第六十一話 勇者の魔法使い
一方、時は少しさかのぼり――。
晴天の船着き場、必死に励ました甲斐あって隣でけらけらと無邪気に笑っているエリアスを眺めて、レオはほっとして目を細めた。
(……よかった。元気になったみてぇだな)
エリアスがいつまでもうじうじ悩んで情けないことを言っているようだったら、本気で、アキは自分がもらい受けるからおまえは別れろ、とでも宣戦布告するつもりだったんだが――先刻、彼女は自分のものだと言いきったエリアスの必死な表情を見て、自分が二人の間に入る隙などやはりないのかもしれない、と思い始めていた。
(まあ、これでエリアスも自分の本心を自覚できただろうからな)
『勇者』というしがらみに捉われて、特別な女性を作るということに罪悪感を覚えていたエリアスが、やっとアキに対する気持ちを他人の前で口にすることができたのだ。
それは、エリアスにとって、『勇者』として人形のように生きるのではなく、ひとりの人間として自分らしく生きていくことへの第一歩に繋がるかもしれない。
(……やっぱ、アキはすげぇよな)
彼女は、あの明るさとひたむきさで、エリアスが今までずっと周囲に対して頑なに張っていた心の壁を打ち破ったのだ。彼女がいなかったら、エリアスは未だに『勇者』としての使命に捉われて、自分の素直な感情を表に出すことはなく、今のように声を上げて笑うことなどなかったかもしれない。
(エリアスにとって、アキは救世主なんだよな)
『勇者の片腕』に選ばれた女性が彼女だったのは、女神から授かった特殊能力で自分たちの戦いを助けるためというよりは、ひとりの仲間として、自分たちの内面を支えるためだったのだろう。
ずいぶん貧弱な奴を引いちまったな、なんて思っていた最初の頃の自分の浅はかさが恥ずかしかった。
自分もまた、彼女の素直さや一生懸命さに、異性として惹かれてしまったのだから。
それなのに、アキをめぐるライバルのエリアスを、身を粉にして励まさないといけないというのは――自分も相当にお人よしというか、損な役回りの星のもとに生まれたのかもしれない。
(ま、そういうポジションも悪くはねぇけどな)
エリアスは、自分にとってかけがえのない親友だから、この先生きていく中で誰か良い人と出会って、幸せな人生を歩んでほしいと思っていたのだ。エリアスは、ただでさえ苦労の多い立場に生まれてしまったのだから。
その『良い人』がまさか自分が想う女性と同じ人になろうとは思わなかったが、エリアスにはアキが必要で、アキにもまたエリアスが必要で、二人はお互いになくてはならない存在なのだということはわかっていた。
(……だから、二人には幸せになってほしいんだよな)
――そのためだったら、どんなことでもしてやるつもりだ。自分にできることなら、なんでも。
「……ありがとう、レオ」
そんなことを思っていた矢先に、不意にエリアスに素直な笑顔でお礼を言われて、レオは一瞬度胆を抜かれた。心の中を読まれたかとでも思ったからだ。
「べ、べつにお礼を言われるようなことはなにもしてねぇけど?」
「そんなことはないよ。レオが叱ってくれたから、俺、自分の気持ちに素直になることができたんだ。……つまらない意地ばかり張って、俺、子どもだったな」
ぽつりと呟いたエリアスの頭を、レオは軽く拳で小突く。
「おまえが子どもっぽく拗ねんのなんていつものことだろ。反省したなら、早くアキに謝ってやれ。次あいつのこと泣かせたら、本気で奪ってやるからな」
冗談めかして笑いかければ、エリアスは、心得た、とばかりに神妙にうなづいた。
「わかった。アキに、ずっと俺のことを好きでいてもらえるように、がんばる」
エリアスがあまりにも真剣に言うものだから、レオは思わず吹きだした。
「世界で引く手あまたの『勇者様』にそう言わせんだから、アキも相当だよな! ――じゃ、そろそろ戻ろうぜ。仲間みんな、おまえの帰りを待ってんだからよ」
そう伝えれば、エリアスは、緑色の瞳を揺らして、うん、とうれしそうに頷いた。
レオは、仲間という存在を大切にしてくれるエリアスの優しさが好きだった。そんな彼だからこそ、自分は人生を賭けて勇者の旅に同行しようと思ったのだ。
(もし、今代の勇者がエリアスじゃなかったら……)
自分は、勇者パーティの仲間になろうだなんて思わなかったかもしれない。学府を卒業したら、指導教官兼魔法学者として学舎に残り、ずっと魔法理論を研究して一生を終えていたかもしれないのだ。
当時、努力の甲斐あって首席で学府を卒業することになった自分は、卒業と同時に、王国の国王から直々に王城へと呼び出された。
勇者パーティの『魔法使い』として登城してみないかと声をかけられたのだ。
もちろん役目を受けるかどうかは任意であり、断ることもできた。だから自分は、この世界を魔王から救うという世界最強の『勇者』がどのような人物なのか、それだけでも拝んでおきたいと思って、興味本位だけで王城へと出向いたのだ。
そうして、王城の謁見の間に跪き、『勇者』の登場を今か今かと待っていると、ついに扉が開いて勇者その人が現れた。
