第二十六話 伝説の語り手
ほどなくして吟遊詩人の演奏が終わり、詩人を取り囲んでいた観衆から温かい拍手がわき起こった。
故郷を思わせる物静かでどこか切なげなメロディーに、遠く離れてしまった自分の世界を思い出してすっかり音楽に聴き入っていたアキは、周囲の拍手の軽やかな音ではっと意識が引き戻される。
吟遊詩人を振り仰ぐと、詩人は弦を手で押さえ、余韻を残しながら演奏を終えたところだった。
途端、場内にはがやがやとしたギルド内の雑音が舞い戻ってくる。
詩人は優雅な仕草で立ち上がると、冴えるような碧眼で周囲の観衆を見渡した。
「ご静聴ありがとう。また別の街でも演奏する予定だから、その際は声をかけてもらえたら嬉しい」
吟遊詩人の発する声は、不思議とよく通る響きを持っていた。
(もしかして、声の良さも『吟遊詩人』の素質のひとつなのかなあ……)
だとしたら、ますます吟遊詩人のジョブに就ける冒険者は限られてくるんじゃないだろうか。
冒険者が次々に吟遊詩人に賛辞を贈りながら立ち去っていく中、アキはジュースを口に運びながら隣のエリアスに目をやった。
「ねぇエリアス、さっき吟遊詩人さんが次の町でも演奏しますって言ってたけど、吟遊詩人っていろんなところで演奏するんですか?」
「そうだよ。吟遊詩人は詩曲を演奏しながら町を渡り歩くんだ。旅芸人のようなイメージかな。それで、この世界の神話や童話を語り継いでいくんだよ。それを生業としている冒険者だからね」
へえ、とアキは頷く。
ただ演奏して歩いてるいるわけじゃなく、たくさんの人に物語を布教しているのだ。
「そうだな、代表的な詩曲としては――」
言って、エリアスはしれっとした顔で自分を指差した。
「たとえば勇者と魔王の物語を演奏してくれたりするよ」
「え? つまり、エリアスと魔王が主人公の話、ってことですか?」
「そう。今代の場合は俺たちになるね。まだ俺たちは旅を始めたばかりだから、詩曲になるのは魔王を倒してからになりそうだけれど」
無事に魔王に勝てればの話ね、とエリアスが付け加える。
「吟遊詩人は、今アキがつけてくれている冒険日記を参考に詩曲を作り上げるんだ。だから、アキの手帳はとても大事なんだよ。詩曲は後世に永遠と語り継がれていくからね」
(永遠と……!)
たらり、と冷や汗を流しながらアキは自分の手帳をめくってみる。
一応毎日日記をつけてはいるのだが、一日三行から多くて十行程度、しかも自分がその日できなかったことの反省文まで書いてある。
このプライベート感満載の恥ずかしすぎる日記が、吟遊詩人さんによって目を皿のようにして読まれ、そして永久に世の中に広まり続けていくとか……耐えられない。
(どうしようこれ……今日から真面目につけよう……)
うう、とアキがうなだれて、エリアスがそれを不思議そうに見やったところで、アキとエリアスの目の前にぬっと影が降りた。
なんだろう、とアキたちがそろって顔を上げると、そこにはさきほどの吟遊詩人がにこやかな笑顔で佇んでいた。
「――やあ、私の歌はどうだったかな、お嬢さん」
さ、と片手をあげた吟遊詩人は、アキたちと向き合うように腰かけると、テーブルに肩肘をついて笑いかけた。
詩人の、肩先に触れる程度のゆるやかにうねった黄色の髪が揺れる。
男性の中では白めの肌に長い睫毛をした外貌は、女性であるアキを気後れさせるくらい端正なものだった。
(う、すごく綺麗な人……! 男の人、だよね?)
エリアスに出会ったときもその綺麗な顔立ちに度胆を抜かれたが、この吟遊詩人の見た目も、自然と頬が熱くなってしまうくらいに美しい。
(この世界の男の人って、みんな綺麗なんだなあ……)
こう、周りにいる男の人たちが美しい人ばかりだと、平凡である自分がいたたまれなくなってくる。
なんと反応したらいいものかとアキが縮こまっていると、詩人はさも楽しそうに唇を持ち上げた。
「ああ、もしかして声も出ないほど惚れ惚れするような歌声だったか。それは光栄だな」
「へ?」
吟遊詩人ならではなのか、やや過剰な自信を感じさせる発言にアキは頬を引きつらせた。
(もしかしてこの人、ちょっとナルシストだったり……?)
