第二十一話 あの日の約束(後編)
「そっか……。それであの日、魔王が迎えに来たんだね」
ナコの話を聞き終わり、アキはほっと息を吐き出して宙を見上げた。
(ナコの体調が安定してきたのって、魔王の魔法が助けてくれたからだったんだ)
てっきりナコが年齢を重ねて体力がついたから病状も落ち着いたのかと思っていたのだが、まさかあの魔王の手助けのおかげだったとは。
それを知っていれば、あの日魔王と初対面で会ったときにお礼のひとつでも言えたらよかったのだが、自分はずいぶんと失礼な態度をとってしまったと思う。
(今度会ったときは、忘れないように言おう!)
妹を助けてくれてありがとう、あのときは失礼をしてごめんなさい、と。
だとしても、理由も告げずに自分勝手に妹をさらっていった魔王にも非があるとは思う。
あれでは変質者だと思われて、自分に恨まれても仕方はないだろう。
「それにしても、小さいときにナコとあの魔王にそんなエピソードがあったなんて、お姉ちゃん全然知らなかったなあ」
話してくれてもよかったと思うんだけどな、とおどけて笑えば、ナコは申し訳なさそうに体を小さくした。
「本当にごめんなさい……。わたし、あの日魔王様に再会するまでは、小さいときのことは夢だったんじゃないかって思ってたんだ。だから、本当に魔王様がわたしを迎えてきてくれたときは、やっぱり夢じゃなかったんだって思って、そしたら気持ちが焦っちゃって……」
恋は盲目、ということだろうか。
たしかに、実際長らく恋い焦がれていた夢の中の初恋相手と現実に再会したら、気持ちが昂ってしまっても仕方はないのかもしれない。
それでも、あのとききちんと事情を説明してくれていたら、あんなに魔王を疑うこともなかったのかもしれないけれど。
けれど、あの場で魔王とナコからとつとつと異世界云々の事情を説明されても、まったく理解できずにあきれ果てていた可能性はある。
なにせ、自分自身も異世界でエリアスたちと出会って初めて、やっと魔王や勇者、この世界の存在を確信することができたのだから。
「ごめんね、お姉ちゃん……」
ナコは泣きそうなほどか細い声でもう一度謝る。
アキは手を伸ばし、彼女の頭をそっと撫でた。
「大丈夫大丈夫。さすがに魔王とナコがこの世界に行っちゃったときはびっくりしたけど、魔王はナコにとって初恋の人だったんだよね? だったら、必死について行く気持ちもわからなくはないかなあ」
明るい声で言えば、ナコは顔を赤らめてうつむいた。
(正直言えば、ナコが本当にあの魔王と婚約してたっていうのには驚いたんだけど……)
てっきり、魔王が『魔王の片腕』のことを誇張して婚約者だと言っているのだと思っていたから。
ナコと魔王、時空を超えた恋ではあるけれど、お互いのことを大切に思い相思相愛であることは間違いないのだろう。
自分はナコの姉として、彼女には幸せになってほしいと思う。だから、大切な妹の想いを応援したいとは思うのだが。
(けど……)
ナコと魔王は、根本的に生きる世界が異なるのだ。その想いは成就するのだろうか。
アキは、自分の両方の膝に乗せていた両手を、ぐっと拳に握りしめる。
(私だって、エリアスのことが好きだけど……)
エリアスの優しいところ、可愛らしいところ、格好良いところ、そして強がりだけど本当は寂しがり屋なところ――彼の人柄のすべてが好きだと思う。
けれど、想いが通じ合うかどうかはまた別の問題なのだ。
彼との間には、障害が多すぎるのだから。
「……お姉ちゃん、大丈夫?」
急に黙り込んでしまったアキに、ナコが心配げにこちらの顔を覗き込む。
アキは、はっとしてからばつが悪そうに笑った。
「あ、急にごめんね。なんだか、ナコと魔王は、世界の壁なんて軽々と越えて好きあっててうらやましいなって思って……」
アキが言外に含んだ意味を察したのか、ナコは優しく目を細めて微笑んだ。
「……それって、エリアス様のことだよね?」
言い当てられ、アキは頬を少し桜色に染めたあと、うん、と小さく頷いた。
自分も、ナコと魔王のように、別の世界に住んでいることや、勇者様とその片腕という使命をものともせずに、エリアスと両想いになれたらどんなに幸せだろう。
けれど、彼はこの世界の誰からも、そして誰よりも愛される『勇者様』で、自分などが望んでいい人ではないのだ。
そんなこと、頭ではわかっているはずなのに――。
(私、どんどんエリアスのこと、好きになってるみたい……)
一緒にいるうちに彼のいろいろな面を知って、そのたびに素敵だな、可愛いなと思って、彼のそばにいたいという思いが強まっていくのだ。
絶対に叶わない思いだと、だからこそ自分がつらくなるだけなのだと、わかっているのに。
ナコはアキを気遣うように見やってから、言葉を選びながらぽつりと口を開いた。
