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第四十五話 喪失

 ――上手くいった、かもしんねェよ、魔王サマ。


 サトクリフは、アキに振り下ろそうとしていた短剣の手を止めて、彼女に覆いかぶさっていた体をひょいとどけた。


 そうして、あらためて自分が好き放題傷つけてしまった彼女の全身を検分するように見つめる。


 地面にあおむけに倒れている彼女は、切り傷と刺し傷によって頬と肩から血を流し、さらには自分が流し込んだ毒薬の影響でひどく青ざめた顏をしていた。


 見るからに無残といえる彼女の様相に、サトクリフはひっそりと唇を噛む。


(……こりゃ、いくらなんでもやりすぎたかねェ……)


 自分は、魔王サマからの命で勇者殿に眠る力を覚醒させる必要があった。


 そのためには、普段冷静で感情を乱さない勇者殿を精神的に追い込み、激情から強い力を欲するように誘導する必要があったのだ。


 だから、勇者殿と恋仲である彼女を、利用させてもらった。


 おそらく勇者殿は、今回のことをきっかけに彼女を守れなかった己の無力さを責めて、恋人を作ることに消極的になるだろう。


 対するアキも、自分の存在は勇者殿の弱みにしかならないのだと負い目を感じてしまうだろう。


 つまり自分は、二人の仲を引き裂くような行為をしてしまったということだ。


 やっと壁を乗り越えて結ばれた二人を、逆戻りさせるような所業をやってしまった。


 ――自分は、二人の心に大きな傷をつけたのだ。


(……最低最悪だな、オレ様)


 はあ、と深いため息が口からもれる。


 勇者殿を覚醒させるためにとっさにとった方法だったとはいえ、無抵抗な彼女をいたぶるような行いはさすがに耐えがたかった。


 痛みに悲鳴を上げる彼女の表情を思い出すだけで、正直、自分を殴りたくなる。


 謝って済むことではないが、いつかその機会があったら、彼女に誠心誠意頭を下げたいと思うくらいに――。


 とりあえず……と、サトクリフはぐったりと倒れているアキを支えるように抱き起こす。


 自分の最大の目的であった勇者殿の覚醒は上手くいった。あとは、急いで彼女の傷を治療して解毒することが最優先だ。もしも彼女が命を落とすようなことにでもなったら、いよいよ申し開きができない。


 サトクリフは、ローブの内側に用意しておいた解毒薬を取り出しながら、大蛇の足下に幽鬼のようにたたずんでいる勇者の様子をうかがう。


 彼の内面に眠る太陽の女神の力が権限した状態――勇者殿は、いったいどんな表情をしているのだろう。


 サトクリフの思考に応えるように、勇者エリアスがゆらりと視線を上げた。大蛇を間に挟みながら、自分と勇者殿の視線がぶつかる。


 その能面のような表情に、サトクリフは息を呑んだ。


 勇者は、太陽の女神を象徴する紋章をその額に輝かせ、瞳は普段の透き通るような緑色ではなく、太陽を入れ込んだような橙色を称えていた。その瞳には一切の光がなく、いったいどこを見つめているのか、なにを考えているのかも読み取れない。


 ただただ無表情に、サトクリフを真っ直ぐに見すえていた。まるでなにかに憑りつかれているようだ、と思う。


 勇者の視線が、サトクリフの腕の中にいるアキをとらえる。


 そう思った途端、勇者は即座に、なにも言葉を発することなく表情も変えることなく、おもむろに聖剣を振り上げた。


(やっべ、くる……!)


 サトクリフは本能で自分の身の危険を悟る。身構えた自分を庇うように、勇者殿と自分の間に大蛇が立ちふさがった。


 大蛇は威嚇の金切り声を上げて、勇者殿に向かって十の首を振りあげる。うねるように首を振るい、勇者殿を噛みちぎろうと獰猛に襲いかかる。


 けれど、勇者殿は眉一つ動かすことなく、風でも軽くなぎ払うように聖剣を一度真横に払った。


 途端、彼の剣から刃を象ったような三日月型の剣圧が飛び出し、目にも留まらぬ速さで直線状に駆け抜ける。


 勇者殿の聖剣と同じく白金色に輝くそれは、迎え撃つ大蛇の首を数本一気に切り飛ばした。切り口から大蛇のどす黒い血がふきだして、どしゃどしゃどしゃ、と無残に胴体と離された大蛇の首が花畑やら地底湖やらに落下する。


挿絵(By みてみん)


 大蛇の悲痛な喘ぎ声が響き渡る中、サトクリフはあんぐりと顎を落とした。


「――うげ、なんだあれ、反則だろッ!」


 太陽の女神の力を顕現させた勇者殿は、聖剣から斬撃を飛ばすような芸当ができるらしい。ただでさえ自分では太刀打ちできない相手なのに、さらに遠距離攻撃が可能になったとあってはこちらの命がいくつあっても足りない。


(……おいおい、早くアキちゃんを勇者殿のところに返さねぇと、オレ様、まじで生きて帰れねェだろこれ……!)


