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第二十八話 底なしの力

 宿屋の待機組であるヨハンは、手元に抱えた転移魔法用の手鏡に魔力を送り込みながら、途切れそうになる意識を必死に留めていた。


 レオと交替で魔力の注入にあたっているとはいえ、こうも急激に、そして持続的に魔力を消耗すると、回復が間に合わずに極度の疲労から意識が遠のいてくるのだ。


 視界がぼやけ、目の前にある手鏡が二重三重に見えてきたヨハンは、慌てて目を擦ってため息をついた。


 現在、自分と入れ替わりでテーブルを挟んで向かい側の長椅子にいるレオは、休息のため、仰向けに寝転んだままつらそうに目を閉じている。


 レオがうわ言のようにぼそぼそと話しだした。


「……ああ、すっげぇ眠い。いや、眠いを通り越して意識を失うな、これは。魔力を急激に消費すると生死に関わるってじっちゃんが言ってた……」


(じっちゃん……?)


 ヨハンは手鏡から目を上げ、横たわっているレオを怪訝そうに見つめる。


「レオ、じっちゃんって誰ですか。ずいぶん朦朧としているみたいですが、しっかりしてください」


「……じっちゃんは、俺の魔法の師匠」


 律儀に回答が返ってきて、ああ、とヨハンはそれに納得する。


 『魔法使い』は学府で修練を積む必要があるというのは周知の事実なのだが、まずその学府に入学するためには、入学試験として魔法の実技試験に合格しなければならない。


 実技試験は学府のペーパー試験に負けず劣らずの難関で、『魔法使い』を目指す少年少女たちは、それに合格するため、『魔法使い』の職に就く冒険者に師事していることが多いのだ。


 じっちゃんとは、レオにとってそのような立場にあたる人物なのだろう。


(レオをここまでの実力者に育て上げたんですから、『じっちゃん』は相当に力のある魔法使いに違いないですね)


