第七十二話 少年時代
「――話は聞いているぞ、レオ」
学府の学長室にやってきたアキたちは、『学府』をたばねる学長――いわゆるこの教育先進国の王様のような立場にある老人と向きあっていた。
学長は高齢の老人で、白く長く伸びた眉毛に、同じく真っ白な口ひげと顎髭が胸もとまで伸びていた。まるで仙人のような外見とでもいうのか、どこに目があるのか皆目わからないくらい顏が眉毛とひげでふさふさしている。
小柄でかわいらしいおじいちゃん、といった学長は、頭に飾り紐を垂らした正方形の角帽を被り、真っ黒なガウンを身につけていた。
部屋の内装は、学術本の敷き詰まった本棚にぐるりと四方を囲われていて、黒檀でできた大きな文机に黒いなめし革の椅子が置かれていた。部屋全体には濃緑の絨毯が敷かれていて、とても重厚感のある雰囲気を漂わせている。
背丈の高い椅子にちょこんと腰かけている学長は、書類に走らせていた鵞ペンの手を止め、訪問したアキたちを見回して、ふむ、とうなずいた。
「遠路はるばるようこそいらっしゃいました、勇者殿とそのお仲間の皆さま。私は学長のカルバンですじゃ。本校卒業生のレオ・ゲインズはお役に立てておりますかな」
ちゃんとやっておるか、とでも言わんばかりにレオをちらりと見てから、学長が文机の前に並んで立っているアキたちに向き直る。
「いやはや、それにしてもさすがは勇者パーティ、そうそうたる顔ぶれですな。今代勇者のエリアス・リーランド殿に、異界よりいらした勇者の片腕のアキ殿、神聖国教皇のご子息のヨハン・クラレンス殿、そして我が学府創立以来、歴代最高点で首席卒業したレオ・ゲインズか……。世界の命運を担うにふさわしい面々じゃな」
そう言って、学長はこちらを見渡して頼もしげに笑ってみせた……のだけれど、なにせひげがもじゃもじゃで表情の変化はよくわからない。
学長の後ろに控えるようにして、さきほどレオに飛びついていた巨乳の美女が手を軽く組み合わせて立っている。
学長室に向かう前にレオに聞いたところによると、彼女はエレノア・オーガストといって、レオが学府時代に所属していた魔法術式理論研究室の先生で、まだ三十代という若さで准教授のポストに就いている優秀な女性なのだそうだ。
見た目はやさしげでおっとりとした印象なのだけれど、ひとたび魔法の話になると豹変したように口が止まらなくなる極度の魔法オタクらしい。
三度の飯より魔法が好きで、寝食を忘れて研究に付き合わされるから学生時代は徹夜なんて日常茶飯事だった、とレオがげんなりした顔で話してくれた。
そういうレオだって人のことは言えないくらい魔法オタクだと思うのだけれど、類は友を呼ぶというか、学府はそもそもそういった魔法大好きな人たちが集まっている場所なのかもしれない。
「それで学長、さっそくで悪いんだが、転移魔法の準備に入らせてもらってもいいか」
片手を腰に当てて言うレオに、学長が得意げにあごひげをさする。
「その必要はないぞ。転移魔法の準備など、そこのエレノアと他の教員たちで済ませてあるからの。おまえには、あとで最終確認だけしてもらえれば充分じゃろう」
「うふふ、わたしたちがんばったのよぉ、レオちゃん!」
細くて長い綺麗な指を組み合わせて、エレノアがかわいらしくほほ笑む。
ああ、本当にきれいな人だなあ……。
なんて自分は見惚れてしまうのだけれど、レオ本人はそれを聞いて顔を引きつらせる。
「そ、それは……、ドウモアリガトウゴザイマス、先生」
わざとらしく片言でお礼を言うレオに、まったく意に返していない様子でエレノアがうれしそうに飛び跳ねた。
「これでひとつ借りができたわねぇ、レオちゃん! それじゃあ、今日はとことんわたしの研究に付き合ってもらうわよぉ」
「あ―――、やっぱりそうきたか! だからおまえに頼むのは嫌だったんだよ!」
「こら、先生に向かっておまえなんて言うもんじゃありません! そんな子に育てた覚えはなくってよ!」
「おまえに育てられた覚えはねぇよっ」
レオとエレノアのいつまでも続きそうな応酬に、アキもエリアスもヨハンも、ぽかんとしながら二人を交互に見つめた。
(レオとエレノアさんって仲良さそうだなあ……)
レオは学府時代のことを苦労したように語るけれど、二人の様子を見るに、きっとそれと同じくらい充実して楽しい毎日だったんだろうな、と思う。
