第六十三話 英雄たちへの賛歌
それは、空の翳る薄暗闇に突如として現れた、目が眩むほどの巨大な太陽だった。
色鮮やかに輝く五つの魔法陣をレオが腕を振り払って掻き消した途端、白く照り輝く光球が上空を穿つようにして降ってきたのだ。
ゆっくりと降下してきたそれは、直視できないほどのまばゆい光を地上に放ち、空や地に蠢く魔物たちに強く光の陰を落とした。
まるで、場内全体が白く染め抜かれたように、隣にいる者の姿すらも捉えられなかった。
アキは、閃光から庇うために体を覆ってくれるエリアスの腕にしがみつき、彼の腕の間からわずかだけ目を覗かせて周囲を見やった。
すぐ目の前に、この光の洪水の中にあっても、それに負けないくらいぎらぎらと目を輝かせているレオの横顔がある。
彼は、光球から突風のごとく吹きつける光の風に黒髪をはためかせながら、まるで雨乞いをするような仕草で両手を広げた。
「――天地を支配する光、この両手に委ねられる、私は、天の願いを聞き届ける者」
(呪文……?)
アキがそう思った横で、仲間の誰かが驚愕した声で呟く。
「……その呪文っ……」
「まさか、唱えられるやつなんていたのか……!」
どよめきが耳に入っているのかいないのか、レオがどこか自慢げに唇を持ち上げるのが見えた。
そういえば、前にミーナと他愛のない雑談をしていたときに、月系魔法の強さは詠唱時の光の強さで決まると聞いたことがある。
目も開けていられないほどのこれだけの眩しさだ、レオが唱えようとしている全体魔法は、もしかして、とんでもなく高度な魔法なのでは……!
レオは自信満々な表情ですらっとした右手を高々と空に掲げ、それを巨大な光球に向かって振り下ろした。
「――不浄を焼き尽くす、乞い願うは女神の裁き」
そうして、まるでこの世の魔力をすべて従えるかのような迫力で最後の文言を言い放つ。
「……―――下れ!」
彼の男性らしい凛々しい声が、一際大きく辺りに響き渡ったそのときだった。
上空で照りつけるように輝いていた光球が、瞬時にして打ち上げ花火が開花するかのごとく弾け飛んだのだ。
そこから生れ出た無数の光の矢が、地上めがけて豪雨のように降り注いでゆく。
(す、すごい……!)
もうそれしか口にすることができなくて、アキは、抱きしめてくれているエリアスの腕に自分の手を添えながら、その光景に見入っていた。
光の矢は不思議とアキたちに当たることはなく、空や地に群がる魔物だけを正確に狙って、次々と貫いていく。
魔物は絶叫する間さえないのか、光に撃ち抜かれた瞬間に業火に焼かれたかのように一瞬で炭と化し、灰となって光の風に運ばれていった。
光の大雨が瞬く間に魔物を退け、空は次第に雨上がりのような晴天を取り戻していく。
草花が、晴れ始めた空から降り注ぐ陽光をあちらこちらできらきらと照り返し、光の残滓が霧のように舞う場内は、まるで天上の国を思わせる幻想的な雰囲気だった。
レオは、降り注ぎ続ける光の豪雨を、口を引き結んで険しい表情のまま見つめている。これだけの強力な魔法だ、おそらく片時も気を抜けないのだろう。
まるで神の所業を前にしたようで、その場に居合わせた全員がぽかんと光の奇跡を見やる中、やがてそれは役目を終えたように止み、周囲を覆っていた光の霧もまた消失した。
そうしていつもの静けさを取り戻した場内には、今まで地にも空にも蠢いていた魔物の姿は一体もなく、拍子抜けするほどに穏やかな原野の草原が広がっていた。
「お、おおお……」
誰かが興奮極まる様子で声を上げ、それを合図に、みんなが自分たちの勝利を確信して両手をガッツポーズに振り上げた。
「おおおおおお!」
「やったあああああ!」
「すげぇえええええ!」
冒険者や守備兵たちが雄たけびのような歓声を上げて、それぞれに抱きあったり、ハイタッチで喜びを分かち合ったりと、場内はお祭り騒ぎの状態になる。
その光景の中にあって初めて、やっと自分にも、あれだけの魔物から町を守ることができたのだという実感が湧いてきた。
(やったんだ、やったんだよね、私たち……!)
