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第十二話 原野

 裏門を守る少人数の衛兵たちに激励とともに見送られ、アキたちは、開かれた門をくぐっていよいよ原野へと足を踏み入れた。


 瞬間、アキの視界一面に広がる原野の広大な草原の景色――。


 青々とした芝生の敷き詰められた大地が彼方まで続き、そこに点々と立ち並ぶ森がいくつか見え、手前から遠くへ連れて濃い青から薄い青へと変わりゆく空が頭上に広がっている。


 さえぎるもののない大地を風が自由気ままに吹き抜け、アキの肌を優しく撫でていった。


 エリアスから原野はとても怖いところだと聞いていただけに、まるでピクニックにでも行くようなのどかな雰囲気にアキは少々拍子抜けしてしまう。


 そのエリアスはというと、彼は聖剣の柄に軽く手を乗せて周囲に視線を巡らせていた。


 ――もしかして、自分が気づいていないだけで、すぐ近くに魔物がいるのだろうか。


 突然不安になってきて、アキは小走りにエリアスに歩み寄って彼のマントを軽く引っ張った。


「どうしたの? アキ」


 エリアスは小首を傾げ、アキの言いたいことに気づいたのか安心させるように微笑んだ。 


「ああ、今のところ魔物はいないから大丈夫だよ。ただ、一歩でも原野に出たら警戒を怠るわけにいかないからね。どこから魔物が襲いかかってくるかわからないから」


 歩み寄ってきたヨハンが頷いた。


「そのとおりです。ですが、ここは城壁の近くですから、女神の結界の恩恵があるので比較的魔物は出にくいです。今のうちに下準備をしてしまいましょう。レオ、いけますか」


「はいよ。アキ、ちっと下がっててもらえるか」


 レオはアキにそう指示を出すと、太ももに括りつけてあった小袋から魔導書を取り出した。それを左手で開いて持ち、右手をその上に覆い被せる。そうして、一度短く息を吐き出してから目を閉じると、凛々しい声で詠唱を始めた。


「――呼び合う声が聴こえるか、応えておくれ、契約の友よ。空を渡り、迎えにきておくれ」


 レオは宙に長い指を伸ばし、一寸の乱れもない動きでするすると魔法陣を描き出してゆく。


 描き終えた魔法陣は一度フラッシュするように輝きを放ち、レオはそれを腕を振って掻き消した。途端、ぽんっと軽快な音が弾けたかと思うと、目の前の地面からもくもくもくと白い煙が立ち込めた。


 まるで手品のショーのような演出に、アキはなにが起こるのかとわくわくと目を輝かせる。


 次第に立ち昇っていた白い煙が掃けてゆき、周囲が元の景色を取り戻していくと、煙の発生源だった場所に黒い影がぼんやりと浮かび上がった。


 ――もしかして、なにかいる……?


 アキが目を凝らしていると、草原の草の上に、つぶらな黒い瞳を不安げにきょろきょろとさせた真っ白な子羊がちょこんと座り込んでいた。


 綿菓子のようにふわふわで雪のように白く、黒い目は濡れたように輝いている。


「か、かっ……」


 アキは子羊を前に、あまりの可愛さにぶるぶると震えて頬を紅潮させる。


「かわいい!」


 思わず子羊に駆け寄って身を屈めると、子羊はアキの顔を見つめ返し、小首を傾げて、きゅう、と小さく鳴いてみせた。それがまた、心臓を鷲づかみにするような愛らしさなのだ。


 抱きしめたいっ、という猛烈に思っていると、レオがすたすたと歩み寄ってきてアキの隣に屈んだ。


「どーだ、可愛いだろ。こいつ、俺の使い魔だからよろしくな」


「使い魔?」


「そ。『魔法使い』が使役する召喚獣しょうかんじゅうのことな。召喚獣は魔物の一種といわれているんだが、魔法使いが『契約』をすることで、俺たちのために力を貸してくれるようになるんだよ。こいつは俺の相棒だから、よろしくな」


 レオは、芝生の上に腰かけていた使い魔の子羊を軽々と抱き上げると、立ち上がったアキの腕の中にその子羊を手渡した。


(軽い……!)