(レオってどんな学生時代だったんだろうなあ。ちょっと気になる)
そんなことを考えながら、あいかわらずエレノアと何事か話しているレオの横顔を見やっていると、そんな自分にエレノアが顏を向けた。
「そうだわ! ねぇアキちゃん!」
「え、あ、はいっ!」
エレノアにいきなり名前を呼ばれて、アキは肩を跳ね上げる。
「今日は偶然にも学府の創立記念日でね、今日の夜は学生たち全員が集まって創立記念パーティが開かれるの! みんなでドレスアップして、学府の学生ホールでダンスや食事をしたりするんだけれど、アキちゃんたちにも参加してもらってもいいかしらぁ?」
ダ、ダダダ、ダンス……っ?
その単語を聞いて、ふとこの旅に出たころにそんな話題が出たことを思いだす。
たしかエリアスはダンスが上手でいつも女性たちの行列ができるとかなんとかヨハンが言っていて、そのときに、エリアスに今度ダンスのお相手になってもらえませんか、と言ってもらえたような気がっ……!
けれど結局ダンスの練習をする時間などないくらい慌ただしい旅が続いて、まったく踊れるようになっていないのだけれど、それがまさかここへきてその機会にみまわれるとは……!
たらたらたらと冷や汗を大量に流しているアキに、エレノアが楽しげに声をかける。
「それでね、わたしの研究室にドレスが何着かあるから、アキちゃんに着てもらいたいと思っていたのよぉ! 夜まで時間もあることだし、このあとみんなでわたしの研究室に来てもらってもいいかしらぁ?」
あれ、なんだか、とんとん拍子で話が進んでいるような……。
きゃっきゃっとうれしそうに満面の笑みでいるエレノアに同意するように、学長がうむうむと何度もうなずく。
「せっかくの機会じゃ、エリアス殿やヨハン殿にもご参加願ってもよろしいですかな。みなさんのような英雄の方々が参加してくださったら例年以上に盛り上がりますからのぉ」
顔を見合わせるエリアスとヨハンの傍ら、レオがまたまた逃げ腰で後ずさる。
「お、俺はダンスパーティなんか出ねぇぞ! あんなけったいなイベントに出るくらいだったら、俺は転移魔法の最終チェックをやらせてもらうからな!」
……じゃっかん声が裏返ってるところをみると、レオは、もしかしたらダンスパーティが苦手なのかもしれない。
けれども、そこはエレノアが譲るはずはなかった。
腕を胸の前で組むと、目が笑っていない笑顔をレオに向ける。
「……レオちゃん、さっきの話だけれど、わたしに借りがあったわよねぇ?」
ぎくりと固まるレオに、エレノアが履いているヒールの足を一歩踏み出す。
「わかっているとは思うけれど、レオちゃんはこの学府の学生にとってアイドルみたいな存在なのよぉ。なんたって後世に名を残すような偉大な魔法使いですもの。そのあなたが創立記念パーティに出席したら、学生のみんながとっても喜ぶってわかるわよねぇ?」
ねぇ、とエレノアは威圧的な笑みで言いながら、さらにレオにたたみかける。
「だから、パーティ、もちろん出てくれるわよね、レオちゃん……?」
うぐ、と唾を呑みこんだレオは、根負けしたようにゆるゆると息を吐きだした。
「わーったわーった、出りゃいいんだろ出りゃあ! 今回、学府のみんなには力を貸してもらったからな、なにかの形でお礼をしたいとは思ってたんだよ。だから、その一環として、創立記念パーティ、ここにいる勇者一行全員で参加させてもらう。いいだろ、エリアス?」
確認を求めるレオに、エリアスはアキたちの顔をいったん見回したあと、二つ返事でうなずいた。
「そうだね。俺たちとしても、学府の創立記念を祝うパーティに参加できて光栄です。どうぞ、よろしくお願いします」
胸に手を当ててエリアスがにこやかに笑むと、学長とエレノアが、見惚れたように、ほう……とため息をついた。
「こちらこそ、今代の英雄の皆々さまにご参加いただけて光栄ですじゃ。では、夜のパーティまでいったん解散といたしましょうかな」
学長が後方のエレノアに視線を向けると、彼女は心得ているとばかりにうなずいた。
「それじゃあ、レオちゃんたちはわたしの研究室に一緒に来てもらってもいいかしらぁ? みんなに見せたいものがあるのよ」
見せたいもの……?
