第三十二話 小さな勇者様
開門された遺跡に足を踏み入れると、内部は、石畳の一本道がはるか暗闇の先まで伸び、左右の石壁には巨大な人型の石像が立ち並ぶ神秘的な様相をしていた。
壁には、古代文字の羅列や神話と思われるレリーフがびっしりと描かれており、自分たちが歩く一本道の両脇には底なしを思わせる暗く沈んだ側溝が壁に沿うように続いている。落ちたらひとたまりもなさそうだ。
等間隔に並ぶ石像は一体一体がろうそくを携えており、そこには炎の光明が灯っていた。
ひと気がないにも関わらずろうそくの火だけが点々と揺れているため、まるで自分たちがやって来るのを待ち構えていたかのような不気味さがある。
けれど、連続して続いているその明かりのおかげで、さきほどの洞窟に比べると足場が明るいため、カンテラを灯す必要がないのは手間がなくてありがたかった。
アキはきょろきょろと周囲を見渡しながら、両手で体を覆って身を震わせた。
「なんだか、両方に側溝があると落っこちそうで怖いですよね。しかも少し肌寒いし……」
石に囲まれた内部はひんやりとしていて、外とは別種の空気が流れているように感じる。
遺跡内にアキのつぶやきが反響して、先頭を歩くエリアスが足を止めて振り返った。
「この遺跡は水属性が強いから、気温を高めてくれる火属性が弱いんだろう。体温に気をつけないと、寒さで動けなくなってしまうかもしれない」
そう答えながら、エリアスはつかつかと後方のアキへと歩み寄る。
どうしたの、と目の前までやってきたエリアスを見上げると、彼は背をかがめてアキの顔をのぞき込んだ。
「アキ、もし寒いなら、俺のマントでもはおる?」
「……へ?」
思いがけない申し出に、アキは目を丸くする。
――エリアスのマントをはおる。
それはつまり、彼氏のシャツを彼女がはおるような、いわゆる彼シャツならぬ彼マントではないだろうか。
(いやいやいや、私いつエリアスの恋人になったの……!)
自分のたくましい妄想力が恥ずかしい。
心の中で自分につっこみを入れながら顔を赤くしていると、そんなこちらの心中には気づいていない様子で、エリアスが胸元にある羽根型のエンブレムをぱちんと外した。そうして、はおっていた純白のマントを腕にかけると、それをそっとアキの目の前に差しだした。
「これ、よかったらどうぞ。自分で着られる?」
「あ、ええと、自分で着られる……というか、本当に借りてもいいんですか?」
ずっと身につけていたマントを外しては、エリアスだって寒いだろう。
おずおずと訊き返すと、エリアスは、もちろん、とにこやかにうなずいた。
「構わないよ。俺にとっては、君が寒い思いをするほうが心配だからね。それに俺、普通の人よりは丈夫にできているから」
明るく言って、エリアスは力こぶを作るふりをしてみせる。
ふとミーナたちを見れば、エリアスだけではなく、彼らもさほど厚着ではないのに自分ほど寒がってはいない気がする。
もしかしたら、レベルの上下も体感温度に関係しているのかもしれない。レベルが高いと、おそらく寒さへの耐性も強いのだろう。
それじゃあお言葉に甘えて、と、アキはエリアスからマントを受け取り、じっとそれを眺めてみる。
……これ、どうやって着たらいいのかな。
がばりと背中からはおって、襟元をエンブレムで留めればいいのだろうか。
マントを垂れ幕のように持ったまま硬直しているアキを、エリアスがしげしげと見つめてから小さく笑う。
「そうだよね、最初は装備の仕方ってわからないよね。――ほら、ちょっと後ろ向いて」
エリアスはアキの肩に両手を置くと、くるりと後ろを向かせる。そうして、アキから受け取ったマントを彼女の背中に垂らし、胸の前に腕を回して彼女の首元でぱちんとエンブレムを留めた。そうして、彼女の背中へふわりとマントを流す。
すると、アキの背中でエリアスの純白のマントが軽やかに揺れた。
「よし、できた! アキ、こっち向いて」
「う、うん」
どきどきしながらエリアスに向き直ると、彼はこちらを上から下まで眺めてきょとんとしたあと、なにか可愛い小動物でも前にしたように声を上げて笑いだした。
「うん、似合う似合う! なんだか、君が俺のマントを着ていると小さな勇者みたいだ」
手を伸ばしたエリアスに、ぽんぽんと頭をなでられる。
……これは、褒められているんだろうか。それともからかわれているんだろうか。
