第四十六話 親友と戦う日
「おいっ、これ、なにがあったんだよ……!」
目の前に広がった惨状に、レオは背筋が凍る思いで立ちすくんだ。
地底の花畑を探索するため、ミーナとルイスとともに先へ進もうとしていたレオは、その直後、視界のだいぶ先のほうで瓦礫が崩れるような轟音が響き渡ったのを聞いて、ミーナたちと顔を見あわせて音のした方向へ一目散に走ってきたのだ。
そうして駆けつけたのは、花畑の最奥と思われる高い岩壁に囲まれた行き止まりの場所で、その地面一帯には豊かな水をたたえた広大な地底湖が広がっていた。
けれどその景色は無残なもので、その地底湖を取り囲むように青い花々が咲き誇っていたと思われるのに、魔物の残骸と思われる肉片があちらこちらに飛び散り、美しかった花々の上に落ちてその花びらをむしりとっていた。
そんな見るからに惨憺たる有様の光景の中、地底湖を背に、ぐったりと気を失っているアキを抱き寄せたエリアスが、能面のような無表情で幽鬼のようにたたずんでいたのだ。
そのただならぬ状況を前にして、レオはエリアスとアキに近づくこともままならず、その場に縫いとめられたように足が動かなかった。
(……おいおい、こりゃいったい、なにがあったんだ……?)
なんとか状況を把握しようとエリアスに視線を向けると、その額には、いままで見たこともない不可解な紋章が浮きあがっていた。
(なんだ、あの異様な文様は……)
あれは、太陽の形を模しているのだろうか。
額の紋章だけではなく、普段はやさしげな緑色をしているエリアスの瞳も、いまは燃えるような橙色に照り輝いている。
いつものエリアスとは別人のようだ。そもそも、自分たちを見てもなんの反応も示さないなんて、あきらかに様子がおかしい。
レオは、少し遅れて後方から走ってきたミーナとルイスをちらと振り返ると、どうにも様子が変だと伝えるように目配せをした。
ミーナたちはすぐにレオの意図と、そしてエリアスとアキの異様な雰囲気を察して、警戒してその場で静かに足を止める。
レオは片手を横につき出してミーナたちに制止しているように示してから、ひとりで一歩前に進み出た。
エリアスは顔色ひとつ変えずに、こちらに話しかける様子も、こちらに攻撃を加えるそぶりもみせない。
こちらの出方をうかがっているのだろうか……。
レオが一歩一歩慎重にエリアスたちに歩み寄ろうと近づきはじめたそのとき、エリアスの腕に抱えられていたアキがぼんやりとその目を開いた。
「レオ……?」
「アキ……!」
よかった、無事だったみてぇだな……!
レオは光の射すような思いで、アキとエリアスに駆け寄ろうと身を乗り出す。
「アキ、大丈夫か! 俺たち、助けに――……」
顔をかがやかせて駆け寄ろうとすると、アキが来るなといわんばかりに弱々しく腕を持ち上げた。青白い顔をこちらに向けて、かすれた声音で精いっぱい声を張る。
「レオ、来ちゃ……駄目っ……!」
「―――は?」
「エリアスは……今っ……」
アキの言いかけた言葉に眉をひそめたのと同時、エリアスがアキの身体をぐっと引き寄せて、右手にぶらりと下ろしていた聖剣を大きく振り上げた。
エリアスの静かな眼差しが、レオとその後方にいるミーナとルイスを捉える。
(エリアス、なにを――……)
レオは目を見張る。
(あいつまさか、俺たちを攻撃してくる気か……?)
嘘だろ、と目の前で起きかけている出来事を認められなくて、その場で凍りついていると、そんなレオを叱咤するかのようなアキの悲痛な声が響き渡った。
「エリアス、やめてっ……!」
アキが、振りあげられているエリアスの腕を止めようと必死に手を伸ばす。
アキのあの様子を見るに、彼女のほうは正気そうだけれど、エリアスのほうはどうにも挙動がおかしい。
レオはいやな予感に早鐘のように鳴る心臓を感じながら、鋭い声でアキに問いかける。
「アキ、なにがどうなってる! エリアスはどうしちまったんだよ!?」
「わからないっ……わからないんだけど、エリアスは今、正気じゃないみたいなの! 何度呼びかけても、私の声が届かない……!」
届かない……?
あいつには俺たちの声が聞こえてねぇってことか?
