第百九十九話 彼女たちの決意
そんなこんなでミーナと一緒に町に繰り出したアキは、彼女に手を引かれて、町の中央広場までやってきていた。
ここは、前に港町に来たときにエリアスとふたりで見て回った思い出のある、アキにとっては懐かしい場所だった。
ついそのときのエリアスの声や表情を思いだしてしまって、それと同時にいまは彼は自分の手の届かないとても遠いところに行ってしまったんだという現実を実感させられて、アキはずきりと胸が痛んだ。
自分が落ち込んでいるのをミーナに悟られては申しわけないと、アキはひっそりと首を左右に振ってから気を持ち直す。
アキの手を引きながら前を歩いていたミーナが「この辺でいいかしら」と顎に人差し指を当てて呟いてから、中央広場一帯にぐるっと軒を並べている露店のひとつを指さした。
「ねぇアキ、よかったらあそこにあるジュース屋さんで冷たい飲み物でも買って、どこかでそれを飲みながらふたりで少し話さない?」
いいでしょいいでしょ、とミーナが気さくに誘ってくれる。
アキは、もちろん、と二つ返事でうなずいた。
「うん、私も久しぶりにミーナとふたりでおしゃべりできたら嬉しいな。ルイスとの馴れ初めも聞かせてほしいし」
うきうきわくわくしながら言うと、ミーナが頬を少し赤くする。
「ちょ、それ話さなきゃだめ? は、恥ずかしいんだけれど……」
「聞きたい聞きたい! だって私、ミーナとルイスのこと一番応援してたって自負してるんだよ。ふたりを紹介した仲人といえなくもないって思ってるんだから――って、そういう意味では仲人はエリアスってことになるのかな」
ミーナとルイスを『勇者』というキーワードで引き合わせたのは、間違いなくエリアスだ。彼があのタイミングでこの町を訪れなければ、ミーナたちはこの場で出会っていなかったかもしれない。
うーん、と考え込んでいるアキに、ミーナが声を出して笑った。
「まあ、そうね! ルイスとあたしが知り合えたのはエリアスのおかげって考えれば、仲人はエリアスとアキのふたりになるのかもしれないわ! あたし、勇者様のパーティに憧れていたのは本当だけど、アキ、あなたみたいに可愛い女の子がいたからあたしが力になりたいって思って、あたしは勇者パーティに志願したんだもの」
「え、そ、そうなの!?」
てっきり、ミーナは絵本で伝わる勇者物語に憧れていたから、正式に勇者パーティに加入してくれたんだとばかり思っていたけれど……。
そう言うと、ミーナは首を左右に振った。
「違うわよ。それもあるけれど、あたしは最初、エリアスがあの名高い勇者様ご本人だなんて知らなかったんだから。エリアスってば、ご丁寧に頭から布を被って綺麗なご尊顔を隠してたでしょ。だから、あたしが仲間にならせてもらったのは、勇者様のエリアスがいたからじゃない、アキ、あなたがいたからなのよ。だから――」
そこまで言って、ミーナがそっとアキの手を取った。
「……あなたがそんなに元気のない顔をしていると、あたしも、もちろんルイスもとても心配なの」
――あ……。
やはり自分はミーナたちに心配をかけていたのだ、とアキはあらためて気づかされて、無意識にうつむいてしまった。
みんなに心配をかけないようにいままで元気なふりをしていたけれど、それが空元気だったのだと、敏いみんなにはバレていたのだろう。
口ごもるアキに、ミーナや優しい口調で続ける。
「アキは、ここへ来るまでにいろいろなことがあったでしょう。あたしたちとは魔王城へ向かうところで分かれちゃったから、そのあとなにがあったのかいきさつだけは聞いたけれど、あなたの気持ちまでは聞いていなかったもの」
ミーナが、アキの手を握る自分の手にそっと力を込める。
彼女のあたたかい体温と優しさが繋いだ手を通じて伝わってきて、アキは抑え込んでいたつらい気持ちがあふれてきて、こらえるようにうつむいた。
