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第百七十五話 最大のピンチ


「――……少し、遅かったようね、あなたたち」


 太陽の女神フィリアが、燃えるような赤い髪を後ろに払う。


(遅かった……?)


 アキは、フィリアの不穏な言葉に表情を強張らせる。


(私たちは、最悪の事態が起きる前に間に合わなかったということ?)


 いや、そんなはずはない。


 現に、間一髪だったけれど、エリアスもこの世界も無事で――。


 アキは、出方を伺っているみんなに目配せをしてから、意を決して一歩前に踏み出す。


「あの、あなたはフィリア様、なんですよね……? フィリア様は、私がこの世界に召喚されたときから、右も左もわからない私にお力を貸してくださいました。フィリア様は、私たちに手帳を通してお言葉をくださって、私たちの旅を導いてくださっていたはずです。それなのになぜ、フィリア様は突然、このようにエリアスや私たちを追い込むようなことをなさるのですか? もし私たちに力不足のところがあったのなら、どうかおっしゃってください」


 アキは、必死に懇願するように言う。


 自分たちがフィリアの期待に応えられなかったのなら、どこに問題があったのか教えてほしかった。


 なにが駄目だったのか、どうすればよかったのか。


 自分なりに勇者の秘書として必死に努力してきたけれど、フィリアの希望に添えなかったのなら、せめて謝罪させてほしかった、こんなふうに一方的に攻撃するのではなく。


 言っていて、くやしさから声が震えてきて、つい涙ぐんでしまう。


 アキが言い終わると、みんながフィリアの回答を待って、しん、と静まり返る場内。


 唇を噛みしめているアキに、フィリアは、こちらがぞっとするほど優しくほほ笑んだ。


「いいえ、あなたたちに力不足だったところなどひとつもありません。むしろとてもよくやってくれました、愉快なほどに」


 愉快な、ほどに……?


 とげのある言い方に、アキは嫌な予感がしてどきどきと心臓が高鳴る。


 いままで黙っていたヨハンが、アキを庇うように前に出て、顔を上げた。


「……茶番はもう結構です、太陽の女神フィリア。いいえ――……月の女神エリスとお呼びしたほうがよろしいでしょうか」


 え―――?


 アキは絶句して、隣に並んだヨハンの綺麗な横顔を見つめる。


 ヨハン、なにを言って――……?


 真剣な表情のヨハンに、彼と向き合ったフィリアは不敵に笑った。


「あら、あなたにはもう正体がばれているようね。そう、私は太陽の女神フィリアではなく、月の女神エリス――フィリア姉さまの聖櫃に封印されていたエリスの魂の半身よ」


 創世歴時代に、聖遺物の聖櫃を用いて太陽の女神フィリアの身体に月の女神エリスの魂の半分を封じたという話は、サトクリフから聞いて知っていた。


 エリスの残りの半分の魂は、もうひとつの聖櫃であるナコに封印されているということも……。


 いまのフィリアの台詞が本当だとすると、自分がいままでフィリアの導きだと信じていた手帳に表示されていた文字や、自分に勇者の秘書としての武器と防具を授けてくださったのは、フィリアではなくエリスだった、ということなんだろうか。


(そうだとしたら、エリス様はどうして私たちの旅を助けるようなことをしたんだろう? この世界の破滅を願うエリス様にとっては、この世界に創造エネルギーを満たして存続させようとする私たちはお邪魔虫のはず……?)


 なんの理由がって、エリスは自分たちに手を貸したのだろう。


 アキは、片膝をついたまま微動だにしないエリアスの様子を心配げにうかがいながら、そんなことを心のなかによぎらせる。


 エリスは、疑問に思っているアキたちをあざわらうかのように顎を上げた。


「私の真意がわからない、とでも言いたげな顔つきね。私がこの世界を一度壊し、エドクレス様の理想郷となる世界を新しく造り直そうとしている――ということは、あなたがたは当にご存じのことよね。けれど、私は魂を二つに分けられて封印されていたから、いまのフィリア姉さまに封印されていた分の私の魂だけでは、すべての封印を解いて完全な月の女神として復活したとはいえないの。これでは力が半減してしまうから、とてもじゃないけれど新たな世界の創造なんてできないわ」


