第六十九話 はじめての野宿
体を切る原野の風が気持ちよくて、アキは片手でミルシープの毛につかまり、もう片方の手を上に振り上げて大きく伸びをしていた。
レオ出身の学術先進国へは、野宿を三回くらい経れば到着するらしい。
野宿の経験はまだないけれど、たぶん元の世界でいうところのキャンプみたいな感じになるんだろうか……と想像して、エリアスやレオやヨハンと一緒にわいわい野外でたき火を囲むのだと思うと、それはそれでなんだかわくわくしてしまうのだった。
「……なにをにやにやしているんです。原野に出ているわりには、ずいぶん余裕じゃないですか」
さっそく毒舌を飛ばしてくるのは、アキのすぐ隣でミルシープにつかまっているヨハンだ。
風にさらわれるままに銀髪をなびかせている姿はあいかわずの美少年ぶりなのだけれど、無表情で飛んでくる冷ややかな一言もまたあいかわらずだ。
悔しいからなにか言い返してやろうと思って、アキは目を据わらせながら彼をにらみ返した。
「だって、私だって最初に原野に出たころよりはレベルが上がってるはずですから、魔物なんて平気へっちゃらなんですよ。どっからでもかかってこい、みたいな!」
鼻息を荒くして言えば、前方のレオがふきだして笑う。
「ばーか、そうやって慣れてきたころが一番危ねぇんだよ。アキ、遊んでねぇで魔物探知の手帳、ちゃんと見てろ」
「遊んでないってば!」
先頭から振り返ってにやにや笑うレオに言い返してから、アキは胸ポケットにしまってある女神様の手帳を取りだした。その間に、後方に座っているエリアスをちらりと振り返る。
……エリアス、やっぱり元気がないみたい……。
どこか心ここにあらずでぼうっと周りを見ていることが多くなったエリアスは、いまも、原野のどこを見るわけでもなく、物憂げな表情で周囲を見つめていた。
なにか考えごとがあるのか、悩みごとがあるのか……。
彼ははっきりと口にはしないけれど、自分が理性を失って仲間たちを傷つけてから、少し思いつめているような感じがするのだ。
やはり、あの洞窟でのことが、彼の中に大きな心の傷を残してしまったのだろう。
そんなことを考えながら、アキがエリアスを盗み見ていたそのときだった。
手もとの手帳がこちらを叱咤するように振動して、アキは驚いて飛びあがりそうになった。あわてて手帳に顔を戻すと、ひとりでに魔物の位置を映しだす頁が開かれ、そのレーダーのところに赤いいくつかの点滅が浮かび上がった。
――うわ、さっそく出たみたい……!
それは、確実に自分たちに向かって近づいてきているようだ。
前にも遭遇した妖鳥……? それとも、まったく別の魔物なんだろうか。
アキは顔を上げると、エリアス、レオ、ヨハンの三人に聞こえるように声を張りあげた。
「みなさん、前方から敵襲です! 全部で三……ううん、違った、五体です!」
三点だった赤点が、さらに追撃するように二点増えて、アキはあわてて言い直した。
すぐさま前方のレオがミルシープになにかしらの指示を出して、隣のヨハンは背中の杖を手もとに持ち直し、後方のエリアスは怖いほど静かな表情で鞘から聖剣を抜き払った。
アキも手帳を胸ポケットに押し込みながら、代わりにそこからペンを抜くと、それを念じて弓と矢へと具現させる。そうして弓の握りをつかむと、もうだいぶ手になじんだ感触がした。
レオが呼びだしてくれたこの自分専用の武器とも、何度も何度も旅の苦楽をともにして、自分の体の一部のようになってくれたと思う。最初、勇者の秘書の武器としてペンと手帳が出てきたときは、どうなることかと思ったけれど。
「……グリフォン、のようですね」
前方から差し迫ってくる黒い陰を目を凝らして見ながら、ヨハンがつぶやいた。
「グリフォン?」
聞き返すと、ヨハンは前方をすかし見たまま答える。
「ええ。鷲の上半身に、獅子の下半身を持つ魔獣です。妖鳥よりはレベルの高いクラスなので、なかなかに手強いですよ。妖鳥よりも体力も知力もありますので」
ヨハンの淡々とした解説を聞きながら、魔獣っていろいろな種類がいるんだなあとしみじみ思う。
最初原野に出たときに遭遇した大きな鳥の形をした妖鳥、それから、あのクエストで出会った人型の半魚人、そして今回のグリフォン――。これだけさまざまな魔獣を相手どって戦わなければならないのだから、冒険者たちの臨機応変さは相当なものだと思う。
だから、パーティのチームワーク次第で冒険者は強くなったり弱くなったりするんだろうな、なんて考えていたところで、いよいよグリフォンが形を成して見えるほどに近づいてきた。グリフォン自体が図体の大きな魔物のため、それが五体迫ってくる光景はなかなかに恐ろしい。
ごくりと唾を飲み込みながら、アキははやる心臓を抑えこんで矢を弓につがえた。
魔物と対峙するとどうしても不安で緊張するけれど、もう、怖いなどと思っていてはいけないのだ。
魔物と戦うことに慣れなければならない、勇気を持たなければならない。
――だって、これからきっと、もっと強い人たちと戦わなければならなくなるかもしれないから。
そう自分を奮い立たせて、向かってくるグリフォンの一体に向かって矢の位置を定めたときだった。エリアスが、みんなを制止するように後ろから鋭い声を投げかけた。
「みんな、大丈夫だ! 俺が全部倒す!」
――エリアス?