そう思った途端に感動が波のように押し寄せて、視界が涙で滲んでくる。
駆けつけてくれたエリアスとレオ、それからそれまで持ち堪えた自分たちの努力が、魔物の大群に打ち勝ったのだ。
「アキ、よく頑張ったね」
ぽん、とエリアスがアキの頭に手を乗せて、見上げると、彼の優しげな笑顔がすぐ近くにあった。
彼が当たり前のようにそこにいてくれる、それが、ずっと取り戻したかった日常が戻ってきてくれたようで――アキはごしごしと乱暴に目を拭ってから、必死に涙をこらえてエリアスに抱きついた。
「ありがとう、ありがとうエリアス、来てくれて……!」
「……うん。というか、お礼を言わないといけないのは俺のほうだ。俺は、君にあんなにもひどいことを言ってしまったのに……俺を信じて待っていてくれてありがとう」
申しわけなさそうな、それでいて気恥ずかしそうな表情で後ろ頭を掻くエリアスに、アキは優しく首を振ってみせる。
エリアスの部屋で別れ話をされたときは正直堪えたけれど、今思えば、あれは彼自身がまっすぐに感情をぶつけてくれたことの現れなのだ。
感情を取り繕わずに本音を吐露してくれたことは、嬉しかった。勇者として強くあろうとしていた彼は、自分の弱さを口にして塞ぎ込むなど、本当に気を許した相手にしかしないことだと思うから。
仲直り、とばかりにエリアスと小さく笑い合ってから、アキはエリアスから体を離してレオを振り返った。
今回、レオにはたくさん助けてもらった。彼がいなかったら、こうしてエリアスが立ち直ることも、自分たちが仲直りすることもできなかったかもしれない。
そして、無数の魔物を一気に蹴散らして町を守ることも、彼がいなければできなかったかもしれないのだ。
「レオ! いろいろありが――……」
そう言ってレオに駆け寄ろうとしたそのとき、がくりと、近くに佇んでいたレオの体が大きく傾いだ。
「レオ!」
自分とエリアス、どちらが先に声を上げたかわからない。
アキはとっさに駆け出し、地面に倒れ込みそうになるレオの体を下から支えた。同じようにエリアスも彼の体を支え、彼の片腕をすばやく自分の肩に回して寄りかからせる。
「……悪ぃ、エリアス、アキ……」
満身創痍といった様子で、エリアスの肩に支えられながらレオが呟いた。
つらそうに目を閉じていたレオがうっすらの紫色の目を開けるが、疲れきっているのか、どこか焦点が合っていない。
アキはレオの胸元と背中に手を当てて支えながら、彼の言葉に首を振った。
「謝ることなんてなにもないよ! レオ、すごかった……! あんなに綺麗な魔法、初めて見た……!」
レオは、五つの魔法陣を描いて天上から光を呼び出し、それを自在に操ってあれだけの魔物を一気に消滅させたのだ。眩しいほどの光をその身に集めた彼は、魔王にも匹敵するのではと思えるほど魔法の申し子のように思えた。
レオは、間近にいるアキの顔を覗き込むと、にっと、少年のような勝ち気な表情で笑んでみせた。
「俺、かっこよかったか、アキ?」
彼の満足そうな笑顔に、思わずどきりと心臓が跳ねながら、うん、うん、と何度も頷く。
本当に、目を奪われるくらいすごくかっこよかった。
レオはいつだってかっこよくて、優しくて、強くて。
(いつだって、私たちのことを守ってくれる――……)
