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第十三話 管制塔

 空を切るように飛来する異形の巨鳥を前に、アキはどうすることもできずに息を呑むしかなかった。


(もしかして、あれがエリアスの言っていた魔物―――?)


 おそらく今は、ゲームでいうところのエンカウントをした状態なのだろう。

 けれど、ここはゲームとは違う現実。魔物に攻撃されれば怪我を負うし、致命傷を受ければ命を落とすことだったあり得るのだ。


 そう思った途端、ぞわりと身の毛のよだつ思いがしてアキは震えあがった。


 巨鳥は、獲物を見つけた歓喜からか、耳に突き刺さるほどの甲高い鳴き声を上げてこちらを威嚇してくる。敵意をむき出しにした嘶きに、アキは気圧されて心臓がきゅうと締まった。


(こ、怖いっ……!)


 自分の世界にはいなかった異形の者との遭遇に、アキは未知の存在への恐怖で奥歯がかたかたと鳴り始める。


 どんどんと近づいてくる巨鳥は、飛来するスピードを急激に速め、翼を広げたまま滑空してきた。魔物が接近するごとにその禍々しい姿が露わになり、アキはその不気味な体躯に小さく悲鳴を上げる。


 巨鳥は、皮と骨のみの異様に痩せこけた外貌をしており、皮膚はどす黒い血に似た色をしていた。三日月のように長いくちばしと鉤爪は鋭利で、一突きでもされれば身体を貫通して大怪我をしそうである。


 図体も巨大で、両翼を開けばアキたちの何倍もありそうなほどの大きさだった。

 鴉を大きくしたような妖鳥――アキはそんな印象を受けた。


 レオが後方を振り返って鋭く声を飛ばした。


「エリアス、ヨハン、来るぞ! 構えろ!」


 緊迫感のある声音に、アキは少しでも彼らの邪魔にならないようにと身を屈める。


 いよいよアキたちの頭上近くまで差し迫った巨鳥は、両翼を大きく広げると、間髪入れずにこちらを狙って高度を落としてきた。足の鉤爪を大きく開き、一際大きな唸り声を上げる。


『この世界が現実なんだっつー意識を持ってもらわねぇと』


 アキの脳裏に、いつか聞いたレオの言葉が蘇る。


 ――この世界で旅をする。


 それはもちろん、ゲームのように失敗したらまたやり直せるルールのあるものではない。そんなこと、今で何度も何度も言い聞かせてきたはずなのに、実際に死の危険に直面すると怖くて仕方ないのだ。


(命を奪うことも、奪われることも、現実に起こること――)


 この世界では、それが常識であり、ルールなのだ。

 魔物の領域である『原野』にいるときはなおさら。


 なのに自分は、なに一つ戦う力を持っていない。

 こうして魔物を前にしても、エリアスたちに守られるばかりで、恐怖で震えていることしかできないのだ。


(情けないなあ、私……)


 悔しさから唇を噛み締めていると、エリアスが気遣うようにアキの肩に触れた。


「アキ、大丈夫? そんなに怖がらなくても、俺もレオもヨハンもいるんだから心配ないよ。自分で言うのもなんなのだけれど、俺たち、とても強いから」


 ふ、と自信満々に笑いかけて、エリアスは上空に迫っている巨鳥を睨み据えた。


 アキがおそるおそるエリアスの横顔を盗み見ると、彼は、魔物を前にしても無表情といえるほどに落ち着いていた。まるで、なにもかもの感情が抜け落ちてしまったかのような、ぞっとするほど静かな表情だ。


 エリアスほど小さい頃から魔物と戦ってきていると、恐怖や不安といった感情は感じないのだろうか。


 息を呑むアキの傍ら、エリアスは誰に伝えるわけでもなく呟いた。

 

