第七十話 秘めた想い
「わ―――、いよいよ野宿ですね!」
西の地平に真っ赤な太陽が沈むころ、アキたちは、原野のだだっ広い平野にある小ぶりな丘のふもとに陣取って、野宿の夜風対策に簡単な風よけの布を張る作業を行っていた。
レオとヨハンが男手ふたりで張ってくれているのだが、レオの力が強すぎるのかヨハンが非力なのか、ヨハンはレオに布ごしに引っ張られて早くも前につんのめって転びそうになっている。
ヨハンがんばれー、と旗を振る勢いで応援していると、そんなアキをレオがあきれたように横目で見る。
「ったく、お子さまは元気だねぇ。野宿でそんなにはしゃいでるやつ初めて見たぜ」
「だって、みんなで野外に泊まるのって今回がお初じゃないですか! もうなんか、わくわくしちゃいますよね!」
「勝手にわくわくしていて結構ですが、アキ、遊んでいないで日よけを張るの手伝ってください。日が落ちて暗くなる前に張り終えないといけないんですから」
「はいっ、がんばります!」
びし、と額に手をかざして敬礼すれば、ヨハンに頭痛でもするかのように肩を落として息を吐かれた。
そうして着々と野営の準備を進めたアキたちは、一番近くにある木立から手近な小枝を拾い集めて焚き木の山を作り、そこにレオが「俺は火打ち石じゃねぇんだぞ」と文句を言いながらも火の魔法を唱えて着火して、辺りは美しくゆらめく焚き火のあかりに照らされた。
ちらちら、パチパチ、と炎が音を立てる中、薄暗くなりかけた原野は、夜のおとずれを告げるように遠くにふくろうのような声が聞こえ始める。
「――さて、そろそろ結界を張りましょうか」
さかんに燃えさかる焚き火を前に、ヨハンが杖を持って立ち上がる。
ヨハンいわく、夜の原野は夜行性の魔物が興奮して凶暴になったり、昼間は出現しなかった高レベルの魔物が登場する可能性があるため、厳重に結界を張って防ぐ必要があるそうだ。
そのあたりはヨハンに全面的にお任せしておけば大丈夫ということで、魔法の準備のためにアキたちから離れていくヨハンを目で追っていて、アキはふとあることに気がついた。
「あれ、そういえばエリアスってどこ行ったんですか?」
日よけを張っているあたりから、いっこうにエリアスの姿が見えないのだ。
また、ひとりでどこかにふらふら行ってないといいんだけど……。
ひざを抱えてうずくまりながら聞けば、レオがからからと軽く笑った。
「ああ、それなら心配いらねぇよ。あいつ、夕食獲りに行ってるだけだから」
「夕食……?」
そう、とレオがうなずいたそのとき、ずるずる、ずるずる、となにか大きなものを引きずるようなわずかな地響きが耳と体に伝わってきた。
なにごとか、と顔をそちらに向けると、なにか黒く大きな物体を背負いながら歩いてくるエリアスの姿があった。
「ごめんごめん、はりきりすぎたら遅くなったよ。その甲斐あって、けっこう大物が獲れたと思うんだけど、どうかな?」
きらきらとまぶしいほどの笑顔のエリアスとは対照的に、その背中には、巨大イノシシを思わせる丸々と太った動物が異様な気配を放っている。おそらくエリアスによって仕留められたのだろう。
ぽかん、と口を開けて彼を凝視するアキの向かい側で、レオが頭を抱える。
「おいアス! おまえそれいっくらなんでもデカすぎだろ! 野ウサギとかそういうちっさいやつでいいんだよ、食う場合!」
「だって、大きいほうがたくさん食べられていいじゃないか。ちょっと焼くのが大変かもしれないけれど、そこは、レオが火の魔法で直火でじっくり焼けばいいんだから」
「っだから、俺は料理器具じゃねぇっての!」
あいかわらずエリアスとレオがそろうとぎゃあぎゃあと言い合いになって、アキたちの周囲に結界を張り終えたらしいヨハンが、戻ってくるなりあきれたように息をはいた。
「二人とも、夜も更けてきましたので静かにしてもらえませんか。ご近所迷惑ですので」
「どこに近所があるんだよ!」
すかさずレオのつっこみが入って、アキは思わずふきだした。
ほんっと元気だなあ、みんな!