「……わたしは、エリアス様もお姉ちゃんのことが好きなんじゃないかなって思うよ」
いきなりのナコの発言に、どきり、と心臓が飛び跳ねる。
突然なにを言うの、と、アキはじわじわと熱くなる顔をそのままに目の前で手を振った。
「な、ないない、それはないよ! エリアスは、だって、『勇者様』で、前に特定の人を特別視しちゃいけないって自分で言ってて……!」
説明しながら、胸がきゅうと締めつけられるように痛くなってくる。
そうだ、エリアス自身がそう言っていたじゃないか。
はっきり自分の気持ちを彼に伝えてはいないけれど、ちゃんと自分は、あのときに振られていたのだ……。
不覚にもじわりと涙ぐんでいると、ナコがアキの手の上に自分の手を重ね、ふるふると首を振った。
「お姉ちゃん、それはきっと、エリアス様がお姉ちゃんに自分の気持ちを伝える資格はないって思ってるから、そう言ったのかもしれない。エリアス様って、自分の気持ちよりもなによりも『勇者様』としてのお役目を優先して考えちゃいそうだから。……もしかしたら、特別な人を作ってしまうのを、怖いと思っているのかもしれないね」
「怖い?」
「うん。エリアス様が守らなきゃいけないものってすごくたくさんあるでしょ? だから、きっと誰よりも大切で守りたい人がいたとしても、その人だけを守るわけにいかないから、もしかしたら、その人を守りきれないかもしれないから、だから、そういう人を作ってしまうのを怖がっているんじゃないかな」
ナコはときどき、人の本質を見抜くようなことを口にすることがある。そういうときの彼女は、どこか物事を悟っているような落ち着いた眼差しをすることが多かった。
こちらがはっとするほど達観した様子は、もしかしたら、彼女の中に眠っている女神の存在が関係しているのかもしれないと、ナコと魔王の話を聞いた今では思う。
(もしも……もしもエリアスが本当にそう思ってくれてるんだとしたら、私はどうすればいいんだろう……)
どうしたら、彼の本音を聞くことができるのだろう。
(エリアス……)
心の中で問いかけた呼びかけが聞こえたかのように、戸口の外から賑やかな足音と話し声が響いてきた。
「ったくアス! おまえいつの間にさっきの仮面買ったんだよ! 無駄遣いすんなっつっといただろ!」
この威勢のいい声はレオで、その直後にふてくされたようなエリアスの返事が続く。
「だって売り切れたら二度と手に入らないかもしれないじゃないか! それに、レオだってそのお菓子の量は買いすぎだと思うけれど」
「はあ!? 俺のお菓子は魔力回復用なんだよ! おまえのその変な仮面と違ってちゃんと用途があってだな……」
「なんでもいいですから二人とも静かにしてください! アキとナコに笑われますよ」
最後にヨハンの喝が入り、レオとエリアスはそれきり黙ったのか廊下の賑やかさが静まり返る。
アキとナコはお互いに顔を見合わせ、申し合わせたように同時に吹き出した。
「ふっ……あはは! エリアス様とレオさんとヨハンさんって、仲良いよね!」
お腹を抱えて笑うナコに、アキも楽しげに笑い返した。
「だね! ほんっと、いつまでも子どもみたいなんだから」
エリアスたちの明るさのおかげで、エリアスにどんな顏して会えばいいんだろう、と悩んでいた気持ちが吹っ飛んだ。
――エリアスへの気持ちは加速するばかりだけれど、それよりなにより、今は魔王城に行くことを考えよう。
アキが立ち上がると、同時に立ったナコが戸口まで小走りで走っていき、扉を開いた。
すると、大荷物を抱えたエリアスたちがぞろぞろと部屋の中に入ってくる。
「ただいま、アキ、ナコ」
さわやかな笑顔で手を上げるエリアスの片腕には、ぱんぱんに物が入れられているのであろう、彼の顏が隠れるくらい大きな紙袋が抱えられている。
おかえりなさい、とエリアスに答えて駆け寄ろうとすると、続いて部屋に入ってきたレオが嘆くようにぼやいた。
「あー、重い! なんでこんなに重労働なんだよ! さすがに買い込みすぎたんじゃねぇか、これ」
レオは早足でテーブルの前まで来て、抱えていた大きな紙袋をどかりとテーブルの上に降ろす。
その拍子に、袋に入れられていた紙箱やら薬の瓶とおぼしきものがばらばらと天板の上にこぼれた。
本当に、ずいぶんと買い込んだようである。
レオの隣に並んで、アキは紙袋の中を覗き込んだ。
「わ、いっぱい買ったねえ、レオ」
自分にはわからないような謎の消耗品たちが、所狭しと紙袋の中に詰まっている。
きっとこれだけの物を買い揃えるのも大変だっただろう。
そのうち綺麗な青色の液体の入った形の良い瓶が気になって、これなに、とレオに問いかけようとした瞬間、突如レオに両肩をがしっとつかまれた。
(えええええ、なにっ!?)
