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第十五話 贈り物

 エリアスに手を引かれ、行き交う人びとの間を縫うようにして町の広場に差しかかると、ふとアキの視界に色鮮やかな宝石群が飛び込んだ。手前にある露店の店先に、首飾りや腕輪といった貴金属が所狭しと並べられていたのだ。


 女の子たるもの、どうしてもきらきらしている物には目が行ってしまうものである。


(いいなあ、綺麗だなあ)


 この世界の宝石ってどんなものがあるのだろう。

 とはいえ、手持ちのお金があるわけじゃないし、見たら欲しくなっちゃうだろうしなあ……。


 アキが足を止めたせいで、繋いでいたエリアスの手をぴんっと引っ張る形になり、エリアスが不思議そうに振り返った。


「アキ、どうかした?」


「あ、ええと、なんでもな――」


「またアキのなんでもないが出た。いいから、なにか気になるものでもあった?」


 う、と言葉に詰まったアキがそろそろと手前にある宝石店を指差すと、エリアスが納得したように頷いた。


「ああ、なるほど。そんなに気になるなら見ていこうか」


「へ?」


「女の人は宝飾品が好きだって、以前アーニーが言っていたから。レオとヨハンと合流するまで時間もあるし、少し寄り道して行こう」


 エリアスがうきうきと声を弾ませる。


 彼はそう言ってくれるけれど、これから旅の買い出しをしなければならないし、冒険者ギルドにも寄らなければならない。

 お世辞にも時間がある状況とはいえないのだが、自分のわがままにエリアスを付き合わせてしまってもいいのだろうか。


 逡巡しているアキを見かねたエリアスは、繋いだままの手を強引に引っ張った。


「わっ、エリアス、ちょっと待って!」


 驚いて素っ頓狂な声を上げれば、そんなアキに構わずにエリアスはどんどんと露店に向けて足を進めていく。


 一度こうと決めたら頑として曲げないところも、勇者様の特徴なのだろうか。


 アキの手を引きながら、エリアスが顏だけ振り返る。


「冒険ももちろん大事だけれど、少しは息抜きもしないとね。気に入ったものがあれば俺から君にプレゼントするよ」


「えええっ!? い、いいです、いいです、私、宝飾品とか似合わないですから!」


 勇み足のエリアスの手を引っ張って止めようとしながら、アキは必死に首を振る。


 本音を言えばこの世界の宝飾を覗いてみたかったけれど、今はそれよりもやることがあるし、それになによりエリアスに買ってもらうことが申し訳なかった。


 まだ『勇者の片腕』として未熟な自分は、エリアスたちの足を引っ張るばかりで、まだ大して役に立てていないからだ。


 尻込みしているアキに、エリアスは悩んだ様子でぴたりと足を止めた。


 また彼の背中に鼻をぶつけそうになるアキに向かい、妥協案、と言いたげに人差し指を立てる。


「じゃあ俺も同じ物を買うから、おそろいでつけるのならどう? それならアキも遠慮しなくて済むだろう?」


「いやいやいや、どうしてそうなるの!」


 エリアスの的を得ない回答に、アキはすかさず突っ込んだ。


 彼と同じ宝飾品をつけられるなんて正直なところ飛び跳ねるほど嬉しかったが、男女でおそろいのものをつけるというのは、特別な意味を持ってしまうのではないだろうか。


(たぶん、エリアス本人はそんなこと気にしてないんだろうけど……)