「……そろそろか」


 それとほぼ同時、両足の鉤爪を大きく開いた巨鳥がエリアスめがけて急降下した。


「エリアス、危ないっ……!」


 アキが悲鳴近い声を上げ、巨鳥の爪がエリアスを切り裂かんとしたそのとき、彼はまるでその機会を狙っていたかのように瞬時に腰の聖剣を抜き払った。


 その反動を利用して、目前まで迫った巨鳥の胴体を下から上へと切り落とす。


 一太刀で切り上げる剣技は、まるで居合い抜きのようだった。音ひとつ感じさせない、雷鳴が瞬いたような刃の軌跡。


 あまりに一瞬の出来事に、巨鳥は自分がどうなったのかもわかっていない顔つきのまま、エリアスが斬りつけた箇所から体が真っ二つに割れて胴が左右に離れていった。魔物の血液と思われる黒い鮮血を吹き出しながら、巨鳥は成す術もなく地に落下していく。


 主たちの戦闘など我関せずで走り続けていたミルシープの後方の地面から、どしゃり、と巨鳥の肉塊が地面に打ちつけられた音がした。


挿絵(By みてみん)


(す、すごい……!)


 アキは目を瞬かせる。

 まさに一刀両断、電光石火の一撃だった。


 エリアスは、聖剣を一度振り払ってそこに付着していた黒い血糊をぴぴっと飛ばす。それだけで聖剣の刀身はもとの冴えるような美しさを取り戻した。


 そうして、さきほど魔物と対峙していたときの無表情を一変させ、いつものおだやかな表情で軽く息を吐く。


「よし、まずは一体撃破だね。――それにしても巨鳥か。けっこう手強い魔物に遭遇したね」


 レオが半眼で振り返った。


「……おまえ、一撃で仕留めといて手強いもなにもねぇだろ」


 それもそうか、とエリアスが軽く笑うと、レオもまたにやにや笑いながら顔を前方へと戻した。


 二人のいつもと変わらない軽口に、アキはどこか平常心を取り戻してひっそりと深呼吸をする。


 ――まだ一体の魔物と出会っただけだ。これくらいで怯えていては、この先持ちそうにない。


 そんなアキをちらと見て、エリアスは心配げにその顔を覗き込んだ。


「アキ、怖かった? 平気?」


 怖くなかった、と言えば嘘になってしまうのだが、正直に言ってエリアスたちを困らせるわけにもいかなかった。


 アキは悩んだ末、やや過剰に顔の前で手を振って否定する。


「だいっ、大丈夫です! 全然、平気ですっ……」


 とは言ってみたものの、動揺しているせいか噛んでしまった。


 アキのあからさまに誤魔化している雰囲気に、エリアスが困ったように笑う。


「アキ、無理しない無理しない。初めての魔物で驚いたと思うけれど、俺たち、こう見えて相当の場数を踏んでいるからよほどのことがなければ負けないんだ。それに、この聖剣の攻撃力も随一だからある程度の魔物なら一撃で倒せる。アキに指一本触れさせないよ」


 ちゃき、という音を立てて、エリアスが聖剣を持ち上げてその刀身を見上げた。

 一点の曇りもない剣は、さきほど魔物を斬ったことなどまったく感じさせないほどに美しい。


 アキは、エリアスの凛々しい横顔を眺めてから、そっと視線を伏せる。


 たしかにエリアスたちは強い。素人の自分から見ても、魔物を圧倒するエリアスの強さはすさまじいものがあると思う。


 きっと、彼らに守ってもらえる自分は、魔物に襲われて怪我をすることなど万に一つもないのだろう。


(それはわかってる、わかってるんだけど……)


 アキは、エリアスたちにわからないように下唇を噛む。


 彼らの強さに甘えてしまえば、自分は今の弱いままでもなんとかなってしまうのかもしれない。

 けれど、それでは自分は、ただみんなの足を引っ張るだけのお荷物でしかないのだ。


 そんなことでは、彼らの仲間としてここにいる資格はないような気がして、それがとても悔しくて、むなしくて……すごく、寂しかった。


 ――エリアスたちの役に立てる力がほしい。


 どんな些細なものでもいい。

 エリアスたちに認めてもらえるような、自分だけの力がほしい。


 私がここにいてもいいって、みんなが思ってくれるような――――!


