第四十三話 オレ様何様魔族様
エリアスと寄り添って地底湖のほとりまでやってきたアキは、足もとで揺れる湖の水面を見おろしていた。
こんな地底にあって水の流れがないにもかかわらず、水自体がうんと澄んでいるためか、水底にあるごつごつした岩壁まではっきりと見てとれる。
もしかして魚とかいるかな……なんて遊び心で水中を探してみるのだけれど、とくにそれらしい動きのあるものはいない。
(なにもいないのかな……)
少し残念に思って湖に身を乗りだしていると、突然エリアスにぐいっと腕を引かれて、アキはあわや後ろに倒れ込みそうになった。
「わっ!? ど、どうしたの、エリアス!」
彼に腕をつかまれたまま顔だけ振り向けると、彼が翠色の瞳を鋭く細めて前方の湖面を見すえていた。
「アキ、あれ……!」
「え……?」
体勢を整えてからエリアスの視線を追うように湖の先を見つめて――アキは、そこに突如として現れた人影に息を呑んだ。
そこには、水面につま先立ちをするような格好で、黒いフードつきのローブで全身をくるんだ長身の人影が立っていたのだ。
湖の真ん中にたたずんでいるだけに、浮かんでいるといったほうがいいのだろうか。
ローブの人物は、深くかぶったフードに隠された顔をこちらに向けて、形の良い唇をにやりと持ちあげた。
「はじめまして、勇者殿、それから勇者の片腕殿。やあっとここまで来たか、待ちくたびれちまったぜ」
神秘的な登場だけに警戒していたのだけれど、ずいぶんとフランクな口調でローブの人物が言う。
声の感じからして男性のようだ。自分たちを待っていた様子だけれど、いったい誰なのだろう。
(顏を見ればわかるのかもしれないけど……)
アキがそう思ったのを察したのか、男はおどけたように肩をすくめてから、被っているフードをふわりと取ってみせた。
男の短く切りそろえられた赤髪がのぞいて、細くつりあがったくすんだ緑色の瞳が、楽しげにこちらを見つめている。
はっと息を呑むほどに端正な顔立ちだけれど、やはり見覚えのある顏ではない。
ただ、魔王ほどではないけれど、少しだけ耳がとがっているのが特徴的だった。
もしかして、彼は―――。
「……貴方は、魔族か?」
エリアスも同じことを思ったらしく、男の風貌を見て驚いたように問いかける。
魔族といえば魔獣を従える上位種であり、魔王を筆頭に人間よりも多くの魔力を持つ優れた種族だったはずだ。
たしかルイスが、絶対数が少ないからめったにお目にかかれないと言っていた。
その魔族のひとりが、いま、目の前にいる――……?
魔族と思われる男は、人なつこい満面の笑みを浮かべた。その拍子に、彼の八重歯がちらりと口もとから覗く。
「ご明察ぅ! おっしゃるとおり、オレ様は魔族のひとり、ジェント・サトクリフ。自分の正体を隠して、赤い髪の盗賊の女の子にクエストの依頼書を渡して、勇者殿たちがこの遺跡に来るように仕向けた張本人なんだなァ」
ジェント・サトクリフと名のった魔族の青年は、踊るように陽気に言って、水面に浮いたまま器用に伸びをしてみせた。
(赤い髪の盗賊の女の子――って、もしかしてミーナのこと……だよね?)