 恋愛に関してはひどく鈍感な彼だから、特に意識して言っているわけではないのだろう。


 外見も能力も突出して魅力的な彼が無差別天然たらしとは、なかなかに性質が悪い。


 深々と溜め息を吐き出して頭を抱えるアキに、エリアスが首を傾げる。


「アキ、この世界では宝飾品は防具の一種なんだよ。補助効果のあるものが多いから、アキも何か装備したほうが安心だと思うんだ」


「補助効果?」


「そう。宝飾品は、飾りでもあるけれど装備品でもあるんだ。たとえば――」


 そう言って、エリアスが自分の左耳に掛かっている髪を軽く避ける。彼の耳に淡い水色の小さなピアスがついていた。


「俺は、このピアスと、マントを留めているエンブレムが宝飾品なんだよ。レオも魔力を増強するために指輪や耳飾りをたくさんつけていただろう?」


「あ、そういえば……」


 レオも、両手の数カ所に指輪をはめていたし、耳飾りも両耳にたくさん装備していた。


 彼はお洒落そうだから飾りでつけているのだと思っていたが、きちんと一つ一つに意味があったらしい。


 なるほど、完全に丸め込まれているアキの手を、エリアスがぱしっと取った。


「そういうわけだから、そんなに遠慮しなくても大丈夫。行こう、アキ!」


「あああ、エリアスっ、ちょっと待ってってば!」


 さすが勇者様、やはり一度こうと決めたら周りの意見もなんのそので突っ走っていくようである。


 アキはエリアスに強引に引っ張られながら、結局宝飾店の店先までやって来ていた。


 エリアスの背中に隠れるようにしていると、アキたちに気づいた大柄な露天商の男が大仰に両手を広げた。


「おう、いらっしゃい、いらっしゃい! ウチは他の店と違って質のいい物をたくさん揃えてるぜ! ――おや?」


 露天商はアキたちを歓迎しながら、前に立つエリアスの容貌を認めるなり、その割れ顎をあんぐりと落とした。


「おいおい、こりゃまたどえらい美男子だな。おっちゃん驚いたよ。お姉ちゃんの彼氏か?」


「え……え!?」


 アキはそろりと傍らのエリアスを見上げる。


 どえらい美男子、たしかにその通りなのだが――……。どうして彼氏だなんて思われたのだろう?


 アキは、エリアスの頭から手もとまで視線を流して、ふと彼と自分がしっかりと手を繋いだままだったことに気づいた。


 こうも仲良く手を繋いで歩いていては、たしかに恋人同士と思われてもおかしくはないのかもしれない。


 自分たちが原因なのはわかっているけれど、いざ面と向かって恋人同士かと聞かれると途端に恥ずかしくなってきて、アキはエリアスの手を振りほどいた。


「か、か、彼氏じゃないです、断じて! エリアスは、あの、そう、ただの仲間です!」


 一生懸命に弁明すると、店主がにやりとしながら背を反らした。


「またまたぁ。ただの仲間の男女同士で手なんて繋ぐかね」


「繋ぐんです、エリアスはっ」


「アキ、それどういう意味――」


「エリアスは黙っててくださいっ」


 照れ隠しからぴしゃりと言い放つと、エリアスが目に見えてしゅんと頭を垂れる。


 相変わらず子犬のような反応でなんだか可愛いらしいと思ってしまうのだが、今はそんなことを考えてる場合ではない。


 アキの言葉を聞いた店主が、まさかという表情で穴が開きそうなほどエリアスを見つめた。


「――エリアス? まさかおまえさん、あの勇者エリアスかい?」


「え? おじさん、エリアスのこと知ってるんですか?」


 目を丸くするアキに、店主はまだ唖然とした様子で答えた。


「おじさんじゃない、お兄さ――っなんてのは置いといて、この世界で勇者エリアスのことを知らねぇやつはいないだろ。お目にかかったのは初めてだけどな。外見は金の髪に緑の目っつー噂は聞いてたが、たしかにそのとおりなんだな。こんなに絶世の美男子だとは思わなかったが」


 アキは、脇に立つエリアスをちらと見上げる。


「そっか。エリアスは、知名度はこの世界で知らない人はいないくらいだけれど、外見はあまり知れ渡ってないんですか?」


 まだ『勇者』を名乗りながら魔王討伐の旅に出ていないからだろうか。


 エリアスは頷いた。


「そうだね、もともと目立たないようにしてきたからかもしれない。『勇者』って悪目立ちすることもあるから」


 露天商はエリアスを気遣うように眉をひそめた。


「なるほど、世界の英雄も大変なんだなぁ。まあ、世界中どこの町や村に行っても、王都みたいに勇者様勇者様って騒がれたんじゃ、おまえさんの息が詰まっちまうだろうしな。――でもまあ、安心してくれていいぜ。この町は王都ほど勇者を神格化してねぇんだ。勇者も冒険者の一職業として捉える傾向にあるんだよな。王都と比べると外交が盛んでいろいろな国の人が集まるから、物の見方や考え方も柔軟なんだろうな」