アキとエリアスのやりとりを見守っていたミーナが、エリアスの発言を聞くなり楽しげに手を叩いた。
「あら本当! なんだか小さな女の子勇者様みたいでかわいいわ! 守ってあげたい勇者様って感じね」
ミーナに同意するように、ルイスも深々とうなずく。
「ふむ、女性勇者というのもなかなか愛らしくていいな。いっそ、エリアスよりもアキが勇者だったほうが、詩曲の筆がはかどったかもしれないな」
「……ルイス、それ、俺が勇者じゃ不満ってこと?」
ふくれ面をするエリアスに、ミーナとルイスがおかしそうに笑い声をあげる。
ミーナたちがエリアスをなだめる光景を見守りながら、アキは、エリアスのぬくもりの残るマントをそっとたぐりよせた。
(なんだか、エリアスがそばにいて守ってくれてるみたいでうれしいな……)
彼マントにどきどきしてしまうあたり、自分も相当エリアスのことが好きなのだろう。
マントをはずしてコートだけの姿になったエリアスもなかなかスマートで格好いいなと思いつつ、アキはにやける頬をおさえる。
「それじゃあ、そろそろ先に進もう」
エリアスが場を収めて、アキたちはまた遺跡の奥地に向かって歩きだす。
視線の先には、一本道の石畳がまっすぐに伸びている。
この先には、いったいなにがあるのだろうか――。
未知の冒険にわくわくと胸を躍らせながら、初めてのクエストが始まる。
みんなで相変わらずの一本道を淡々と進む中、最後方を歩くルイスが、最前列を歩くエリアスの背中に声を投げかけた。
「ところでエリアス、このあたりで隊列を決めておかないか。この遺跡は通路が狭そうだから、魔物と遭遇して混戦になる前にメンバーの立ち位置を決めておいたほうがいいかもしれない」
「ああ、たしかにそのほうが臨機応援に動けるよね。それじゃあ――前衛は近距離攻撃の俺と、罠と魔物の気配感知に優れているミーナに立ってもらうのがいいかな。後衛は、遠距離攻撃のアキと補助魔法のルイスに頼みたい」
「おっけー!」
「承知した」
「わかりました!」
ミーナ、ルイス、アキがそれぞれにうなずき、エリアスが指示した隊列に並び替えて、あらためて石畳の道を歩きだす。
いったいどれだけまっすぐに進めば、この道は終わるんだろう……。
行けども行けども両脇に側溝のある一本道が続くばかり。あまりにも同じ景色が永遠と続くものだから、なんだか同じところを繰り返し行き来しているだけのようにも思えてくる。エリアスやミーナ、ルイスが指摘しないのだから、きちんと前に進んでいるのだとは思うけれど……。
それにしても、この先魔物と遭遇したとして、自分はきちんと『弓使い』として戦えるのだろうか。
そもそも、弓矢持ってないのに戦えるの……?
今更ともいえることに気づいて、アキは青くなりながらルイスの隣に並ぶ。
「……ねえルイス、ひとつ聞いてもいいですか?」
「ん?」
「……私、冒険者ギルドで『弓使い』になったはずなのに、肝心の弓矢を持ってないんです。もしかして私、このままじゃ戦えないんじゃないかって……」
きちんとした職業に就いたはいいけれど、かんじんかなめの武器がない。これってすごく、間抜けなことになっているんじゃないだろうか。
つぶやくように嘆いて、アキはがっくりと肩を落とす。
戦闘といえば、原野でエリアスとレオ、ヨハンのパーティメンバーと一緒に魔物と戦ったとき以来になるが、あの時は彼らがあっという間に魔物を一掃してくれたため、自分は呆然とすることしかできなかった。だから、今回こそ自分も武器を手にとって仲間たちの役に立ちたかったのだけれど……。
(せめて武器屋さんで弓と矢を買ってくる必要があったんじゃ……)
歩きながら不安げにルイスの顔を横目に見ると、彼はとんでもないことを聞いたといわんばかりにぴたりと立ち止まった。
「ルイス、急にどうし――」
「……アキ、もしかして君は、『勇者の片腕』が持つ武器の特性を知らないのか?」
「え?」
アキに皆まで言わせずに問いかけたルイスに、アキもまた足を止めて首をかしげた。
勇者の片腕が持つ武器の特性、とはなんだろうか。
レオが、なにか言っていたっけか。
思い返してみても、それらしいことを言われた覚えはない。沈黙していると、ルイスがアキのスーツの胸ポケットを指で示した。
「君のそのペン、それが魔法使いから召喚してもらった『勇者の片腕』専用の武器だろう? それを手に取って、弓矢になるように念じてごらん」
念じる……?