自分が期待に胸を膨らませながら顔を上げると、そこには、緊張感の欠片もない様子のエリアスが、ひょこひょこと軽い足取りで歩み寄ってきたのだ。
エリアスは自分のすぐ近くまで来ると、まるで旧知の友人だったとでもいうような雰囲気で、にこにこと気さくに話しかけてきた。
その雰囲気が、あまりにも素直そうで、いい奴そうで、けれどどこか抜けていそうで危なっかしい感じで……。
『勇者』とは他者を圧倒するような特別なオーラを持っている人物だと思っていた自分は、エリアスの気どらない……良くも悪くも平凡な雰囲気に、正直拍子抜けしてしまった。
顔立ちこそぎょっとするほど整っていたが、それ以外は普通の青年となんら変わりのないごく普通の男だったからだ。
そうしてエリアスと他愛のない話をするうちに、自分は、こんななよっちい奴だけで世界を救えんのかな、俺がついていないと駄目なんじゃねぇのかな、と自意識過剰にも思い始めていた。
そして、いざ国王に勇者の魔法使いになるかどうかの決断を迫られたときに、自分はその場で「勇者パーティの『魔法使い』、自分に務めさせてください」と宣言してしまったのだ。
あのときは、その場の勢いで言っちまったと一瞬後悔したものだが、今思えば、あれは自分の本心からの言葉だったのだろう。
そのときの「ありがとう、レオ」と心底うれしそうに笑いかけてくれたエリアスの顔を、いまだによく覚えている。
おそらくエリアスは、『勇者』の旅という危険と隣りあわせの旅路に付き合ってくれる仲間が本当に見つかるのか、内心不安に思っていたのだろう。
そういった経緯で勇者の仲間となった自分は、エリアスと初めて会った時点で、彼の人柄にほだされているのだ。友人として、自分はエリアスのことがとても大切なのだ。
(だから、こいつが悩んだり落ち込んだりしてるときは、一番に力になってやんねぇとな)
恋人のアキが支えきれない部分は、自分がエリアスのことを支えよう。
勇者の仲間になると決めたあのときから、自分はエリアスを支えるためにあるのだから。
軽く服を払って立ち上がり、後方で同じように片膝を立ててエリアスが立とうとしたそのときだった。
――ぱりん。と、なにか広範囲でガラスが割れるような感覚が、突如全身を襲った。
その途端、背中が一気に冷えきるほどの緊張感が身体中を駆け巡る。
はっとしてエリアスを見やれば、彼もその異変を感じたらしく、表情を強張らせながら上空を振り仰いでいた。
(この感じ――)
以前にも何度か経験したことがある。
これは――町を守る女神の結界が破損したときに生ずる感覚だ。
万能の女神の結界とて完璧というわけではなく、たびたび損傷する事態も起きていた。だから、町や村はその非常事態に備えて各町や村に守備兵を配備しており、いざというときのために対応できるよう、対策しているのだ。とはいえ、結界の破損などそう滅多に起こることではないため、ひとたび起きれば町や村は混乱に陥る。
急いで結界を修復しなければ、魔物が原野から町になだれ込み、人びとや町を食い荒らしてしまうだろう。
(まずいだろ、これは……!)
冷や汗が頬を伝い、急く気持ちのままにエリアスを振り返ったそのとき、血相を変えた守備兵が転びそうなほどの勢いで港に駆け込んできた。
「大変だ―――――っ!」
守備兵は、港にいる全員に自分の言葉が届くように、口もとに両手を添えて周囲に声を張り巡らせる。何事かと、船着き場にいた漁師も、旅行客も、町民も、みんな彼の方向へと顔を向けた。
それを確認した守備兵は、もう一度大きく息を吸い込んで声を張り上げる。
「みんな、逃げろ―――――っ! なるべく町の門から遠くへ逃げるんだ!」
逃げろ、早く、と叫び続ける守備兵に、その場にいた人びとはなんの騒ぎかと首を傾げている。
レオはエリアスと顔を見合わせて頷きあうと、すぐさまその守備兵に駆け寄った。
必死に叫んでいた守備兵は、目の前に現れたエリアスの容貌を見るなり、あっと目を見開いて息を呑んだ。さらにレオがエリアスの隣に並ぶと、二人の風貌に見覚えがあったのか、守備兵はどこか確信を得たようにおそるおそる口を開いた。
「もしかして、勇者様、ですか……?」
エリアスは、神妙な面持ちで力強くうなづく。
「はい。旅の途中だったのですが、ちょうどこの町に滞在していました。――女神の結界が壊れたんですね?」
状況を言い当てるエリアスに、守備兵は天に祈るように顔の前で指をからめる。
「おお、女神よ、この危機に勇者様を遣わせてくださってありがとうございます……! ――勇者様の仰るとおり、たったいま町の正門付近の結界が破れ、そこから目を疑うほどの魔物が侵入してきております! 町の守備兵や冒険者たち、それから、ちょうどお近くにいらっしゃった勇者の片腕様が応戦してくださっているのですが、どうにも数が多くて……!」
守備兵の最後の一言を聞くなり、レオとエリアスは、まさかと目を瞠って互いの顔を見合わせた。
(勇者の……片腕様?)
