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第十六話 間者

 学府の支部へ向かうレオと分かれたヨハンは、ひとり、中央広場に建つ神殿支部――教会堂きょうかいどうへと足を運んでいた。


「……はあ、何度来ても気が重いですね」


 目の前にそびえたつ教会堂の建物を見上げ、ヨハンはぐったりと肩を落とす。


 教会堂は横長の奥行きのある建物で、外壁はレンガ造りをしており、その中央部には十字架を冠した細長く先のとがった尖塔が屋根につけられていた。


 真正面には石造りの階段がなだらかに続き、その先に、金色の彫刻で造られた太陽や月といったモチーフで豪奢に飾り付けられた半円型の扉口が覗いている。


 見る者誰もが圧倒され、足を運ぶ建物であったが、ヨハンはできればこんなところ足を踏み入れたくもなかった。けれど、『神官』として神殿支部への報告を怠るわけにはいかない。


 ヨハンは顔を上げ、階段の先を睨みすえる。


(……まあ、嫌なことはさっさと終わらせて、早くエリアスたちのところに帰ろう)


 今日は、この町でエリアスたちと一泊を過ごすことになるのだ。一緒に夕食を食べたり、同じ部屋でベッドを並べて寝たりというのは、きっと賑やかで楽しいだろう。


 それを励みに、気の乗らない報告も頑張って乗りきるか。


 これからの予定を楽しみに、ヨハンは重い足取りを叱咤して扉口へと続く階段をのぼり始めた。




 この世界で『神官』の職業に就くためには、幼少期から『神殿』管轄の神学校の寮で暮らし、決められた教育課程を受けなければならない。


 創世の女神の力を借りる太陽系魔法は、その特殊性ゆえ、決められた血筋や家柄を持つ青少年以外の修得を禁じているからだ。 


 ヨハンもまた例外ではなく、神聖国内でも地位のある家柄に生まれた彼は、物心つくころには神学校の寮に入学して『神官』になるための教育課程をこなしてきた。


 神学校で修学しなければならない技芸は幅広く、その科目は哲学、神学、魔法学、言語学、歴史、数学、音楽、絵画……など多方面に渡っている。


 教育課程は満十八歳になるまで続き、良い成績を修めて無事に修了すると、晴れて冒険者のジョブのひとつ『神官』職に就くことができる。


 厳しいカリキュラムに耐えきれずに途中で脱落する者も後を絶たず、卒業試験まで漕ぎつける人間は、入学時に比べると半減していることもあった。


 それもあって、この世界で『神官』職に就いている者は、いわゆるエリート層として一般人から憧れを抱かれる立場であった。それと同時に、お高く止まっていて鼻もちならない、と妬まれることもまた一部あるのだが。


 神学校を修了して一人前の『神官』となると、次は神聖国の行政組織である『神殿』からさまざまな任務が割り振られることになる。神聖国の国政に関わる仕事だ。


 特に独り立ちしたばかりの『神官』は経験やレベルが浅いため、冒険者ギルドで一般人からの仕事を受けることと並行して、『神殿』からの任務もこなすことで神聖国から給金をもらい、生活を成り立たせていくのだ。