 言って、店主は店先に並べられていた一つの腕輪を手に取った。それをずいとアキの目の前に差し出す。


 え、と目を点にするアキに、店主は白い歯を見せて豪快に笑ってみせた。


「とはいっても、この店で勇者殿がなにか買い物をしていってくれれば箔がつくってもんだ。お嬢さん、この腕輪なんてどうだい?」


 目の前に突き出されている腕輪は、銀細工を加工した、水飴を伸ばしてそれを捻ったような形をしていた。


 表面を覗き込んでみると、そこには細かい文字がびっしりと彫り込まれている。


 アキは、どうすることもできずに困って傍らのエリアスを見上げた。


 無下に断ることもできないし、かといって購入する予定もない。


 アキの視線を受けたエリアスは、一度にこりと微笑んでから、店主が差し出している腕輪を受け取った。それを顔の前に持ってきて、表面に刻まれた文字を右から左へと目で追っていく。


「ふうん。これは、太陽系魔法の呪文が刻まれているみたいだね」


「あ、ヨハンが得意な魔法ですよね。回復、補助系の」


「うん。この文字列から判断するに、この腕輪を装備すると装備者の生命力を高めてくれるみたいだね」


「生命力を高める……?」


「そう。たとえば魔物から致命的な攻撃を受けたとしても、腕輪の加護で一命を取り留めることができるってことなんだ。体力を増強すると思ってもらえるとわかりやすいかな」


 なるほど、戦う力に乏しい自分にとっては、自己防衛として装備しておけば安心かもしれない。けれど――。


(今は買うことは、できないし……)


 自分でこの世界のお金を稼ぐことができるようになるまで、購入は無理だろう。


 店主に断りを入れようとすると、エリアスが下ろしたままのアキの左手をそっと取った。アキは目を瞬いてエリアスを見やる。


「エリアス、なに?」


「うん、ちょっと腕を貸してくれる? たぶんちょうど良いと思うんだけど――」


 エリアスは彼女の手首を持ち上げて、そこに片手に持っていた銀の腕輪を潜らせた。アキの手許で腕輪が涼やかに揺れる。


 エリアスが満足そうに頷いた。


「やっぱりよく似合うよ、とても可愛い。じゃあ、俺が買って――」


「えええっ、ちょっと待って!」


 今度はアキがエリアスの腕を掴む。


 男性から贈り物をもらったことなんてなくて、しかも異性として意識し始めているエリアスからの贈り物とあっては、恥ずかしくてとてもじゃないが受け取れない。


 アキは慌てて自分の左手首から腕輪を抜き取って、エリアスの手のひらに押し返した。


「エリアス、本当に大丈夫です、ありがとう! 自分でお金を稼げるようになったら、自分で買うから……!」


「え? そんなこと気にすることな――」


「ああああの、私、先に行ってますねっ」


「え、ええ? ちょっと待って、アキ!」


 呼び止めるエリアスを振りきって、アキは脱皮のごとく店先から走り去る。


 本音を言えば、エリアスが自分に腕輪を贈ろうと思ってくれたことが嬉しかった。好きな人からプレゼントがもらえるなんて、こんなに幸せなことはない。


 けれど、まだ彼のためになんの恩返しもできていない自分が、彼から贈り物をもらうわけにはいかないのだ。これ以上、迷惑をかけるわけにはいかない。


(と思って逃げて来ちゃったけど、私、ただでさえ戦えないんだから、腕輪に守ってもらったほうが逆にエリアスに迷惑かけないのかも……)


 だとしたら、自分の行動はエリアスを困惑させるだけだったのではないだろうか。


 考えなしに動いちゃったかなあ、とアキは肩を落としながらも、戻るわけにも行かずにとぼとぼと一人で町をさまようのだった。




 あっという間に走り去っていくアキに完全に置いていかれたエリアスは、小さくなる彼女の背中を目で追いながらとほうに暮れていた。


 どうして彼女があんなにも拒否したのか検討がつかなかったからだ。


「……もしかして俺、なにかまずいことしたかな」


 たとえば腕輪の形状が気に入らなかったとか。いやいや、腕輪の補助効果に納得できなかったとか。生命力の増強、俺はいいと思ったけれど。


 ――いや、それとも。


 エリアスは愕然として青くなる。


(俺から贈り物をもらうのが嫌だった……とか?)


