第六話 夕食の時間
夕陽に照らされていた王城が、橙色から黒へと染め上げられ、時刻が夜へと移り変わる頃――。
レオと分かれたアキは、目を爛々と輝かせながら城内に常設されている食堂へと向かっていた。
さきほどレオから分かれ際に聞いた話によると、王城の夕食は、1階に用意されている食堂で各自が自由にとる仕組みになっているらしい。
(王城の夕食って、どんなものが出るのかなあ)
わくわくと、アキは自然と歩みを速めながら食堂へと急ぐ。
王城の食事といえば、前菜、スープ、魚料理、肉料理、デザートのように、一般的なコース料理が振る舞われるのだろうか。それとも、いくつかのメニューから好みの料理を注文するような気軽な雰囲気なのだろうか。
どちらにしても、王宮の料理ともなれば、きっと今まで食べたことがないくらい美味しいに違いない。
想像が膨らむのと比例してお腹を空かせながら、アキは一心不乱に一階廊下を突き進んでいく。
異世界への転移、ヨハンやエリアスとの対話、レオの武器召喚……と、思い返せば休む暇もない盛りだくさんの一日だったため、気づけば相当お腹が空いていた。
よっしたくさん食べるぞ、とアキが意気込んでいると、やがて1階のつき当たりの部屋からがやがやと喧騒が聞こえ始めた。
(もしかして、あそこが食堂かな……?)
そう思いながら声の聞こえる方向に歩いていくと、そこには、観音開きの木製の扉が大きく開かれた、まるでダンスホールのようにだだっ広い部屋が用意されていた。ドーム状の天井は突き抜けるほどに高く、そこからは橙色の優しい灯りを放つシャンデリアが一定間隔に下がっている。中庭に面している壁には一面に窓が造られており、そこからは夜の王城の静謐な様子が見て取れた。
しかし、その美しい景色に見惚れている暇はなかった。食堂内には等間隔に長机が並べられており、相当な人数を収容できる席数が用意されているのだが、それらはすべて兵士やら留学生やらさまざまな服装をした人々でごった返していたからだ。
(も、もしかして、席がないとか……?)
まさか座れないとは思わず、その予感にがっくりきたと同時、げんきんにもお腹がぐう……と音を立てる。
美味しいごはんを食べて今日の疲れをとろうと思っていた矢先だっただけに、どうにも泣きたくなってくる。食事のいい匂いが部屋中を漂っているのもまた空しさを誘うようだった。
(これは、少し時間をずらしてまた来るしかないかもなあ……)
はあ、と力なく肩を落として来た道を帰ろうとしたそのとき、アキの肩口にそっと手が乗せられた。
驚いて振り返れば、鮮やかな銀髪がアキの目に飛び込んでくる。
そこにいたのは神官のヨハンで、振り向いたアキと目が合うなり軽く微笑んだ。
「アキ、お疲れさまです。貴方もこれから食事ですか?」
小さく首を傾げて問いかけられ、アキは至極残念そうにうなだれながら頷いた。
「はい……。そのつもりだったんですけど、まさかこんなに混んでるとは思わなくて……」
「ああ、王城では食事ができる時間が決まっているので、どうしても混んでしまうんですよね。これから僕も食事ですので、よかったら一緒にどうですか? 奥でエリアスが席を取ってくれていますので」
「え、エリアスが……?」
てっきり勇者様は一般の人たちとは別に食事をとるものとばかり思っていたアキは、思わずきょとんとしてしまう。
ヨハンは、アキの心境がわかったのか小さく笑った。
「そうですよ。勇者は王族とは違いますし、それに、みんなと一緒に食事がしたいというのはエリアスたっての願いですから。――こちらです、ついてきてください」
そうしてヨハンの後について食堂内を歩いていくと、やがて、食堂の最奥にある窓際の席で彼が足を止めた。
ヨハンの後ろからぴょこりと顔を覗かせれば、そこには四人掛けの大きなテーブルがあり、手前の席にエリアスがひとり腰かけている。
アキとヨハンの姿を目に入れるなり、エリアスはにこりと笑って軽く手を挙げた。