 そのため、『神官』はギルドからの報酬と同時に神聖国からの給金も配給されるため、他の冒険者のジョブに比べると安定した生活を約束される職業でもあった。


 そのぶん、逐一『神殿』に任務の進捗報告を義務づけられ、日々の行動を管理、監視されるようになるため、その恩恵と比例して窮屈な面もあるのだが。


 神聖国は、そういった任務を『神官』に割り振ることで、彼らを隠密のように働かせ、国政を執り行っているのだ。


 だからこそ、他国からは「創世の女神の恩恵を独り占めする、閉鎖的で排他的、そして得体の知れない国」として恐れられ、絶対的な権力を誇っていた。


 そして、神官ヨハンが『神殿』より割り振られた任務――。


 それが、勇者エリアスの世界救済の旅の監視と報告であった。




 教会堂の扉口へと続く階段をのぼり終えたヨハンは、気を落ちつけるように一息ついてから、木製の観音開きの扉を押し開いた。


 ヨハンの背丈の数倍はある半円型の扉はひどく重厚で、全身の力を両手に込めて押すことでなんとか開けられるほど頑丈だ。


 ぎぎぎ、という軋んだ音を立てて扉が開かれると、ヨハンの視界に祭壇へと真っ直ぐに伸びる身廊が広がった。


 教会堂内は古びた木製の造りで、身廊の壁沿いに等間隔に作られたあかり取りの窓は大きく、そこには惜しげもなくステンドグラスがはめ込まれている。


 外光がそれを通して教会堂内に差し込み、色とりどりの神聖な光が堂内に降り注いでいた。


 耳鳴りが聞こえそうなほど静寂に包まれた堂内は、ややほこりっぽさやけだるげさを思わせる空気を醸し出している。


 幼い頃から嫌というほど見慣れてきた空間に、ヨハンは急激に疲れを感じながら弱々しく一歩を踏み出した。


 かつかつと鳴る自分の足音を妙に大きく感じながら、真っ直ぐに続く身廊を歩み、祭壇前でこちらに背を向けて祈りを捧げていた司祭に声をかける。


「――失礼します。ヨハン・クラレンスです。ご報告にまいりました」


 白色のゆったりとしたローブをまとった壮年の司祭は、ヨハンのまだ少年らしさの残る声を聞くなり、嬉々として振り返った。


 よたよたと駆け寄り、小太りにたるんだ手をヨハンの両肩に乗せる。


「おお、クラレンス。元気そうだな。無事でなによりだ」


 ヨハンの目の前で、司祭はキツネ目をにんまりと細め、口をゆがませて笑う。


 なにか含んだものを感じさせるいやらしい笑い方だった。


 ヨハンは、さりげなく司祭の両手を自分の肩から振り払いながら愛想笑いをする。


「……ありがとうございます。お察しのこととは思いますが、無事に勇者エリアス・リーランドは魔法使いレオ・ゲインズの召喚で『勇者の片腕』を手に入れ、魔王討伐の旅に出発いたしました。今日は、その道中でご報告にあがっております」


 司祭はたるんだ顎を満足げにさすった。


「なるほど、順調なようだな。好調な始まりのようでなによりだ」


 言葉とは裏腹に、司祭は素直にエリアスのことを案じている様子ではなかった。


 正直なところ、『神殿』は勇者のことを体の良い駒としか思っていないのだ。


 世界に創造エネルギーを満たすためだけに生み出され、勝手に魔王と戦っては世界を救ってくれる人形のような英雄――。


 ヨハンはあいまいな笑顔で司祭に応えてから、その視線から逃れるように教会堂内の内部構造に目をやった。


 抜けるように高く造られている堂内には列柱が並び、天井は半円の形をしている。


 真正面にある祭壇にはくすんだ金色をした二人の女神像が向かい合って造られており、その周囲に太陽と月のレリーフ、さらには剣や短剣、槍、弓、衣、水晶といった聖なるモチーフと思われる平面彫刻が彫られている。