感謝してもしきれなくて、アキが、いつもありがとう、と涙声で言うと、レオは空いているほうの手を伸ばしてアキの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「泣くなよ、ほんっと泣き虫だなおまえは。……おまえが無事で、よかった――」
汗の滲む顔でほっとしたように微笑んで、言いたいことは言ったとばかりに、レオは目を閉じてしまう。
アキは慌てて彼の体を揺さぶった。
「レオ! しっかりして、レオ!」
「――そんなに心配しなくても平気ですよ。その人の頑丈さは、貴方も知るところでしょう?」
そのとき、背後から、淡々としたもの言いながらも優しげな声がかけられて、アキとエリアスははっとして振り返った。
その声の主を目に入れるなり、アキはやっと引いてきた涙がまた溢れそうになって、両手で口もとを押さえる。
「さあ、出番の終わった人は後ろに下がってもらえますか。次は僕たちの番ですから」
そこには、背丈ほどもある銀製の十字架の杖を手に携えたヨハンと、その両隣に颯爽と立つミーナとルイス、それから容姿を隠すためかローブを羽織ったサトクリフの姿までが揃っていた。
ヨハンは、アキと目が合うなり、銀糸のような髪を軽く掻き上げて不敵に笑う。
「アキ、よく頑張りましたね。貴方が早い段階で魔物を食い止めてくださっていて助かりました。さすが『勇者の片腕』です、立派でした」
(ヨハン……!)
普段よほどのことがないと褒めてくれない彼に、こう手放しで褒められると嬉しくなってしまう。
そのヨハンを「良いこと言うじゃない!」と肘でつついたミーナが、片手を挙げて身を乗り出す。
「アーキっ、大丈夫だった!? って、お洋服ぼろぼろじゃない! そんなに傷だらけになるまであたしのアキを追い込むなんて、魔竜、許すまじ! 成敗してくれるわ!」
「たしかに、いささか目のやり場に困るくらい布が破けてはいるな。ミーナ、仇ならエリアスとレオがとってくれたようだから、君はアキになにか羽織るものを」
ミーナの肩に片手を添えてルイスが言うと、それを受けてサトクリフが自分の長いローブの裾部分を豪快に引き裂いた。
サトクリフは、恭しい仕草でそれを手に持ってアキに駆け寄ると、アキの背中に布を回してそっとそれを羽織らせる。
「即席で申し訳ねェが、これをどうぞ、姐御」
「ごめん、ありがとう! サトクリフも助けに来てくれたの?」
「そりゃもちろん。他ならぬ姐御たちの危機だし、こんなんでも魔族だから、多少は役に立つかと思ってねェ」
ローブの合間から覗く、魔族の獰猛さを思わせる緑の瞳で、サトクリフがにやりと笑う。
(多少は役に立つかもって、サトクリフって謙遜ばっかり)
魔族としての彼がどれほど優れた実力を持っているかは、あのクエストで共闘したときにいやというほどわかっているのに。
もう、と軽く頬を膨らませると、サトクリフは誤魔化すように笑って肩を竦めてから、警戒した表情で見守っているエリアスに向き直った。
「勇者殿、クエストのときは申し訳なかった。謝って済むことじゃねェと思うが、今回のこと、オレなりに大いに反省して、姐御やレオ様やクラレンスたちには、ありがてェことに、許してもらえた。……同じように勇者殿に許してもらえるとは思ってねェが、どうか少しでも、罪滅ぼしのためにこれから勇者殿たちの力になることを許してほしい」
お願いします、と必死に目を閉じて頭を下げるサトクリフは、その場でエリアスの刃を受ける覚悟をしていたのだろう。