 そう強く願った瞬間、胸ポケットにしまい込んでいた手帳から溢れんばかりの銀の光が吹き出した。


(え……?)


「アキ、どうした!?」


 前方に座っていたレオが、あまりの眩しさに驚いて振り向き、両隣にいたエリアスとヨハンも一斉にこちらを見やる。


 アキ自身なにが起こったのかわからず、慌ててポケットから手帳を取り出した。


 手のひらの上に広げた途端、手帳がぱらぱらと風でめくられるように開かれてゆく。


「まさか、それが前に聞いた貴方の特殊能力なのですか?」


 息を呑んで手帳を見守るヨハンに、アキはあいまいに頷く。


「そう、なんだけど……。でも、いつもとはちょっと様子が違うような……」


 いつもは、こんなにも盛大に銀の光を発することはないのだ。とすると、女神はよっぽどこちらに伝えたいメッセージがあるのだろうか。


 手帳は、見開きの頁を開いてぴたりと動きを止めた。銀の光もまた急激に収束する。


 アキたちがおそるおそる手帳を覗き込むと、紙の表面に滲み出すようにしてセピア色の地図が浮かび上がった。


 その地図上の中央に青い点が一つあり、そこからわずかばかり離れた場所に、いくつかの赤い点があてもなく動き回っている。


「なんなんだろう、これ……」


 アキはぽかんとして呟く。


 ――地図、なのだろうか。でも、なんの……?


 ヨハンは身を乗り出し、アキの手帳に映し出されているセピア色の地図と、それの上に意味深に浮かぶ青い点と赤い点を無言で凝視する。


 ややあって、思案するように口を開いた。


「……もしかして、この手帳は魔物の位置を示しているのではありませんか? まず、この地図は僕たちが今いるこの原野――いわゆるフィールドマップを表しています。そして、この青い点はおそらくアキの現在位置でしょう。あと、この赤い点は魔物が徘徊している位置だと思われます。たとえば、さきほどエリアスが倒した巨鳥がこの赤点だとすると――」


 ヨハンは、アキの現在位置を示す青い点を指差し、そこから一直線に指を滑らせ、後方で停止している赤い点を指し示した。途端、彼の予想が正解であると教えるように、その赤い点がすーっと色を失って地図上から消失する。


 アキは驚いてヨハンの顔を見返した。


「あれ、消えた……?」


「ええ。さきほどの魔物はエリアスが倒しましたので、この地図上であの魔物の位置を示していた赤い点が消滅したんです」


 つまり、今消えた赤い点はついさきほどエリアスが一刀両断した巨鳥が落下した場所を示していて、その魔物が絶命したか消滅したかしたから赤い点も消えたということなのだろう。


 とすると、この地図上に浮かぶ赤い点は、すべて魔物ということなのだろうか。


 そんなに数は多くないが、上手くかわしていかなければ結構な確率でエンカウントしそうである。


(ということは―――)


 アキは、女神が手帳を通して授けてくださった新たな能力に、ごくりと唾を飲み込む。


 魔物の位置が前もって把握できるということは、エンカウントしにくいルートを選んで進めば魔物との戦闘を極限まで減らすことができる、ということである。


 それは、エリアスたちが疲労や怪我をする回数を減らせるということだし、それによって生存率もぐっと上がる。この能力さえあれば、今後かなり有利に旅を進められるのではないだろうか。


 前方で耳を澄ませていたレオが、振り返って、ひゅう、と口笛を鳴らした。


「へえ、すげぇじゃねぇかアキ! おまえの能力があれば、魔物に不意打ちされにくくなるってことだもんな。なんか管制塔みてぇな能力だなあ」


「しかも、魔物の位置を正確につかむスキルはまだこの世界に存在しないんだ。だから、アキの能力は君だけにしかないものだよ。やっぱり俺の秘書はすごく優秀だ」


 エリアスが自分のことのように嬉しそうに笑いかけくれ、アキは感極まって涙ぐんだ。


 女神様は、自分の必死の祈りを聞き届けてくれたのだ。

 姿は見えないけれど、きっと全力で応援してくださっているのだろう。


 ――ありがとうございます、女神様!