 祭壇上部には大きな円形をした花模様のステンドグラスの窓があり、外部から入り込んだ色づいた円形の光が、祭壇の下部の床を神秘的に照らし出していた。


 天井に目をやれば、天井画として勇者と魔王、創世の女神の姿が神話を模した物語形式でぎっしりと描かれている。


 列柱の中央部には『神官』を思わせる金で塗り固められた銅像が括りつけられ、まるで教会を訪れる者たちを見下ろして監視しているかのように思えた。


 この厳格なまでに徹底された宗教色が、『神殿』組織のどこか底の知れない妖しさを感じさせるのだ。


 ヨハンは、気圧されるような空間に息苦しさを感じ、細々と息を吐きだした。



 この世界にとって、『神殿』は決して神聖な存在ではない。


 むしろ、世界を裏で操る悪魔的な組織なのだとすら思う。


 自分もその組織の一員だと思うとうすら寒いものがあるが、『神官』である自分には『神殿』の命令に従う以外はできないのだ。


 たとえ自分の任務が、エリアスの仲間として同行するふりをして、実は彼の行動を管理、監視して逐一『神殿』に報告する役目なのだとしても――。



 考えているうちにますます気が重くなってきて、ヨハンはさっさと帰ろうと踵を返す。


 けれど、そんなヨハンの心中などまったく察していない様子で、後ろから司祭の手が添えられた。


 まだなにかあるのかとヨハンは脱力し、しぶしぶと振り返ると、司祭が上機嫌に問いかけてきた。


「それでヨハン、念のため確認したいのだが、勇者とその片腕の関係は良好かね」


 思ってもみなかった質問がきたので、ヨハンは一瞬きょとんとしてしまう。


 そういえば、勇者の片腕については、まだ現れたばかりなのもあって『神殿』も詳細を把握していないのだ。


「エリアスと勇者の片腕――アキ、ですか……?」


 ヨハンはオウム返しをしてから、二人の仲睦まじい様子を思い浮かべる。


 エリアスとアキは役割上のパートナーとしても相性が良さそうだが、異性としてもタイプが合うのではないだろうか。


 アキの明るくて真っ直ぐな性格は、無理をして強がりをしがちなエリアスを上手く助けてくれるだろう。


 現に、傍から見ていて二人は互いを意識しているのでは……と感じることもあるから、もしかしたら、すでに恋愛感情があるのかもしれない。


(だとしても、勇者が特定の誰かを愛することは禁じられていますが……)


 だから、たとえ二人が想いを寄せ合ったとしても、悲劇的な結末にしかなり得ないのだ。


 そもそもあの二人は住む世界自体が違うだから、いずれ待っているのは別れなのである。


 だからこそ、エリアスとアキには、お互い良きパートナーであってほしいと思うぶん、手遅れにならない関係でいてほしいとは思うのだが……。


(って、当事者もいないのに考えすぎですね)


 ヨハンは苦笑して自分の思考に首を振り、司祭に顔を向けた。


「ええ、特には問題ありません。勇者の片腕に選ばれた女性は、とても元気で優しい方ですから。エリアスの大きな支えになってくれると思います」


 ヨハンの回答に満足したのか、司祭は満面の笑みを浮かべて顎をさすった。


「そうかそうか、それはとても良いことだ。此度の勇者の旅は特に失敗が許されないからな。――クラレンス、引き続き監視を続けるように」


 ヨハンは一瞬表情を曇らせたが、すぐによそ行きの笑みを作った。


「……はい、承知しました」




 神殿支部への報告を負えて教会堂を後にしたヨハンは、気の重い報告を終えたからか、どっと体に疲れが押し寄せてきていた。


 ともかく人の少ないところで少し休憩しようと、逃げるように街はずれの住宅街の路地裏に入り込む。


 華やかな中央広場と違い、港町の路地裏はひと気がなく閑散としている。住宅の壁と水路の間の脇道で、ヨハンは壁に背を預けて立ち止まった。


 ほっと一息つきながら上空を見上げれば、港町を自由に飛び交うカモメが絶え間なく空を横ぎっていく。


 カモメたちの鳴き声をぼうっと聞きながら、ヨハンはさきほど司祭から言われた言葉を思い起こしていた。


(……引き続き監視を続けるように、か)


 反芻して、深々と息を吐き出す。


 率直なところ、自分はエリアスたちの裏切り者なのだ。


 仲間の顏をしてエリアスたち勇者一行のパーティに入り込み、報告と称して、彼らの動向を逐一『神殿』に密告しているのだから。


 では、どうして『神殿』は勇者の監視を必要としているかというと、勇者が自分のさだめに絶望して途中で世界救済の旅を放棄しないよう、それとなく見張りをして誘導しなければならないからだった。


 勇者、とて万能ではない。


 女神によって都合よく造られた人工生命という事実を知り、さらには魔王を倒すために戦い続けなければならないという、まるで道具のような自分のさだめを知って、絶望しない勇者がいないわけではなかった。彼らもまた、普通の感情を持った人間なのだから。