神郷でエリアスを助けられなかった不甲斐ない自分が、これから月の女神を相手に戦ってエリアスを取り戻して、この世界を守ることができるんだろうか――とても大きな壁を前に、不安で不安で仕方なかった。
それでもこれは、勇者の片腕に選ばれた自分にしかできないことで、逃げるなんてことは絶対にしたくなくて、立ち向かわなくちゃいけないことで――。
自分にできるだろうかって、不安だった、怖かった。
失敗の許されないことが、こんなに手が震えて足が竦んでしまうなんて知らなかった。
(お役目に選ばれて異世界に召喚されるっていうことは、大きな責任が伴うことなんだ)
言葉に詰まってしまうアキを、ミーナが大きな瞳で優しく見つめる。
「……アキ、無理をしないで。いまのあなた、とてもつらそうで見ていられないわ。たぶん、ルイスもあなたがまいっているのを心配して、少し町で気晴らしをしておいでって言ったんだと思うの。あの人、おちゃらけているように見えて、人の気持ちに聡いところがあるでしょう。それを悟られないようにしているけど、ばればれよね」
「うん……、本当に、そう思う。ミーナもルイスも、とっても優しい。そんなふたりに心配かけちゃって、ごめん。なにがあっても負けられないって思って、頑張ってたんだけど、自分でもだいぶ、無理してたみたいで……」
ミーナの優しさに甘えて、弱音がぽろぽろと口をついて出てくる。
一度あふれ出すと止められなくて、アキは声を震わせながら言う。
「……私、本当は、情けない話なんだけど、ずっと不安で怖かったんだ。私にエリアスを助けられるかな、勇者の片腕として太陽の女神様の力を使いこなせるかな、その力で月の女神様を退けてこの世界を守れるかなって……っ」
アキは、言葉にしているうちに気持ちがどんどんとあふれてきて、それが涙に代わってじわりと瞳を潤ませる。それを慌てて指でぬぐいながら、アキは顔を上げた。
「ご、ごめんね、こんなこと思ってちゃ、異世界から召喚された勇者の片腕にふさわしくない、エリアスの恋人にふさわしくないって、わかってるんだ。こんな私じゃ、仲間のみんなも、この世界の人たちも幻滅させちゃうって……。だから、しっかりしなきゃって、私がエリアスもこの世界も助けるんだって、思っ――」
そこまで言って、涙がぽろりと瞳からこぼれ落ちた。
ああ、自分はこんなにもいっぱいいっぱいになっていたんだ。
それなのに平気なふりをして、自分の気持ちを押し込めて気を張って、ミーナとルイスに逆に心配をかけてしまった。
(……もう、本当、駄目だなあ、自分)
この世界に来てたくさんの冒険をして、仲間たちと力を合わせてたくさんの苦難を乗り越えてきて、きっと自分は強くなったと思っていた。
この世界に来て最初のころはエリアスやレオたちに守ってもらってばかりだったけれど、もう自分はひとりでも戦える、なんならエリアスたちを守ることだってできるんだって思っていた。
(……けど、やっぱり、ひとりじゃ駄目なのかもしれない)
エリアスたちが一緒に戦ってくれていたからこそ、自分は強くいられたのかもしれない。みんながいてくれるからこそ、なにがあっても大丈夫だって思えて、不安も緊張もどこかに吹き飛んでいって、どんどんと勇気と力が湧いてきたから。
アキは涙をこらえるように胸でぐっと拳を握ると、これ以上ミーナたちに心配をかけてはいけないと無理やり笑顔を作った。
「へ、変なこと言ってごめんね、ミーナ! 私、しっかりしなきゃね。もう、大丈――」
言いかけたアキに、たまりかねたようにミーナが両腕を伸ばした。そのまま、アキを守るようにぎゅっと強く優しく抱きしめる。
「ミ、ミーナっ!? 急に、どうし――……」
急な出来事に、なにが起きたのかと、アキはミーナの腕の中であたふたする。ミーナはそんなアキに構わずに、まるで小さな子を叱るように言い聞かせる。
「っだからもう、そんなふうにつらそうに笑わないで、アキ! その顔、なんだか思い詰めて笑ってたエリアスみたいよ!」
――エ、エリアスっ!?