エリアスは、そんなサトクリフの姿を無言で見つめ、緊迫感のせいか実際よりもひどく長く感じる沈黙の時間が過ぎたあと、ふっと、優しく苦笑いを浮かべた。
「……頭を上げてください、サトクリフ」
「勇者殿……」
「たしかに貴方には、アキも、仲間も、そして俺自身のことも――俺が大切にしている人たちのことをひどく傷つけられて、俺はとても、怒っています。――けれど」
そう言って、エリアスは落ちついた声音で、自分の胸に手を当てる。
「けれどそれは、俺が勇者として……いや、人として未熟で、俺にもたくさんの落ち度があったからです。それに俺は、貴方に傷つけられたことに対して、貴方を傷つけることでお返しをするような繰り返しをしたくないんです。だから」
エリアスは、サトクリフに片手を差し出して、目もとを緩めて微笑む。
「これからは、俺の仲間を守るため、そして、この世界を守っていくために、どうか俺たちの力になってください。貴方のことを信じます。だから、罪滅ぼしではなく、俺たちの仲間として、ともに戦ってください」
これからよろしく、と首を傾げて笑むエリアスに、サトクリフは一瞬きょとんとしたあと、感極まった様子で目を潤ませ、彼の手を両手で引っ掴んだ。
「あ、ありがとうございます勇者殿……! なんつー、なんつーいい人なんすか! これが女神に遣わされた『勇者』か! こりゃ敵いっこねェわ!」
サトクリフは膝を叩きながら明るく言い、ふっと表情を引き締めて自分の胸に手を当て、忠誠を誓うようにエリアスに頭を下げる。
「――不肖ジェント・サトクリフ、誠心誠意、勇者殿のお役に立てるよう力を尽くします。もちろん、姐御のこともしっかりとお守りするからなァ」
大船に乗ったつもりで、とサトクリフがアキの頬にそっと指を添えようとした途端、エリアスが、むっとした顔でその手を軽く振り払う。
「言っておくけれどサトクリフ、アキを守ってくれるのは大いに結構なんだけれど、彼女は俺のっ……、俺のものだから。手を出してもらっては、困る」
「はいはいわかってますよ勇者殿ォ! そこそんなに照れながら言わなくても!」
「―――っ、サトクリフ!」
図星を指されて顔面赤くなるエリアスに、サトクリフはさっそくからかう様子で諸手を挙げている。
(エリアスとサトクリフ、結構気が合うんじゃないかなあ)
本来なら勇者と魔族として敵対する立場ではあるけれど、腕っ節の強い二人が組んだら、向かうところ敵なしかもしれない。
「よろしくね、サトクリフ!」
二人の友だち同士のようなやり取りを見て、なんだか無償に嬉しくなってしまって、アキはエリアスとサトクリフの背中をどんっと叩いた。
二人は「痛い!」と抗議の声を上げながら、お互いの顔を見合って、ふっと楽しそうに破顔する。
「……エリアス、ありがとうございます」
エリアスとサトクリフの会話が終わるのを見計らっていたヨハンが、エリアスに歩み寄る。
「まだお伝えしていなかったかもしれませんが、僕とサトクリフは『神殿』で働く神官の同僚なので、顔見知りなんです。ですから、今回は同僚がご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
さらっとヨハンが重大な事実を口にする。
――ちょっと待って。サトクリフが……神官?