 祈るように創世の女神に伝えてから、アキは再度手帳のフィールドマップに視線を落とした。


 その瞬間、マップに赤い点滅が二つ映りこんでくる。それは確実に青い点をめがけて進行していた。青い点は自分たちのいる位置だ。


 ――新手だ……!


 アキは手帳をから顔を上げ、エリアスたちを振り仰いだ。


「みんな、右側と後方から魔物が二体迫っています。警戒をお願いします!」


「わかった」


「はいよ」


「了解です」


 エリアスとレオ、ヨハンは次々に返事をして、それぞれにアキが示した方向を見やる。


 みんなの息の合ったやりとりの中に自分が入れたことが、アキは嬉しくて嬉しくて仕方なかった。

 なんだか、やっと自分も彼らの仲間になれたような気がするのだ。


 エリアスたちの誰かが「あ!」と声を上げ、アキは彼らが視線を向けている方向に目を凝らした。


 右側から一体、後方から一体。

 手帳の赤点が示したとおり、その方向から黒い影――魔物二匹がこちらめがけて接近してくる。


 どうやらさきほどと同種の妖鳥の魔物のようだ。この付近は彼らの縄張りだったのかもしれない。


「んじゃ、右側から来るやつは俺が担当すっか」


 レオだ片膝を立てて前傾の姿勢をとった。魔導書を左手で開いて持つと、すっと集中するように目を細め、右手の人差し指を前方へと伸ばす。


(――あ、まただ)


 今まさに詠唱を始めようとするレオの姿を見て、アキは思う。


 彼が魔法を唱えようとするときは、いつも彼の周囲の空気が研ぎ澄まされるのだ。まるで、自然の力が彼自身に引き寄せられるように。


 月系魔法は、大気中にある魔法元素を寄り集めて使うものだと言っていた。空気感が変わるのはそのためだからだろうか。


 レオは右方向から飛来してくる巨鳥を見据え、長い指で宙に魔法陣を描き始めた。


 彼の指の軌跡に沿って、青い光が鮮やかに浮かび上がってゆく。薄い水色と濃い青色の輝きを持つ清廉な魔法陣だった。


「――静寂を切り裂いて、底冷えする水流が襲い来る」


 レオの、勇ましくもどこか楽しげな声が周囲に響き渡る。


「――心して待てよ、逃れることは許さない」


 魔法陣の円内にあるシンボルを描ききったレオは、片腕を振ってそれを掻き消した。


 おそらく、魔法陣を手で振り払って消すことが月系魔法の発動の合図なのだろう。


 消える瞬間、魔法陣が一際強く青い光を放った。それを受けて黒いローブをはためかせたレオの頭上に、激しい水流を一か所に凝縮させた巨大な水玉が出現した。


(な、な、なにあれ……!?)


 アキは顎を落としてそれを見上げる。


 巨大な水の玉は、レオの指示を待つかのように彼の頭上で滞留していた。


 月系魔法の六系統のひとつ――水属性の魔法なのだろうか。


 その異様な物体を前にしても巨鳥は怯むこともなく、甲高い鳴き声を上げながらレオをめがけてくちばしを大きく開いた。


 レオは巨鳥をぎりぎりまで引きつけたところで、伸ばしていた右手を後ろに大きく振りかぶり、見えないボールを持っているかのごとく前方に振り下ろす。


 その瞬間、宙に留まっていた水玉が巨鳥を標的にして剛速球で駆けた。それは、向かってくる巨鳥の胴体を無慈悲なほどに易々と貫通し、そのまま空へ抜けたと同時に飛沫となって消滅する。