 そうだとしたら、結構、心にずしりとくるものがある。


 正直、彼女のことを優しくて良い子だなと思っていた。彼女本人にも伝えたとおり、自分の傍でずっと笑っていてほしいなと思っていたのだ。


 だから、自分が贈り物をすることで彼女の喜ぶ顔が見たかった。自分がプレゼントしたものを、彼女につけてほしかったのだ。


 けれど、結果は惨敗で……。


 エリアスは、気が遠くなる思いでその場に立ち尽くす。


 見るからに落ち込んでいるエリアスに、事の一部始終を見守っていた店主が堪えきれなくなったように噴き出した。


「ぶ、はははっ! 世界にたった一人の英雄であり絶世の美男子、向かうところ敵なしと思われる勇者様でも女にフラれることがあるんだな! いやぁ、貴重な場面を見させてもらったよ!」


 はははは、と店主の大笑いが街に響き渡る。


 勇者は目立ってはいけないと気を付けていたのにこの目立ちよう、もういろいろと泣きたくなってくる。


 弱々しいほどに落胆しているエリアスに、店主は慰めるように両手を広げた。


「勇者殿、一回女にフラれたくらいなんてことはないさ。恋愛っつーのは駆け引きだからな。諦めるのはまだ早い」


「駆け引き、ですか……」


 わりと真っ直ぐ突き進むタイプの自分は苦手とするところである。


 だがそうだ、一回くらいの敗戦がなんだ、諦めるのはまだ早い。決して諦めないことこそ勇者の特徴ではないか。


 と自分を奮い立たせてはみたいものの傷心は傷心で、エリアスは深い溜め息を吐きながら小袋から金貨を取り出した。それを店主に手渡す。


「この腕輪いただきます。お代はこれで足りますか?」


「お、もしかして彼女に渡すつもりか? 頑張るねえ」


「しつこいと嫌われるかもしれませんが……。けれど、彼女は俺にとって、恩義のある人なんです。だから少しでも彼女が喜ぶことをしたくて」


 ――なのに、空回りしてしまうのだけれど。


「なるほど。勇者様も恋に冒険に大忙しなんだな」


 店主の言葉に、エリアスは力なく首を振った。


 彼女のことはとても大切に思っている。けれど、この気持ちが恋であるかどうか聞かれたら……それは、よくわからなかった。


 自分は人を好きになったことがない。そもそも、自分には誰かを愛する資格がないのだ。


 自分は、この世界の誰とも違う異質な存在なのだから――。


 エリアスは自分に言い聞かせるように、小さく口を開く。


「いえ、本当に彼女と俺はそういう関係ではないんです。彼女は、どんなに憧れても手の届かない人ですから」


「そうかい。勇者殿が自分のお役目を気にして遠慮してるんだったら、おれは気にするこたぁねぇと思うけどな。勇者だって世界を救う英雄だのなんだの担がれても、元を正せば一人の人間だろ。好きな女ができたら追いかけ回せばいい」


「いえ……、俺には、特別な人を作る資格がないんです。勇者は世界を守りますが、それは特定の誰かを守るわけではない。だから、たとえ世界を救っても、大切な人は救えないかもしれない」


 勇者は、世界のために存在し世界のために戦うのだ。


 たとえ守りたい人ができたとしても、恋人よりも、自分の使命を優先させなければならない時が来るかもしれない。


 その結果、自分の使命を果たせたとしても、肝心の恋人は守ることができずに失うことだってあり得るのだ。――それがとても、怖かった。


 だったら、最初から大切な人など作らなければいい。人にも世界にも執着しなければいい。そう思って生きてきた。


 それならば、ただ淡々と一人で勇者としての使命を果たすだけで済むのだから。


(それなら、誰も傷つけないし、自分も傷つかずに済むから……)


 女神に造られた異分子である自分。異物は異物らしく、一人で戦い続ければいいのだ。


 自分はそのためだけに生まれてきた。そのためだけに、女神に造られたのだから。


 エリアスは人知れず唇を噛んで、店主から受け取った腕輪を小袋に仕舞う。


 とりあえずアキのことを探そう。失礼なことをしてしまったならば謝らなければならない。


 そして、もし彼女さえよければ、この腕輪を受け取ってもらえたら――。


 エリアスは短く気を吐くと、店主に軽く頭を下げ、颯爽と広場を抜けるのだった。




 埠頭に差しかかったところで、エリアスはぼんやりと海を眺めるアキの姿を探し当てた。


 潮風に茶色の髪を靡かせた彼女は、何を思っているのか、水平線を見つめたまま微動だにしない。


 ――どう、声をかけたらいいだろう。


 一瞬足を止めて悩んだが、着飾る必要などないのかもしれない。


 エリアスはごく自然に、明るく彼女に声をかける。


「アキ、なにを見ているの?」


「エリアス……」


 振り返ったアキは、どこか申し訳なさそうにエリアスを見てから視線を海に戻した。


「ええと、景色を見ていたんです。何度見ても綺麗な世界だなって思って」


「それは、ありがとう」


 アキの隣に並んでお礼を言えば、彼女が慌てて頭を下げた。


「あの、エリアス、さっきは突然逃げ出してごめんなさい。なんか、恥ずかしくて」


 ――恥ずかしい……?