「え、なんで魔族が『神殿』で働いて――……」
『勇者』を教育して聖剣を授ける『神殿』と、『魔王』を頂きに据える魔族とは、完全に敵対しているのではないだろうか。
言いかけたアキの口を、サトクリフがばんっと叩く勢いで塞いだ。
「ああああ、姐御! そこはほら、オレ様が魔王様から命じられた機密任務っていうかね!」
「え、なにそれどういうこと?」
エリアスもまったく知らなかった事実らしく、驚愕した様子でヨハンの顔を見、そのヨハンは涼しい顔で視線を逸らしている。
「――まあ、そういうことなんです。サトクリフと個人的に繋がりのある僕は、立場上、彼の任務の内情を知っているのですが……。サトクリフが『神殿』に潜入している魔族だということは、僕の父である教皇を含めて誰も知らない事実ですので、口外無用でお願いします」
……つまり、ヨハンはサトクリフが『神殿』内を探るように魔王から遣わされた魔族だと知っていながら、それを『神殿』内の人間に悟られることなく見過ごしていたということなのだろう。もしかしたら、サトクリフが中で動きやすいように協力していた可能性もある。
(ヨハンは、それが『神殿』にとって必要だと思ったから、そうしてきたんだよね)
魔族側の手引きをするなど、下手をしたらヨハンの立場が危うくなってしまうかもしれないのに、それを押してもサトクリフの肩を持っていたのだ。つまり、ヨハンは『神殿』側と勇者側と魔王側のすべての勢力に関わっていることになる。きっと、その板挟み具合は相当なものだろう。
「……おいおい、さっきから聞いてればヨハン、おまえほんっといろいろ抱えてんだな」
エリアスとアキに支えられて目を閉じていたレオが気遣うように言うと、そんな彼を見上げて、ヨハンは軽く首を振った。
「いえ、たいしたことはありません。現教皇の息子として、そして勇者エリアスの仲間として、僕は世界の真実を見極める必要がある。いずれ『神殿』を背負わなければならない僕だからこそやらなければならないことだと思いますし、僕にしかできないことだとも思うんです。ですから僕は、たとえ自分の立場が危うくなろうとも、もしかしたら……自分の父と敵対することになったとしても、自分が信じる道を貫きとおすつもりです」
そうはっきりと言いきり、ヨハンは晴れやかに笑ってみせた。
こんなにも高い志を持ったヨハンが、いつか教皇となって『神殿』を継ぐことになったら、きっとこの世界はもっと良くなっていくのだろうと思う。そのために頑張る彼を一番近くで支えられるのは、仲間である自分たちなのだ。
「ヨハン、一緒に頑張ろうね! 私にできることがあったらなんでも言って!」
私も頑張る、と空いているほうの手を拳に握って言うと、ヨハンに露骨に嫌な顔をされた。
「いえ、貴方は自分のことだけ頑張ってくださればそれで充分ですので。余計なことをして僕の足を引っ張らないでください」
「な、なにそれひどい!」
ヨハンの相変わらずの毒舌に言い返せば、ヨハンはこちらがどきりとするほど嬉しそうに笑って、冗談ですよ、と付け加えた。いつも思うのだけれど、彼のこの不意打ちはなかなかに卑怯だと思う。
「それにしても、さきほどの全体魔法、見事でした、レオ」
賞賛を述べるヨハンに、レオは弱々しいながらも自慢げに唇を持ち上げた。
「ありがとよ。次はおまえの番だ。仕上げは頼んだぜ、ヨハン」
「引き受けました。ルイス、サトクリフ、お願いします」
ヨハンに声をかけられたサトクリフとルイスは、先陣を切って前に出るヨハンの後ろにつくようにして歩き出した。そうして、互いに一定間隔を空けて結界の前に立つ。
そんな三人の背中を、誰もが固唾を飲んで見つめた。
「……エリアス、これからなにが始まるの?」
レオの肩を支えながら聞くと、同じように彼に肩を貸しているエリアスが、ヨハンたちに視線を向けたままで答えた。
「これから、町に張られている女神の結界を修復するんだよ。結界の修復は、女神の力をより引き出せる高位の神官でないとできないんだ。その中でもヨハンの魔力は随一だから、彼ほど結界の修復に適任の神官はいないと思うよ」
「そうだな。あの様子だとルイスとサトクリフも魔力の補助に入ってくれるみてぇだから、ヨハンとしては心強いだろうな。いくらヨハンが相当の魔力を持っているとはいえ、ひとりで町全体の結界を張り直すっつーのは、骨の折れる仕事だからな……――ちくしょう、やっぱ俺も手伝ってくる、アキ、エリアス、放せ!」
「ち、ちょっと、突然なに言ってるの!」
いきなりとんでもないことを言いだしたと思ったら、ふらふらのくせに、レオはアキたちの腕を振り解いてヨハンたちのところへ向かおうとする。
仲間のために力を惜しまないところはレオの良いところだけれど、それで自分自身の身を省みないようでは困るというものだ。
(特にレオは無茶するところがあるから、周りが止めないと!)