驚いて顔を上げると、正面にあったレオが整ったその顔をずいと近づけた。
何事、と硬直するアキに向かい、レオがたまらないといった勢いで早口でまくしたてる。
「ったくアキ、聞いてくれよ! 俺だって買い物なんかちゃちゃっと終わらせて帰ろうと思ってたんだが、ヨハンがやれあれも必要だのこれもないと大変だのごちゃごちゃうるさくてよ、あっという間にこの大荷物なんだよ!」
「あー……」
なんとなくその有様が想像できて、アキは苦笑いをしながら頬をかいた。
商品をピックアップして買い揃えるのはヨハンの役目で、力のありそうなエリアスとレオが荷物持ちになっていたのだろう。
最後に入ってきたヨハンが、レオに比べると小振りの袋をテーブルに降ろしてからふんっと鼻を鳴らした。
「よく言いますよ。貴方が買い込んだお菓子がかさばるからこのありさまなんでしょう。まったく、遠足に行くんじゃないんですからね」
「なんだとお!」
「ちょっとちょっと、二人とも待って!」
巨大紙袋を挟んで火花を散らすレオとヨハンに、アキは間に割って入って仲裁する。
うーん、と悩んだ末、ぴんと閃いて人差し指を立てた。
「つまり、どっちもどっちってことですよね!」
「違う!」
声をそろえて同時に否定するレオとヨハンがおかしくて、アキは声を上げて笑った。
よく口喧嘩をしているレオとヨハンだけれど、それは喧嘩するほど仲が良いということわざどおり、二人の気が合うからなのだろう。
「ほらみんな、おしゃべりもいいけれど荷造りも手伝って。俺とレオが多めに持って、次にヨハン、アキとナコは少量持ってくれれば大丈夫だから」
自前の布袋に次々と荷物を放り込みながら、エリアスが笑いかける。
だいぶ節操なくつっこんでいるようだが、あの入れ方で大丈夫なのだろうか。潰れたりしないのだろうか。
(エリアスって、そういうところこだわらなそうだもんなあ)
持てればいい、と思っているのかもしれない。
「エリアス、それ私手伝います! ちょっと入れ替えてもいいですか」
エリアスの隣に駆け寄って、アキは彼が入れた物を少し取り出して順番を入れ替えていく。
重いものが下、軽いものが上。あまり使わないものが下、よく使うものは取り出しやすいように上、というのは鉄板だ。
案の定、エリアスはそれについてこだわっていないのか、薬の瓶の間に薬草が折れ曲がるように入っていたりして、これではせっかくの物が使う前に駄目になってしまいそうであった。
そうして全員で協力してあーだこーだやりながら荷造りを終えたのち、アキたちはエリアスたちが買い揃えてくれた紅茶を淹れ、それを飲みながらひと息入れる。
アキは、良い茶葉なのか綺麗なオレンジ色をした紅茶を一口運び、口に広がったさわやかな渋みにほっと息をついた。
いよいよ次は魔王城へ出発――。不安や緊張もあるけれど、エリアスと魔王は二人とも落ち着いた性格であるし、信頼できる仲間も一緒にいてくれるし、そして勇者と魔王の片腕である自分やナコもいるのだから、きっと話し合いは上手くいくのではないかと思う。
(むしろ、気になるのは女神様のほうだよね……)
女神は自分たちの味方なのだろうか、それとも敵なのだろうか――。
アキは、女神から授かった手帳をそっと大事に握りしめる。
誰もが悲しむようなことが起きないよう、祈りながら。