 水玉にくり抜かれて胴体が丸く抜け落ちた巨鳥は、鳴き声を上げる間もなく、力なく地へと落下していった。


 もしかして、とアキが手帳のフィールドマップを確認すると、右側に表示されていた赤点が次第に小さくなってやがて消えた。魔物が絶命したのだろう。


 アキは、楽勝楽勝、と肩を回しているレオに思わず拍手を送る。


「レオ、すごいすごい! 一撃でしたね!」


 エリアスの一刀両断も早業で格好よかったが、魔法で派手に戦うレオもまた凛々しくて素敵だ。


 レオは自慢げに鼻を鳴らしながら振り返った。


「だろうだろう。攻撃魔法は俺の専門分野だからな。天才魔法使いとはまさにこの俺のこ――」


「自称が抜けていますよ」


 ぼきり、と鼻高々だったレオの鼻をへし折る勢いでヨハンの突っ込みが入る。


 レオに対しては、ヨハンの物言いがいつも以上に遠慮がない気がする。

 一見犬猿の仲に見えるが、この二人はきっとこれでバランスがとれているのだろう。


 ぷるぷると震えているレオを無視して、ヨハンはくるりと後方を向くと、背負っていた十字架の杖を背から外した。それを眼前に水平に構えて、後ろから迫りくる魔物を見据える。


 後方から迫ってくる巨鳥は、アキたちの頭上を大きく旋回しながらこちらの様子を伺っている。仲間が二匹やられたので、こちらの力量を知って警戒しているのかもしれない。


 巨鳥は一度大きく鳴き声をあげると、それを合図に急激に高度を落とした。そのまま襲い来るかと思いきや手前でぴたりと押し留まり、大きく息を吸い込む。


(あの動作は、なんだろう?)


 レオが叫んだ。


「ブレス来るぞ、ヨハン!」


「わかっています、問題ありません」


 早口でそう答えると、ヨハンは杖に意識を集中させるように目を閉じる。


 どこからか銀色の光が立ち昇り、ヨハンの銀の髪と白いローブがそれにあおられて揺らめいた。


 ぎらぎらと力のみなぎるようなレオの魔法とは違い、ヨハンの魔法はこちらをほっとさせるような優しい光を放っている。創世の女神様のお力を借りる太陽系魔法――その特質なのだろうか。


「――創世の女神よ」


 ヨハンの涼やかな声が彼の小さな口から発せられる。


 ヨハンの魔法の詠唱を見るのは初めてだ。目を閉じて銀の光の奔流に包み込まれている彼の横顔が綺麗で、アキはどきどきと胸が高鳴ってしまう。


 ヨハンが薄く両目を開き、片手をすっと上空に伸ばした。


「――我らを包み守り賜え、そう、ここにいれば安心なのだから」


 ヨハンが詠唱を終えると、空のまたその奥の位置から、彼の杖の先端部に向かって一筋の光線が降り注いだ。


 その輝きが杖に宿って光が凝縮されたと同時、息を吸い込んでいた巨鳥の口から炎の奔流が放たれる。それは、よく竜の吐き出す炎のブレスに酷似していた。


 視界を真っ赤に染めながら迫りくるそれに、アキは反射的に目を閉じて頭を抱えてうずくまる。

 炎で焼かれるような痛みに耐えようと歯を食いしばったが、一向にその痛みがくることはなかった。


(あれ……?)