 エリスがわざとらしく首を左右に振ってみせる。


 いかに創世の女神のひとりである月の女神とはいっても、いまある世界を壊して新しく造り変える……いわゆる天地創造をするには、完全に力を取り戻していないと太刀打ちできないのかもしれない。


(じゃあ、エリス様は天地創造をするために、自分の全部の力を取り戻したいわけだよね。そのためには、フィリア様に封印されていた魂の半分と、もう半分の魂を取り戻す必要が――)


 そこまで考えて、アキはひとつの答えに行きついて、ざっと背筋が冷えた。


 エリスの魂の残り半分は、自分の妹に……ナコに封印されているのだ!


 レオも同じ結論だったようで、腰に片手を当てて言う。


「……なるほどな、全部繋がったぜ。月の女神エリス、おまえは太陽の女神フィリアを装って俺たち勇者パーティの旅に協力するフリをして、俺たちが勇者と魔王、勇者の片腕と魔王の片腕をそろえて、この神郷にやってくるように仕向けたわけだな。魔王の片腕で、かつ月の女神の魂の半身を宿すナコをその身に取り込むために」


 ヨハンもレオの同意するようにうなずく。


「理解できました。創世の女神は下位世界にいる人間たちに直接干渉することはできない――けれど、この上位世界である神郷でなら僕たちに干渉できる。だからナコをこの神郷に呼び込むことさえできれば、ナコに手出しができる、ということですね。だからエリス、あなたはさきほどアキの言葉に対して、僕たちに力不足なところなどなかった、と答えたわけですね」


 レオとヨハンがわかりやすくまとめてくれて、アキも辻褄が合って色々と腑に落ちる。


 まとめると、自分たちはエリスに良いように操られていた……ということなのだ。


 おそらくエリアスもエリスと話しているうちにそのことに気づいて、あとでやってくるであろう自分たちが少しでも有利になるように、ひとりでエリスと戦って手傷を負わせてくれていたのかもしれない。


(エリアス、いつもいつも、ありがとう。エリアスは、どんなときでも私たちのことを考えてくれていて、守ってくれているんだよね……)


 心配げにエリアスのことを見つめてみるけれど、やはり、彼はうつむいたままだ。


 こちらの会話が聞こえているのかどうかも、わからない。


(エリアス、どうしたの? やっぱりなんだか様子が変……?)


 どうにもいやな予感がする。


 巧妙に罠を仕掛けていたエリスが、さらになにかを仕組んでいそうな気がして。


 おびえてナコが一歩下がると、魔王がしびれを切らしたように彼女を庇って前に出る。


「――そのようなことは、させぬ! ナコは私の大切な女性だ。おまえになど、一歩たりとも近づけさせんぞ!」


 魔王の剣幕に、アキも勇気が奮い立ってくる。


 そうだ、私のかわいいナコを傷つけられてたまるか!


 アキも鼻息を荒くして一歩前に出た。


「魔王の言うとおりです! ナコは私の大切な妹、エリス様のお気持ちがどうであれ、おとなしくナコを差し出すわけにはいきません! それでもナコを傷つけるというのなら、私は全力でナコを守ります!」


 アキは胸ポケットに差していたペンを取り出すと、それを聖弓の形に変化させる。


 それを合図に、レオも、ヨハンも、魔王もサトクリフもギルフォードも、そしてナコもそれぞれの武器を手に取った。


 臨戦態勢に入ったアキたちを見回して、エリスが余裕しゃくしゃくに唇を持ち上げる。


「ふん、威勢のいいことね。けれど、そんなことを言っていられるものいまのうちよ。――魔王ケルディス、あなたは太陽の女神フィリアによって造りだされた存在よね」


 唐突にエリスが言って、魔王は虚を突かれた顔をする。


「そんなこと、当然だろう。おまえが知らぬはずはないと思うが……。なにをいまさら、そんなことを言って――」


 戸惑っている魔王に、エリスがおもむろに片手を差し向けた。


 なにをっ……!?