 見た目も小柄で軽そうであったが、実際に抱いてみるとぬいぐるみのようにほとんど重さを感じない。それでいて温かく、太陽を浴びた布団に似たいい匂いがした。


 召喚獣も人馴れしているらしく、おとなしくアキの腕の中に収まっていて、こちらの様子を伺うようにじっと見つめてくる。


 その健気な様子にたまらない気持ちになっていると、子羊を遠巻きに見つめていたヨハンが口を開いた。


「アキ、召喚獣は『魔法使い』が召喚魔法を使って呼び出すものなので、月系魔法に含まれます。なので、『神官』である僕には使えないんですよ」


「なるほど。だから私は、レオに異世界から召喚してもらったんですね」


 そこまで答えて、アキははたと一つのことに気づく。


「……ということは、私もレオの召喚獣みたいなもの、ってことでしょうか?」


 レオがにんまりと笑った。


「ああ、たしかにそうだな。んじゃ、おまえは今から、俺のことを『ご主人様』とお呼びなさい」


「はい、ご主人様!」


 即座に声を上げたのはアキではなくエリアスで、意外な人物の反応に、レオは前につんのめる勢いで転んだ。


「うおい、エリアス! おまえ面白がってるだろ! 勇者のおまえにだけはご主人様って呼ばれたくないわ!」


「そう? 俺は別に構わないけれど」


「俺は構うんだよ! つーか、にやにや笑うな!」


 レオがエリアスの胸倉につかみかかろうとして、エリアスがそれをひらりと躱している。


 ヨハンはというと、われ関せずで涼しい顔をしながら、次の工程を確かめているのか地図の書かれた書類を眺めていた。


 普段の三人の旅っていつもこんな感じなんだろうなあ、とアキはひそかに笑う。


 ――そういえば、この羊さんはなにか名前があるのだろうか。


 ふと疑問に思って、アキはエリアスとまだ何事か言い合っているレオに顔を向けた。


「ねえレオ、この羊さん、なんて呼べばいいんですか?」


「名前?」


 意外なことを聞かれたとでもいうように、レオはきょとんとする。


「あいにくだが、決まった名前はつけてねぇんだよな。『魔法使い』の中には名前をつける奴もいるが、俺はそんなに数を使役しねぇから、呼び分ける必要がなかったんだよ。呼びづらければおまえが命名してくれて構わないぜ?」


「いいの?」


「ああ。覚えやすくかつシンプルかつ語感のいい、こいつに似合いの可愛い名前をつけてくれればな」


(なにげに注文多いな……)


 うーん、とアキが腕の中の子羊を見つめると、羊もまた、なんだろう、と上目遣いでこちらを見返してくる。おおお、本当に可愛い。


 こんなにも愛らしい羊さんなのだから、レオの言うとおり、なにか可愛らしい響きのある名前がいいなと思う。


 真っ白な子羊に鼻を寄せると、生まれたての赤ちゃんのような優しい乳の香りがする。


 羊、白、乳――そのキーワードを考え巡らせているうちに、アキはふと名案が降ってきてぽんと手を叩いた。


「レオ、私の世界では、牛乳のことをミルク、羊のことをシープって呼ぶんですが」


「ほう。――で?」


「なので、それらの単語を組み合わせて、ミルシープっていう名前はいかがですか?」


 自画自賛ではあるが、比較的短く、覚えやすくて、それでいて長音が入っていて五感もいい、気がする。


 どうだ、と鼻息荒くレオの反応を待っていると、レオがややあってから納得したように頷いた。


「ミルシープか。うん、いいんじゃねぇの。可愛い響きだし、なによりおまえらしい単純な発想だよな」


「な、なにそれ……!」


 なぜいつもレオは一言多いの。


 むっと頬を膨らませてみせると、レオが、冗談冗談、と笑いながらひらひらと手を振った。


「おまえに名付け親になってもらえて、ミルシープは幸せだと思うぜ。俺もな。ありがとな、アキ」


「え? う、うんっ……」


 不意打ちのように突然お礼を言われて、アキは思わずどぎまぎして腕にいるミルシープに顔をうずめた。


 レオが時折見せる飾らない笑顔が、結構可愛いものでどきどきしてしまうのだ。少年らしい快活さが、彼の魅力の一つだと思う。


 エリアスはマントを手で払いながら、原野の前方を見すえた。


「それじゃあ、名前も決まったことだし出発しようか。レオ、頼めるか」


「はいよ。――ミルシープ、頼む」


 レオがミルシープに声をかけると、使い魔は主の命令を心得たように目を輝かせ、アキの腕から飛び降りた。


 地に降り立って四肢を踏ん張ったと思うと、その小さな体をぶるりと震わせる。すると、みるみるうちにミルシープの体が巨大化していき、アキたちのところに大きな影を落とした。