驚くアキと同時に、ヨハンが、え、と目をまたたいて、さっそう魔法を唱えようとしていたレオは、なにを言い出すんだとばかりに眉をひそめて振り返った。
「エリアス、おまえどうしたんだよ。最初に俺の魔法で頭数を減らしてから、おまえが剣で残党を仕留めんのがいつものやり方だろ。今回は遠距離攻撃ができるアキもいるんだから、アキと俺で先制攻撃を仕掛けてだな――」
「――いいんだ!」
レオの言葉をさえぎって、エリアスは強情に言う。
「俺ひとりで倒せるものは、俺だけで倒せばいい。それで足りるんだから、みんなの手をわずらわせる必要はないんだ」
言うが否や、エリアスは抜き身の聖剣を振りかぶると、軽く足を踏み出してミルシープの背から音もなく飛び上がった。
あまりに軽やか飛び立ったものだから、エリアスがその場から消えてしまったように思えたその直後、前方のグリフォン一体から空を裂くような甲高い悲鳴が発せられた。
――なななな、なにっ?
びっくりして前方を仰ぐと、エリアスがいつの間にやらグリフォンの背丈に飛び降りていて、その一体の胴に聖剣を突き立てて絶命させたところだった。
その身体が地に落下し始める前に、彼はその隣の一体に飛び移り、両翼を切り落として戦闘不能に陥らせると、間髪入れずに向かってきた次のグリフォンの背に飛び乗ってその体を切り払った。
倒しては次、倒しては次、とその要領で、エリアスは次々とグリフォンを撃破していく。
あまりにも流れるように鮮やかに倒していくものだから、なんだか曲芸でも見ているようで、アキはぽかんと口を開けたままエリアスのことを遠目に見守ることしかできなかった。
「……エリアスは、少し……焦っているようですね」
エリアスを目で追っていたヨハンが、少し悲しげに眉根を寄せてつぶやく。
それを隣で聞きとったアキは、ヨハンを横目に見やった。
「……焦ってる?」
「ええ。おそらくエリアスは、今回のあのことで勇者として失態をしてしまったと思っているのでしょう。だから、それでも一緒にいると言った僕たちを、過剰に守ろうとしているんだと思います。エリアスらしいといえばそうなんですが、その気持ちが、彼を追い込まないといいんですが……」
心配げに声を落として言って、ヨハンは、最後のグリフォンを掃討して、落下していくその遺骸から飛び上がるエリアスの姿を見つめていた。
今回のことをとおして、エリアスは、ひとりで全部を背負い込むことをやめてくれたのだと思っていたけれど……。
仲間に甘えて頼らなければひとりではなにもできない、ということをわかってくれた反面、その仲間を守るために必死になってしまっているのかもしれない。
生来もつ彼のやさしい性格が、どうしても彼自身に無理をさせてしまうのだろう。
――エリアスは、どうしたら……もっと私たちを頼ってくれるんだろう。
この世界のすべてを守らなければならない『勇者』であるかぎり、彼はなにをもっても自分を犠牲にし続けてしまうのだろうか――……。
レオは、無言のままエリアスの戦いぶりを見守っていたけれど、グリフォンを殲滅させた彼がミルシープの背に舞い戻るのを確認すると、すかさず声を投げかけた。
「おい、エリアス」
「大丈夫だよ、ちゃんと全部倒したか――」
「そうじゃねぇよ」
エリアスが全部を言い終わる前に、レオが彼の言葉をさえぎった。
「……頼むから無理すんな。だいたいなあ、おまえはなんでいちいちそんなにひとりで格好つけたいんだよ。アキがいるからか?」
――へ?
どうしてそこで私が出てくるんですか、と割りこもうとすると、それよりも先に、一瞬言われたことを理解できなかったのか面食らったエリアスが、やや顔を赤らめて早口で声をあげた。
「べ、べつにそんなのじゃない! それをいうなら、レオだってアキがいる前だと比較的格好つけたがりじゃないか! いつもは魔物が出ても、めんどくせぇからアスに全部任せるわ、とか言って魔導書すら開かないくせに!」
レオの口真似をしながら彼のしぐさを真似て肩をすくめるエリアスに、今度はレオがぎくりとして、早口で言い返した。
「はあ? そんなことおまえに言われる筋合いはねぇよ! この際だから言わせてもらうけどな、仲間に頼れって言ってんのにおまえが前以上に頑張ってどうすんだよ! さっそう俺の見せ場がなくなっただろうが!」
「ほら、やっぱりアキに良いところを見せたかっただけじゃないか!」
このいつまでも終わりのなさそうな恥ずかしい口論に、アキは顔を赤くして片手で覆い、ヨハンは頭痛でもするように額を押さえた。
「……はあ、心配して損をしたような気がしてきましたよ。まあ、あれがレオなりの励ましなのかもしれませんけどね」
ヨハンは、ふ、とやさしげにほほ笑んで、あいかわらずああだこうだと言い合っているレオとエリアスを見守っていた。
レオもまた、エリアスが無理をしていることを察して、なんとか彼の肩の力を抜かせようとわざとからかうようなことを言っているのだろう。
あの不器用なやさしさが、本当にレオらしいと思う。
きっと、エリアスもまた、そんなレオの気遣いをわかっているのだと思うけど……。
そんなこんなで、アキたちは何度か魔物と遭遇してそのたびに怒涛の勢いで撃破しながら駆け抜け、いよいよ時刻は夕方になり、はじめての原野での野宿をむかえることになるのだった。