彼の言葉どおりだとしたら、自分たちは、彼の手引きによってここに呼び寄せられということになるんだろうか。
たしかミーナが、依頼書を渡してきたローブの男から不可思議な魔力を感じた――といっていたけれど、あながち間違ってはいなかったのだ。
それにしても、なんだか魔族にいだいていたミステリアスな印象をぶち壊すくらい軽い印象を受ける男だ。
魔族に、魔王のように古風なタイプから、サトクリフのように軽薄そうな性格までさまざまいるのだろうか。
こちらがサトクリフの様子を探っているのと同じように、彼もまた品定めをするようにアキを頭から爪先までながめた。
「なァるほど、お嬢さんが魔王サマのとこにいるナコ嬢のお姉さんか。たしかにお転婆そうなところは似てるかもなァ。いいねいいね、かわいいねェ。オレ様はお姉さんのほうがタイプだな」
ひええっ、とアキは震えあがる。タイプとか言われてもまったくうれしくない。
少しむっとした様子で、エリアスがアキを庇うように一歩前に出る。
「悪いけれど、貴方はそんな話をしにこんな地底くんだりまできたわけじゃないだろう。――やはりこのクエスト、魔族がからんでいたんだな。なにか俺に用事でも?」
鋭く声を張るエリアスに、サトクリフはまいったとばかりにわざとらしく両手をあげた。
「おお、コワイコワイ! 勇者殿ににらまれたんじゃ、さすがのオレ様もたまんねぇからなァ。……そう、オレ様、勇者殿に渡したいものがあってこんなじめじめした場所で待ってたんだよ」
「渡したいもの?」
「そう、魔王サマに頼まれてさ」
首をかしげるアキに答えて、サトクリフはまるで手品でもするように陽気に指を鳴らしてみせた。途端、彼の手の内に臙脂色の背表紙をした古本が現れる。
サトクリフはその本を無造作に片手でつかむと、それでとんとんと自分の肩を叩いた。
「これ、『創世記』っつーこの世界の誕生秘話が書かれた貴重すぎる本の写本らしィんだけど、これを勇者殿に渡すように頼まれたんだよな。ここにいろいろ、勇者殿が知らなきゃいけねぇお話が書かれてるからってさ」
貴重な本というわりに扱いがぞんざいな気がするのだけれど、それもサトクリフの性格ゆえだろうか。
魔王がここにいたら怒られるのではないか、などとアキが無意味に心配していると、エリアスがそれを受け取ろうと手を差しだした。
「それなら、俺がその『創世記』を受け取ればこのクエストは終了ってわけだよね。俺も早く仲間のところに帰って魔王城に向かわないといけないんだ。受け取るだけでいいなら、早くそれを――」
エリアスが言いかけた途端、サトクリフの姿がまるで鉤爪に裂かれたようにその場からかき消えた。
――え、どこに行ったの?
唖然としてきょろきょろしているアキの背後に、突如としてサトクリフの長身の影が現れる。
(え―――……!?)
「いやだねェ、そんな簡単に渡すわけないでしょ。魔王サマから、あんたらにこの写本を渡す条件として、勇者殿が自分の中に眠っている潜在的な力を自覚してから、って言われてんだよなァ。だもんで、お嬢さん、ちょっと失礼しますよっと!」
首筋に息が触れるほどの近距離に現れたサトクリフは、背後からアキの腰に腕を回すと、そのまま軽々と担ぎ上げて大きく後ろに飛びのいだ。
アキを抱えたまま近場にあった巨大な岩山をひょいひょと駆けあがると、そのてっぺんに座り込み、そっとアキをその場に降ろす。
(な、なにが起こったのっ!?)
急にかっさらわれてしまって呆気に取られながらも、アキがその場から逃げようとして身を起こすと、すぐに彼が腰に腕を回してぐいと自分のほうに引き寄せた。
「な、な、な、なにするんですかっ、離してくださいっ!」
(――なんで急にこんなことになってるの……!)
いったい自分をどうする気なのか。サトクリフの胸を押しながらエリアスのほうへ顔を向ければ、彼の金髪の姿が岩山の下――だいぶ離れたところに小さく見えていた。
どうやらずいぶん高い岩の上まで運ばれてしまったようだ。
軽々と移動してみせるあたり、さすがサトクリフも魔族、常人離れした力を持っているのだろう。
アキは力ではサトクリフに勝てないと判断して、必死にかたわらの彼の説得を試みる。
「あのっ、エリアスの潜在的な力ってなんなんですか! こんなことをして、いったいなんの意味が――」
「うっわ、耳もとで大きな声上げないでもらえるかなァ。ナコ嬢のお姉さん、お名前は?」
「へ? ア、アキですけど……。って、名のってる場合じゃないですから!」
反射的に答えてしまったのんきな自分につっこみたい。
羞恥から顔を真っ赤にして怒鳴ると、サトクリフが魔族らしく病的に整った端正な顔立ちに笑顔を浮かべて、くっくっと低く笑った。
「素直でかぁわいいねェ、アキちゃんは。勇者殿が好きになっちゃうのもわかるっていうか。ねぇ、勇者殿?」
「彼女を離せ! それ以上触れてみろ……――俺はおまえを許さない」
最後のエリアスの言葉はあまりにも低く小さく呟かれて、彼が心底怒っているのが伝わってくるようだった。
いつかカロリーナ王女の前で見た、いつものおだやかな彼とは似ても似つかぬほどの冷えた双眸でサトクリフを睨みつける。