「いや、それは構わないけれど……。もしかして、なにか気に触った? それなら俺のほうこそ謝らないと」


「い、いいえっ。ただ、私が勝手に、あの、過剰反応しただけです……」


「過剰反応?」


 それはどういう意味なんだろう。


 首を傾げていると、アキが頬を染めてうつむいた。……これ以上は詮索しないほうがいいのかもしれない。


 エリアスはそこで会話を切り上げて、遠目に見える水平線を目を細めて捉えた。


 ここが、自分が守らなければならない世界なのだ。


 美しくて、広大で、自分の両肩に背負うには本当に重いもの。けれど、自分以外には背負えないもの。


 ――そういえば、彼女はどんな世界で育ってきたのだろう。


 ふと彼女の故郷が気になって、エリアスは傍らのアキをちらりと見る。


「アキ、君が住んでいた世界はどんな世界だった? 俺の世界に似ているのかな」


 この世界に物語として受け継がれている『勇者と魔王の物語』の中に平行世界の存在は書かれているけれど、それがどんな世界なのか、一体どこにあるのか、それがはっきりと明記されているものはなかった。


 ただ、魔物に脅かされることのない穏やかなで夢のような世界だということは知っている。


 アキの世界がおとぎ話のようにしか書かれていないのは、お互いの世界に変な影響が出てしまわないように、意図的に伏せられているのかもしれない。


 それでも、未知の世界というのは冒険心がくすぐられるというものである。


 エリアスが興味津々に身を乗り出すと、アキにくすくすと可笑しそうに笑われた。


「もうエリアス、そんな少年みたいに目を輝かせないでください。男の子ってそういう話大好きですよね。――私の世界は、そうだなあ……」


 自分の世界を思い浮かべるように、アキが宙を見上げる。


「この世界とあまり変わらないかなって思います。自然があって、そこに人々が国を作って暮らしていて……。私の世界では魔物や魔法は絵本の中で描かれていることが多かったので、もしかしたら私の世界の絵本は、エリアスたちの世界のことが書かれているものもあったのかもしれませんね」


「なるほど。お互いの世界の繋がりは、おとぎ話という形で密かに伝えられてきたのかな。――それで、アキはどんなところに住んでいたの? この港町みたいな感じのところ?」


「うーん、もうちょっと建物がたくさんあるところに住んでいました。都会というか、栄えてる町に住んでいて、毎日毎日仕事に追われて日々同じことを繰り返してるような感じでした。それが、突然この世界に来て、エリアスたちと出会って、違う世界で冒険の旅に出ることになるなんて思わなくて」


 人生って何があるかわからないなあ、とアキが楽しそうに微笑む。


 正直エリアスはほっとしていた。


 彼女には彼女の生活があったのに、強引に自分たちの世界の事情に巻き込んで、彼女の生活を壊してしまったのではないかと思っていたからだ。けれど、アキの様子を見るに、今の状況も好意的にとってくれているようだ。


 胸を撫で下ろすエリアスに、アキはいたずらっぽく笑いかける。


「ふふふ、エリアスもいつか私の世界に来てくれたらいいのになあ」


「俺が、アキの世界に?」


「うん。エリアスが私の故郷の町中を歩いてたら、かっこいいから目立っちゃうかもしれないんですが、私の世界の格好をしているエリアスが見てみたいなって思うんです。ジーンズにシャツも似合うと思うし、ジーンズにパーカーっていうラフな格好もいいかな」


「じーんず、ぱーかー……。それがアキの世界の防具?」


 ずいぶん洒落た名前だ。これは、装備品の種類を覚えるまでに時間がかかりそうだ。


 エリアスが神妙に聞くと、アキがきょとんとしたあと、お腹を抱えて笑いだした。


「あははっ、防具! たしかにエリアスたちの世界で言うとそうですね! その発想はなかったなあ」


「俺、なにか変なこと言ったかな。――ともかく、俺がアキの世界に召喚されるっていうこともあり得るのかもしれないね。アキがこちらの世界に来られたんだから、逆の要領で俺も行けるかもしれない。いいなあ、行きたいな、アキの世界を冒険してみたい」