 いよいよ命の危険を感じて、急げ急げと解毒薬の瓶の蓋を空けようとサトクリフが手をこまねいていた矢先、突然、大蛇から甲高い断末魔の声が発せられた。


 大地を揺るがすほどの耳をつんざく声に、サトクリフははっとして勇者のほうへ顔を向ける。


 サトクリフの目に、地獄絵図のような光景が飛び込んできた。


 勇者殿が、無表情で何度も何度も大蛇を狙って斬撃を放ち、過剰なほどに滅多打ちされた大蛇の肉片がぼとぼとと地へ落とされていたのだ。


 勇者殿の一度の斬撃で数本の首が切り飛び、間髪入れずに二撃目が飛んできて大蛇の胴体を削いでいく。再生能力などまったく間に合わない。次々と繰り出される斬撃に、大蛇は粉々の肉片となって削がれていく。


(おいおいおい……!)


 残虐ともいえる行為に、サトクリフは顔を青ざめさせたまま言葉を失う。


 まるで無感情に大蛇を切り裂いていく勇者殿は、力が顕現される前に見せた穏やかな様子など微塵も感じさせないくらいに別人じみている。


(どうしちまったんだよ、いったい……! 狂っちまったのか!?)


 サトクリフは、アキを庇うようにそっと彼女を抱えながら岩山から身を乗り出した。これだけ無差別に攻撃してこられると、まかり間違えば彼女に被弾してしまうと思ったのだ。


 ここは、とりあえず勇者殿に許しを乞うてみよう。自分の目的はもう達成できた。これ以上、勇者殿と敵対する意味はないのだ。


 サトクリフは、深呼吸をするように大きく息を吸い込むと、エリアスに向かって腕の中のアキを差しだす仕草をする。


「勇者殿! アキちゃんをお返しする! 事情を説明させてもらいてェから、ちょいとその聖剣を納めて――……」


 声を張りあげたサトクリフに、大蛇の肉片を踏み潰しながら勇者がゆっくりと歩み寄ってくる。


 死骸などなんとも思っていないのか、血だまりの中をためらいもなく踏みつけて歩いてくる姿は寒気が走るほどに恐ろしい。


 勇者は、サトクリフたちのいる岩山の足もとまで来ると、ついとその顔を上げた。


 ……やはり、その表情にはなにも浮かんでいない。無表情なのだ。


(もしかして、オレの言葉が届いてねぇのか?)


 思うに、はじめて発現した女神の強大な力に自己の意識を保っていられなかったのだろうか。


 そうだとしたら――。そうだとしたら、今の勇者殿は敵味方の区別がついていない可能性がある。


 勇者殿がアキちゃんを助けるためだけに力を顕現したのだとしたら、彼は、アキちゃん以外を敵と認識して見境なく排除しようとするのではないだろうか――。


 そんな予想を目まぐるしく考えていると、なんの前触れもなしに、勇者殿がゆったりと聖剣を振り上げた。


 まさか、あの斬撃が、くる――――!?


(おいおい待てよ、ここにはアキちゃんもいるんだぞ……!)


 なんとか躱さなければ――そう思ったときには遅かった。勇者殿が勢いよく振り下ろした聖剣から剣圧が飛び、サトクリフとアキの足下の岩山を斜めに切り裂いたのだ。


 足場が大きく崩れて、サトクリフは思わずアキの体を離してしまう。


「うわっ、アキちゃん……!」


 手負いの彼女を、こんな高所から落下させるわけにはいかない。


 崩れる足もととけぶる土煙の中で、無我夢中で必死にアキに向かって手を伸ばすが、意識が朦朧としている彼女は、崩れる岩山に巻き込まれて下へと姿を消してしまう。


「アキちゃん、くそっ……!」


 落ちていく彼女を追って自分も飛び降りようと意を決したそのとき――視界の端に白金色に輝く光が飛び込んだ。


 勇者殿の斬撃だ――そう察した瞬間に大きく岩山を飛び退いて剣圧を躱すことができたのは、魔族という恵まれた身体能力があってのことだったのかもしれない。


 サトクリフは岩山を蹴った反動で宙へ大きく舞い上がると、くるりと一度回転して花畑の上に降り立った。


 勇者やアキの様子を確認することもしないまま、一目散に駆けて勇者の猛攻から身を隠すように別の岩山の陰へと逃げ込む。


(くっそ、なにがなんだかわっかんねぇよ……!)