 おかしいな、とびくびくしながら目を開け、アキは息を呑んだ。


 自分たちの頭上にドーム状の薄い銀色の皮膜が展開され、炎のブレスの猛攻を遮断していたのだ。ブレスは、アキたちに届くことなくドームの表面に沿うように流れている。


 隣を見れば、ヨハンが静かに両目を閉じたまま、水平に構えた杖に集中していた。彼の杖は、ドーム状の皮膜と同じ銀の光を発している。


「ヨハン、これは……」


 思わず問いかけてしまい、しまった、と口をつぐんだのだが、ヨハンは目を開いて小さく笑いかけた。


「太陽系魔法のひとつ、結界です。これさえあれば、魔物の攻撃は一切届きませんので安心してください」


 太陽系魔法は回復、補助系が主だと言っていた。

 仲間を魔物の攻撃から守ってくれる魔法とは、いかにも『神官』のヨハンらしい頼もしい魔法である。


 結界を見上げながら、レオが感心したように息を吐いた。


「おお、相変わらず見事だな。その詠唱速度で結界魔法が唱えられんのはおまえくらいなもんだぜ」


「それは、ありがとうございます。天才魔法使いの貴方に褒めていただけるとは光栄ですね」


 アキはちょいちょいとヨハンの袖を引っ張る。


「ねぇヨハン、結界魔法って難しいんですか?」


 レオの口振りからするとそのようなのだが。


 ヨハンはやや考えてからうなづいた。


「一般的にはそうでしょうね。結界は、自分だけの狭い範囲で発動させるのはそれほど難しくはありませんが、今回のように四人全員を囲う広範囲となると瞬時に展開するのは大変です。僕は、それなりに訓練していますから」


「なるほど。つまりヨハンは器用なんですね!」


「少なくとも貴方よりは」


「もう!」


 頬を膨らませてみせれば、ヨハンはくすくすと楽しそうに笑っていた。結界魔法は、一回発動してしまえばさほど集中していなくても大丈夫なのかもしれない。


 エリアスが抜き身の聖剣を構えた。


「みんな、あとは俺が引き受けるよ」


 それを言うが早いか、彼は聖剣を一度振り払ってから力強く片足を踏み込んだ。音もなく舞い上がり、ヨハンの結界を抜けて巨鳥の真上へと飛び上がる。両手で構えた聖剣を大きく振り被った。


 不意を突かれた巨鳥が後方のエリアスに反応して振り返るが、すでに勝機はない。


 エリアスの緑色の目が一際大きく輝いた。


「――遅い!」


 巨鳥が身構えるよりも速く、エリアスが全力で剣を閃かせた。


 斬撃が走り、巨鳥は布が裂かれるように翼と胴を分けられ、金属音に似た断末魔の絶叫を上げて墜落していく。


 黒い血飛沫が上方から豪雨のごとくアキたちに降り注ぐが、ヨハンの結界によって見事に防がれた。


 エリアスは軽やかにミルシープの上に着地すると、視線だけをアキに流す。


「アキ、敵反応は?」


「あ、はい! えっと……」


 慌てて手もとの手帳を見れば。青い点の周囲に赤い点滅は一つも表示されていない。

 おそらく、自分たちの直近にいる魔物は全滅できたのだろう。


 アキはほっとして、笑顔で顔を上げた。


「大丈夫です、魔物の気配はありません!」


「よかった、ありがとう。無事に戦闘終了だね」


 エリアスが、軽く血糊を払って聖剣を鞘に収めた。


 アキは、まだ興奮冷めやらぬ気持ちでエリアスたちの戦いぶりを思い返す。


 エリアスの剣術に、レオの攻撃魔法、そしてヨハンの補助魔法。

 それぞれの特性の活かした完璧な連携攻撃だった。きっと、三人でたくさん魔物と戦う日々を過ごして息を合わせてきたのだろう。


 私も早くみんなと息ぴったりで戦えるようになるといいな、とアキは思う。


 そのためにはまず、魔物に慣れるところから始めないといけないのだろう。エンカウントするたびにびくびく震えていては、戦えるものも戦えない。



 無事に戦闘を終えて、アキたちを乗せたミルシープは原野を駆けていく。

 それぞれに武器をしまって緊張を解いた様子の三人に向かい、アキは身を乗り出した。


「エリアスもレオもヨハンも、すごく強いんですね! 『冒険者』のみなさんってかっこいいなあ」


 さすが、魔物対治を生業にして生計を立てている職業である。


 アキが興奮して頬を上気させていると、ヨハンが首を傾げた。


「それは違いますよ。並の冒険者なら、あの巨鳥相手では負傷者が出てもおかしくはありません」


「へ……?」


 ――あれ、それは、どういう……?