アキは、止めようとするエリアスとあーだこーだ言い合っているレオの後頭部を、後ろからぺしんと叩く。
「こらレオ! レオの頑張り屋さんなところはかっこいいと思うけど、そうやって無理をして私たちに心配をかけるレオのことは、私、好きじゃないよ」
「好きじゃ、ない……」
あきらかにショックを受けた顔をしてくれるレオに、内心ちょっと嬉しくなりながら、アキは続ける。
「そう。ひとりでなんでもかんでもやらなくてもいいように、私たち仲間がいるんじゃないかな。で、その仲間はエリアスを支えるためだけに集まってるんじゃなくて、仲間同士を支えるためにもいるんだと思うんだよね。だから、ここはヨハンとルイスとサトクリフに任せて、レオは自分の体を大事にするべきだと思う。私、レオがもっと無理をして倒れちゃったら、それこそ心配で、仲間としてレオのことを守れなかったんだなって、思うから」
ね、とレオに笑いかけると、彼はやや赤い顏で視線を逸らしつつ、こくりと頷いた。
レオは、エリアスにもっと仲間を頼ってほしいと言うけれど、そういう彼だってもっと仲間に甘えていいと思うのだ。
レオもエリアスと似ていて、自分が仲間たちを守らなければと思うあまり、人に頼ることを知らないと思うから。
おとなしくなったレオを横目に見て、エリアスが自分の頬をぽりぽりと掻きながら「アキには敵わないなあ……」と楽しげに呟く中、ヨハンがみんなを振り返って涼やかな声音で言った。
「みなさん、僕は勇者エリアスの仲間の神官、ヨハン・クラレンスです。今から僕たちで女神の結界を修復しますので、万一、町の中に新たに魔物が飛来した場合は駆除をお願いします。――ミーナ、よろしく」
「はいはーい、お任せを!」
ヨハンに答えたミーナが、とんとんと軽やかに駆けてきてエリアスとアキの肩に手を乗せる。
「二人とも、あたしと一緒にヨハンたちの補助をお願いできる? ヨハンたちが結界の修復魔法を詠唱している間に、万が一魔物が町に近づいて来たらあたしたちで片っ端から退治していくの。近接攻撃のエリアスとあたし、それから遠距離攻撃のアキがいてくれるとありがたいわ」
頼りにしてるわよ、とミーナが軽く片眼をつむってみせる。
おそらく、レオが魔物を一掃してくれたとはいえ、また新たな魔物が出現する可能性もあるため、結界魔法を唱えるヨハンたちを守る必要があるのだろう。
アキはエリアスと目線を合わせて頷いた。
「わかった! エリアス、レオのことは私に任せてミーナの援護をお願い。私はここから戦うから」
そう言って、反対側の肩に担いだままの弓を示してみせる。
弓矢ならば、ヨハンたちの後ろからでも充分に魔物と戦うことができる。
「決まりね! エリアス、こっちよ!」
ミーナはエリアスに手招きをして、結界をすり抜けて原野へと飛び出していく。彼らは町へ魔物が入り込まないように迎え撃つつもりなのだろう。
だとしたら自分の役目は、エリアスたちの刃が届かない、上空から襲来する敵を攻撃することだ。
気合いを入れたアキの視界には、門の外側に武器を構えて待機するミーナとエリアスの背中が、門の内側にヨハンを中心にしてルイスとサトクリフの姿が並んでいた。
