第七十一話 学府
何度か野宿を経てアキたちがたどり着いたのは、まるで外敵から身を守るように水で満たされた外堀で四方を囲われた都市――学術先進国の首都『学府』だった。
原野の海岸部分に沿うように建てられている学府は、はね橋を使って原野から都市へと行き来する仕組みになっていて、ある種の城郭都市のような造りをしていた。
町の中心を担っているのが、城ではなく大学――といったところが、この学術都市の特徴のようだった。
(いよいよ、レオの故郷が見られるんですよね……!)
『魔法使い』たちが集う魔法都市ってどんな感じなんだろう。
アキは胸を躍らせる。
自分の元の世界の大学のキャンパスみたいな雰囲気なんだろうか。
それとも、ファンタジーの絵本で出てくるような幻想的な雰囲気の町なんだろうか。
わくわくしながら、頑丈な造りのはね橋を渡り、町に入るための手続きを終えて都門をくぐると――そこは、大学の校舎を思わせるレンガ造りの趣ある建物群が立ち並び、その手前の広場に無数に植えられた桜の咲き誇る、目の覚めるような町並みが広がっていた。
沁みるような緑をした芝生の庭を春の風が吹き抜けて、桜の花びらがふぶきのように空を舞っている。庭園の中央にある水盤には無数の花びらが浮いて、透明な水に華やかな彩りを添えていた。
(す、すごい……! 桜が、こんなに―――……!)
まさかこちらの世界で桜の花にお目にかかれるとは思っていなかったアキは、急に故郷のことを思いだして、懐かしくて思わず涙ぐんで口もとに手を当てた。
(そういえば、もうずっと、自分の世界に帰ってないんだっけ……)
両親、友だち、会社の同僚たち――もし自分が急にいなくなったまま時間が経っているのだとしたら、みんなに相当な心配をかけているのではないだろうか。
けれど、たしかレオが、こちらの世界と向こうの世界とでは時間の進み方が違うのではないかと言っていた。
とすると、もしかしたら自分が思っているよりも向こうの世界の時間は経過していない可能性もある。
とはいえ、どちらにしろ妹を連れ戻すまでは元の世界に帰るわけにはいかないのだ。
だから今は、一刻も早く魔王城に行くことだけを考えなくちゃ!
よし、とアキが気合いを入れ直していると、隣に並んでいたヨハンが感心したふうに桜を見上げた。
「これは、とても美しいですね……! 学府には初めて来ましたが、噂で聞くのと実際に見るのとでは全然違います。こんなに心が洗われるような場所とは思いませんでしたよ」
銀の髪を風に揺らしながら、ヨハンがまぶしそうに目を細める。
「へえ、ヨハンも初めて来たんですか?」
ちょっと意外だったので訊き返すと、彼は風になぶられる前髪を押さえてうなずいた。
「ええ、『学府』というのは教育先進国の特別区のようなものなので、月系魔法の関係者しか入れないんです。神聖国の『神殿』も太陽系魔法の関係者しか入れないので、同じことです」
「そういうこと。今回、俺たちは『学府』の魔法使いたちに魔王城までの転移魔法を助力してもらうっつー事情があったから、特例で入れてもらえたんだよ。普段だったら、学府の卒業生の俺しかここには入れねぇからな」
それにしてもひさびさに帰ってきたなあ、とレオはのんびりと伸びをしている。
そっか、じゃあこの景色を見られるのって貴重なんだ!
