第二百四十八話 最後の勇者、最後の魔王
まどろみのなかで、アキはふっと目を覚ました。
窓の外はあいかわらず雷雨が吹き荒れているけれど、この部屋の中は、それとは違っておだやかで幸せな空気に包まれていた。
ふと隣を見やれば、エリアスが掛け布にくるまって深い寝息をたてている。
掛け布から覗く彼の上半身は裸で、上体を起こしている自分もまた同じ格好で、昨日の夜に夢ではなく本当に彼と愛し合ったのだということを実感して、アキはひとりでじわじわと真っ赤になってしまう。
(エリアス、身体、傷だらけだったな……)
初めて触れ合った彼の肌はどこもかしこも傷だらけで、浅いものからきっと深手を負ったものまで様々だった。
いまも痕に残ってしまっているところをみると、きっと彼がまだ若い少年だったころに負った傷も多いのかもしれない。そういえば、『勇者』は生まれたときから魔物に狙われるものだといつかエリアスが言っていたっけ、とアキは思いだす。
(傷だらけの身体、まるでエリアスの心のようだった……)
彼は、身体だけではなく、きっと心も大小さまざまな傷だらけに違いないのだ。
それだけ過酷な人生を、彼は生きてきたのだから……。
(彼のたくさんある傷のひとつでも、私が癒せたらいいのにな)
自分が一緒にいることで、彼の背負ってきたものが少しでも軽くなるといい――そう願いながら、エリアスの肩口の傷跡にそっと指先で触れたそのときだった。
「……ん、アキ……?」
澄んだ翠色の瞳をうっすらと開けるエリアスに、アキは昨夜の出来事を踏まえてどう彼に接したらいいのかわからず、どぎまぎしたまま胸元の掛け布を手繰り寄せる。
「あ、あ、お、おひゃようございます、エリアス……!」
か、噛んだ……!
ああああ、と羞恥で真っ赤になって今すぐ寝台に突っ伏したくなっていると、エリアスは聞いていたのかいないのか、それにはなにも答えずにむんずとアキの腕をつかむと、そのまま自分の胸の中に引き寄せた。自分の腕の中に飛び込んできたアキを、エリアスはぎゅうと両手で抱き込む。
「よかった……! やっぱり夢じゃなかったんだね。ありがとう、アキ、俺を選んでくれてありがとう――……」
アキの耳元で必死にささやかれるエリアスの声は、少し涙ぐんでいるように聞こえた。
それだけで、自分は彼を少しでも幸せにできたんだと感じることができて――アキはエリアスの背中に腕を回して抱きしめ返すと、目の涙を浮かべながらうなずいた。
「うん……! これからも末永くよろしくお願いします、エリアス!」
そうして――。
各々に一夜を過ごした仲間たちは、再度、魔王城の会議の間に集合していた。
勇者パーティと魔王パーティの面々が全員席に着いたところで、先日から司会進行役を務めているヨハンが口火を切る。
「――それでは、さっそくですが全員そろいましたので、昨日の会議の続きを開始させていただきます。単刀直入に申し上げますと、本日の議題は、前回の会議で答えが保留となっていた守り神についてです」
ヨハンの遠慮がちに言う声が、静寂に包まれている場内に響き渡る。
アキは、ごくりと唾を呑み込んだ。
司会進行のヨハンの声音や、他のみんなから向けられる視線から、みんなが自分たちに気を遣っていることが伝わってくる。
この世界の守り神となること……それはこの世界のために自分の身を捧げること。
誰もがその事実をわかっているからか、当事者であるエリアスとアキ、魔王とナコ以外に己の意見を述べる者はいなかった。
耳が痛くなるほどの静けさのなか、自分たちが一番に意見を述べようとアキが隣の席に座るエリアスの横顔を見上げようとしたところで、先に魔王がみんなを見回した。
「――では、私たちから結論を述べさせていただこう、ナコ、良いか」
一度咳払いをした魔王が、隣のナコに優しく目を細めた微笑みを向けると、魔王のことを見上げたナコが静かに深くうなずいた。
ナコの瞳には魔王に対する深い信頼が浮かんでいて、ふたりも昨晩にしっかりとおたがいの気持ちを伝え合って答えを出したのだろうということがうかがえた。
魔王が、ナコとふたりで出した答えを代弁する。
「結論から言わせてもらうが、私とナコは、この世界の守り神の任を担うことを引き受けることにした。私はともかくナコはこの世界での生まれではないから、こちらの世界に残ることを選択すると元の世界との兼ね合いも必要となるであろうが、それでも彼女は私とこの世界で生きていくことを選択してくれた。私が最後の魔王としてこの世界の守り神になりたいと言ったわがままを彼女が聞き入れてくれたのだ」
最後の魔王……。つまり魔王は、いままで何代と生まれては勇者に倒されてきた魔王という役割を自分の代で最後にして、もう魔王として犠牲になる命を出さないということなのだろう。