 そう結論づけたヨハンは、レオから視線を外して、手もとの手鏡に意識を戻す。


「そうですか。では、その『じっちゃん』に恥じないためにも、きりきり手鏡に魔力を注ぎ込んでくださいね」


「わーかってるって」


 レオはひらひらと手を振って答えつつ、長椅子の上で大きく伸びをした。


 ヨハンはふと思いたって、ちらりと部屋の壁かけ時計を見やる。


 エリアスとアキが冒険者ギルドに向かってから、早2時間近くが経過しようとしていた。


 その間、自分とレオは交互に手鏡に魔力を注ぎ続ける荒業を行っているのだが、継続して魔力を垂れ流すことは『神官』や『魔法使い』にとって最も負担となる行為なのだ。

 休憩を挟むことなく全力疾走を続けているようなものなのである。


 自分の見立てでは、魔王城まで転移するための魔力を溜めるにはこれを一晩は続けなければならない。


 レオの言うとおり、きちんと自分の魔力消耗を考えながら行わなければ、生死をさまようことになりかねない状況だった。


 ヨハンは、再度手鏡に視線を戻しながら、うっすら浮かんでいる額の汗を拭う。

 さあ再開だ、と指先に魔力を集中させたそのとき、部屋の扉が元気よく開け放たれた。


「ただいま戻りましたぁ!」


 現れたのは町に食材の買い出しに行っていたナコで、ずいぶん買い込んだのか両手いっぱいに買い物袋を引っ提げている。


 ヨハンは反射的に顔を上げ、ナコに笑顔を向けようと試みた。けれど、疲労のせいか上手く表情が動かせず、弱々しく笑うことしかできない。


 自分も相当まいっているな、と苦笑いを浮かべ、ヨハンはナコに声をかけた。


「おかえりなさい、ナコ。首尾よく買い物はできましたか」


「はい、できました――ってヨハンさん! 顔色が真っ青じゃないですか!」


 大きな目をさらに大きく見開いて、ナコは慌てて買い物袋をテーブルに置くと、ヨハンのもとに駆け寄ってくる。


「え、ええ、まあ、もともと顔色は良いほうではありませんが」


 ナコの心配を和らげようと、ヨハンは冗談交じりにおどけてみせた。


 実際、生まれつき肌の白い自分は血色がいいとは言えないのだ。

 それが今や、青白い顔に極度の疲労が加わったおかげで、さらに病的に見えているのかもしれない。


 こちらを気遣うように見つめるナコの視線を受けながら、ヨハンは手もとに寝かせている手鏡に意識を向けた。


 目を閉じ、全身の魔力を手のひらに流すように集中し、それを一気に手鏡に注ぎ込む。


 途端、体温が急激に冷え込むように、寒気がざっと全身を襲った。


 ヨハンは眉根を寄せて小さく身震いする。


 ――手足が冷たい。


 そう感じながらうっすらと瞳を開くと、自分の魔力が送られた手鏡は、その周囲にふわりとした銀の輝きをまとい始めていた。


 魔力が蓄積されてきた証拠だろう。


 だが、手鏡に魔力が溜まるぶん、反比例して自分のそれが奪われて体が衰弱していく。


 ヨハンは天井を仰いで息を吐いた。


「……さすがにこれは、きついですね。こんな調子で、魔力を溜めきるまで自分の体力が持つかどうか……」


 眉間に手を添えてぼやくと、ナコは膝を折って心配げにこちらの顔を覗き込んでから、なにかを決め込んだように立ち上がった。


 さきほど買ってきた買い物袋に歩み寄るナコの姿を目で追っていると、ナコがくるりとこちらを振り返る。


「ヨハンさん、わたし、みなさんの体力が少しでも回復するようになにかごはん作りますね! わたし、料理は得意なんです」


 ふふ、といたずらっぽく笑って、両の手を拳に握ってみせる。


 その元気な仕草を見ているだけで、こちらまで自然と活力が湧いてくるようだった。


 ヨハンはどこか眩しげにナコを見つめながら、穏やかな笑みを浮かべる。


「それは助かります。そうですね……、できれば温かい料理を作ってくださるとありがたいです」


 魔力消耗のせいで軒並みに体温が落ちているので、温かい食べ物を口入れれば少し落ち着きそうだ。


 お願いばかりですみません、とヨハンが断ったと同時、向かいの長椅子で寝入っていたレオがもぞりと体を動かした。


「ナコ、俺は甘いもの」


 いつから聞いていたのか、突如会話に参加してきたレオにヨハンは半眼になる。


「……起きていたんですか」


(静かなので、てっきり寝てるのかと思ったんですが)


 けれど、レオはこちらの質問には答えないまま、ヨハンに背を向けるようにして寝返りを打つ。


 どうやら、ナコの言葉には答えるくせに、自分の言葉は無視を決め込んでいるらしい。まったく、贔屓もいいところである。


 ナコが鼻歌交じりに台所に消えたのを確認してから、ヨハンは気を取り直して、レオの寝転んだ背中に声を投げかけた。


「レオ、ナコが勇者と魔王の仲介役を買って出てくださったことについてなのですが……」


 『神殿』出身の自分にとってもまさかの事態だった、ということを伝えたくて、ヨハンは遠慮がちに言う。


 少しの間を置いて、レオがこちらにごろんと体を向け、疲れ目を擦りながら口を開いた。


「ああ、魔王の真意はよくわかんねぇけど、魔王の片腕であるナコが協力的なのは助かるよな。魔王と戦わずに済む方法があるなら、それに越したことはねぇし」


 ヨハンも同意して頷く。


「そうですね。僕も良いきっかけだと思っています。おそらく『神殿』の意向には反するかと思いますが、僕自身としては、この先どう物語が変じて行くのか楽しみなんですよ」


「なるほど。要するに、『神殿』にとっても前代未聞の異変だってことだよな」


「はい……。歴代の勇者と魔王の戦いの中で、魔王が勇者に対して和解を持ちかけてくることなどなかった。今回のことが、魔王の意思なのか、それともナコの独断なのかはわかりませんが」