「冒険かあ。私の世界風に言うと、もしかしてデート……デートってことになるのかな。エリアスと二人で買い物したり、お店で美味しいものを食べたり、公園とかを並んで歩いてみたり……――ってもう、恥ずかしい!」


「痛!?」


 突然アキに思いっきり背中を叩かれて、エリアスは前につんのめる。


 背中をさすりながらぽかんとしているエリアスに、アキが弾むような笑顔で笑いかけた。


「でも、本当にそんな日が来たらいいですね! エリアスとなら、どこに行っても楽しそうです!」 


 エリアスはアキの可愛らしい笑顔を受けて、うん、と首を縦に振る。


 彼女の世界で、彼女と一緒にいろいろなものを見て回ることができたら、きっと楽しいだろうと思う。


 それに、彼女が自分の世界でどんな生活をしていたのか知りたいのだ。


 家族は、友人は、恋人はいたのか――。


(そうか、俺はきっと……)


 自分が思うよりもずっと、彼女に心惹かれているのだろう。


 『勇者』として孤独に生きてきた自分に、そっと手を差し伸べてくれた彼女に。


 エリアスは意を決して短く息を吐いてから、さきほど購入した腕輪を小袋から取り出した。


 どうしたの、と首を傾げるアキに、エリアスは恥ずかしさから視線を横にさまよわせながら腕輪を差し出す。


「……あの、アキ。これ、君に渡そうと思って」


 おそるおそる下からアキの顔を覗き込むと、彼女が大きく目を見開いていた。


「これ、もしかしてさっき買っておいてくれたんですか?」


「う、うん。ささやかだけれど、俺からの贈り物として、君に受けとってもらえたら嬉しい。この世界で孤独だった俺に目を向けてくれた、君への感謝の気持ちを込めて」


 エリアスは腕輪を凝視したままのアキの手をそっと取り、その手首に腕輪を潜らせる。


 アキの腕に装備された瞬間、腕輪に彫り込まれた文字が一瞬白金色に煌めいた。


「あれ、今光った?」


「ああ、よかった、上手く発動したみたいだね。この腕輪に『勇者』である俺の力を少しだけ加えておいたんだ。気を流し込むようなイメージかな。だから、本来の腕輪の補助効果が割増になっていると思うよ」


 割増というよりは、おそらく倍以上の効果が期待できるだろう。


 彼女のことを想いながら『勇者』に備わっている力を込めたのだ。彼女に惹かれている淡い気持ちが、さらに効果を高めているかもしれない。


 エリアスはアキの腕で揺れる腕輪に、そっと自分の手を添える。


「君のことを思って力を込めたから、君が装備しないと俺が加えた効果は発揮されないんだ。だから、俺から君に贈る、この世界にたった一つしかない腕輪だよ」


 アキの顔を覗き込んで得意げに笑ってみせると、彼女は感極まった表情で目に涙を溜め、両手で口元を押さえていた。


 ――しまった、泣かせてしまったのだろうか。やはり強引に渡しすぎたか。


「ご、ごめんね、アキ! 俺、泣かせるつもりじゃ――」


「ち、違うっ、違うんです、エリアス!」


 大慌てになっているエリアスの言葉を遮り、彼女は指で涙を拭ってこちらの顔を見上げる。そうして、片足を踏み出してエリアスの胸に飛び込んだ。


「わっ、えっ、アキ!?」


「ありがとう、ありがとうエリアス! 絶対絶対、大事にしますね! この腕輪を見るたびに、エリアスのことを思い出しますから!」


 自分の腕の中で、彼女が顔を上げて幸せそうに微笑む。


 嬉しかった。自分の腕の中にいる彼女の小さな姿が、たまらなく可愛らしいと思った。


 たとえ手の届かない人なのだとしても、傍で守るくらいは許してもらえないだろうか――。


 エリアスは、腕に力を込めて彼女を強く抱きしめる。


 自分は造られた『勇者』で、人を愛する資格などない、それは変えようのない事実なのだ。だから、彼女へのこの気持ちを伝えることはできない。


 その代わりに、力の限り彼女を守ろう。


 彼女の隣に立つにふさわしい『勇者』になれるように。

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