(そうだよね……、私たちが守り神になれば世界の構成元素のバランスは保たれるはずだから、もう勇者と魔王を用いて創造エネルギーを注入する必要はなくなる)
つまり、エリアスもまたこの世界最後の勇者になるわけだ。
自分たちが守り神になることで、これ以上、己の使命のために犠牲にならなければいけない命を減らせるのだとしたら、喜んで守り神になりたいとアキは思う。
エリアスが、魔王が言い終わったと同時に顔を上げて、瞳に決意のこもったおだやかな光を宿して仲間たちを見回す。
「俺とアキも、魔王とナコと同じ答えです。――最後の勇者として、この世界の守り神を務めます、彼女とふたりで。そして、魔王とナコと力を合わせて」
ね、とエリアスがアキを見下ろして、アキはうなずいてからみんなに顔を向ける。
「昨日エリアスとしっかり話し合って、その結論になりました。この世界の守り神になることがどういうことなのか、やってみなければ本当にはわかっていないのかもしれない。でも私は、この世界のために私にできることはなんでもしたいんです」
この世界は、自分とエリアスを引き合わせてくれた大切な場所。
そして、レオやヨハン、ミーナといったかけがえのない友だちと出会えた場所。
この恩義を返したいのだ――自分が永遠に、この世界を守り続けることで。
魔王とナコ、エリアスとアキの結論を聞いた仲間たちは、彼らがそう言うことはどこかでわかっていたとでもいうように、一様に黙って聞いてくれていた。
その静寂のなかで、レオが、はいとばかりに片手を挙げる。
「――……他のみんなもそうだと思うが、アスたちがその結論を出すことはわかってたよ。優しいおまえたちが、この世界を見捨てるようなことをするはずがねぇ。それがたとえ、自分たちの一生を犠牲にすることであってもな」
ヨハンがレオに同意するふうにうなずいてから、アキたちに目を向ける。
「僕は、エリアスたちが守り神の任を引き受けてくださること、この世界に生きるひとりの人間としてはこの上ないほどにありがたいことだと思っています。でも……」
そこでヨハンは言葉を切ってうつむいてから、大きく息を吸って声を張った。
「でも、あなたがたの友人として意見を言えば、僕は、とても寂しいです……! 僕の勝手な思い込みですが、これから先もずっと、みんなで切磋琢磨してこの世界で生きていけると思っていたんです、それこそ年を取っておじいさん、おばあさんと呼ばれるときまで。それなのに、エリアスたちが守り神となってしまったら、僕たち普通の人間とは生きる時間が違います。まるで、僕らとは隔絶された遠くに行ってしまうように僕には思えるんです」
ヨハンの必死な訴えが、場内に響き渡った。
ヨハンの言うとおり、人間とは違う存在となってしまったら、もうみんなに会うことは叶わないのだろうか。二度と会えなくなってしまうのだろうか。
自分たちは、まるで世捨て人のように隔絶された環境で生きていかなければならなのだろうか……。
(……みんなが年を取っていく姿を、自分はずっと変わらない姿のまま見送っていく。どんどんと取り残されていくことに、私は耐えられるんだろうか)
自分にはエリアスやナコや魔王がいてくれる。
ひとりではないのだから、きっと寂しくて寂しくて仕方ないということはないだろうけれども、それでも時代に取り残されていくというのは、空しい気持ちになるのだろうか。
はるかな先まで続いていく道を、エリアスたちと四人だけで歩いていく。
その道には、たくさんの人びととの出会いや別れがあるのだろう。レオやヨハン、ミーナやルイス、他の大切な仲間たちとの別れも……。
アキの胸の中を、いかんともしがたい寂しさが膨れあがっていたとき、エリアスが顔を上げて静かな声で言った。
「……それはきっと違うよ、ヨハン、みんな。生き方は違うものになったとしても、俺たちはともにこの世界を守っていく立場にあるんだ、創世の女神との戦いに打ち勝った者として。だから、大丈夫。俺たちは同じ方向を向いて生き続けられる。遠くに離れてしまうことなんてない、むしろ近くにいてこれからも支え合っていけると思うんだ」
――だって俺たちは、いついかなるときも勇者パーティのメンバーなんだから。
勝手にパーティの脱退は認めないよ、とエリアスが頬を膨らませている。
(ふふふ、エリアスって無自覚だけど結構な暴君だよね)
天然な人たらしの彼は、なにも不安に思わずに自分を信じてこれからもついてきてほしい、と言っているのだろう。『勇者』は常に先頭に立って突き進み、仲間たちはその大きな背中を信じてどこまでもついていくのだろう。
『勇者』という存在の尊さを――エリアスを通して、みんなが感じていた。
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