 レオは、仰向けのまま首の後ろで両手を組み、天井を見上げる。


「……まあ、少なくとも俺は、ナコの独断じゃねぇとは思ってるぜ。だってよ、魔王ほどの実力者が、ナコがひとりで手鏡を使って姉に会いに来るのを見逃すと思うか?」


 レオはちらりと横目でヨハンを見てから、また宙に視線を戻した。


「俺には、裏で魔王にすべて仕組まれていると思えるね。ナコの動きはもちろんのこと、俺たちの動きですらも」


「ええ。ナコ自身が魔王の糸に引かれていることに気づいているかどうかは別としてですね」


「そういうこと」


 ヨハンは苦笑する。


「だとしたら、やはり魔王は人が悪いですね。さきほども話題に出ましたが、片道分の魔力だけではなく、僕らが転移する分の魔力も溜めておいてくれても罰は当たらないのに」


「そういうめんどくせぇ性格なんだろ。『それくらいの魔力、自分たちで溜めて会いに来い。私は逃げも隠れもせずに待っているぞ、ふはは』ってな」


「……なんですかその高笑い。それが事実だとしたら、ずいぶんありがたい歓迎の仕方ですよね」


「な。ありがたすぎて涙ちょちょぎれるよなあ」


 あーあ、と脱力したようにまた長椅子で寝返りを打つレオに、ヨハンは肩を竦める。


 ふと、部屋に備え付けの台所からナコの陽気な鼻歌が聴こえてきた。


 ずいぶんと複雑なメロディだ。ナコの世界の――平行世界の曲なのだろうか。


 軽快な調べとともに、彼女がこしらえてくれているのであろう食事の香ばしい匂いが漂ってくる。


 どこか懐かしさを感じる家庭的な雰囲気に、ヨハンはひそかに頬をほころばせた。


「食事のいい匂いをかぐだけで元気になりますね。まだまだ頑張れそうな気がしてきます」


 レオが大きく伸びをした。


「そうだな。――よし、ナコも頑張ってくれてることだし、俺ももうひと踏ん張りもふた踏ん張りもすっかな。ヨハン、交替」


「助かります」


 ぐるんぐるんと肩を回しながらレオが立ち上がり、それと入れ違うようにして、ヨハンはレオが寝ていた長椅子に倒れ込む。


(疲れた……)


 気を抜けばすぐに眠り落ちてしまいそうだった。


 ヨハンは椅子にもたれかかったままぼんやりと目を開け、手鏡を左手に持ち、右手を鏡に覆い被せるように添えているレオに注目する。


 レオが紫色の両目を細め、念じながら目を閉じると、奔流のような多大な魔力が即座に手鏡に流れ込んだ。


 手鏡を包む輝きが一気に増す。


 ヨハンは目を見開いた。


(すごい……! レオがいれば、一晩とかからずに魔力を溜められるかもしれない……)


 自分の予想をはるかに超える力を発揮するレオに、ヨハンは素直に拍手を送る。


「素晴らしいですね。貴方の魔力は底なしですか」


 もしかしたら、この世界でトップクラスの魔力量を備えているのではないだろうか。


 レオは血色の良い顔をこちらに向け、きょとんとする。


 さきほどまでは、自分と同じようにぐったりしていたと思ったのだが、少し休んだだけでレオの表情からは一切の疲労感がなくなっている。


「さあ、どうだかな。もともと俺は、他の魔法使いと比べて魔力値が高かったんだよ。だからエリアスの仲間に選ばれたんだろうな」


「……だとしても、その魔力量は異常でしょう」


 教皇の息子という血筋に生まれ、他者と比べたら抜群に魔法の才に恵まれた自分でさえ疲労が溜まっているのだ。


 それなのに、レオが送り込む魔力にはまったく衰えがない。


 ――本当に、人間業なのだろうか。


 レオはがしがしと後ろ頭をかく。


「俺、さっきみたいに一瞬うたた寝すれば、ある程度魔力が回復するんだよ。魔力が底なしっつーよりは、回復が速いんだろうな」


「そう……ですか」


 ヨハンはそれきり黙りこむ。


 人智を超えた魔力の回復力――レオのその言葉を聞いて、先刻のナコの言葉が蘇る。


 レオの顔立ちは魔王に似ている。彼女はそう言ったのではなかったか。


「レオ、貴方――」


「あの、お二人とも休憩にしませんか? 食事の用意ができました!」


 ヨハンが言いかけたところでナコの声が割って入り、ヨハンは口をつぐんだ。


(出鼻をくじかれてしまいましたね……)


 ヨハンの言葉は聞こえていなかったのか、レオは手鏡をテーブルに置いて嬉々として立ち上がった。


 台所で料理をよそっている様子のナコに声を投げかける。


「おお、ありがとな、ナコ! すぐ行くわ!」


 「おまえも早く来いよー」とヨハンに軽く声をかけ、レオはナコの待つダイニングへと歩いていく。


 ひょこひょこと揺れるレオの背中を、ヨハンは無言で見つめ続けた。

挿絵(By みてみん)

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