第八十一話 魔王城
――おい……。
誰かが呼びかける声が、耳もとでかすかに聞こえている。
真っ暗闇の視界。
あれ、ここは、どこ……?
私、どうしたんだっけ――……?
「――おい、おいっ、しっかりしろ、アキ!」
「――わあっ!」
今度こそはっきりと聞こえた声におどろいてはね起きると、目の前に、アキの両肩に手をそえて心配そうに見つめているレオの紫の瞳があった。
「あ、れ、レオ……?」
「よかった、気がついたか……! エリアス、ヨハン! このばかやっと気がついたぜ!」
こ、このばか……?
起きぬけにあまりにもひどいじゃない、と反射的に言い返そうとして、アキは自分の周囲に広がる光栄に息を呑んだ。
まず目に飛びこんできたのは、頭上を覆うほどに枝葉を広げたうっそうとした樹木だった。そのあいだからかろうじて差しこんでいる光で、いまが昼間なのだとわかる。
自分はどうやら湿った土の地面に寝転んでいたようで、周囲の木々から落ちた枯れ葉が体のあちこちにまとわりついていた。真横には、例の融合魔法によって気を失ったままの男性教師が横たえられている。
どこかの深い森のなかにいるらしい――そう気づいたのもつかの間に、アキは、そんな自分たちを円形に囲うようにして、無数の魔物が敵意をむき出しにして集まっていることに気がついた。
目の前のレオの後方には、こちらに背を向けて、いつもの十字架の杖を地面に垂直に立てて、必死にこちらを守るように結界を張っているヨハンの姿がある。
その結界から飛びだしたさらに前方には、エリアスのたのもしい後ろ姿があって、わずかな陽射しのなかでも美しく銀にきらめく聖剣をひらめかせて、魔物の群れを一騎当千の勢いで掃討していた。
こ、これは、いったい、何事――……!
とりあえず私も戦わなくちゃ、とアキがいままで自分が気を失っていたことを恥ずかしく思いながら立ちあがろうとしたところで――レオがそれを制止するように口を開いた。
「アキ、いまはこいつらをいちいち相手にする必要はねぇ。あれを見ろ」
え……?
レオがあごで示す先、自分たちのいるこんもりとした緑の森を越えたあたりに、遠目に小高い丘が見えて――その頂きには白亜色の見事な宮城がそびえ立っていた。
重なりあう木々の隙間から見えるだけでもわかる、まるで童話にでも出てきそうな優美なお城――……!
「……もしかしてあれが、魔王城――……?」
呆けたようにつぶやいたアキに、レオが自慢げに形のいい口もとを持ちあげた。
「おうよ! 融合魔法とやらが妨害に入ったときはどうなることかと思ったが、無事に魔王城のある孤島に転移できたぜ。まあ、そう簡単に魔王城に近づけさせてくれそうにもねぇが――」
周囲に群がる魔物たちを見やって苦笑いをしたレオが、みなまで言い終わらないうちに、アキはおもわず彼の首もとに腕をのばしてぎゅっと抱きついていた。
「おめでとう――おめでとう、レオ……! 転移魔法、うまくいったんですね!」
学府の実験棟の控室で、失敗は許されない、といって緊張からふるえていたレオ。
それだけのプレッシャーと責任のなかで、絶対におまえらを魔王城まで連れていってやるからな――……、と勝ち気に笑んでいた彼の表情が頭によみがえって、アキは、切迫した状況だとわかっていながらも、感極まって目の前のレオにしがみついてしまった。
やっぱりレオは、すごい……!
どんな困難でも、どんな危機でも、いつだって力強く乗りこえていってくれる……!
彼はやっぱり、この世界最強の魔法使いなんだ――……!