首を傾げるアキたちに、エレノアはなにかを企むように楽しげに笑ってみせるのだった。
エレノアの研究室は、何度もアーチを越えた先にある、学府の建物群の中でも奥まった場所に建てられた研究棟にあるようだった。
さきほどの桜の咲き乱れる中央広場を歩ききり、建物の間にある石だたみの小道を歩いていくと、裏庭を抜けてやがて別棟へとたどりついた。
他の建物と同じく赤煉瓦で造られたその棟は、入口の建物とは違って針葉樹の木々に囲われており、小鳥の鳴き声が深閑としている場内に響き渡っている。
教員の人たちがそれぞれの研究に集中しやすいように、学生たちの活気や雑踏が届かないように配慮されているのかもしれない。
「……変わってねぇなぁ、ここも」
研究棟を見上げてぽつりと言うレオに、前を歩くエレノアが顏だけ振り返って笑う。
「そうねぇ。……いつでも帰ってきていいのよぉ、レオちゃん」
「そう……だな。まあ、先のことはわかんねぇからな」
ぽつりと言ったレオの言葉に、アキは耳をかたむける。
それは、レオはいつかこの学府に戻ってきて、エレノアのようにここの教員をやるかもしれない、ということなんだろうか。
(レオが先生かあ……)
なんだか学生さんと一緒になって楽しく遊んでいそうで、みんなに好かれるいい先生になりそうだな、と思った。
(……この旅が終わったら、みんなそれぞれの道を歩んでいくことになるのかな……)
レオの先のことを思い描いたのをきっかけに、他のみんなはこの先どうなるのだろうと考えてしまう。
みんながみんなの日常に、戻ることになるのだろうか。
もう、こうしてみんなで毎日一緒にいることはできなくなってしまうのだろうか。
それを思うとなんだか無性にさみしくなってしまって、この旅が終わらなければいいのにな……なんて頭の隅で考えてしまって、アキはふるふると首を振った。
レオの言っていたとおり、先のことなんてわからない。
だからいまは、みんなと一緒にいるこの時間を大切にするしかないんだ。
研究棟の入り口をくぐっていくエリアスやレオ、ヨハンの背中を後ろから見つめながら、アキはみんなといるこの時間のありがたさを改めて思って、胸がいっぱいになるのだった。
「――さあみなさん、エレノア・オーガストの研究室へようこそぉ!」
どどんっ、とエレノアが輝くばかりの笑顔で両手を広げてみせるけれど、なんとなくいやな予感がしていたとおり、そこはとても人を招待できるような状態ではなかった。
研究室の入り口まで進出している謎の木箱に、床が見えないくらいまで上積みされて散乱した本、ほこりっぽい室内……。
かろうじて、外の針葉樹の森が覗くように作られた窓から日が射しこみ、本に埋もれながら置かれている文机をほんのりと照らしていて、唯一そこだけが部屋らしく見える。
完全に物置化している部屋は、寝食に注意を払わないというエレノアの性格を表すかのように雑多な印象だった。
(す、すごい部屋……)
学問に生涯をささげると、こうなってしまうのだろうか。
それとも、エレノアさんがちょっと変わり者なだけ……?