 けれど、勇者が魔王を、もしくは魔王が勇者を倒さなければこの世界は滅びてしまう。


 それだけでも大層な問題だが、それに加えて、勇者が自分の役目を放棄したとなれば、勇者の育成を担っている神聖国の信頼や評判を落とすことにもなるのだ。


 だから、神聖国は躍起になって勇者を管理し、無事に魔王を倒すように仕向けようとするのである。


 では、なぜ神聖国が勇者の育成を担っているかというと――。


 まず、勇者の象徴ともいえる聖剣は、普段は神聖国の聖堂に奉られているため、勇者は幼少期に教皇から聖剣を授からなければならない。


 それと同時に、勇者は十八歳になるまで神聖国の神学校で『神官』と同じ教育を受ける伝統があり、それらの事情により、勇者は問答無用で神聖国で育てられるのだ。


 だからこそ、勇者が立派に成長して世界を救うごとに、勇者に聖剣を授けて教育した神聖国の評判も上がり、かの国はそれによって絶対的な権力を誇示してきたのである。


 その背景があり、『神殿』にとっては勇者も国政のために使う便利な道具に過ぎないのだ。


 エリアスのことを物のように見る『神殿』の同胞のことは、ヨハン自身、いい気分のするものではなかった。けれど、『神殿』からの任務に逆らうことはできないため、こうして毎回エリアスの監視報告を神殿支部にしなければならないのである。


 そして、知見の深いエリアスとレオが、ヨハンが『神殿』からの間者であることに気づいていないはずはなかった。


 二人は、ヨハンの事情を知っていながら、それでも仲間として信頼を寄せてくれているのである。


 ヨハンにとってそれはとても嬉しいことだったが、それと同時に、彼らを裏切り続ける自分自身が申し訳なくもあった。


 特にエリアスと自分は、幼馴染の関係にあったから――。



 この世界の『勇者』は、処女の乙女が女神から受胎の告知を受け、処女懐胎することで誕生する。男女の交わりなしに、乙女が男児を身ごもることで生まれるのだ。


 生来の過程を踏んで生まれてこないことが、『勇者』は女神の造り出した人工生命体と言われる所以だった。


 そうして幼い『勇者』が世界のいずこかに誕生すると、創世の女神のお告げを通して『神殿』に勇者誕生の啓示が現れる。


 けれど、どこで誕生したかまでは把握できないため、選りすぐりの『神官』数名が大陸中に派遣され、誕生した勇者の捜索にあたるのだ。


 今代の勇者エリアスの場合は、地図にも載っていないような辺境の農村で生まれた。


 『神殿』は血眼になって新たに誕生した勇者を探し、エリアスが五歳になる頃にやっとその居所を悟り、連れ去ったのである。


 そのとき、母親はエリアスを引渡すことをひどく拒み、村全体が母親に味方して刃向ったため、『神殿』は村ごと焼き払ってエリアスを攫ったとヨハンは聞かされていたが、詳細はわからない。


 エリアス自身にもそのときの記憶はないらしく、彼は自分が神聖国で生まれたのだと思い込んでいるようだった。ヨハンも、あえてそんな不穏な話題をエリアスに振ることもしなかった。


 そうしてエリアスが神学校に入学して八歳を迎えた頃、三歳になったばかりのヨハンが入学し、やがて二人は勉学や武術を一緒に学ぶ幼馴染となったのである。


 『勇者』という立場上、神学校の他学生からやや遠巻きにされていたエリアスと、特殊な家柄の生まれのおかげで同じく周囲から浮いていたヨハンが仲良くなるのは、当然のなりゆきであったのかもしれない。


 それもあって、エリアスはヨハンのことを大切な友人だと思い、絶大な信頼を寄せてくれていた。


 だからこそヨハンは、エリアスを裏切るような行為をしている自分が、どんどん惨めに感じられるのだ。


 こんな諜報員のような任務さえなければ、小さい頃と同じように、なんのしがらみもなくエリアスと友達でいられたのに、と。


(……けれど、エリアスと幼馴染だからこそ、僕が勇者の監視役に選ばれたのかもしれない)