みんなの後ろ姿の頼もしさといったら、これぞ勇者パーティの貫禄、といった感じだ。
さあ始めますよ、とばかりに、ヨハンが十字架の杖を水平に構えた。その途端、辺りがしんと静まり返り、女神の壮麗な空気がその場を支配するようだった。ヨハンの凛とした声が呪文を紡ぎ始める。
「――創世の女神よ」
まだ少年らしさの残るヨハンの声が空気を震わせたと同時、彼を中心にした地面に、扇が開かれるようにして円形の魔法陣が展開した。それは放射線のように広がっていき、やがて町全体の地を張り巡らせるほどに巨大な魔法陣となる。
ヨハンの力を支えるかのように、ルイスとサトクリフが肩幅ほどに足を開き、両手を前方に伸ばした。
その途端、銀の光の奔流が、魔法陣の線上に水を注ぎこんだふうに流れ込んでいく。銀光は瞬く間に魔法陣の隅々まで広がっていった。
足もとの魔法陣から発せられるまばゆいほどの銀光によって、町の家も、草木も、そして人も、分け隔てなく包まれる。
「きれい……」
アキが呟くと、同じように上空を見上げていたレオが口を開いた。
「やっぱり太陽系魔法は美しいな。月系魔法を身につけると太陽系魔法は絶対習得できねぇから、憧れるわ」
恋焦がれるような視線で、レオは太陽系魔法によって立ち昇る銀の光を眺めていた。
そうか、太陽系魔法と月系魔法、この世界ではどちらかの魔法しか体得できないルールなのだ。
アキとしては、レオの月系魔法も充分に綺麗だと思うのだが、隣の芝生はなんとやらで、絶対に使うことができないと思うと憧れてやまないものなのかもしれない。
アキが前方に視線を戻すと、遠くで閃光が幾度も幾度も閃き、そのたびに魔物が絶命したのであろう金切り声が聞こえた。おそらくエリアスやミーナが新たに現れた魔物と戦っているのだ。
(そうだ、手帳……!)
アキは慌てて片手で胸ポケットから手帳を取り出し、ぱらぱらと開いてみる。すると、手帳はアキの意図に応えるように見開きのページを開き、そこに魔物の出現を示す探知の図を表示した。
そこには、わずかばかりの赤点が映り込んでおり、図を見るに、上空にいくつかの点が接近してきている。妖鳥がいるのだ。
(――よしっ!)
アキは気合いを入れると、背を屈めて、支えていたレオをそっとその場に座らせた。
「レオ、妖鳥が来てるみたいだから、迎え撃ってみる! 私の弓捌き、見てて」
すっくと立ち上がってレオを振り返ると、彼は、大丈夫かよ、と言わんばかりに疑わしげな目を向けていた。
とはいえ、そういう顏をしつつもレオは信頼してくれているようで、特に何も言わずにこちらを見守っている。
アキは弓を正面に構えると、足を後ろに引いて背中の矢筒から矢を引き抜き、番えた。
弓と矢を持っている拳を上に持ち上げ、さきほど手帳で捉えた上空の魔物の位置を思い浮かべながら矢を引き絞る。
(いけ――――……!)
そう強く願って矢を放つと、それは空を切る小さな光となって一直線に飛び、空中で分離して幾つかの光の玉となった。それは、空に飛来している妖鳥のもとへと正確に向かい、彼らの胴を容赦なく貫いていく。
複数の甲高い断末魔の声が上空から聞こえ、命を失った彼らの亡骸が、黒い陰の塊が落ちるように真っ逆さまに地に落ちていった。
――やった、成功だ!
