第百四十一話 涙
※レナード視点
(はあ、上手くいかなかったな……)
創世の女神からイヴァンとともに聖遺物を授かった日の翌日――俺はひとりとぼとぼと、ひと気のない裏路地を力なく歩いていた。
なんとなく空を見上げれば、雑居な建物の間から、細い青空が覗いている。
そこを流れて過ぎていく白い雲をぼんやりと見ながら、俺は深々とため息をついた。
(……あーあ、こんなはずじゃなかったのになあ……)
まいったな、とがしがしと前髪を掻く。
昨晩、自分はイヴァンと仲直りをしに行ったわけで、あんなふうに真っ向から喧嘩をするつもりではなかった。それなのに、あんなことになっては、まるで宣戦布告をしに行ったようなものじゃないか。
「どうしていつもこうなっちまうかなあ……」
自分とイヴァンは似た者同士で、ふたりとも頑固者だった。
そうだからか、小さいころからお互いの意見を譲らずにぶつかってばかりだったのだ。
それが自分にとっては、自分の意見を偽らずに本音で渡り合える親友だからこそなんだと、そう思っていたのに――。
俺は腹いせに、近くにあった小石をカツンと軽く蹴り飛ばす。
「……まあ、根気よく説得していくしかねぇかな」
そうすればきっといつかはイヴァンと分かり合えるときがくる――そう信じて、地道に頑張るしかなさそうだった。
そうして裏路地を進んだ俺は、先日カーターたちと約束した待ち合わせ場所にやってきていた。すでにカーターたちは集まっていて、やって来た俺に気づくなり、カーターが軽く片手を上げた。
「レナード、こっちだ。ちゃんと約束を守ってくれたようだな」
「あたりまえだ。男に二言はねぇってな。ただ――」
カーターたちの輪の中に歩み寄ってから、俺は視線を落とす。
「……ただ、イヴァンの説得は上手くいかなかった。あいつは、あくまで新奴隷制度を撤廃するつもりはないらしい。……力不足で悪かった」
俺は、誠心誠意を込めて深々と頭を下げる。
カーターがそんな俺の肩に、励ますように手を乗せた。
「いや、頭を下げないでくれ。あんたが精いっぱいイヴァンの説得を頑張ってくれただろうということは、こちらもわかっているんだ。むしろ、お礼が言いたいくらいだ。力を尽くしてくれてありがとう、レナード」
「カーター……」
頭を上げると、カーターや、その周りの奴隷の仲間たちもみんな微笑んでいた。
みんな優しい奴ばかりだな、と俺はじんわりと心が熱くなる。
そうだからこそ、カーターたちの期待に応えたかったんだが――。
(イヴァン、おまえが人とも思っていない奴隷たちは、こんなにいい奴らばっかりなんだぞ。それを、こいつらの人権を無視して、物みてぇに完全に管理していいのかよ)
カーターたちの笑顔を奪い、生き方を奪う新奴隷制度には、やはり賛成できない。
カーターが難しい顔をして腕を組んだ。
「しかし、こうなってくるとイヴァンを説得することは難しそうだな。やはり、反旗を翻す方法しかなさそうだが――」
「――見つけたぞ、奴隷どもっ!」
カーターが言いかけた、そのときだった。
俺たちのいる通路の両側から複数の足音が聞こえたと同時に、俺たちの逃げ場を奪うようにして両サイドから神官たちが姿を現したのだ。
なん、だ――……!?
一、二、三人ずつに左右を取り囲われた俺たちは、計六人の神官たちに挟まれた格好になる。
(どうして、神官たちがここに――……!?)
俺たちは、表情を強張らせながら前後を振り返る。
(ちっ、完全に囲まれちまった……!)
息を呑む俺たちを前に、神官のひとりが、こちらと一定の距離を開いたまま一歩を踏み出した。
「我ら『神殿』に対し、謀反を企てているという不届きな奴隷どもとはおまえたちか」
え――……?
神官の台詞に、俺は目を見開きながら、頭の中で状況を整理する。
どうして神官たちが、カーターたちが反乱を起こそうとしていることを知っているんだ。それを知っているのは、俺と――……。
(まさかっ……!)
俺はごくりと喉を上下させる。
その事実を知っているのは、自分とイヴァンだけのはずだ。
そうだとしたら、イヴァンが他の神官たちに話したということに――。
(イヴァン……!)
俺は、膝の力が抜けて、がくりとその場に座り込みそうになる。
どうしてだよ、イヴァン、どうしてこんなこと……!
すまない、とカーターに視線を向けた俺に、カーターは問題ないとばかりにうなずいた。そうして首謀者は自分だと示すように、仲間たちよりも一歩前に進み出る。
「神官ども、もう確信しているようだから余計な言い訳はすまい。おまえたちの指摘どおり、俺たちが『神殿』に歯向かおうとしている奴隷集団――そして俺が、集団をまとめるリーダーのカーターだ。そちらから出向いてくれるとは都合がいい」
ふん、と挑戦的にカーターが顎を上げると、神官のリーダーが眉をしかめた。
「小汚い奴隷どもが、私たち神官に偉そうな口をきくな。……だが、イヴァン様の言うとおりだったな。レナード・ゲインズ、おまえを尾行すれば奴隷どもの反乱分子に行き着くからと、イヴァン様の命を受けてやってきたのだ。丁寧な道案内、ご苦労だったな」
ははは、と神官たちがあざけるような笑い声をあげる。
後を、つけられていた……!?