 ぬいぐるみのような外見は変わらないまま、あっという間に見上げるほどの大きさまで成長したミルシープに、アキはぽかんと口を開けて上を仰ぎ見る。


「す、すごいっ! ミルシープって大きくなれるんですね!」


 レオは自慢げに鼻を鳴らした。


「まあな。ミルシープは、巨大化して俺たちを背に乗せて原野を駆ける能力があるんだよ。ただの愛玩動物じゃねぇんだ。つまり、こいつがいてくれれば、危ない原野もひとっ走りってわけだな」


 言って、レオが小さな魔法陣を自分の目の前に描くと、途端に彼の足もとから風が湧き起こって彼の体がふわりと跳躍した。風に乗るように舞い上がり、あっという間にミルシープの頭上まで跳んでゆく。


 よっと、と小さく声をあげながら、レオはミルシープの頭上に腰かけた。そこからアキたちを見下ろして声を張る。


「おーい、おまえらも早く乗れよ。のんびりしてると魔物に襲われるぞ」


「ち、ちょっと待ってください! 私、どうやって乗れば!?」


 というか、魔法で跳躍するなら私も一緒に運んでくれたっていいのに!?


 そんな他力本願なことを考えているアキの傍ら、ヨハンもまた途方に暮れてミルシープを仰いでいた。


「……すみません、僕も一人では登れないんですが……」


 どうやらヨハンも、『神官』の使える太陽系魔法では浮遊することができないらしい。


 とすると、おそらくエリアスはあの二階まで跳躍できる身体能力があるから問題ないだろうから、登れないのはアキとヨハンということになる。


 レオがミルシープの頭上で頭を抱えた。


「そうか。ヨハンは跳躍力を上げるスキルがねぇのか。ったく、『神官』ってのは鈍くせぇ職業だよな」


「貴方みたいに体力ばかの『魔法使い』と一緒にしないでください」


 楽しげに笑っているレオに、ヨハンが憤慨して抗議をしている。

 なんだかんだいって、この二人もいいコンビだよな、とアキは思う。


 レオはヨハンを対象に浮遊魔法を発動すると、彼の白いローブが風を孕んで舞い上がり、彼の体をミルシープの胴の上まで運んでいった。


 次は私の番かな、とアキがその様子を見守っていると、エリアスが隣にやってくる。


「アキ、君は俺が運ぶよ。――ちょっと失礼」


 言うが否や、エリアスはアキの首の後ろと腰に手を回すと、軽々とその体を抱き上げた。


「わ、ちょ、エリアス!?」


 急激に高くなる視界と、近づく彼の整った容貌に、アキは耐えきれずに顔を熱くする。


 運ぶ、とは、抱き上げて一緒に跳んでくれるという意味だったのか。

 エリアスに抱えてもらうのは二度目とはいえ、毎回恥ずかしくて仕方ない。


(重くない、かな……)


 女の子らしく一丁前にそんなことを気にしてしまうのだが、重そうな聖剣をなんなく振り回していそうな彼のことだから、なんてことはないのかもしれない。


 アキは、エリアスの横顔をちらりと盗み見る。


 エリアスの強い部分や弱い部分を知って、自分が少しずつ彼に惹かれ始めているのはわかっていた。


 だからこそ、こうして抱えられているとどきどきするし、彼が自然に自分に触れてくれるのが嬉しかった。彼の特別になれたような気がして。


 けれど、彼はこうしてアキを抱きかかえても平然としていて、特になにも感じてはいないようなのだ。

 とすると、やはりエリアスは自分のことなんてなんとも思っていないのだろうか。

 自分ばかりが、彼を意識しているのだろうか。


(やっぱり、エリアスの目に私は映っていないのかな……)