「アキ、お疲れさま。……その」
そこまで言って、エリアスが少し耳元を赤くして視線を逸らす。
「さっきは、ありがとう」
それが、さきほどエリアスと二人で自室で過ごしたときのことだと気づいて、アキも弾かれたように顔を赤くしてもじもじと身を縮めた。
いえ、こちらこそ……、ともごもご言いながらエリアスと同じように視線を泳がせるアキに、ヨハンが不思議そうに首を傾げる。
「二人ともどうしたんです? なにかあったんですか?」
「――いや、なにも!」
見事にエリアスとアキの声が被り、二人は互いに目を合わせてから同時に顔を逸らした。
ヨハンはますます眉間にしわを寄せながらも、深く追求する気はないのか軽く肩を竦める。
「まあ、なんでもいいんですが、とりあえず座りましょう。アキ、料理はこちらのメニュー表から選んで注文してください」
アキがエリアスの奥側の席に腰かけると、その真向いに座ったヨハンが二つ折りのメニュー表をアキの前に広げる。
そこには三種類のメインメニューの文字がでかでかと書かれていて、下部にはサイドメニューが幾つか書き添えられていた。
ちらりとエリアスの手もとを見れば、彼の前には飲みかけの珈琲のカップが置かれている。エリアスだけ先に食事を終えていたのかもしれない。
そう思ったアキは、メニュー表とにらめっこしながらエリアスに問いかける。
「ちなみに、エリアスはなにを食べたんですか?」
「俺?」
珈琲を口に運んでいたエリアスは、嬉しそうに顔を綻ばせてアキを見返した。
「俺はハンバーグにしたよ。俺、ハンバーグが一番好きだから」
にこにこと楽しそうに笑っているエリアスに、アキは小さく笑い返す。
勇者様は、意外とお子様味覚なのかもしれない。
少し間を置いて給仕の女性が注文を取りにやってきて、アキはエリアスと同じハンバーグ定食を注文した。とりあえずお肉を食べて体力をつけようという魂胆である。
対するヨハンは、サイドメニューにあるサラダのみを単品で注文して、そのほかにはなにも注文することなく、あっさりとメニュー表を閉じてしまった。
もしかしてヨハンはそれだけしか食べないのかと、アキはお節介ながらも若干心配になる。
注文を取り終えて立ち去る給仕の背中を見送ってから、アキはヨハンに体を向けた。
「ねえ、ヨハン。もしかして夕食はサラダだけなんですか?」
それがなにか、と言わんばかりにヨハンは目を瞬く。
「ええ。僕は菜食主義なので、サラダだけあれば十分なんですよ」
「ヨハンは小食だからねえ」
エリアスが言い添える。
菜食主義ということはわかったが、それでもサラダだけというのはさすがに量が少ないのではないだろうか。ヨハンは細身だから、たくさん食べないと大きくなれないと思う。ということを口にすれば百倍の勢いで言い返されそうなのであえては言わないが、本音を言えば、男の子だしもうちょっと食べてもいいんじゃないだろうか。
ヨハンに物言いたげな視線を向けてみると、彼についと視線を逸らされた。
こちらがなにを言いたいのかなど、聡い彼にはお見通しなのかもしれない。
エリアスとヨハンと雑談しながら時間を過ごしていると、ほどなくしてさきほどの給仕が注文した料理を運んできてくれた。わくわくとその様子を眺めているアキの目の前に、給仕が大きなハンバーグの乗ったお皿をどんっと豪快に置く。
大きな白いお皿には、200グラムはあるのではと思われるほどの巨大ハンバーグの脇に、これまたざっくりと大きくカットされたニンジンやじゃがいもといった野菜がゴロゴロと乗せられていた。
これは、相当お腹がいっぱいになりそうである。
「すごい……! 美味しそうだし、量も多いんですね!」
自分のハンバーグを覗き込んで目を輝かせるアキに、注文したサラダにフォークを伸ばしていたヨハンが顔を上げる。
「食べすぎてお腹を壊さないでくださいよ。なにせ僕たちは、明日から魔王討伐の旅に出発するんですからね」
「え?」