とはいえ、あれだけの良い声と演奏の技術を持っているのだから、それを裏打ちする自信があってもなんらおかしくはないのかもしれない。
一連のやりとりを無言で見守っていたエリアスは、アキに無遠慮に接する詩人がどこか気に食わなく感じたのか、わずかに眉根を寄せた。
「申し訳ないけれど、俺の前で彼女を口説くのはやめてもらえないかな」
むっとしているエリアスに、詩人はなにかを察したのか笑いながら両手をあげる。
「おっと、お嬢さんには専属の騎士様がいたのだな。これは失礼した」
「他を当たってもらえると助かる」
エリアスは、なんとなくアキを庇うように身を乗り出す。
(あれ、もしかしてエリアス、嫉妬してくれてるとか?)
見るからに憮然としているエリアスの横顔が可愛らしくて、思わずアキが小さく笑うと、エリアスが首を傾げた。
「どうして笑うの、アキ」
「ううん、なんでもない。ただちょっと、嬉しくて」
「嬉しい?」
エリアスが目を丸くする。
にぶい彼に気づいてほしくて、アキはいたずらっぽい眼差しを向けた。
「だって、詩人さんに嫉妬してくれたんでしょう、エリアス?」
「嫉妬?」
意表をつかれたように、エリアスはぽかんと口を開ける。どぎまぎした様子でアキから視線を逃がした。
「……嫉妬、これが嫉妬なのかな。俺、今まであまり物事に執着したことがなかったから、よく、わからなくて……」
もしかしたら、『勇者』として生きてきた彼は、必要以上に周囲に感情を乱されないよう、物事から一歩距離を置くようにしていたのかもしれない。
常に冷静さを求められることもまた、彼を孤独にする要因の一つになっていたのだろう。
そしてそれが、少しずつ少しずつ変わり始めているのだ。
それが良いことなのか悪いことなのかはわからないけれど、少なくとも自分が彼に意識してもらえていることが嬉しくて、アキはエリアスに微笑みかけた。
彼もまた、少し照れくさそうに笑い返してくれる。
なんだかいい雰囲気の二人をじっと眺めていた吟遊詩人は、わざとらしく肩を竦めてみせた。
「なるほど。お二人はとても仲が良い。私が入り込める隙はないようだ」
言って、吟遊詩人は好意的に唇を持ち上げた。
「自己紹介がまだだったな。私は、旅の吟遊詩人ルイス・ニール。特定のパーティには所属していない独り者なのだ。ここで出会ったのも何かの縁、今後ともお見知りおきを」
吟遊詩人――ルイスは、背負っていた弦楽器を膝の上に乗せ、そこに指を走らせて一度和音を奏でてみせた。
優しく響き渡る繊細な音色に、アキは思わず満面の笑顔で拍手を送る。
「すごい、何度聴いても綺麗な音ですね! ルイスさんって、歌声も素敵だから歌でも演奏でもなんでもござれですよね」
「ルイスでかまわないよ。それにしても、君は本当に可愛いお嬢さんだな。そう手放しで褒められると嬉しくなってしまうね」
「ルイス……」
どこか睨みつけるエリアスに、ルイスは明るい調子で笑った。
「そう怒るな。君の騎士様はなかなかに嫉妬深いな」
朗らかに笑っていたルイスは、そこで突然真顔になり、こちらを試すようにすっと目を細めた。
「――ところで聞きたいのだが、貴方は、今代の勇者エリアス・リーランドで間違いはないか?」
ルイスが低い声で含んだように言い、その碧眼を光らせた。
途端、エリアスもまた鋭く目を細め、アキを守るように片腕を突きだす。
突如不穏になる空気に、アキはエリアスに身を寄せるようにして、不安げにルイスを見つめた。
(ルイスは、エリアスの正体を知ってる……?)