怪訝そうな顔を浮かべると、ルイスはにこにこ笑った顏で「とりあえずやってみてごらん」と促してくる。
物は試し、とアキは左のひらにペンを寝かせると、弓矢の姿を念じながら右手をその上に覆い被せた。途端、両手に包まれていた鋼製のペンの表面が一瞬きらめいて、遺跡内に銀色の光をはしらせる。
それを合図に、鋼で造られていたペンの外面が、鋼を熱で溶かしたように上下に細長く伸び始めた。それはやがて、アキの背丈ほどの大きさにまで引き伸ばされる。
「え、え、なにこれ!」
変形していくペンをぽかんと口を開けたまま握りしめていると、それはみるみるうちに枝の広げた樹木のような見事な形の弓に変化した。
それに驚いているのも束の間、突然肩口にわずかに重みを感じたかと思うと、皮のベルトでたすき掛けをした形状で、矢筒がすとんと背中に下がった。どうやら、弓だけではなく、矢や矢筒も同時に顕現される仕組みらしい。
「す、すごい……!」
アキは、手に持った弓を掲げながら目を輝かせる。
これもまた女神様の力なのだろうか。
感動のあまり、両手で弓を握りしめていると、ルイスが満足そうにほほ笑んだ。
「やはりな。『勇者の片腕』専用に召喚された武器は、君の意図に従って自由に変形させることができると聞いたことがあったんだ。君の職業は『弓使い』であるから、君専用の武器であるペンが弓矢に変形したのだろうな」
そこまで言って、ルイスはアキの手もとにある弓矢をながめる。
「それにしても見事な弓矢だ。形も美しい。君の武器を召喚した魔法使いは、よほど腕の立つ者だったのではないか?」
賛辞を述べるルイスに、アキはうれしくなってうんうんと何度もうなずいた。
複雑な魔法陣を足もとに展開させながら、鮮やかに武器召喚魔法を発動させてくれたレオの姿が思い浮かぶ。
(やっぱりレオは、天才魔法使い様、なんですよね!)
自称ではなく、おそらくそれは真実なのだろう。
あとで宿屋に帰ったら、レオが召喚してくれた武器が立派な弓矢になってくれたよって伝えなくちゃ。
きっと、しっかり使いこなしてみせろよ、とうれしそうに笑ってくれるだろう。
早くレオに見せたいな――なんて思っていると、一連のやり取りを見守っていたミーナが、とんとんと跳ねながら駆け寄ってきた。
アキの手もとにある弓をしげしげと見つめながら言う。
「すごいわ、なんだか宝飾品みたいに綺麗な弓矢ね! たしかその武器って、アキのレベルに関係なく使いこなせるものなんじゃなかったかしら。『勇者の片腕』の武器って、自分で操作しなくても、弓が勝手に動いて魔物と戦ってくれるはずなのよね。武器自体に戦う意思が宿ってるっていうのかしら」
「え、それどういうこと?」
なんだかとてもありがたいお話を聞けた気がして、アキはミーナにつめよる。
ゆったりと歩み寄ってきたエリアスが、ミーナの言葉を継いだ。
「要するに、自動戦闘機能つきっていうことだよ。君に弓矢を扱った経験がなくても、弓自身が自分で判断して魔物をめがけて攻撃してくれるんだ。だから、君は少し訓練を積めば、高レベルの『弓使い』と同様に巧みに戦えるっていうことだよ」
なんと、そんな至れり尽くせりな力がこの弓に宿っているのだろうか。
それは、魔物との戦闘経験のない自分には大変ありがたい機能なのだが、他の冒険者の皆は必死に腕を磨いて武器を扱えるようになっていくというのに、自分だけその努力の過程を飛ばせるのはなんだか気が引けてくる……。
どうにも素直に喜べず、申し訳なさそうにアキが視線を落としていると、ルイスがくっくっと小さく笑った。
「君は本当に良い子なんだな。――まあ、そんなに気にすることはない。異世界から来た人間は魔物と戦うことに慣れていないから、魔物と遭遇すれば命を落とす危険が高いだろう? だから、女神が補助として特別に力を貸してくれているのだ。君は『勇者の片腕』なのだから、それくらいの能力補正はあってしかるべきということだ」
やさしく目を細めるルイスに、アキは、ありがとう、と笑い返す。
つまり、自分がエリアスたちの足を引っ張らないよう、この弓矢が特別に力を貸してくれるのだ。ならば、最大限この弓矢を使ってエリアスや仲間たちの役に立つのが自分の役目である。