 エリアスと自分の仲の良さを知っているからこそ、そこを『神殿』に利用された可能性があるのだ。


 たとえヨハンが間者のような役割を担っていたとしても、エリアスは大切な幼馴染であるヨハンのことを責めはしないだろうからと考えたのかもしれない。


 ヨハンはそこまで考えて、狭い路地から覗く空を仰ぎ見る。


「……本当に、やり方が汚いんですよ、あの父親は」


 父親――それは、神聖国の君主である教皇のことだった。


 自分は実は、教皇の一人息子の身分にあるのだ。


 王国に例えれば、王子……のような立場なのかもしれない。


 とはいっても、神聖国では生まれの身分よりも神官がまとう祭服の色で階級が決まるため、家柄だけで過剰に特別扱いされることはなかった。


 けれど、教皇の息子として周囲の期待に応えるために懸命に勉学に励んだこと、知力も魔力も父親の才を継いでいたこともあり、若くして白い祭服をまとえるほどの高位聖職者まで上りつめた。


 それは、『勇者』である幼馴染のエリアスに少しでも釣り合おうと、無意識のうちに自分を奮い立たせていたからかもしれなかった。


 そういった背景があったから、自分はエリアスの学友となり、さらには監視役という大役に選ばれたのだ。


 そこには、教皇の息子が勇者への情に流されて『神殿』を裏切るはずがないと、そういう意図も含まれていたのかもしれない。


「……もう疲れました、いろいろなことに」


 仲間を裏切ることに。『神殿』に良い顔をすることに。……そんな自分自身のやるせない気持ちを、誤魔化し続けることに。


 はあ、とヨハンが何度吐いたかわからない溜め息を吐き出したところで、近くの路地から聞き慣れない女声が聞こえた。


「嫌です! 放してくださいっ!」


 助けを求めるような少女の声に、ヨハンは投げやりになっていた思考を一気に取り戻す。


 いったい何事なのだろう。

 あまり穏便な感じではなさそうだが。


 あまり首を突っ込みたくはない状況だと思われるが、少女の助けを呼ぶ声を聞いてしまったが手前、ここで見過ごすわけにはいかない。


 ヨハンはもたれていた背を戻すと、警戒して足音をひそめながら路地の先を進んでいく。


 突き当たりまで来たところで、ヨハンはわずかばかり身を乗り出して、路地が交差している先――少女の声が聞こえた方向を覗き込んだ。


 そこには数人の人影があり、目を凝らせば、壁際に追い込まれた小柄な女性が数人の柄の悪そうな男たちによって取り囲まれていた。


 どういう状況でこうなったのかはわからないが、このまま放っておけば、少女に危害が加えられるおそれがある。


(これはさすがに……早めに助けに入ったほうがよさそうですね)


 この町は、人の出入りが激しいぶん治安もまた乱れやすいのだ。


 特に住宅街の狭い路地には、あの男たちのようなはみ出し者がたむろしている。


 町の人はそれを知っているから、こういった路地には足を踏み入れないようにしているはずなのだが……。


(こんなところに女性が一人でいるなんて、町に馴染みのない人なんでしょうか)


 そうとも考えなければ、女性一人でこの辺りを不用心にうろうろするなど考えられないのだ。


 彼女が旅人だとすれば、今の状況になっていることも自業自得ともいえるのだが――。


(まあ、考えていても始まらないですね)


 とりあえず助け入りましょうか、と決め込んだヨハンは、今度は足音をひそめることもなく颯爽と通りを歩いてゆく。


 少女を取り囲んでいた男たちが、ひとり、またひとりと、突然やって来たヨハンに気づき、顔を向けては眉をひそめた。


 まったく歓迎されていない様子だ。

 けれど、ヨハンはひるむことなく、男たちに近づいてから相変わらずの涼しげな表情で声をかける。


「――失礼。あなた方はそこでなにをしていらっしゃるのですか」


「ああぁ?」


 いかにもごろつきといった雰囲気の男たちが、部外者の参入に不機嫌そうにどすの利いた声をあげた。


 案の定な反応に、ヨハンは軽く肩を竦める。男たちをわざとらしく無視し、彼らに囲まれた状態でこちらをすがるように見つめてくる少女に視線をやった。


 その姿かたちを見るなり、息を呑む。


(誰かに、似ている……?)