俺は、そんなことにも気づかずにのこのこと神官たちを案内しちまったってことか。
くやしさとやるせなさ、そしてカーターたちへの申しわけなさの気持ちがないまぜになって、俺は半歩後ろによろめいてしまう。
カーターは、そんな俺の肩を励ますように軽く叩いてから、神官に向き直った。
「そういうことなら、こちらから探す手間が省けて結構だ。どうせ、神官どもとはいつかはぶつかるときが来るのだからな。――俺たちが求めるのは、ただひとつ、新奴隷制度の撤廃だ。それを改めないようなら、俺たちは武力をもって――」
「カーターさん、危ないっ……!」
……一瞬だった。
神官のひとりが、言いかけたカーターを狙って間髪入れずに太陽系魔法を放ったのだ。
光の刃が神官のひとりの持つ杖からほとばしったと思ったその一瞬、カーターを庇うように奴隷の男がカーターの前に飛び出した。
その奴隷の男は――。
俺たちが……、俺が幼少期のときに主人から絡まれているところを助けた、あの奴隷の男だった。
(嘘、だろ――……!?)
目を見開く俺とカーターの目の前で、俺たちに背を向けて立ちはだかった奴隷の男が、光の刃によって胸を切り裂かれて、血しぶきをまき散らしながら地面に倒れていく。
まるで……、まるで、俺にはその光景がゆっくりと進むスローモーションのように感じられた。どしゃり、と男の体が地面に倒れ伏した音で、止まっていたときが、はっと戻ってくるように感じた。
な、な、なっ……!
「――なんてことをしやがるっ……!」
俺はのどがはちきれんばかりにそう叫びながら、倒れた男に駆け寄る。
男は固く目を閉じたまま動かず、胸元からは大量の血が血だまりを作り始めていた。
「しっかりしろっ、おい!」
俺は男の肩に両手を乗せて必死に男の体を揺さぶったけれど、男はぴくりとも動かなかった。死んでしまった――……、俺は歯を食いしばる。
「これも……、これも、イヴァンの命令なのか!」
奥歯を噛みしめると、神官たちがまたせせら笑った。
「そうだ。イヴァン様より、奴隷の反乱分子どもの疑いがある者はすべて排除せよとの命令だ。それにより、レナード殿、貴方の目を覚まさせるようにと」
「俺の、目……?」
なにを言ってやがるっ!
「俺の目なんて最初っから覚めてらあ! むしろ、周りのことがなんにも見えてねぇのは神官どもおまえらだろ! イヴァンにそう言ってやれ!」
啖呵を切って威勢よく怒鳴ると、神官のリーダーがやれやれと肩をすくめた。
「……イヴァン様の言うとおり、やはりレナード殿にはわかっていただけなかったか。これ以上、奴隷たちを庇うようなら、レナード殿を負傷させてでも奴隷たちを始末せよとのイヴァン様の命令だ。レナード殿、ご覚悟を」
神官たちが、片手に携えていた真鍮の杖を、いっせいに振りかざす。
太陽系魔法の発動を意味する、まばゆいほどの銀色の光の渦が神官たちの杖の先端に集まってゆく。寄り集まっていく光の結晶を前に、俺は奴隷たち全員を庇うつもりで駆けだして両手を広げた。
(殺させて……たまるかよっ)
カーターたちは、俺を信じてくれた、いわばもう仲間のようなものだ。
――仲間が理不尽に傷つけられそうになっているのを見過ごすわけにはいかねぇ!
けど――……。
あれだけの太陽系魔法を、俺ひとりで防ぎきれるのか!?
前を見ても後ろを見ても、神官たちがあと言葉ひとつで太陽系魔法を放てる状態で、俺たちに逃げ場はない。
(こうなったら、やるっきゃねえ!)
俺が腹をくくって、月系魔法の詠唱を始めたそのときだった。
「――どけっ!」
カーターの怒鳴り声が耳に飛び込んできたと思った瞬間、誰かの手が俺の肩を平手で殴るように押して、俺はなにがなんだかわからないままに地面にもんどりうった。
ぐるぐると視界が回って地面に叩きつけられたと思った中、閉じたまぶたの奥から、神官たちが詠唱していた太陽系魔法の発動を告げる、強烈な光が映りこむ。
そのまぶたが焼けるような光を感じたと思った瞬間――カーターたち奴隷の断末魔に似た絶叫がその場を震撼させた。
(カーター……っ!?)