 『勇者』は誰のものでもあり、また、誰のものにもならないのだから。


「アキ、どうかした?」


「え?」


 考えに耽っていたら、いつの間にかエリアスに心配げに顔を覗き込まれていた。


「ご、ごめんなさい、なんでもな――」


「なんでもなくはないだろう? アキ、気になることがあったらなんでも言ってくれていいんだよ。俺たち、お互いに支え合うって約束したじゃないか」


「そ、それは……」


 アキは、みなまで言えずに口ごもる。

 まさか、エリアスは私のことどう思っているの、なんて聞けるはずもない。


 その答えを聞くのが、きっとどこか怖かったからだと思う。

 自分が望む答えは返ってこないと、頭の中でわかっていたからかもしれない。


 エリアスはアキが話しだすまで頑として動かない気なのか、無言のままこちらをじっと見つめている。

 これは、なにか言わないわけにはいかなそうだ。


 アキは観念したように短く息を吐き出した。


「ええと、エリアスはその……、好きな人とかいるのかな、とか考えていて……」


「好きな人?」


 考えてもいなかった質問がきた、とでもいわんばかりにエリアスはきょとんとしている。


 やはり、いくらなんでも質問が直球すぎただろうか。エリアスに変に思われたらどうしよう。

 かといってもう後には引けず、アキは辛抱強くエリアスの返事を待つ。


 エリアスは少し間を置き、言葉を選ぶように宙を見上げた。


「そうだな、俺、今まではあまり異性に興味がなかったんだ。勇者っていうのは、誰か特定の人を特別視してはいけないからね」


「……そうですよね。勇者様は、世界に生きる人たちみんなを守る職業だから」


「そうだね。けれど、今はちょっと違うかな」


 アキがエリアスの目を見つめると、彼が優しげ目を細めた。

 少し照れくさそうに笑う。


「今は、俺が守れたらいいのにって思う人がいる。俺の隣でずっと笑っててほしいなと思う人がいるんだ。『勇者』としての俺じゃなくて、俺自身の力で守りたいと思える人ができたんだ」


 エリアスは、どこか熱のこもった視線でアキを見つめる。


 アキは彼の言葉を受けて、高鳴る鼓動を抑えきれずにはいられなかった。


(エリアス、それは、どういう意味?)


 それじゃまるで、私のこと――……。


 返事を待たずに、エリアスはアキの体を抱く腕に力を込めて軽やかに足を踏み出した。


 鳥が羽ばたくようにふわりと二人は舞い上がり、視界がぐんと高くなって、あっという間にミルシープの上まで跳躍する。


 エリアスにミルシープの上に体を降ろされると、ふわふわとした羊毛の感触が肌をくすぐった。

 腕に抱いていた頃と同じように、ミルシープの毛は柔らかくて優しい。


 すぐにアキのもとから離れようとしたエリアスに、アキは勇気を振り絞って続きを聞こうと口を開いた。


「あの、エリアス――」


 途端、エリアスがアキの唇に人差し指を当て、ゆるく首を振る。


「中途半端なことを言ってごめんね。俺自身としては、そう思っている人がいるんだ、けれど……」


 エリアスは寂しげに微笑んだ。


「けれど、『勇者』としては、守りたい人を作ってはいけないから」


 それはいけないことだから、とエリアスは言い残して、アキのもとを離れてミルシープの後方へと行ってしまった。前方にはレオがいるので、エリアスは後方でアキたちを守ってくれるのかもしれない。


 アキは彼の背中を切なげに見つめながら、弱々しく息を吐く。


 謝ってもらうつもりではなかった。

 けれど、どんなに想ったとしてもエリアスの特別にはなれないのだという現実が突きつけられたようで、アキは胸が痛くて痛くて視線を落とした。


 やっぱり自分は、好きになってはいけない人を好きになり始めているのかもしれない。


 けっして叶わない恋かもしれないのに。


 全員が乗ったことを確認したレオは、腕を前方に振り下ろし、ミルシープに前進するように指示を出した。


 途端に風のように走りだしたミルシープによって、原野の景色が早送りのようにアキの視界を流れていく。


「すごい、すごい! ミルシープって速いんですね!」


 胸の痛みを振り払うように、アキはわざと明るい声で言う。


 今は気持ちを切りかえなければ。恋愛よりなにより、エリアスは魔王を倒してこの世界を救わなければならないし、自分はナコを助けなければならないのだから。


(だけど、一度好きだと気づいちゃうと――)


 その気持ちがどんどん加速してしまうのも事実で、アキは行き場のない思いにため息を吐くしかなかった。


 そんなことばかり考えて完全に気が緩んでいたアキを叱咤するように、突然ヨハンがアキの腕を掴んだ。


「アキ、警戒してください。さっそく来ますよ」


「え?」


(さっそく、来る……?)


 ヨハンは答えず、ミルシープの上空を見つめて鋭く目を細めた。


 前方にいるレオが手慣れた手つきで魔導書を開き、後方のエリアスが聖剣の柄に手をかけて片膝を立てた。


 ただならぬ緊張感に、アキはヨハンに倣うように前方上空に目を凝らす。


 豆粒のような黒い小さな斑点が一つ、こちらに向かって迫ってくるのが見てとれた。


(翼がある……?)


 黒い点は、近づくにつれてそれが翼の生えた異形の巨鳥だとわかった。


 あきらかに、こちらを目がけて真っ直ぐに突き進んでくる。


(あれは、まさか――)


 アキはごくりと唾を飲み込んだ。


 ――戦闘開始の合図だった。

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