すらりと抜き身で持たれた聖剣の刀身が、青い花の光を照り返し、遠目から見ても目がくらむほどに輝いていた。
静かに怒りをあらわすエリアスに、サトクリフが面白そうに唇を持ちあげる。
「おまえを許さない……いいねェ、力の発現にはそういう激情が必要なんだ。やっぱりアキちゃんを人質にとって正解だったなァ。今の勇者殿が執着しているのは、勇者という立場でも世界を救うことでもない、アキちゃん、君だけなんだからねェ」
サトクリフがアキの顎に手を添えて、ぐい、とそれを持ちあげる。
息も触れるほどの距離で、サトクリフが切れ長の瞳で見つめてくる。
魔族特有なのか、獰猛さを思わせる整った目が、悪戯を思いついた子どものような光を宿していた。
「や、めてくださいっ……!」
突き飛ばそうとした手首を、サトクリフにつかまれる。
はっとして腕をすばやく引こうとしたけれど、彼の力が強すぎてびくともしない。
サトクリフの細腕からは想像もできないような力の強さだ。
「そのお願いは聞けないなァ。――ねぇアキちゃん、君、もう勇者殿と口づけは済んでるんだよな?」
「……へ?」
恐怖に駆られる中、思いもよらない質問を投げかけられてアキは目を白黒させる。
どうしてこの状況でそんなことを聞かれなければならないのだろう。
そんな個人的なことサトクリフに答える筋合いはないし、そもそも今の状態と質問の意図がまったくつながらないじゃないか。
混乱して顔を赤くしたまま押し黙っていると、サトクリフはそれで確証を得たと言わんばかりにうなずいた。
「なるほどなるほど、もう済んでるわけかァ。それなら、オレ様が一回アキちゃんにキスしたところで、さしたる問題はないよな?」
「な、なにを言ってっ……、―――んっ!?」
抗議しようとしたのもつかの間、アキの軽く開いた唇をサトクリフの薄い唇が強引にふさぐ。触れた部分から伝わる感覚に、アキは目を見開いたまま、サトクリフを押し返すこともできずに身体を強張らせた。
恐怖に震える瞳で彼を凝視すれば、彼はくすんだ緑色の眼を楽しげに細めていた。
(なに、これ……)
衝撃と混乱で、思考が止まる。
自分は今、なにをされているのだろう。
どうして出会ったばかりの人に触れられているのだろう。
言いようのない罪悪感がアキの心の中にわきあがる。
エリアスに他の男性に触れられている姿を見せるなんて、こんな最低なことはない。
自分が一気に汚れてしまったように感じる。
――いやだ、こんな、こんな……!
(やめてっ、離して……!)
アキは、サトクリフを押しのけようと彼の胸を両手に力を込めて押し返す。
けれど、自分ごときの平凡な女の子の力では、彼の身体は一ミリたりとも動かない。
唇をふさがれたままの状態で、じわりと目の端に涙がにじんでくる。
くやしくてくやしくて、それでも逃れられなくてかたく目を閉じようとした瞬間、サトクリフとつながった唇をとおして、なにか苦味のある液体がアキの口の中に流れ込んだ。
口内にあふれる液体に抗いきれず、ごくり、とアキの喉が上下する。
(なにか、飲まされた――!?)
飲み下した液体が体を流れ込むのと同時に、体中がじくじくと痛みはじめた。
なんだろう、体がだるい……。
飲まされたのは、きっと普通の液体ではないのかもしれない。この痛みとしびれ、もしかしたら毒なのではないだろうか。
(最初から、そのつもりだったの……?)
だから自分をさらって、口移しまでして。
くやしい。どうして自分は、いつもいつも、エリアスの足を引っ張ることしかできないのだろう。
弓を使えるようになって、少しは強くなったつもりでいた。エリアスや仲間たちと一緒に戦える気がしていた。
けれど、やはり生きてきた世界が違うのだから、どんなに努力してもけっして追いつけないものがあるのだろうか。
そうだとしたら、自分はエリアスの恋人を名のる資格があるのだろうか。
どうしても越えられない隔たりが、二人の間にあるのだとしたら―――。
痛みで混濁してくる意識の中、かすむ視界を凝らしてサトクリフを睨みつけると、彼は不敵に口角を持ちあげてこちらを見守っていた。
意識を保つのが限界に近づいてきて、ふらりとアキの体が後ろに倒そうになると、サトクリフが壊れ物を扱うかのようにやさしく腕を伸ばしてそれを支える。
「さわら、ないで……」
かろうじて抵抗する言葉を吐いてみたが、力の抜けた身体ではサトクリフに抗うこともできない。
「アキっ……! 貴様っ、その手を離せ!」
エリアスの怒気をはらんだ叫び声が聞こえて、こちらに向かって駆け出す足音がかすかに耳に聞こえてくる。
――エリアス、ごめんなさい。いつもいつもいつも、あなたに助けられてばかりで。
本当に、こんなことで自分は恋人としてエリアスを支えていけるのだろうか。
重い使命を背負って立つ彼を、守ることができるのだろうか。
情けない自分に泣けてくる。
そして、泣くことしかできない自分に腹が立ってくるのだ。
―――強くなりたい。
勇者の片腕として、エリアスの隣に立っても恥ずかしくないくらいに。
そう願いだけを心に描いたまま、アキは、サトクリフの腕の中で気を失った―――。