 少女は、腰まで流れるふわりとした栗色の髪に、まだあどけなさの残る目鼻立ちをしていた。


 やや色素の薄い茶色の瞳はくりっとしていて、その素直そうな眼差しは、最近自分の身近にやってきたある女性を思い起こさせるのだ。


(アキ……?)


 他人の空似だろうか。


 いや、でも、彼女はどこかアキに似ている気がする。


 けれどまさか、そんなはずは……。


 身動きしないヨハンに、リーダー格の筋肉質の男が気分を害したように舌打ちした。


「突然出て来て邪魔されちゃ困るんだよなぁ。これから彼女はおれ達と一緒に遊びに行くんだからよぉ」


「そんなっ……! わたし、人を探しているんです! あなたたちのことなんてこれっぽっちも知りませんっ!」


 女性は果敢に叫び、助けを求めるようにヨハンを見つめてくる。


 ヨハンは短くため息を吐き出すと、背負っていた十字架の杖に手を伸ばした。それを引き抜くと、一度軽く回転させてから、とん、と地を突く。


(とりあえず、まずは彼女を助けるところからですね。さて、どうしようか……)


 武力行使すればなんなく打ちのめすことができそうな相手ではあるが、あまり手荒なことはしたくない。


 自分は勇者一行の面子なのだから、自分が乱闘騒ぎを起こしたことでエリアスに悪評がついたら大変である。


 ヨハンはやや悩んだ末、まずは説得を試みることにした。


「あなた方にも事情はあるかと思いますが、彼女を放していただけませんか。どんな理由であれ、嫌がる女性をこのような路地に連れ込むべきではありません。品位を疑いますよ」


 あ、最後の一言が余計だった、と思った矢先、男たちがきょとんとしたあと、げらげらとヨハンをあざ笑うように一斉に笑いだした。


「品位っ、品位だとよぉ! やっぱりお偉い『神官』様は言うことが違うなぁ」


 男たちはヨハンの祭服を指差して腹を抱える。


 『神官』というのは、どうも鼻につく職業であるらしい。


(……言って聞いていただけるような相手ではないですね)