「どういうことだよ! その額の紋章が関係してんのか!」
レオの怒鳴り声に、アキは必死に首を横に振る。
おそらく一部始終を見ていたであろうアキでさえいまの状況がつかめていないのだから、これ以上問答しても意味がないかもしれない。
とりあえずいまわかることは、エリアスが正気じゃないとすれば、それは自我の喪失――つまり、敵味方の区別がついていないと考えられるということだろうか。
(だとしたらあいつは……本気で俺たちを攻撃しようとしてるってことか!?)
アキに止められながらも、聖剣を振り上げてこちらを睨みすえたままのエリアスを凝視する。
――冗談じゃねぇぞ……!
その思った矢先、レオがミーナたちを振り返ろうとしたその瞬間、エリアスがアキの手をふりほどいて、かかげていた聖剣を地を叩き割るような勢いで振り下ろした。
途端、剣から白金色に光る斬撃が飛び出し、それはすさまじい速さで地を薙いでこちらに襲いかかってくる。
(おいおいおい、まじかよっ……!)
エリアスと出会ってからいままで仲間として一緒に冒険してきたが、彼があのような斬撃を繰りだしたことなどなかった。これもあの額の紋章の力なのだろうか。
(とりあえず、直撃だけは避けねぇと!)
レオは両手を前に突き出すと、人が聞いたら聞きとれないような早口で呪文をつぶやいて、自分の周囲に密度の高い風の防壁を発生させた。
自分の扱う月系魔法は、ヨハンの扱う太陽系魔法のように結界を生みだす魔法がないため、攻撃魔法を上手く防御に流用するしかないのだ。
密度の濃い風の防壁を生み出して、斬りこんできた斬撃の進行を受け止める。
(く、そっ……なんつー威力だ!)
歯を食いしばりながらなんとか風の防壁を保って斬撃を押しとどめるが、まったく衰えることのない刃の威力に、踏ん張っていた足がじりじりと後退していく。
自分の後方にはミーナとルイスがいる。
なんとか、自分のところで攻撃を防がねぇと――……!
そう必死の思いで踏みとどまっていたのだが力が及ばず、斬撃に風の防壁を押しきられて後ろに大きくのけ反ったレオは、自分の魔法が散開した衝撃を受けてそのまま吹き飛ばされて、盛大に地を転がった。
あお向けに倒れたレオの頭上を、防ぎきれなかった斬撃が高速で飛び越えていく。
しまった、とレオは跳ね起きた。
このままの弾道だと、後方にいるミーナたちに直撃してしまう―――!
レオは、打ち身で痛む体を叩き起こして、後方を振りあおいだ。
「ミーナ、ルイス、逃げろっ!」
「ミーナッ……!」
「きゃあああああっ!」
ルイスがミーナを呼びかける声と、彼女の悲鳴が響き渡るのは同時だった。
斬撃は彼らに直撃して、そのまま彼らを弾き飛ばして近くにあった岩山へと激突させる。
それだけではあきたらず、斬撃はそのまま岩山をも打ち砕き、その瓦礫が地面に倒れている二人の頭上へと降りそそいだ。
「ミーナ、ルイス――――!」
轟音が響き渡る中、レオはその場で手を伸ばすことしかできずに叫び声をあげる。
なんてこと、なんてことを……!
けぶる土煙の中、徐々にその煙がはけて視界が開けてくると、崩れた岩山に埋もれるようにしてミーナとルイスが気を失っていた。
ルイスはとっさにミーナを庇ったのだろう、彼女に覆いかぶさるような形で意識を失っている。
着弾する直前、ルイスの月系魔法が発動する魔法陣が浮かんだ気がした。その効果で、おそらく致命傷はまぬがれていると……そう信じたい。
「――エリアス、てめえッ!」
レオは仲間を傷つけられた怒りで歯を食いしばり、エリアスを睨みつける。
仲間を攻撃するなんて、普段のあいつからは考えられないことだ。今のあいつはいつものエリアスとはまったくの別人、そうとらえたほうがいいのだろう。
(――だったら、遠慮はいらねえ)
レオは右の太ももにくくりつけていた短剣に手を伸ばす。
正気を失ってんのなら、叩き起こすまでだ。魔法ばかりでは太刀打ちできないこともあるだろうからと、普段から剣を持ち歩いていたのだが、まさかエリアスを相手に剣を使うことになるとは……。
ある程度剣術の訓練も積んではいるが、正直、魔法ほど得意ではなかった。今のエリアスに太刀打ちできるかどうか……。
勇者は攻撃力も防御力も他の冒険者の追随を許さないほど突出していて、敏捷度だって段違いだ。だから、あいつにダメージを与えられるような威力の高い魔法を詠唱している隙はないだろう。とすれば、剣で戦いながら間合いを見て魔法で攻撃を加える、そういった戦法で細々と戦うしかない。
(さて、何分持つかねえ……)
秒殺だけはまぬがれたいところだが。
レオは、短剣を引き抜いて右手で持ち、刃を逆手に構える。上部にある柄の部分に左手を被せた。そうして前方のエリアスを見すえる。
とりあえず、エリアスからアキを助け出すことが最優先だろう。彼女のあの怪我、早めに治療しないと彼女の体力が持たないかもしれない。
――それにしてもあの傷……。
エリアスとの間合いを取りながら、レオはアキの様子を確認する。ここから見ただけでも、彼女は頬から血を流し、右肩は傷が深いのか彼女の衣服がぐっしょりと血で濡れている。
一体誰にやられたのだろうか。アキを庇っているエリアスの様子を見るに、エリアスにやられたわけではなさそうだ。
(……そうだとすると、あの残骸になっている魔物にやられたのか……?)