目に焼きつけておこう、ともう一度景色をよくよく見渡していると、後ろから歩いてきたエリアスがアキの肩に手を置いた。
「アキ、学府は月系魔法の知識が一か所に集まる場所だから、それが悪用されないように自分たちで身を守る必要があるんだよ。太陽系魔法の知識が集中している神殿と一緒でね。だから、外部の人間を極力入れないようにしているんだ」
ああ、なるほど。
それで、町に入るために手続きが必要だったり、町全体が外堀で囲われてたり……と、少し仰々しく守られているのかもしれない。
つい先日港町で披露してくれたレオの全体魔法を思いだしても、月系魔法の威力はすさまじかった。
もしあの魔法を、レオのように正しく使える人ではなく、悪意のある人に故意に誰かを傷つけるような用途で使われたとしたら――使いようによっては、月系魔法は争いの火種になってしまうのだろう。
この『学府』は、そういった事態を防ぐための要塞なのかもしれない。
気持ちを改めて学府の景色を眺めていると、レオが大学の建物に向かって歩き始めながら足を止めずに振り返る。
「ともかく、まずは学長に挨拶しに行くぞ。それが終わったら、すぐにでも転移魔法の準備にかからねぇとな。ヨハン、おまえも手を貸してくれ――」
レオがそこまで言いかけたところで、大学の建物内から涼やかな鐘の音が鳴り響いた。リンゴーン、リンゴーンと、学府の建物に反響して荘厳に響き渡る。おそらく午前の授業が終わったのだろう。
にわかに外がざわめき始めて、広場に接している柱廊に年齢のさまざまな学生たちがわきだすように出てきた。そうして、その様子を珍しそうに眺めているアキたちの姿を認めるなり、学生のひとりがこちらを指さして驚愕の声をあげた。
「――レオ様っ!」
「え、嘘っ、レオ・ゲインズ様だ! みんな、レオ様が……!」
学生たちが口々にレオの名前を呼びながら、信じられないものを見たとでもいうように目を見開いている。
あれ、もしかして、レオって有名人……?
当のレオはというと、まるでなんでもないことのように、うれしそうに笑いながら学生たちに向かって片手を振った。
「おー、おまえら、勉学に励んでるかあ?」
レオが言葉を返した途端に、わーっと学生たちが走り寄ってきて彼の周りに群がる。
「レオ様っ、この間の魔法雑誌に載った新しい魔法学研究の論文読みました!」
「私も読みましたー! 『光属性魔法における理論的課題と考慮要素』! やっぱり光属性魔法は扱える人が少ないから、研究者・実務家双方の立場から現状と今後の課題について分析する必要がありますよね!」
なんだか学生たちが難しいことをレオに話しかけて、彼は笑顔でしきりにそれになにかを回答している。
レオ、私たちと冒険してる間にも、論文とか発表してたんだ……!
あの時間のない中でいつ、と思い返してみるけれど、たしかにレオは夜遅くまで本を読んだりなにか書き物をしたりしていることが多かった。
彼はとても努力家なのだろう。そして、魔法が好きなのだ。
「レオ様、今日はどうして学府に立ち寄られたのですか? たしか、勇者様のパーティにお入りになられたとうかがっていますが――……」
眼鏡をかけた学生がレオに問いかけると、レオはうなずいてから、ついとエリアスのほうへ視線を流した。
「ああ、ちっと今日は野暮用があってな――ほら、そこにいるのが今代勇者様だぜ」
レオがいたずら気に笑いながら紹介すると、いままで気配を消して素知らぬふりをしていたエリアスがぎくりと固まり、と同時に学生たちの目がいっせいに彼に向けられる。
なるべく目立たないようにしていたエリアスが、学生たちの視線から逃れるように後ずさりしようとした瞬間――学生たちが狂喜乱舞の悲鳴をあげた。
「きゃああああっ、勇者様っ、エリアス様! 初めて拝見しました!」
「すごいっ、すごいっ……! 素敵っ、かっこいい! どうしよう!」
女子学生さんたちはみんな顔を赤らめて涙ぐみ、男子学生さんたちはわっとエリアスに駆け寄っている。
や、やっぱり、勇者様の人気ってどこにいってもすごい!