わけのわからないままに地面にうつ伏せに倒れていた俺は、光が消失したのもつかの間に、目を見開いて跳ね起きた。
そこには――……そこには、太陽系魔法によって全身を血まみれにしたカーターたちが、うつ伏せであったり仰向けであったりと悲惨な状態で倒れ伏していた。
そん、な――……。
カーターは、自分を庇って太陽系魔法をその身に受けてくれたのだ。
自分の、代わりに――……。
「カーター……?」
あまりのショックで、呆然としてつぶやいた俺に、目的を達成した神官たちが高笑いをした。
「ははは、これで奴隷どもも身の程を思い知っただろう。我ら神官、そしてこの都市を統べる王であるイヴァン様に逆らおうなどと考えるから、こういうことになるのだ。まあ、奴隷の命などその辺の石ころの価値と変わらないが」
ははは、とまた神官たちから、奴隷たちをあざける笑いが起きる。
どうしてこんな……、どうしてだよ、イヴァン……!
くやしくて、やるせなくて、親友に届かない気持ちが歯がゆくて、俺の肩く閉じた瞳から涙がこぼれる。
こんなことをする奴じゃなかった、優しいあいつはどこにいっちまったんだよ!
「――さて、反乱分子を始末せよというイヴァン様の命は果たせたな。それでは失礼させてもらうよ、レナード殿」
去っていく神官たちの姿を俺は顔を伏せて奥歯を噛みしめたまま見送るしかなかった。
やがて神官たちの気配がなくなり、その場を裏路地特有の乾いた寂しい風が吹き抜ける。 静寂に包まれた俺の周りには、奴隷たちがそれぞれに倒れ伏して、もう事切れているのかぴくりとも動かなかった。
俺は無言で立ち上がって、もっとも近くで倒れているカーターに歩み寄る。
カーターは地面に仰向けで倒れていて、神官たちの太陽系魔法をまともに受けた体は煤汚れて、服もぼろぼろに破れ、そこかしこの肌が傷つけられて血がとめどなく流れ出していた。
「……カーター、カーターっ、しっかりしろ!」
俺は倒れているカーターの肩をそっと揺さぶる。
カーターは、う、と小さくうめき声をあげると、うっすらと目を開いた。
「カーター! 大丈夫か!? いま、手当てを――」
俺が、コートの内ポケットに入っている手持ちの薬の瓶に手を伸ばそうとすると、カーターが力なく首を左右に振った。
「……レナード、大丈夫だ……。どのみち、この傷ではもう助からない……。自分の体のことは……自分が一番、わかるからな……」
カーターは、やっと聞き取れるほどのかすれた声で言うと、俺の右手に自分の右手を添えた。
「……レナード、無事でよかった。最期に、俺の願いを聞いてもらえるか」
「さ、最期なんて言うな! 絶対に助ける、絶対に……!」
必死に言う俺に、カーターはうっすらと微笑んでみせた。
「……俺の、最期の願いだ、レナード。奴隷であろうが、貴族であろうが、神官であろうが……人は生まれながらに自由であり、幸福になる権利を持っていると……俺は、思っている」
うん、うん、と、俺はカーターの手に俺の反対側の手をさらに添えて、ぐっと握りながらうなずく。
「俺の、仲間たち……奴隷たちを救ってくれ、レナード……。おまえになら、任せられる……。みんなが幸せに暮らせる世界を、造ってくれ……――」
支えていたカーターの体から、がくりと力が抜ける。
それきり、カーターが口を開くことはなかった。
だんだんと重くなっていくカーターの体を、俺は地面に横たえる。
彼の両手を体の前で組んで、姿勢を整えた。
「……創世の女神よ、どうか彼の魂を、天に届けたまえ」
カーターや他の奴隷たちが天に召されるように祈りながら、俺は目を閉じる。
(イヴァン……)
目に浮かぶのは、イヴァンと過ごしてきたたくさんの思い出の日々。
一緒に笑いあったこともあった、喧嘩したこともあった、でもいつも仲直りをしてきた。
俺にとってイヴァンは、最高の親友だった。
(……けれど、もう、それもおしまいだ)
俺は過去の思い出に決別すると、決意を込めた瞳を開ける。
冷たくなっていくカーターの手を取って、誓うようにその手を額に添えた。
「――……わかった。カーター、俺はおまえの志を継いで、これから戦っていく。どうか、安心して眠ってくれ――……」
俺とイヴァンの決別を告げるかのように、乾いた風が裏路地を吹き抜きていく。
俺は、カーターの手を離すと、その場に立ち上がって空を仰いだ。
澄みきった青空を吹き抜けていく白い雲――。
いつもと同じ景色のはずなのに、俺には新しい一日が始まったように感じられた。
「……イヴァン、俺は、おまえのことを、止めてみせるからな」
もう、迷わない。
おまえの理不尽なやり方を、許すわけにはいかない。
カーターに代わって、奴隷たちを『神殿』から守って、救ってみせる。
俺は踵を返すと、決意を新たに歩き出す。
残されたカーターたちの胸元には、俺の月系魔法で生み出した花が添えられて、時折裏路地に吹く風に当たって優しく揺れていた――……。