 レオが振り返って軽く笑った。


「そういうこと! 俺たちだから難なく倒せただけなんだよ。なんつっても、冒険者の平均レベルが大体四十前後なのに対して、俺らのレベルってカンストだからな」


「カンスト?」


「うん。カンストっていうのは、カウンターストップのこと。測定不能っていう意味だよ」


 ――測定不能!?


 なんてことはない、という表情で言うエリアスに、アキは顎を落とす。


 今さらっと言われたけれど、それは、レベル九十九以上という意味だろうか。


 自分が知っているかぎり、勇者の旅といえば地道に一段階ずつレベルを上げていくものだと思っていたのだが、どうやらエリアスたちはすでにレベルが天井まで達しているらしい。


(さすが勇者パーティ、おそるべし……!)


 自分がエリアスたちと肩を並べて戦えるようになるのは、遠い遠い未来なのかもしれない。


 エリアスたちにわからないようにこっそり落胆していると、隣のヨハンがとんとんとアキの肩を叩いた。


「アキ、また手帳が光っているみたいですが。女神からなにか啓示があるのではないですか?」


 言われてみると、胸ポケットからうっすらと銀色の光が覗いていた。


 女神様も、なかなかまめに指示を出してくれるらしい。それにしても、彼女は一体どこから自分たちを見ているのだろう。


(いつか、女神様にもお会いできるといいんだけど……)


 そうぼんやりと思いながらアキは手帳を取り出し、ひとりでに頁がめくられるのを待つ。


 初めて女神からの啓示を目の当たりにするエリアスたちが、アキのところに集まってきて興味津々で手帳を覗き込んだ。


 そして書き込まれたメッセージは――。


【次の予定】

1.このまま原野を抜け、港町に立ち寄ること。

2.そこで宿をとって一泊すること。


 今回は、えらくまた具体的な指示である。


 女神からのお告げを直に見たレオが、すげーっと言わんばかりに紫色の目を見開いた。


「へええ、これ本当に創世の女神からのメッセージなのかよ」


「確証はありませんが……。ですが、女神の魔力を感じる気はします。意外に走り書きのような字ですね」


「そりゃ、エリアスの母親なんだから字には期待できねぇだろ」


「それどういう意味」


 レオの大真面目な一言に、エリアスが半眼で返す。


 またレオとエリアスの言い合いが始まったのを呆れて見てから、アキは我関せずでヨハンに問いかけた。


「この『港町』って、ヨハンはどこかわかるんですか?」


「ええ。おそらく、駆け出しの冒険者の頃に僕たちがよく立ち寄った町のことでしょう。ここから一番近いですから」


 ヨハンの口振りからするに、ヨハンたちにとって馴染みの町なんだろうか。


 港町、という単語を聞くだけでたくさんの帆船が港に立ち並ぶ賑やかな町が思い浮かんで、アキはわくわくと目を輝かせた。


 どんな感じの町なのだろう。どんな人が住んでいるんだろう。


 女神様のご指示からすると、町で宿をとってみんなでお泊りできるのだろうか。


 ――た、楽しそう……!


 いかにも冒険の始まりのような気がして、アキは高鳴る胸を抑えきれずにいた。


 にこにこと頬を緩めているアキを優しげに見つめて、エリアスが前方を真っ直ぐに指差す。


「――さあ、行こう。次の目的地、港町へ!」

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