なんでここでエリアスの話が、とアキはなかば混乱気味に思う。
ミーナは、アキの耳もとで諭すように言う。
「本当、アキとエリアスって似た者同士よね。自分ひとりだけで責任を全部背負おうとして、無理してどこまでも頑張っちゃう。だからいつもレオがきりきりしながら叱っているでしょう。もっと自分たちの周りにいる仲間を信頼して頼ってって」
あ……。
アキはふと、そういえば自分もエリアスによく同じことを言っていたっけ、と思う。
勇者としてひとりで頑張ってしまうエリアスに、もっと私のことを頼ってって、私がエリアスのことを守ってみせるからって、何度言っただろう。
(そっか……。私も、ミーナたちに同じ心配をかけちゃっていたんだ)
自分は、いつのまにか自分ひとりの力ですべてをなんとかしなきゃって思い込んでいたのかもしれない。
それで勝手に悩んで、いっぱいいっぱいになって、自分を追い込んで……。
自分ひとりの力でできることはたかが知れていて、限界がある。だから、そんな自分を支えてくれる頼りになる仲間たちがいてくれる。
ひとりで抱え込んでしまわずに、自分には重すぎるものに立ち向かわなければならなくなったら、頑張りすぎてしまうまえにみんなのことを頼らせてもらえばいいのだ。
自分の周りには、いまみたいに、困っているときに迷わずに全力で手を差し伸べてくれる、大切な仲間たちがいっぱいいてくれるんだから。
(――……そうだ、みんな私が及ばないくらいにとても強くて優しい人たちだから、私は自分ひとりでじたばたもがいてないで、みんなを頼って助けてもらえばいいんだ。それで、逆にみんなが困っているときは、私で力になれることがあったらいつでもみんなの助けになりたい)
おたがいに助け合える仲――仲間って、そんな大切でかけがえのない存在なのかもしれない。この世界を救う使命を背負ったエリアスに、たくさんの仲間が一緒にいるように。
アキは溢れていた涙を指先でぬぐうと、ミーナの背中に腕を回して、ぎゅっと少しだけ力を込めて抱きしめ返した。
「本当にいつもありがとう、ミーナ。ミーナは、いつも私を助けてくれて、私が間違ったときは優しく叱ってくれて、大事なことを教えてくれる。私、この世界でミーナとお友だちになれてよかった。これからも、私に力を貸してくれる……?」
ミーナはアキの体をそっと離すと、アキの両肩に手を添えてにっこりと笑った。
「もっちろんよ! あたしも、アキがこの世界に勇者と片腕として来てくれて、同じ勇者パーティの仲間になれて、こうして友だちになれてよかった。あたし、アキがいなかったら、きっとルイスに気持ちを伝える勇気なんて出なかったと思う。恋を応援してくれる友だちがいてくれたから、あたし、自分の力以上に頑張れたんだと思うわ。あたしに幸せになる勇気をくれて、あたしこそ本当にありがとう、アキ――……!」
ミーナの最後のほうの言葉は涙声になって、震えていて、彼女もぽろぽろと嬉し涙を流してくれた。それを見てまたもらい泣きしたアキは、ミーナとふたりで、おたがいの手を取り合って泣き顔で笑い合う。
(大切な仲間、大切な友だち、私は、自分の大事な人たちを守りたい。みんなに、幸せになってほしいから。だから、みんなを頼って、みんなの力を借りて、エリアスを助けに行こう。きっと不安な中でひとりで必死に耐えているエリアスを、ぎゅっと抱きしめて、みんなで助けに来たよ、もう大丈夫だよって、安心してほしい)
いつも一生懸命で、頑張り屋さんで、たくさん傷つきながら戦ってきた彼を少しでもいいから自分の力で幸せにしたい――それが、自分の一番の願いだ。
エリアスが笑顔でいてくれたら、他になにもいらないって思えるくらいに。
ミーナが、自分の涙を指先で軽く拭った。
「ふふふ、なんだかしんみりしちゃったわね。アキの大切なエリアスに安心して帰ってきてもらうためにも、他の仲間たちとの合流、それから三国同盟の決起、頑張りましょ!」
「うん! 私たちは私たちにできることをひとつずつ、だよね!」
アキの言葉に、ミーナが「その意気よ!」と笑んだ。
「そうと決まれば、まずは飲み物を買って、それから甘い物でも一緒につまみましょ! お腹が空いてると、船酔いするわよぉ」
うげっ!?
「ふ、船酔いかあ……。それは、つらいなあ」
うなだれるアキに、ミーナが声をたてて笑ってから、アキの手を取る。
「ほらほら、ルイスにたくさんお駄賃もいただいたことだし、ここは彼の気遣いに応えて思いっきり楽しませてもらいましょ! さー、遊ぶわよ!」
ミーナがいたずらっぽく片目を瞑ってみせて、アキも笑顔で心から頷いた。
「うん……!」
そうして、アキたちの船は群島諸国へ向けて出航する――。