思わずぽかんとしてしまって、フォークに乗せていたハンバーグの欠片がぼとりとお皿に落ちる。
あ、ごめんなさい、とそれを恥じながら、アキは再度ヨハンに問いかけた。
「あの、ヨハン、もう明日には旅に出るんですか?」
のんびり王城で過ごしているわけにもいかないとは思うが、てっきり明日は今後の旅の説明や準備をするのだろうと思っていた。
珈琲を口に運んでいたエリアスが、ヨハンの代わりに小さく頷く。
「うん。アキの妹さんが心配だから、なるべく早く出発したほうがいいっていう話になってね。アキにとっては駆け足で大変かもしれないけれど。急がせてごめんね」
「あ、いいえ! 私も早く妹に会いたいから、むしろありがたいです。エリアスたちの足を引っ張らないように、頑張りますね!」
エリアスたちの配慮が嬉しかった。彼らにだって都合があるはずなのに、すぐに旅に出られるように予定を早めてくれたのだろう。
アキが恐縮して頭を下げていると、その頭の上に突然大きな手が乗せられてわしゃわしゃと髪を撫でられた。
「わ、な、なにっ!?」
びっくりしたアキが自分の頭を押さえながら顔を上げると、そこにはにやにやと楽しそうに笑っているレオが立っていた。アキや皆の顔を見渡して、よ、とでも言いたげに軽く手を挙げる。
「よう、三人ともお揃いじゃねぇか。これからの大冒険に備えて親睦を深めているとは、感心感心!」
彼の片腕には、大きな紙袋にぱんぱんに入ったお菓子の山が抱えられている。
そんなに大量のお菓子、一体どうしたのだろう。誰かにもらったのだろうか。
レオは空いていたヨハンの隣にどかりと腰かけると、持っていた紙袋をテーブルの上にひっくり返して、中に詰まっていたクッキーやらパウンドケーキやらさまざまなお菓子を無造作に散乱させた。間髪入れずに次々とそのお菓子群に手を伸ばし、ぽんぽんと軽快に口の中に放り込んでいく。
無心にお菓子を頬張っているレオを、アキは呆気にとられて見つめた。
「ねえ、レオはなにかご飯注文しないの?」
食堂に来たのだから、レオも夕飯を食べに来たのだろう。それなのにいきなり間食ばかりするのはいかがなものだろうか。
そう思って何気なく質問すると、レオは心外だと言わんばかりに瞬いた。
「はあ? ご飯なんか食べねぇよ、このお菓子が俺の夕食だからな」
「そうなの!?」
「ああ。魔力回復は糖分をとるのが一番手っ取り早いんだよ。――言っとくけど、おまえには一切やらねぇからな」
お菓子を守るように腕で取り囲むレオに、アキは、要らない、と首を振ってから頭を抱えた。
さきほど巨大ハンバーグを食べたばかりだし、お腹ははちきれそうなほどいっぱいだ。とてもとてもお菓子が入るような余裕はない。
(それにしても、この三人の食生活ってどうなってるのかな……)
エリアスはバランス良く食事をとっていそうだったが、ヨハンはサラダしか注文していなかったし、レオにいたっては食事どころかお菓子しか食べていない。
世界の命運を背負う勇者一行としては健康面も大事にしないといけないと思うのだが、この食生活、致命的な問題なのではないだろうか。
アキは、明日の旅の相談をし始める三人を尻目に、ひっそりと拳を握る。
(勇者様の秘書として、三人の健康管理も重要な任務かもしれない……!)
とりあえず次はヨハンに肉料理を、レオにご飯を食べさせるところから始めなければ。
曲者のヨハンとレオを説得するのは骨が折れそうだが、健康な体は食事から、というではないか。
アキは夜の中庭に視線を移しながら、これからの道中を思う。
明日はいよいよ、魔王の手から妹を取り戻すために旅立つ日になるのだ。当然不安もあるけれど、優しいエリアスに面倒見の良いレオ、知的なヨハンが一緒にいてくれるのだから、右も左もわからない異世界での冒険だけれど、怖いことはなにもないと思える。
自分も、三人のためにできることを精一杯やろう。彼らが背負っているものが、少しでも軽くなるように。
アキの長大な冒険が、幕を開ける――。