連れてきてくれてありがとう――、とレオに抱きついたまま感謝の気持ちを伝えていると、レオはあきらかに狼狽した様子で、おろおろとアキの両肩に手をそえて体を離した。
「お、おいばか、こんなことしてる場合じゃねぇってのに……! まあ、でも、その、なんだ、おまえにかっこいいところを見せられたんなら、よかった……と思うわ」
後ろ頭をかきながら、照れて赤くなった顏をそらしていうレオがかわいくて、おもわず小さく笑ってしまう。
本当にかっこよかったよ、レオ。
彼は、勇者の魔法使いとしての使命を、立派に果たしたのだから。
レオは気持ちをきりかえるように咳払いをすると、表情をひきしめてアキを見やった。
「――ともかく、俺たちの目的はあそこに見える魔王城へ行くことだ。だから、こんなところで時間をとられている暇はねぇ。それに、エリアスがいるだけで、魔物なんてひっきりなしに集まってくるからな!」
これみよがしにレオが声を張って言いながら、後方で聖剣を振りかぶっているエリアスを見ると、彼がちらりとこちらを振り向いて肩をすくめた。
「そんなこといわれたって、仕方ないじゃないか。魔物に狙われるのは、勇者の宿命なんだか――……ら!」
語尾を言うのにあわせてエリアスが剣を振るい、魔物の一体をあざやかに切り飛ばす。
そういえば、魔物の天敵である勇者は無意識に魔物を引き寄せてしまう――いわゆる魔物ホイホイなのだと、いつかルイスやミーナと話したことがあったな、と思いだす。
エリアス自身も、まだ聖剣を振るえないくらいの幼少期から魔物に狙われていたって言ってたっけ……。
とくにこの魔王城のある孤島は魔物たちの本拠地というか、巣窟だから、エリアスを狙って集まってくる魔物の数も半端ではないのかもしれない。
レオはすっくと立ちあがると、エリアスとヨハンをふり仰ぐ。
「エリアス、ヨハン、ひとまず俺の魔法で周辺の魔物を蹴散らすから、その隙に魔王城まで一気に走るぞ!」
「わかった」
「お願いします」
エリアスとヨハンがそれぞれにすばやく答えて、エリアスが結界のなかに飛びこんで例の融合魔法を受けていた男性教師を抱きかかえたと同時に、レオがいつものごとく魔導書をめくって魔法の詠唱をはじめる。
そうして、レオが得意とする、彼の周囲に無数の光球を浮かべて、それらが光線となって魔物たちをつぎつぎとつらぬく魔法が発動して――いっきに魔物をせん滅して騒然となった場内を、アキたちは魔王城に向けて一目散に駆け抜けるのだった――……。
暗い針葉樹の森をひた走りながら、ときおり正面に立ちはだかる魔物をエリアスの剣が、レオの魔法がひらめいて撃退しながら進むと――やがて木立を抜けて視界の開けた場所に出て、遠景にある小高い丘の上に、白大理石で造られた美しい宮城がいよいよその姿をあらわした。
城までは一本の石橋がまっすぐに続いていて、その先には見事な鉄門が見てとれる。
おそらくあれが城門で、あの門をくぐると――そこはもう、魔王城の城内になるのだろう。
――いよいよだ……。
いよいよ、魔王との対面になるのだ。
あの日――いつものように仕事で残業をした帰り、自宅のマンションではじめて魔王と出会って、彼がナコを連れ去ってしまって、それを追ってこの世界にきてから……どれだけのことがあっただろう。
魔王を見つける、そして魔王からナコを取り戻す――それを最終目標に、ここまで必死にやってきたのだ。
――長かった、とても……。
面と向かって魔王と会ったら、ここまでがんばってきた私を見せつけてやらなくちゃ――と、アキは石橋の先にそびえ立つ魔王城を凛として見つめる。
「――それじゃあ、いこう、みんな。魔王城へ!」
先頭に立つエリアスが言って、マントをひるがえしてさっそうと足を踏みだす。
それに続いて足を進めるレオとヨハンの大きな背中が、とても頼もしい。
勇者が仲間たちと一緒に魔王城に挑むときって、きっとこんなふうに凛々しくて、気分が高揚するものなんだろうな――……。
彼らがいてくれるのだからなにも怖いことなんてない――そう心強く思いながら、橋の下に深緑の森が広がる絶景を歩いていくと、やがて城壁に囲われた大きな鉄門にいきついた。
衛兵として魔物のひとりでもいるのかと思ったけれど無人で、自分たちが鉄門の前までやってくると、歓迎とばかりに勝手に門が開かれる。
魔王側も、エリアスがやってきたことなどお見通しなのだろう。
門をくぐると、目のさめるような芝生の広がる前庭に出て――真正面のなだらかな石段の先に、遠目からしか見えなかった美しい宮城が悠然とかまえていた。
大部分を白大理石で造られた建物は、抜けるように晴れた青空のもと、太陽の日射しを受けてキラキラと白い宝石のようにかがやいている。
蔦が外壁の半面を覆っているが、けっして陰気な雰囲気ではなく、澄みきった静けさのなかに立つ古びた宮城は、まるでこの世から隔絶された別種のものの空気を感じさせた。
白い小鳥が楽しげにさえずりながら行き交うさまは、積年のライバルである勇者と魔王の戦いの舞台というには、あまりにのどかだった。
「ここに、魔王が……」
だれもが、ついにやってきたのだ、とごくりと唾を呑みこんだそのとき――宮城の閉ざされていた観音開きの鉄扉が、ギギギ、と大きく軋む音を立てて開かれた。
だんだんと開いていく扉の隙間からもれだす光――その後光に体をふちどられるようにして、膝下まで届くほどの長い深緑色の髪をなびかせた魔王が姿をあらわす。
長く異世界を旅してきたアキの目的が、いよいよ達成されようとしていた――……。