 説得を試みるだけ無駄だろう、とヨハンは考えを切り替える。


 早くエリアスたちに合流しなければならないのだから、こんなところで余計な時間を使っている場合ではないのだ。


 ここは、実力行使でいかせてもらおうではないか。


 ヨハンは、最後の警告とばかりに片手に持っていた杖で再度地面を叩くと、男たちは一瞬ひるんだような表情を浮かべた。


 仲間内で、「おい、やべぇよ」といった囁き声が聞こえてくる。


 けれど、リーダー格のもっとも体格のいい男は立ち去るような気配を見せず、むしろ壁際に追いつめられていた少女の腕を強引につかんだ。


「は、放してください……!」


 それを見、ヨハンはもう猶予はないと判断して杖を前に突きだす。


 いよいよ怯えて後ずさるリーダー格以外の男たちだったが、ヨハンはそれを逃がすまいとして早口で詠唱を始めた。


「――創世の女神よ」


 ヨハンの冴えた声音が高らかに路地に響き、杖の先端部が女神の力を宿して鈍い銀色を放ち始める。


 下っ端と思われる男たちは慌てて背を向けて逃げ出し、リーダー格の男は少女の手をつかんだまま微動だにできずに目を大きく開いている。


 少女はあっけにとられた様子で、ヨハンのことをじっと見つめていた。


 ヨハンは阿鼻叫喚となりつつある場内をわれ関せずに捉えながら、詠唱を続ける。


「小さき者の意識を、優しい眠りへと誘いたまえ!」


 高らかに言い放ち、一際強く輝きを発した杖の先端を男たちに向けて振り下ろした。


 太陽系魔法の一つ、相手を緩やかな眠りにつかせる睡眠魔法だ。


 この魔法は攻撃的なものではなく、魔法をかけた相手を心地よい眠りにつかせるものだ。普段は不眠症などの応急処置として使う療養魔法である。


 ヨハンの杖から放たれた光によって、逃げ惑う男たちの全身が銀色に煌めいたと同時に、男たちがばたばたと力なく地に倒れ伏していく。


 大の字に仰向けに倒れ込んだ男たちは、みんな一様に幸せそうな表情で眠りについている。


 しばらく魔法の効果に耐えて震えながら立っていた男も、観念したのか、つかんでいた少女の腕を離してその場に崩れ落ちた。


 がぁー、がぁー、と、聞いているこちらがすがすがしいほどの大いびきをかいて居眠りをしはじめる。


(はあ……、こんなことで魔力を使ってしまうとは……)