だとしたら、あの魔物は何者なのだろう。この遺跡を守っていた主だろうか。
そうだとしたら、この遺跡にはいったいなにが―――。
そこまで考えてレオは首を振った。
今はあれこれ事情を考えている場合ではない。エリアスからアキを助ける、そしてエリアスを叩き起こす、それだけを考えなければ。
この世界で魔王と並んで最強の名を欲しいままにする、そんな勇者と戦うということは命がけの行為なのだから。
レオは短剣を持つ腕を後方に下げ、ぐっと沈み込んだ姿勢で地を蹴った。
アキを助けるには、なんとかエリアスの懐に入り込むしかない。
走り出したレオを迎え撃つように、エリアスが静かに聖剣を構える。あいかわらずのエリアスの無表情に、レオはやるせない気持ちを感じて歯を食いしばる。
――俺と剣を交えるっていうのに、おまえは顔色ひとつ変えないのかよ。
仲間と戦うなんて本望ではない。ずっと一緒に戦ってきた、自分の親友といえるエリアスと戦うなんてなおさらだ。
(ちくしょうっ、こんな意味のねぇ戦い、すぐに終わらせてやる……!)
仲間同士で戦うなんて、こんな悲しい戦いはないのだから。
エリアスに近づいたその直前でレオは足を踏み込み、エリアスの頭上に跳び上がった。
エリアスが弾けるように顔を見上げて聖剣を垂直に構える。構えたその刃の部分に、レオの振り下ろした短剣が交差した。
激しい金属音が場を揺るがして、ぶつかり合う刃をとおして振動が腕に走る。
自分は渾身の力を込めて短剣を振り下ろしたにも関わらず、エリアスは片手で握った聖剣でこちらの短剣を受け止めているのに、びくともしない。
(こ、の馬鹿力っ……!)
味方でいるうちは誰よりも頼りになったエリアスだけれど、敵になった途端、こんなにも恐ろしい相手に変わるのか。
エリアスの左手に抱えられているアキが、レオたちの剣戟に耐えるようにぐっと目を閉じる。なんとかエリアスの隙をついて離れようと身をよじった。
「エリアス、離して! 離してくださいっ!」
今にも泣きそうになりながら、アキはエリアスを押し退けようと必死に彼の胸を押す。
不思議なことに、エリアスはけっしてアキを攻撃しようとはしない。むしろ、執拗に守ろうとしているように見える。
(……もしかして、エリアスはアキ以外の人間を排除しようとしてんのか……?)
だから、二人に近づいた自分やミーナやルイスを攻撃してきたのだろうか。
レオはいったん剣を引いて後ろに飛び退くと、エリアスから距離をとった。
エリアスがこちらと間合いを詰めようと足を踏み出すよりも早く、空いている左手の指先で手早く魔法陣を描く。
「――静寂を切り裂いて、底冷えする水流が襲い来る、心して待てよ、逃れることは許さない……! ――水でも浴びて頭冷やしやがれっ、エリアス!」
腕を横凪に払って魔法陣をかき消すと、エリアスの後方に広がっていた地底湖から何本もの水柱が立ち昇った。
幸いこの場所には水の元素があふれている。それを利用しない手はない。
それは巨大な水龍の形をとると、足を止めて後方を振り向いたエリアスめがけて、たしかな意思を持って鉄砲水が降りそそぐように襲いかかった。
まさか後方にある湖から攻撃がくるとは思わなかったのか、エリアスは水龍に押し流されて一直線に脇の岩壁まで弾き飛ばされる。
「……悪ぃな、エリアス」
一撃を与えたとはいえ、これくらいではエリアスに寸分のダメージも与えられないだろう。時間稼ぎがいいところだ。
レオはその隙をついて駆け出すと、エリアスの手を離れてその場で崩れるように両膝をついたアキを抱き上げた。
酷い怪我だ。それに苦しそうな息づかい、口の端からは血が流れている。
レオが抱えた途端にアキが激しく咳き込んで、そこから大量の血を吐き出した。
レオは目を見張る。
「アキッ、おまえ――!」
青白い表情。もしかして、怪我だけじゃなく、毒にまで侵されているのか―――?
