『神殿』に引き取られて神官様のところで暮らさなければならないの。そこで、勇者が女神様から与えられた魔を祓う剣――『聖剣』を授かるのだと聞いているわ。エリアスはそこで、成人するまで聖剣の扱い方を教わるのよ」


「え……? 俺は、母さんたちと離れ離れにならなくちゃいけないってこと……?」


 震える声でいうエリアスに、シェリーさんは悲しげに目を伏せる。


「ええ……。いつかはこの日がくるのだと……、『神殿』から神官様があなたを迎えにくる日がくるのだと、私も村の大人たちも覚悟していたの。だから、そのときまで精いっぱいあなたを愛して、立派に育てようって、みんなで話してっ……」


 シェリーさんはだんだん涙声になっていって、皆まで言い終わらないうちに口を覆って泣きだしてしまう。


 嘘……嘘だろう……?


 エリアスがいなくなっちまうって、『神殿』の奴らに連れてかれちまうって……!


 なんで、そんなっ……!


 エリアスも同じ気持ちだったみたいで、エリアスは駄々っ子のように首を振った。


「――おれっ、俺、いやだよ! 『聖剣』とか俺にはわからないけれど、なんで母さんたちと離れて暮らさなくちゃいけなくなるの!? 家族なのに!?」


 家族――という言葉に、シェリーさんはますます嗚咽を漏らして泣きだしてしまう。


 エリアスは、離れたくないといわんばかりに今度は俺の手をつかんだ。


「俺、あんまり母さんたちを困らせることは言いたくないけれど、でも、行きたくないよ……! だって、レオとふたりで、ずっとこの村を守っていこうって約束したんだ! それなのに、母さんも、レオも、村のみんなもいないところに行きたくない……!」


 めったにわがままを言わないエリアスの言葉だけに、じいちゃんも、俺の母さんも、胸の痛みを耐えるように顏を伏せた。


 ……そうだよな、みんな同じように寂しいんだ。


 でも、神官様のご命令は絶対だから、みんな逆らえないんだろう……。


 そうだとしても、この村の一員のエリアスが、勇者だかなんだかだからって、なんで『神殿』なんてところに連れていかれなきゃいけないんだ。


 本人の意思に関係なく連れ去るなんて、そんなの理不尽だろ!


 俺は、両膝を手で叩いて立ちあがる。


「じいちゃん! エリアスのこと、なんとかなんねぇのかよ? 本人が行きたくないっつってんのに、無理やり連れてくことないだろっ」


 エリアスを庇うように手を広げながら、俺はじいちゃんたちを。


 子どもの俺には、どれだけ深刻な事態かわかっちゃいなかっただろうから、下手に口出しするべきじゃなかったのかもしれない。


 けど、いつも気丈なエリアスが本気でいやがってんのを見て、俺がこいつの味方になんなきゃって思ったんだ。


「レオ……」


 まえに立った俺の背中にエリアスが嬉しそうな声をかけるなか、俺の母さんがたまりかねたように一歩前に進みでた。


「……レオの言うとおりかもしれないねえ。『神殿』のしきたりだかなんだか知らないが、いやがるエリアスをこのまま差しだすのはあまりにもかわいそうだよ。エリアスを守ってやるのも、あたしたち大人の役目じゃないのかい。そうだろう、シェリー?」


「―――……」


 心のなかで迷っているのか、逡巡した様子をみせるシェリーさんに、俺の母さんがたたみかける。


「駄目で元々と思って、神官様がいらっしゃったら、エリアスをいままでどおりこの村で育てられないか聞いてみたらどうだい? なにも『神殿』にたてつこうってわけじゃないんだ。話をしてみるだけしてみたらいいじゃないか」


「母ちゃん……!」


 母さんの心強い加勢に俺が目を輝かせると、母さんがにっと笑って親指を立てた。


 ああ、俺、母ちゃんのこういう剛毅なところめっちゃ好きだな、と思う。


 じいちゃんも、唸りながら顎をかいた。


「うーむ、そうじゃなあ……。まあ、交渉だけするぶんにはいいかもしれん、提案という形でな。それで神官様に無理だと言われたら、そこで腹をくくればよい。エリアス、シェリー、それでよいか?」


 じいちゃんがしわしわの顔をほころばせると、エリアスとシェリーさんはお互いに向きあって、涙を浮かべてうなずきあった。


 エリアスが決意を固めたように言う。


「ありがとうございます、村長様! 神官様にお願いしてもらって、それでもひとりで行かなくちゃいけなくなったときは、俺、ちゃんとひとりで行けます! それで、立派な『勇者』になって、この村を守るために戻ってきます!」


 シェリーさんが、そんなエリアスの頭を優しくなでた。


「ありがとうございます、村長。私も、この子と離れるのは、本当はとても寂しかったんです……! こんなことをいっては、女神様に顔向けできないかもしれないのですが、でも、エリアスは私の子です! 私の愛しい、たったひとりの息子なんです! だから、離れたくないっ……!」


 シェリーさんがエリアスをぎゅっと抱きしめる。


 抱きあう親子を見守りながら、俺とじいちゃんと母さんは力強くうなずきあった。


 エリアスとシェリーさんが離れなくてすむように、村のみんなで精いっぱい守ろう。


 家族と引き離されるっていうのは、つらくて寂しいことだもんな。


 それに――。


(俺だって、エリアスがいなくなっちまうのはいやだ……!)


 俺たちはふたりそろってこそ最強なんだから。


 俺が魔法でエリアスのことをずっと守ってやるよって、約束したんだから――。



 そうして、じいちゃんとシェリーさんの意向が村の大人たちに伝えられて、俺たちは、エリアスを今後もこの村で育てられないか、一致団結して神官様に交渉してみようということになったんだ。



 けれど、このあと俺たちに交渉する余地もないほどの悲劇が待ち受けているなんて――このときはまだ誰も、知らなかったんだ……。



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