 自分たちは、エリスの不意打ちの行動に、とっさに身動きがとれない。


 その隙を突いて、エリスの指先に小さな光が灯り、その光に影響を受けたかのように魔王の額に太陽の女神の紋章が浮かび上がった。


 なッ……!


 エリスが、指先を魔王に向けたまま、こちらを見下すようにほほ笑む。


「忘れないでほしいのだけれど、私はいま、フィリア姉さまの身体を乗っ取っているのよ。つまり、月の女神の力だけでなく、太陽の女神の力も扱うことができる。ネクロポリスの地下教会で、ここにいる勇者エリアスの太陽の女神の力を引き出して、本人の意思と関係なく暴走させて、彼の意識を失わせたことは記憶に新しいでしょう?」


 エリスが、淡々と言葉を紡いでいく。


 そう、あのとき――ネクロポリスの地下教会で初めて太陽の女神フィリアと対峙したとき、フィリアはエリアスに宿る太陽の女神の力を意のままに引き出してエリアスを気絶させ、彼のことを攫っていってしまった。


(それが、いまの状況とどう繋がるの……!?)


 アキは必死に頭を巡らす。


 この間にも、魔王はその額に太陽の女神の紋章を輝かせている。


 魔王の意思で発動しているわけではないらしく、ひどく苦しそうだ。


(フィリア様はエリアスの力を自在に操れるようだった……ということは――)


 まさか、エリアスと同じようにフィリア様に造られた魔王のことも、操れるということ――!?


「――下がってください、皆さんっ……!」


 アキがその結論に行き着いたと同時に、ヨハンの鋭い声が響き渡った。


 反射的にその言葉に従って後ろに飛び退くと、ヨハンがとっさに張ってくれたらしい結界が、アキたちの目の前に盾のように展開される。


 そこへ、魔王の放った轟炎の魔法が火炎放射のごとく放たれた。


 間一髪、ヨハンの結界が魔王の魔法を弾き返してくれたらしい。


「うそ、ケルちゃん……?」


 ちょうどアキの後ろに逃げていたナコが、呆然とつぶやく。


 魔王は……魔王は、エリアスと同じように瞳を金色に輝かせたまま光を失い、我を忘れた様子でこちらに攻撃の手を向けていた。


 レオがくやしげに唇を噛みながら、首を左右に振る。


「う、嘘だろう……? 兄貴、まさかエリスに操られちまったのかよ!?」


 そん、な――……っ。


 たしかに、いまの魔王の外見は、太陽の女神の力を制御できずに自我を失っていたエリアスの姿と酷似していた。


 エリスの言葉の意味が、いま、痛いほどにわかる。


 エリスは、エリアスだけでなく、魔王のことも意のままに操ることができるのだ。


 レオが叫ぶ。


「ちくしょうっ! 兄貴、この世界のためにずっと頑張ってきたんじゃねぇのかよ! こんな簡単にエリスに自分を好き勝手されていいのかよ!」


 レオのくやしさが伝わってきて、胸が痛くなる。


 魔王はずっと前からエリスの魂胆に気がついていて、エリスの魔の手からこの世界を守るために、勇者と魔王で手を組もうと計画していてくれた。


 それが実現して、やっとの思いでエリスと対峙するまでになったのに、もう少しというところでエリスに操られてしまうなんて――。


 そのとき、サトクリフが飛び出して、アキのことを突き飛ばした。


「姐御、危ねぇっ……!」


 急に突き飛ばされて地面に転がったアキは、とっさに身を起こす。


 そこには、二刀を構えてアキのいたところに背を向けて立ちふさがるサトクリフと、そのサトクリフに聖剣を振り下ろしているエリアスの冷酷な姿があった。


(な、に……、なにが起こったの――……?)


 エリアス? どうして――?