(こりゃ、急いで解毒しないとまずいじゃねぇか……!)
どうしてこんな惨状になっているのか。いったい自分がいない間に二人になにがあったのだ。
とりあえずエリアスの猛攻が届かない場所までいったん避難しないと、アキの治療も、状況の整理もままならない。
どこか、避難できるような場所は――。
レオははっとして天井を見上げる。そこには、おそらく地上の遺跡へと続いているであろう暗闇が広がっている。
自分たちは、あの上階から落ちてきてこの地底湖にたどり着いたのだ。ならば、もといた地上の遺跡まで戻るのが一番安全だろう。
(……さすがのエリアスも、あの高さまでは登っちまえば追ってこれねぇだろう)
レオは彼女を片手で支えながら、利き腕を前方に伸ばして、宙に魔法陣を描いていく。
「――貴方の羽を貸して、一番高いところへ運んでおくれよ、鳥がはばたくように、跳ね上がれ!」
レオが飛行魔法を唱え終えると、即座にレオとアキの足元から突風がわき起こった。
レオはアキを抱きかかえて力を込め、胸元に抱き寄せた。
――振り落とされるなよ、アキ!
レオはその気流に乗って地を蹴った。水龍によって壁際まで吹き飛ばされていたエリアスが、すぐに立ち上がり、レオのみを狙ってその場で斬撃を繰り出してくる。
(くそっ、本当にしぶといな、おまえ!)
正気に戻った暁には、一発ぶん殴ってやらないと気がすまない。
せっぱ詰まっているからかそんな悪態が頭をよぎる中、レオは斬撃が到達するよりも早くに跳びあがった。自分の足の下をエリアスが放った白金色の刃が吹き抜けていく。
(急げ、早くっ……!)
レオのはやる気持ちに応えるように、気流に乗った自分とアキは天井上部へと舞い上がった。
地底湖の景色がやがて遺跡の側溝の狭苦しい両壁に囲まれた空間へと変わり、さらにそれを飛び抜けるとミーナたちと落下した遺跡の一本道の部屋へと戻った。
レオはアキを支えながら石畳の通路に手をかけると、身をひるがえしてその上へ着地する。そうして、すぐにアキの体を仰向けに横たえた。
冷や汗の浮かんでいる自分の額を乱暴に腕で拭い、ほっと息を吐き出す。
(――とりあえず、あの場は脱出できたな……)
これでエリアスの攻撃範囲からは一時的に逃れられただろう。
落ちついたところで、まずは体勢を立て直さなければならない。
(アキの応急処置を終えたら、救援を呼ぶべきだろうな……)
まだミーナとルイスが瓦礫の下敷きになったままだ。いっこくも早く、彼らを助けに戻らなければ。
だとしても、誰に助けを頼めばいい。あのとんでもない状態のエリアスをなんとかするには、どうしたらいいのだ。
頭の中がまとまらなくて焦るレオの脳裏に、ふとヨハンの顔が思い浮かんだ。
ヨハンは、自分の知らない『神殿』が持つ知識を持っているはずだ。あいつなら、今のエリアスになにが起こっているのかわかるかもしれない。彼の自我が失われてしまった原因がわかれば、エリアスを助けられるかもしれないのだ。
そう思い立ったレオは、手早く魔法陣を描いて伝言魔法を唱えると、ヨハンに助けを求める旨のメッセージを込め、それを彼の許へと飛ばした。あわい光をともなった球が、レオの意思に従って上空へと消えていく。
この場所からでも、ちゃんとヨハンのいる町まで届くといいのだが……。
「レ、オ……?」
その直後、アキがうっすらと目を開いた。
レオは慌てて彼女を上から覗き込んで、その頬にそっと片手を添える。
「アキ、大丈夫か? 俺がわかるか?」
うん、と。真っ赤に泣きはらした目で、アキがうなずく。
(よかった。無事だった――……)
そう安堵した途端、自分は彼女に向かって腕を伸ばして、無意識のうちに強く抱きしめていた――……。