あれだけの美人なのに衣食住は雑なところが、ある意味、残念美人といえなくもないなと、アキはひそかに思う。
足の踏み場もない部屋に、入り口から中に入れずにアキたちが立ち往生していると、レオが慣れた様子でひょいひょいと本をかわして足を踏み込んでいく。
「ったく、あいかわらず汚ねぇな! 研究生に整理してもらえばいいじゃねぇか」
「やぁね、手が届くところに物があったほうが、探す手間がなくて研究がはかどるもの。それに、わたしの頭の中ではなにがどこにあるかわかってるからこれでいいのよぉ」
「さいですか」
レオの小言にエレノアが気にも留めずに返事をして、なにやら本棚の一角をごそごそと漁っている。
なにを探しているんだろう、とアキやエリアス、ヨハンがエレノアに注目していると、彼女が一冊の紺の背表紙の本を取りだして声をあげた。
「――あ、あった……!」
ぱああ、と顔を輝かせたエレノアが、くるりとこちらを振り向く。
「ねぇアキちゃんたち、レオちゃんの卒業アルバムがあるのよぉ! これをみんなに見せたかったのよねぇ!」
ええええっ!
卒業……アルバムっ? レオのっ?
レオの学生時代が見られる、とうきうきのアキは、はい、はい、と片手をあげる。
「わ―――、見たいっ、見たいです! ぜひ!」
「はあっ? やめろっ、そういうもの取りだすな!」
レオが慌ててエレノアを止めにかかるけれど、悲しいかな、この物置部屋では彼女ほど軽快に動ける人はいなかった。
彼女はレオの妨害をすり抜けてこちらに卒業アルバムを持ってくると、レオの該当ページをさっと開いてみせる。
と、そこに映っていたのは――――!
……え?
卒業生たちの集合写真、エレノアが指をさす先を見るなり、一緒にアルバムを覗き込んでいたヨハンが盛大にふきだした。
「だ、誰ですか、これっ……!」
そこに写っていたのは、少年時代のレオが、ひどく真面目な表情で白いシャツにネクタイをつけて軽く腕を組み合わせて立ち、そして理知的な紫色の瞳に眼鏡をかけている、いかにもお勉強一辺倒の優等生といった姿だった。
いまのぶっきらぼうでやや大雑把そうに見えてしまう彼とは似ても似つかないお坊ちゃんが、そこにしっかりと写っていたのだ。
うわぁああ、今と全然違う……!
「すごいな、これ、本当にレオなの?」
あまりのギャップにつぼに入ったのか、いまだにお腹を抱えて笑っているヨハンの傍らで、エリアスもまた笑いをこらえたような顔で写真のレオに見入っている。
アルバムをこちらに渡したエレノアが、楽しげに一度手を叩いた。
「ね、ね、かわいいでしょう? レオちゃん、この頃はガリ勉で、学府の模範的生徒だったのよぉ! なのに今のレオちゃんったら色気づいて男前になっちゃって、いつの間にそんなオシャレさんになっちゃったのかしらぁ! さてはアキちゃんがいるからでしょう!」
――へ?
言い当てた、とばかりに、びし、とレオに指を向けるエレノアに、レオがぎくりと顔を赤くして肩を跳ね上げる。
「ち、ちげぇよ! アキは関係ねぇし! そもそもこの宝飾品だって魔法道具であって別におしゃれのためにつけてるわけじゃ……!」
「言い訳は見苦しいわよぉ、レオちゃん!」
問答無用、とばかりにエレノアがレオの言葉をさえぎる。
エレノアさん、強いっ……!
「だから違――」
さらに言い募ろうとするレオだけれど、それを完全に無視して彼の学生時代の話に花を咲かせるエレノアを見て、諦めたように口をつぐむ。そうして、わなわなと震えながら、誰に言うわけでもなく頭を抱えて叫ぶのだった。
「ああ、もう、最悪だ――――っ!」