 岩山に背をあずけて、サトクリフは乱れている息を長く吐いて整える。


 アキを見失ってしまった。こんなことを言えた義理ではないが、彼女の傷を手当てして守ることができなかった。


 ちくしょう、と背の岩を拳で叩く。勇者によって崩された岩山のせいで場内は土埃がもうもうと舞い上がり、まったく視界が見えない。


(それにしても、あの勇者殿の様子――)


 あれは完全に正気を失ってしまっている。魔王からは、女神の力の発現によって勇者殿が暴走状態になるなど聞いていなかった。


(魔王サマ、オレ様、どうしたらいいんスか……)


 自分がまいた種とはいえ、途方に暮れてしまって、サトクリフは額に手を当てて宙をあおぎ見る。


(――冗談抜きで、このままじゃこの洞窟ごと生き埋めになりそうじゃねェか)


 勇者殿の力の発現までは上手くいった。けれどこれでは、ただいたずらに勇者殿たちを混乱させただけではないか。


 勇者殿の内に眠る太陽の女神の力――それがなんなのかを勇者殿に伝え、そして『創世記』を無事に彼らに手渡してこそ、自分の役目は完遂するはずだったのに。


「どうやって勇者殿を正気に戻しゃいいんだよ。あの『創世記』とかいうボロ本に書いてあんのか……?」


 もし書いてあったとしても、その本をここでぺらぺらとめくっている時間などない。いつ勇者殿に見つかって、こちらに攻撃を加えられるかわからないのだから。


 緊張と不安からどきどきと心臓が高まる。


 この場にいるのは勇者殿とアキ、そして自分だけだ。そして、今ここで勇者殿の暴走を止めるために戦えるのは自分しかいない。


(……まあ、あれこれ考えてもしょうがねェ。やるしか、ねェよな)


 サトクリフは、後ろ腰に交差させて剣帯につり下げてあった二刀の短剣を引き抜く。


 いまの半暴走している勇者殿と戦うなど、勝ち目は薄いかもしれないが、尻尾を巻いて逃げるわけにはいかない。


 それに自分は、魔族として、剣に魔法にひと通りの実力は備えている。さらに、それに加えて魔族の特権で大蛇のような魔物を召喚することもできるのだ。


 それらを駆使して、女神と同等の力を持つ勇者殿と渡り合うしかない。


 この混乱を起こしたのは自分だ。


 ――自分で自分の尻ぬぐいくらいはしてみせねェとな……!


 サトクリフは勇者の様子をうかがうため、岩山の陰から少しだけ顔を覗かせて、背中ごしに場内に視線を走らせる。


 青い花の咲き乱れていた花畑は、大蛇の死骸が無残にもいたるところに倒れ込み、勇者の斬撃によって地がえぐられ、さらにはその上に崩れた岩山の泥や土が崩れ落ちて、幻想的だった花々は見る影もなくなっていた。


 勇者の猛攻の余波で、もうもうとした土煙が立ち込める場内、次第にそれが晴れていくにつれて二人の人物の陰が浮かび上がってくる。


 サトクリフは、おそらく勇者であろうその陰を見極めようと目を凝らした。


 その陰は、聖剣を持った右腕をだらりと下げ、空いている片腕でアキを支えた勇者と、その腕の中でぐったりと目を閉じている彼女が寄り添う姿だった。


 アキの傷口の手当て、そして解毒はまだ済んでいない。このままでは本当に、彼女の状態が手遅れになってしまうかもしれない。


 けれど、オレ様の実力じゃ、今の勇者殿に近づくことは――……。


 どうする、とサトクリフが思案しながら目を細めたとき、自分の耳に、こちらに駆け寄ってくる複数の足音が聞こえてきた。


(――まさか、誰か来た……?)


 サトクリフは、そちらにも警戒して息をひそめ、身を固くする。


 勇者殿とアキ以外にこの場所に来る人物として思いあたるのは、自分が依頼書を渡した赤毛の盗賊の女の子だ。彼女が勇者殿たちを追ってこの場所にたどり着いたのだろうか。


 誰がきたにしろ、いまのこの場にやって来るのは命を捨てるようなものだ。自我を喪失している勇者殿は、仲間だろうが敵だろうが、アキ以外の人間を徹底的に攻撃してしまう可能性があるのだから。


 そうかといって、駆けつけた人物を確かめるためにこの場を飛び出すわけにもいかない。きちんと勇者殿の隙を見てから奇襲をかけなければ、いたずらに命を落とすだけだからだ。


 サトクリフは息をつめて状況を見守る。


 走る足音が近づいてくるほうを岩壁に背を当ててのぞき見てみると――その人物は男二人に女一人の面子で、女のほうは予想どおり赤毛の盗賊の娘だった。


 それから男のほうは――。


 遠目に男の外貌を目に入れるなり、サトクリフは唖然としてぽかんと口を開けた。


 一人は金髪の吟遊詩人――これは普通に勇者の仲間だろう。


 ……だが、もう一人は。


「おいっ、これ、なにがあったんだよ……!」


 もう一人の男が、この場の惨状を見て声を張り上げる。


 自分は、その男にひどく見覚えがあった。


 黒髪に黒いローブ、そして意思の強そうなあの紫色の目の顔立ちは――。


(あれは、魔王サマの……!)


 サトクリフは目をみはる。


 そうして、誰に伝えるわけでもなくぽつりとつぶやいた。


「―――――レオ様」




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