――アキ……だよな?
町の危機を前に早打つ心臓に、さらに鈍痛が走るようだった。
それはつまり、アキもまた、この町を魔物の襲撃から守るために守備兵たちと一緒に戦っているということなのだろうか。
(……そうか、あいつ、俺たちのこと探しに来てたのか)
おそらく、いつまで経っても戻ってこない自分たちに痺れを切らして、エリアスの部屋を訪ねたのだろう。そうして、自分とエリアスが部屋にいないことに気がついて町へ探しに出たのかもしれない。それで正門付近にいたところ、今回の襲撃に鉢合わせしたのだろう。
町に大量に飛び込んできた魔物を相手に、彼女が――アキが必死に戦っている姿が目に浮かんだ。
女神の力を帯びた弓を持っているとはいえ、けっして魔物と戦い慣れているとはいえない彼女だ。自分やエリアスといった仲間の助けなしに、多くの魔物を相手にするのはあまりにも危険すぎる……!
「急ごうぜ、エリアス!」
レオは、呆然としているエリアスの肩をつかむ。
もう二度と、自分のいないところでアキに危険な目に遭ってほしくはなかった。
あの遺跡で、彼女の傍にいてやれなかった後悔を、守ってやれなかったあの悔しさを、二度と味わいたくないと思っていたのだ。
その気持ちはエリアスも同じらしく、レオの声で我に返った彼は、落ちついた様子で守備兵の両肩に手を置いた。
「――わかりました! すぐに駆けつけますので、あなたはより多くの人たちにこの事態を伝えて、安全な場所への誘導をお願いします!」
守備兵は、いまだに蒼白した面持ちで震えながら頷いた。
おそらく彼も気が動転していて、自分がどう動いたらいいのかわからずに混乱しているのだろう。
エリアスは、そんな守備兵を前に一度間を置いてから、彼の両肩に添えたままの手に少しだけ力を込めた。そうして、彼を励ますように強い光の宿る目で笑いかける。
「大丈夫、『勇者』の私がついています。私が必ず、この町を守ってみせますから」
どうか安心してください、と婉然と微笑むエリアスに、守備兵は感銘を受けたのか涙を堪えるように口を引き結び、何度も何度もうなづいた。
レオは、その様子を横目に見ながら思う。
(こいつは、たったの一言でこんなにも人を勇気づけたり励ましたりできるんだよな)
それは、この世界を率いなければならない『勇者』に備わっている力であり、この世界の勇者に対する信頼の現れでもあるのだろう。
だから自分は、エリアス率いる『勇者』パーティの魔法使いであることを誇りに思うのだ。勇者の魔法使いを名乗ることが許されるのは、自分しかいないのだから。
あのとき、勇者の魔法使いになることを選んだ自分の判断は、間違っていなかったのだ。
「――レオ!」
人びとに危険を知らせるために守備兵が走り去ったと同時に、エリアスがこちらを振り返った。
「ヨハンに伝言魔法を! 女神の結界を完全な状態まで修復できるのは、彼しかいない」
「ああ、了解! ま、あいつも今ごろ、この事態に気づいて宿を飛び出してるかもしんねぇけどな」
まったく休む暇もないっ、などと小言を言いながら、杖を引っつかんで宿屋を飛び出しているヨハンの姿が脳裏に浮かんだ。そのヨハンとともに、きっとルイスやミーナ、もしかしたらサトクリフも動いてくれているかもしれない。
(あいつらがいれば、町の中は大丈夫そうだな)
万が一、町の内部まで魔物が入り込んでしまったとしても、彼らがいれば町に被害を出すことなく掃討してくれるだろう。とすると自分たちは、町内は彼らに任せて、一刻も早く正門へ向かうべきだ。
レオは、人差し指を宙に伸ばして伝言魔法の魔法陣を手早く描いた。片手を振ってそれを掻き消すと、ヨハンへの伝言を込めた光の珠が彗星のように飛んでいく。
「――よし!」
魔法の成功を確かめると、レオは、すでに駆け出しているエリアスの背を追って足を踏み出した。
(俺たちが駆けつけるまで、どうか無事でいてくれよ、アキ――……!)
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