アキは、感謝の気持ちを込めて弓の胴部分を額に寄せる。
「ふつつか者ですが、どうかよろしくお願いします」
――未熟な私のために、あなたの力を貸してください。
額に弓を当てて祈ると、まるでそれに応えるかのように、弓の表面を銀色に瞬いた。
なんだか、こちらこそよろしく、と挨拶を返してくれたようで――アキは弓の存在を確かめるようにきゅっと握り、自分の新たな相棒にうれしそうに笑いかけた。
そうしてわずかばかり一本道を進んだところで、今度はポケットに入れていた手帳が急かすように数回振動した。
手帳の振動―――もしかして、魔物が近くにいるのかもしれない。
「みんな、ちょっと待って!」
アキは前を歩くエリアスとミーナに鋭い声を投げかけてから手帳を取りだした。それを手のひらに乗せると、例によって頁がひとりでにめくれていく。
そうして見開かれた頁に目を凝らすと、前方から複数の赤い点が点滅しながらこちらに迫ってきている。
アキは鋭く目を細めると、エリアスとミーナ、ルイスの顔を見まわした。
「みんな、魔物が来ます! 前方、一、二……十体っ……!」
赤い点の数をすばやく数えれば、十もの点がひしめいている。
これは結構、大所帯と遭遇してしまったのかもしれない。
エリアスが手慣れた様子で聖剣を抜き払い、魔物がやってくるであろう前方の通路を振り仰ぐ。
「十体か、なかなか数が多いね。――けれど、問題ない」
ミーナが腰の後ろに下げていた短剣を手早く抜き、聖剣を構えたエリアスを見て興奮気味に飛び跳ねた。
「ちょっとエリアス、かっこいいじゃない! 噂の勇者様と一緒に戦えるなんて、これ以上ないくらいわくわくするわね! エリアスの足を引っ張らないようにしなくちゃ!」
「ミーナ、そんな謙遜しなくても大丈夫だよ。そういう君も相当レベルが高いだろう?」
視線を前方に向けたままエリアスが言うと、ミーナも前を見据えたまま口角を持ち上げる。
「うふふ、まあね! あたしだって、勇者様とパーティが組めるくらいには強いわよ。――ルイスもそうでしょ?」
「うむ。音楽の技術だけではなく、戦闘の技術も一級品であるところをお見せしないとな」
「……あんた、なにちゃっかり自分の音楽のこと自画自賛してんのよっ」
ルイスの軽口に、すかさずミーナがつっこんでいる。
(なんか、ルイスもミーナも余裕って感じだなあ)
多数の魔物との戦闘を前にしても、いつもどおりの平静さを失わない二人は、きっと今まで多くの経験を積んできたのだろう。
ここにレオとヨハンはいないけれど、ミーナとルイスがいてくれるから大丈夫だ――アキは、ミーナたちの勇ましい姿に奮い立つ思いだった。
弓を具現化させながらエリアスに視線を向ければ、彼は原野での戦闘と同じように、凪いだ風のような無表情をしていた。その冷静さがまた彼の凄みを感じさせる。
(よし、今度こそ私もみんなの足を引っ張らないようにしなきゃ! ――お願い、力を貸してね)
アキは、緊張で震える両腕を叱咤しながら、前方に弓を構える。
前回の原野での戦いのときは、怯えるばかりでエリアスたちに助けてもらうことしかできなかった。
けれど、今回は自分にも戦う力がある。
今度は自分の力で魔物と戦って、微力でもいいから仲間たちを守ってみせるのだ。
前方の暗がりから、魔物の陰がゆらゆらと近づいてくる。
ひた、ひた、ひた、と特徴のある足音。
徐々にその気配が近づき、魔物の異形の姿が露わになったところで、アキはごくりと息を呑んだ。
その魔物は、二足歩行をする人型をしていた。けれど、顔の両脇からエラが生え、身体は青い皮膚で鱗に覆われており、魚そのものの様相をしているのだ。その手には、長い槍の形をした銛を握っている。
「半魚人っ……」
その独特の容貌に、うげ、とミーナが顔をしかめる。
黴のような鼻をつく臭いが辺りに充満した。
アキは、魔物を前にしてかたかたと震える腕をおさえると、背中の矢筒から矢を取り出し、弓の番える。
――落ちついて、アキ。大丈夫、ちゃんと戦える。
だって、レオの召喚してくれたこの弓矢が、私の力となってくれるのだから。
アキは一度深呼吸をすると、鋭い光を秘めた目で、半魚人を見すえた。