エリアスのことを今代勇者だと知っていて近づいてきたのだとしたら、なにか目的があるのだろう。
いつかカロリーナ王女の前で見せたように、エリアスから触れたら切れそうなほどの緊迫した気配が感じられる。
険のある目つきのまま、エリアスはルイスの真意を探るように言った。
「……『勇者』に近づいてくる者は、大概は好意的ですが、中にはその名声を利用しようと企む者もいます。――貴方の目的はなんですか」
アキは視線を伏せる。
エリアスは、誰もに愛され敬われる『勇者』であるけれども、それは輝かしい面ばかりではないのだ。
勇者という称号が他者に悪く利用されないよう、守り続ける立場でもあるのだろう。
(エリアスが守らなきゃいけないものって、たくさんあるんだ……)
彼の抱えているものの大きさに、やはり彼が雲の上のような人であることを実感して、アキはずきりと胸が痛む。
(やっぱり、私なんかがエリアスを守れるようになろうだなんて、思い上がりなのかな)
『勇者の片腕』とは、彼にとってどんな存在であればいいのだろう。
警戒心を露わにするエリアスに、ルイスは身の潔白を証明するように両手をあげた。
「すまない、誤解を招くような言い方をしてしまったな。私はただ、今代の勇者と魔王の物語の語り手に名乗り出たいだけなのだ」
ルイスはきまり悪そうに笑って、首を傾げる。
「私は、幼少期から勇者と魔王の物語に憧れて育ってきたのだ。そして、いつか自分が、勇者の英雄譚を語り継ぐ者になりたいと夢を描いていた。それで『吟遊詩人』になったのだ」
ルイスは、エリアスから視線を外してアキを見やる。
「だから、君たちが私の演奏を聴きにやって来たときは心躍る気持ちだった。今代の勇者の片腕に選ばれた女性は、異界の服装をしていると聞いていたからな。それで、君たちが勇者とその片腕その人ではないかと、賭けの気持ちもあって声をかけてみたのだ」
アキは驚いて自分の服装を見下ろした。
まさか、自分の服装のせいでエリアスの正体がばれてしまうとは思っていなかった。
たしかにこのスーツ、他に着ている人はいないから、かなり目立つかもしれないけれど。
ごめんなさい、とエリアスに心の中で謝っていると、息を吸い込んだルイスが、こちらに向かって深々と頭を下げた。
「頼む、君たちの冒険の語り役として私を採用してほしい。私を勇者のパーティに入れてほしいんだ!」
周囲への配慮からか、ルイスは声を潜めながらも、熱意を込めて言い放った。
まさかの申し出に、エリアスとアキは顔を見合わせる。
戸惑っているアキとは対照的に、エリアスは願ったり叶ったりと言わんばかりに、ぽんと軽快に手を叩いた。
「ああ、そういうことだったのか。俺たちのパーティに志願してくれるなんて、とてもありがたいよ。ちょうど俺たちも『吟遊詩人』を探しているところだったんだ」
「本当か!?」
子どものように目を輝かせるルイスに、エリアスはうんうんとにこやかに頷く。
「けれど、ルイスならわかっているかと思うけれど、勇者パーティに入るというのは命の危険が伴うよ。魔王を倒すまで、なにがあろうとも旅を続けなければならないからね。それでも構わない?」
「それはもちろん覚悟の上だ。それに、私も冒険者としては手練れの部類に入るほうだ。勇者殿の足を引っ張るような無様な真似にはならないと思うのだが」
「そうだろうね。俺から見ても、ルイスは俺たちと遜色ないくらいにレベルが高そうだ。『吟遊詩人』は戦闘向きではないから、貴方くらいに高レベルな冒険者は珍しいね。だから、俺としてもぜひ勇者パーティに入ってほしいと思うんだけれど、ただ――」
「ただ?」
先を促すルイスに、エリアスは後ろ頭を掻いてみせる。
「俺が頼りないからか、勇者パーティへの加入は俺の一存では決められないんだ。必ず他の仲間たちに相談してから可否を出すように、って仲間たちに言われていて」
レオとヨハンに口を酸っぱくして言われているエリアスの様子が思い浮かんで、アキは小さくふきだした。
きっとあの二人は、エリアスを前にするとまるで母親のように口うるさくなるのだろう。
それもこれも、エリアスがあの二人に大切にされてるからなんだろうなあと思う。
エリアスから、なんで『吟遊詩人』が勇者パーティにとって必要なのか聞いてみたところ、歴代の勇者一行も必ずパーティに吟遊詩人を入れて、自分たちの冒険を詩曲として記録してもらっていたそうだ。
「――で、吟遊詩人が作り上げたその物語を語り継いで次代の勇者に伝えていくっていうのが、この世界のお決まりのルールなんだよ」
人差し指を立てて解説するエリアスに、アキは自分の手帳に視線を落としてうなだれる。
「……じゃあやっぱり、私のこの恥ずかしい手帳をルイスにお見せしないといけないってことですよね……」
「なんだ、なにか人に見せるには恥ずかしい内容でも書いてあるのか? どれ、貸してみなさい」
「わぁああ、だめだってば!」
慌てて手帳を抱え込んで、エリアスとルイスが声をあげて笑いだしたところで、遠くからこちらを呼ぶ声が聞こえてきた。
「エリアス、アキ―――――!」
はっとそちらに顔を向けると、ここからでも目立つ赤毛をしたミーナがぶんぶんと手を振っている。
「ミーナ! こっちこっち!」
アキが立ち上がって手招きをすると、ミーナは軽やかに冒険者の人波をかいくぐって、あっという間にアキたちのテーブルのところまでやってきた。
「もう、こんなところにいるなんて思わなかったから探しちゃったじゃない! で、無事にクエスト登録が終わったんだけど――」
そこまで言って、ミーナはアキたちと一緒にいるルイスを見るなり、目を丸くした。
「――あら、どちらさま?」