と思っていた矢先、今度はアキの隣でそれを見守っていたヨハンに学生さんたちの目が向いた。
「白の色つきの祭服……もしかして高位の神官様ですかっ!」
「たしか勇者様のパーティにいらっしゃる神官様って、現教皇クラレンス様のご子息じゃなかったかしら!」
「ということは、もしかしてヨハン・クラレンス様でいらっしゃいますか!」
「……ちょっと待ってください、今度は僕に白羽の矢が立ったのですが……!」
学生さんたちに輝く目を向けられて、ヨハンが、たじ、と後ずさっている。
けれど、学生さんたちはそんなことものともせずに、お互いに声をかけあいながらヨハンに駆け寄った。
「ヨハン様! 僕、太陽系魔法の体系について勉強してまして……!」
「太陽系魔法と月系魔法の比較分析は、魔法界の発達に必要不可欠だと思うんです! 研究を重ねれば二者の融合魔法も可能ではないかと思っておりまして……!」
「ヨハン様ほどの太陽系魔法の使い手にお会いできるなんて光栄です! ぜひ、あとでお話しをさせていただきたいのですが!」
わいわいわい、とレオもエリアスもヨハンも学生さんたちに囲まれてしまう。
みんな有名人なんだなあ、と痛感していると、女子学生さんのひとりがこちらを指さした。
「もしかしてっ……もしかしてアキ様でいらっしゃいますか? 勇者の片腕様、勇者の秘書様でいらっしゃいますよね!」
「異界からいらしたというのは本当なのですかっ! アキ様が暮らしていらっしゃった世界はどういったふうで―――」
あらららら、じつは私もそれなりに有名人だったっ?
学生さんたちの活気がさらに他の学生さんたちを呼んで、中央広場がいよいよ人でごった返し始めたとき――ぱんぱん、と手を叩く小気味のいい音が聞こえた。
「ほらほら、みんな、静かにね。ちょっと道を開けてもらえるかしらぁ?」
凛としていて艶のある、けれどもどこか間延びした女声が聞こえたと思った途端、集まっていた学生たちがわっと左右に二つに割れた。
その割れ目の先、腰まである薄茶色の波打つ髪に、知的さのある橙色の垂れ目をした女性が、にこやかな笑みをうかべてたたずんでいる。
その人は、女の自分から見ても目が釘付けになってしまうくらい胸のふくよかな女性で、引き締まった腰にほどよい大きさのお尻と、自分の凹凸のなさが悲しくなってくるくらいに抜群のスタイルをしていた。
白い長衣の裾をひるがえして、女性が静かな足取りでこちらに歩み寄ってくる。
す、すごい美人さんだけど、誰なんだろう……?
だんだんと近づいてくる女性をどきどきしながら見つめていると、隣に立っていたレオが、うげ、とでも言いたげに後退した。
「せ、先生っ……」
……先生?
「レオ、先生って――」
問いかけるよりも先に、アキたちの近くまでやってきた女性が、色気を感じさせるふっくらとした唇を持ち上げた。
そうして、真っ青な顏をしたまま固まっているレオを一点に見つけると、感動もあらわな様子で、その透けるような橙色の瞳をうるうると潤ませた。
「レオちゃん……!」
――レオちゃんっ?
まさかの呼び方にアキたちが度胆を抜かれる中、レオは逃げ腰になりながらじりじりと一歩、また一歩と下がっていく。
あれ、二人は知り合いじゃないのかな?
レオ、なんでそんなに、腰が引けてるんだろう……。
レオはいまにもこの場から退散したそうに後ろを振り向こうとして、それに気づいた先生と呼ばれた女性が、突如後ろ足で地を蹴って駆けだした。
そうして、うれしそうに両手を広げながら庭に響き渡るほどの大声をあげる。
「レオちゃああああんっ、おかえりなさいっ……!」
「うわっ、いちいち迫ってくんじゃねぇよ先生! ってかこっち来んな―――っ!」
必死に抵抗を試みたレオの抗議もむなしく、女性は助走をつけて飛び上がると、その豊満な胸をレオの顔に押しつけるようにして思いっきり抱きついたのだった。