 さきほどまで身動きひとつとっていなかったエリアスが、突然、瞬間移動でもして襲いかかってきたように見えた。


「くっそ、姐御、意識をしっかり持ってくだせえ! 魔王様だけじゃねェ、勇者殿もエリスに操られてんだ……! こりゃ、とんでもねェぞ……!」


 二刀でエリアスの聖剣を押し返して、サトクリフが次の攻撃に備える。


 魔王だけじゃなくて、エリアスも――……?


 当然考えられる事態だった。エリスはフィリアの力を使って魔王を操れるのだから、魔王と同じくフィリアに造られたエリアスのことも操れる、それはあの地下教会で証明されていたことだ。


(うそ、うそでしょ、じゃあ、私たちは……)


 少し離れたところで悠々と状況を見守っていたエリスが、にやりと笑った。


 その彼女の両隣に、彼女に付き従うようにして、エリアスと魔王が彼女を守るように並んで立つ。


 エリアスも魔王も、ふたりとも光の灯っていない無機質な眼差しをこちらに向けていた。


挿絵(By みてみん)


(そうか……エリアス、エリス様と必死で戦ってくれて、あんなに傷を負った最後の最後で、エリス様に操られちゃったのかもしれない)


 そして、エリスは当然にこうできることを知っていて、この機を狙っていたのだ。


 勇者と魔王を従えて、勇者と魔王、そして女神の三人でこちらの相手をするこの時を。


 アキは、冷や汗で握っていた聖弓の握りが滑る。


(私たち、エリアスと魔王、エリス様の三人を相手に、勝てるのかな……っ)


 いままでの魔物たちとは比較することもできない、とんでもない強敵だ。


 しかもエリアスと魔王は仲間だ、ふたりを傷つけることなんてできない。


(でも……)


 いまはそんなことを言っていられる状況じゃないってわかってる。


 勝てるかもわからないのに、遠慮なんてしていたらこちらの命が危ないかもしれない。


(こんなことに、なるなんて……っ)


 目の前に立ち並ぶエリアスと魔王、エリスを見つめる。


 そっとナコのことを見やると、彼女もショックで強張った表情で僅かに震えていた。


(――弱気になったら駄目。私がしっかりしなくちゃ)


 気持ちで負けていたら、勝てる戦いも勝てなくなってしまう。


 エリアスのことを魔王のことも、ナコのことも、エリスには渡さない。


 ――負けない。負けないんだから……!


 アキは、ふーっと深く深呼吸をすると、エリスを見据える。


「エリス様、あなたの魂は半分で、月の女神様のお力を半分しか使えないでしょうから、きっとナコと私のことは操れないはずですよね」


 生意気に言ったアキに、エリスが鼻で笑う。


「そうね。くやしいけれど、それは事実よ。でも、それがなにか問題があって? こちらには勇者と魔王がいる――おまえたちに勝ち目などないわ」


「勝ち目ならあります!」


 アキはエリスの台詞に畳みかけるように言って、後ろのナコの手を取った。


「私たちには、月の女神様の力があります。この力をぶつけて、エリアスと魔王を正気に戻してみせる!」


 アキの威勢に、ナコも勇気を奮い立たせたのか、前に乗り出す。


「お姉ちゃんの言うとおりです! エリアス様もケルちゃんも、お姉ちゃんとわたしの大切な人なんです! 絶対に、返してもらいます……!」


 ナコ……!


 決意を秘めたナコの凛々しい横顔が、頼もしかった。


 そうだ、自分たちにはレオもいる、ヨハンもいる、サトクリフもギルフォードもいる。


 弱腰になる必要なんてない。


 ――私たちは、強いんだから!


「まったく、威勢だけは一人前ね。いいわ、それでこそ私の月の女神の力を宿す乙女たちというもの。とはいえ、私とてここまで数々の努力をしてきたの。エドクレス様とフィリア姉さまと共に、もう一度新しい世界を造り直すために」


 エリスが、戦闘開始の合図とばかりに、手をアキたちのほうへと向けた。


 それに応えるように、エリアスと魔王が地を蹴って飛び出す。


 エリスが高らかに言った。


「――さあ、私から、勇者と魔王を取り戻してみせるがいい!」




勇者パーティvs女神と勇者と魔王、の戦いが始まります…!

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