 まったく余計な面倒ごとに巻き込まれてしまったものだと思ったが、人助けをしたのだから意味もあっただろう。


 男たちがひとり残らず魔法にかかったのをざっと確認し、ヨハンは気まずそうにこちらを見つめている少女に視線をやった。


 おそらく、こんな危険な場所を女性ひとりでうろうろするなどうんぬんかんぬん、とヨハンに叱られるとでも思ったのかもしれない。


 ヨハンはわずかに肩を竦めると、杖を背に背負い直し、少女に歩み寄って片手を差し出した。


「怪我はありませんか。今のうちにこの場を離れましょう。走れますか?」


 あくまで浅い眠りにかけただけであるから、魔法効果もそう持続しないだろう。


 ただでさえ体力のありそうな男たちだ。魔法を跳ね除けて男たちの目が醒める前に、さっさと人の多いところに移動しなければ。


 早口で問いかければ、少女はなにか言う様子もなくこくりと頷いた。ためらいもなくヨハンの手に自分の手を重ね、そっと握る。


 少女の小さな手に一瞬どきりとしつつ、ヨハンは彼女の手を引いて走り出した。


 とりあえず中央広場に出れば、エリアスたちに合流しやすいだろうか。


 そうして手を繋いだ二人は路地を走り抜け、さきほどエリアスたちと分かれた開けた市場に出たところで、ヨハンは彼女の手を離してから振り返った。


「ここまで来れば安全でしょう。平気ですか?」


 わき目もふらずに走ってしまったから、少女の体力まで気にかけている暇がなかった。


 ヨハンが気遣うように聞けば、はあはあ、と荒い息をついて整えるように俯いていた彼女が、はっと顔を上げた。


 茶色の大きな瞳でヨハンを見つめるなり、ぴょこんと頭を下げる。


「は、はいっ、大丈夫です……! あの、助けていただいてありがとうございます!」


 少女らしい鈴の鳴るような可愛らしい声を聞き、ヨハンは思案するように目を細める。


 やはり、声音もどこかアキに似ている気がする。彼女よりもいくぶんか高いが。

 自分の予測が正しければ、おそらく、彼女はアキの――。


 ヨハンは確信を得るように、射抜くように少女を見据えた。


「いえ、たいしたことはしていませんから気にしないでください。――それよりも、あなたはもしかして、小西 アキの関係者ではありませんか」


「え?」


 女性が大きな目をますます広げ、唖然とする。心当たりのありそうな反応だ。


 ヨハンが重ねて口を開こうとすると、それよりも先に、少女がすがるような勢いで身を乗りだした。


「あのっ……! お姉ちゃんをご存知なんですか? わたし、お姉ちゃんを探してこの町に来ていて……!」


「お姉ちゃん? ということは、やはりあなたがアキの妹の……ええと、ナコ、でしたでしょうか」


 確認するように聞けば、少女――ナコは懸命に何度も頷いてきた。


 自分が聞いた話では、アキの妹は並行世界で魔王に連れ去られ、『魔王の片腕』となっているはずである。


 それがなぜ、この平凡な港町を一人でうろついているのだ。


 もしかして、どこかに魔王がいるのだろうか。これはなんらかの罠なのだろうか。


 急に背筋が冷え込んで警戒するように辺りを見回すが、目に入るのは、中央広場を行き交う人びとの雑踏だけである。


 ヨハンは、次の自分の言葉を待っておとなしくしているナコに、声をひそめて問いかける。


「……すみませんが、あなたが本当にアキの妹だとしたら、魔王はどうしたんです? 一緒ではないのですか」


 あの世界を恐慌させる魔王が、自分のパートナーを一人にするような真似をして、あのような危険な目に遭わせるものだろうか。


 ナコは、決まり悪そうな表情で俯いた。


「……あの、実はわたし、どうしてもお姉ちゃんに会いたくて、魔王様に黙って一人で魔王城を抜け出して来ちゃったんです。魔王様から、お姉ちゃんもこの世界にいて、勇者様と一緒にいて、それで、この町にいるって聞いていたから……」


「一人で、ですか……?」


 ヨハンはどことなく頭痛がしてきて頭を抱える。


 魔王に連れ去られたナコが、姉もこの世界にいると聞いて、姉に会うために必死に奮闘したというのはわかる。


 けれど、あの魔王の目をすり抜けて、ナコが一人で魔王城を抜け出せるものだろうか。魔王城がどういった造りなのかはわからないが、それにしたって、なんの力もない少女が世界最強の魔力を持つ魔王の目をごまかせるとは思えない。


 だとしたら、魔王が裏で糸を引いているのではないだろうか。ナコ自身がその事実に気づいていないとしても。


 とすると、やはりなんらかの罠が仕掛けられているのではないだろうか。


 このまま、ナコをアキのもとへ――エリアスのもとへ連れて行ってもいいのだろうか。


 簡単に彼女を信用するわけにはいかない気がする。自分の考えの甘さが原因で、エリアスやレオ、アキたちを危険に遭わせるわけにはいかない。


(けれど……)


 アキが、喉から手が出るほどナコに会いたがっていたことは事実だ。


 彼女は、妹と再会し、彼女を魔王の手から救い出したい一心でこの世界に飛び込んできたのだから。


(さて、どうするべきか……)


 ヨハンが疑うような素振りで無言になっていると、ナコが不安げにこちらを見つめてくる。


 助けを求めるような視線は、自分が見る限り、演技ではない気がする。


 あの底抜けにばか正直なアキの妹なのだから、きっと彼女も、人を騙すような行為はできないのではないだろうか。


(アキの妹ということで、彼女の言い分を、信じてもいいのかもしれない)


 仮に騙されたとしても、アキをナコに引き合わせるということはできるから、アキを喜ばせることはできると思う。


 それだけでも、たしかな動機になるのではないだろうか。


 ヨハンはそう決心すると、ナコを安心させるように目元をほころばせた。


「ナコ、僕はヨハン・クラレンスといいます。貴方の姉が同行している勇者一行の仲間の一人です。貴方の姉であるアキとは面識がありますので、どうか、安心してください」


 名乗りでると、ナコは天の助けでも舞い降りたように目を輝かせた。


「すごい、すごいです……! ヨハンさんは勇者様のお仲間だったんですね! こんなに早くお姉ちゃんの知り合いの方と出会えるなんて、すごくほっとしました……!」


 ナコは、目を潤ませながら胸元にこぶしを寄せている。


 やはり、アキに似て素直そうな女の子だ。

 あまり最初から疑ってかかるのも失礼だったのかもしれない。


(とりあえず、エリアスとアキと合流して、ナコから事情を聞いたほうがよさそうですね)


 ナコと再会して喜んでいるアキの姿が思い浮かぶようで、ヨハンもまた胸を躍らせた。


 そうと決まれば、一刻も早くエリアスたちを探さなければ。


 ヨハンは街の広場を仰ぎ見る。


「ナコ、わけあって僕も今はエリアス――今代の勇者たちと別行動をとっていたんです。これから彼らと合流しなければならないので、一緒に探してもらえますか?」


 まずはそこから始めなければならない。


 このごった返している人ごみの中から目当ての人を探すのは一苦労かもしれないが、エリアスとアキのことだ、おそらくそんじょそこらの人よりは目立つだろう。


 ナコはぱちくりと目を瞬いてから、弾けるような笑顔で頷いた。


「はいっ! よろしくお願いします、ヨハンさん!」

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