額の汗を拭ったアキの背中で、ひゅう、とレオが口笛を吹く音が聞こえた。
「すげぇじゃねぇか、アキ! 複数の魔物に攻撃できるようになったんだな。不器用なおまえにしては上出来、上出来」
「あのねえ、一言多いんですけど! っていっても、単体を狙うより攻撃力は落ちてるのかな、とは思うんだけど」
自分の感触なのだが、複数の魔物を狙って矢を射ると、攻撃範囲が広いぶん、単体を狙って矢を射るよりも威力が落ちている気がするのだ。
自分の攻撃力の最大数値を仮に十だとすると、単体攻撃の場合は一体に対して十の威力で攻撃できるけれども、複数攻撃の場合は十の攻撃力を魔物の数に合わせて割っているのだろう。つまり、仮に魔物の数が十体いれば、一体に当てられる攻撃力は一ということになる。
(となると、次はどんどんレベルを上げて攻撃力を上げていかなきゃ駄目ってことだよね)
強くなればなるほどエリアスたちの役に立てるし、自分の身も守れるようになるのだから、頑張らねばならない。
そうして地上の魔物をエリアスとミーナが、上空の魔物をアキが倒していたそのとき、詠唱を続けていたヨハンが水平に持っていた十字架の杖をくるりと回し、それで力強く地を突いた。女神に祈るように、すっと顏を上げる。
「――我らを包み守り賜え、そう、ここにいれば安心なのだから」
ヨハンが声が昇華したと同時に、ルイスとサトクリフがそれに合わせて魔力を開放するように手を払った。その途端、町全体を覆っていた魔法陣から銀の閃光が一気にほとばしる。
あまりの眩しさにとっさに目を閉じようとした瞬間、エリアスとミーナが結界の内側へ飛び込んだのが光の陰となって見えた。結界魔法発動と同時に切り上げたのだろう。
あまりの光の眩しさに、かたく瞳を閉じていてもまぶたが焼けつくように痛く感じる。
必死に腕で顔を覆って閃光から目を庇っていると、やがて辺りの光が弱まったのか、まぶたの裏が徐々に暗さを取り戻していった。それを見計らって、おそるおそる目を開けてみると、そこにはアキがぽかんと口を開けてしまうほどに壮大な光景が広がっていた。
幾重にも重ねられた地面の魔法陣のもっとも外にある外円から、光の障壁が徐々に伸び上がっていき、町全体を包み込んでいた。薄い皮膜や硝子を思わせる結界が水を立ち昇らせるようにできあがっていく様は、なんだか、自分が湖の中にでもいるように思わせる。
結界はやがて町の全てを屋根のように覆い、巨大なドームを形成した。
そうして、魔法の成功を示すように結界の表面がきらりと一度瞬いた直後、結界の輝きが収まり、周りの情景と同化して目で捉えられなくなっていく。それとともに、町全体を霧のごとく包んでいた光の奔流もまた霧散して、足もとに広がっていた魔法陣も消失した。
「……――成功、だな」
嬉しそうに呟いたレオの声が後方から聞こえたと同時、ヨハンが、十字架の杖を、とん、と一度地に突き、固唾を飲んでいるアキたちを振り返った。
「みなさん、お疲れさまです。女神の結界、無事に修復が終わりました」
ヨハンの光が灯ったような笑顔とともに、わっと、周りの守備兵や冒険者たちが歓声を上げて沸き立つ。いよっしゃああ、と雄たけびを上げる者、お互いに手を合わせながらぴょんぴょん跳ねて喜び合う者、嬉しくて泣いてしまった仲間を見てもらい泣きしている者――。
みんながそれぞれに喜びを表し合う先で、そんなみんなを見守るように微笑んでいるエリアスと、終わったわーっとぐぐっと伸びをしているミーナ、前髪を掻き上げて整えているルイス、片手を腰に当ててにやりと笑っているサトクリフ、それからほっとした様子で肩を竦めているヨハンが佇んでいた。
うし、と気合いを入れたレオがふらふらと立ち上がり、アキの肩に手を乗せる。
「行こうぜ、アキ」
に、と歯を見せていたずらに笑いかけて、レオがヨハンたちに手を振りながらひょこひょこと歩き出す。
アキは、そんなレオのかっこいい背中と、こちらに向かって手を振り返しているエリアスを見やって――やっと終わったんだ、という安堵感と達成感で胸がいっぱいになりながら、エリアスたちに向かって駆け出した。
「みんなっ、おつかれさま―――――!」