この三人と一緒にいれば、原野の夜だって全然怖くなくて楽しいな、と思いながら、初めての野宿の夜は更けていくのだった。
――夜中。
ふと少しトイレに行きたくなって目を覚ましたアキは、見張り番で焚き火の近くに腰かけているレオの背中を目に入れて、足音を立てないようにして静かに近づいた。
というのも、エリアスとヨハンが、次の見張り番が回ってくる時間まで寝入っているからだ。
「……レオ」
こそっと声をかけると、彼が、ゆらゆらと揺らめく炎のあかりで読書していた手を止めて顔を上げた。
「おう、アキ。どうしたんだよ。眠れねぇのか?」
「ちがうちがう、ちょっとトイレに行きたくって」
「ばっ……、おまえにはデリカシーってもんがねぇのかよ!」
やや顔を赤くして声をひそめて怒鳴られて、アキは少しだけ頬をふくらませた。
「なんで怒られなきゃいけないんですか! それよりも、トイレ、どうしたらいいんだろ」
「そのへんの木立の草むらで適当にしてくればいいだろ。さすがに俺はついていけねぇから、なにかあったら大声で呼べよ」
「わかった、ありがとう」
ひらひらと手を振って、アキは、原野の平原にぽつんぽつんとある近場の林のひとつに分け入り、葉陰で用を済ませる。
(この、トイレが草むらってのもまた、野宿って感じですよね)
別段気にするタイプでもないので、さっさと済ませてその場を移動して木立を出ようとしたそのとき――にゅるり、と足もとに何かが巻きつく気配がした。
そんなこと予想もしていなかったアキは、突然足にからまったなにかに驚いて、反射的に固く目を閉じて気づいたら悲鳴をあげていた。
「ひぃやあああああっ!」
およそかわいいとは言えない悲鳴だったけれど、木立をつんざいて周囲に響き渡り、そのあまりのこだまっぷりに自分自身が驚いてしまうほどだった。
途端、瞬間的に転移魔法を唱えてくれたのか、すぐ目の前に宙から舞い降りるようにしてレオが姿を現した。
「アキ、どうした!」
血相を変えてこちらに向かって手を伸ばすレオに、アキは心底安心して、そのままの勢いで彼の胸に飛びついた。
彼は驚きながらもしっかりと抱き留めてくれて、アキの肩ごしに周囲を見やる。
「なんだ、魔物でも出たのか? そういう気配はなさそうだが――」
「ち、ちがう! なんか、足に絡みついて……!」
「足?」
こちらの体を離して、彼はアキの足もとを見やってからふと屈み込んだ。
アキの足首に手を伸ばすと、なにかを引きちぎるように腕で強く引っ張る。すると、足にあった、なにかがまとわりついている感触がすっととれた。
「……なんだ、草がからまってただけじゃねぇか。夜露に濡れて湿ってたのかもな。ほら、とれたぞ――」
そう言ってレオが立ち上がり、こちらを安心させるようにいつもの笑顔を向けてくれた途端、アキは緊張の糸がぶつっと切れたようになってぽろぽろと泣きだしてしまった。
「よ、よかっ……、こわかったっ……」
指で涙をぬぐいながら振り絞るように言うと、目の前の彼は少しためらったようにしたあと、アキを手首をそっとつかんで――引き寄せた。
「レっ……」
「――もう大丈夫だ、俺がいる」
アキの背中に腕を回してぎゅっと抱きしめながら、レオが耳もとで言う。
「……俺がずっとついていて、おまえのことを、守れたらいいのにな」
「レオ……」
こういうとき、どうしたらいいのだろうと、いつも思う。
自分は、エリアスのことが好きで、彼と両想いで、レオの気持ちに応えることはできなくて……。
なのに彼は、こうして私のことを好きでいてくれるのだ。
レオのほどの男性ならば、引く手あまたのはずなのに――彼は、私がエリアスを好きでもかまわない、とそう言うのだ。
――私は、どうすれば、レオのことを傷つけずに済むんだろう……。
人が人を想う気持ちは、誰に止められるものでもないのだろうか。
「……こうやっておまえの隣にいるのが、俺だったらいいのに」
かすれた声でつぶやくように言って、レオはそっとアキのことを離す。
そうして、切れ長の紫色の目を細めて、ひどくやさしくほほ笑んだ。
「……たぶん俺は、そう思いながら、これからもずっとおまえのことを好きでい続けるんだろうな」




