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第十一話 姫の祝福

 先頭のエリアスに続いて謁見の間に入ったアキの視界に、仰々しく玉座に座る国王と、そのかたわらで過剰にびらびらした紅色のドレスを着込んだ王女の姿が目に入った。


 落ち着いた面立ちの白鬚の王に対して、まるでそれと対比されるかのように強烈に巻き上げた金髪に釣り目の王女である。


 彼女の兄妹であるアーノルドが物腰柔らかな外見だっただけに、王女の勝ち気そうな見た目は意外だった。


 目だけを動かして謁見の間を見渡せば、室内は縦に広く、円柱に支えられた天井は抜けるように高い。天井画には、創世の女神を模したと思われる女性が空を舞うような姿勢で描かれている。


 天井の中央部からは宝石を散らしたように輝く豪奢なシャンデリアが下がっており、柱の間に等間隔に造られた窓から差し込んだ光が、大理石の床にその模様を映し込んでいた。


 広い室内に圧倒されながら、アキは、隣で王と王女を前に頭を下げているヨハンに耳打ちする。


「……ねえヨハン、ずいぶん気の強そうなお姫様ですね」


 ヨハンはふと瞬いたあと、アキに顔を寄せた。


「まあ、エリアスとは性格が合いませんので安心してください」


「ちがっ……! そういう意味で言ったんじゃないですっ」


 じゃっかん図星をつかれてうっかり大声を上げてしまうと、自分よりも一歩前に立っていたエリアスが振り返った。


「アキ、どうかした?」


 ――う、まずい……!


 アキは両手を顔の前でぶんぶんと振って苦笑いを浮かべる。


「あ、いや、なんでもないです! 騒いでごめんなさい……」


 しゅんとして体を縮めながら、アキは隣のヨハンを恨めしそうに軽く睨みつけた。


 もう、目立っちゃったじゃないですか、と小声で文句を言ってみれば、彼はどこ吹く風といった様子で明後日に顔を逸らしている。完全にからかわれたのかもしれない。


 仕返しに足でも踏んづけてやろうかと思っていた矢先、黙ってなりゆきを見守っていた王女が、ここからでもわかるほどに片眉を跳ね上げた。


「まったく、謁見の間で大声を出すなんて非常識極まりないですわね。同じ女性として、もっと上品に振る舞ってほしいですわ」


「え――」


 冷ややかな一言にアキはひやりと固まり、前方のエリアスが一瞬体を強張らせ、両隣のヨハンとレオも息を呑む気配がした。


 アキは、まさか王女からそのような指摘がくるとは思っていなかった手前、不意をつかれてざっと血の気の下がる思いがする。


 たしかに、王族の御前で大声を出したことは失礼にあたるかもしれないが、それにしても言い方に棘がありすぎるのではないだろうか。


 謝るべきかと逡巡してアキが言葉を失っていると、王女はさらに感情が高まったのか、ドレスの裾を持ち上げて鼻息荒く立ち上がった。かつかつとヒールを鳴らしてアキの目前までやってきたと思うと、王座の高台で、つんと顎を上げる。


「いいですこと? 貴方、『勇者の片腕』やら『勇者の秘書』やら大層なお名前で呼ばれているようですけれど、勇者様にふさわしいのは、この国の第一王女であるこの私! ぽっと出の貴方なんか、エリアス様の横に並ぶ資格なんてありませんのよ」


 エリアス本人の前で堂々と言い放つ王女に、アキは絶句した。


(も、もしかして、王女様もエリアスのことが気になってるんだ……)


 そりゃエリアスは、この世界全土から勇者様と謳われる英雄で、おそらくこの世界で魔王と並んで最強の存在であり、そして極めつけにあの容姿端麗ぶりである。


 ひと目見ただけで恋に落ちてしまいそうな彼なのだから、それは王女様が熱を上げるのも無理はないのかもしれない。


 ただ、その気持ちが、エリアス自身に対してなのか、それとも勇者としての彼に価値を感じているのかはわからないけれど。


 アキと王女の間に流れる不穏な空気を感じてか、エリアスがぎこちなく頬を掻いた。


「王女様――カロリーナ様も大変美しい女性ですが、アキも優しくて可愛らしい女性です。二人ともとても魅力的だと思いますよ」


「まあ、勇者様はこんな田舎娘の肩を持つのですね! エリアス様はお優しいから、人のことを悪く言いませんものね」


 カロリーナの遠慮のない物言いに、アキは身を縮めた。


 そりゃあ自分は、大国の王女に比べたら平々凡々な一会社員だ。突然異世界に呼ばれてエリアスの秘書になったとはいえ、勇者である彼と釣り合っていないことなど充分にわかっている。けれど、いざ面と向かってはっきり肯定されると、堪えるものがあった。


「……すみません。出過ぎた真似をしました」


 胸が締めつけられるような痛みを感じながら、アキは深々と頭を下げた。


 正直つらかった。エリアスと自分との間に感じていた壁を、まざまざと思い知らされたようで――。


 この場から立ち去りたい、そう思った矢先、エリアスがアキを庇うように彼女の前に出た。


 驚いて彼の横顔を後ろから覗き込むと、さきほどまで苦笑いだった彼の表情が、無表情といえるほどに消え失せていた。その冷たい双眸は、彼の美貌と相まって見る者を凍りつかせるほどに冴え冴えとしている。


 エリアスの明らかな変貌ぶりに一同が固唾を呑む中、彼が低い声で口を開いた。


「カロリーナ様、アキは私にとって大切な人です。彼女の悪口を仰るならば、たとえ王女様であっても許すことはできません。彼女を侮辱することは『勇者』である私への侮辱と見なします」


 いつもの穏やかなエリアスとは思えない、他者を徹底的に拒絶するような口調だった。


 アキは、自分の前に立つエリアスのマントを無意識にきゅっとつかむ。

 エリアスが自分のために本気で怒ってくれていることが嬉しかった。それだけ、自分は彼にとって大事に思ってもらえているということだから。


 ありがとう、とアキが心の中でエリアスにお礼を告げる中、好意を寄せているエリアスに真っ向から拒絶された王女は、真っ赤に頬を紅潮させた。なんとか冷静を取り繕おうと、震えながら唇を噛む。


「ゆ、勇者様は、突然異世界から女性がやってきたものだから、一時的に物珍しさに惑わされていらっしゃるのでしょうっ。すぐに目も覚めるでしょうから、今日のところは王女である私への無礼、許します。――気分が優れませんので、これで失礼いたしますわ」


 王女はエリアスに憂うような視線を向け、その後、間髪入れずにアキをきりりと睨みつけた。これは、完全に敵と認知されてしまったらしい。


 アキも、その刺すような視線に怯みつつも一歩も負けじとカロリーナを睨み返す。


(ま、負けないんだから……!)


 カロリーナとアキの女の戦いに、レオとヨハンが両隣で青ざめている。


 お互い睨み合ったままばちばちと張り合っていると、先に王女のほうが、ふん、とでも言いたげに顔を逸らした。これ見よがしにヒールの音を高鳴らせながら、大股でエリアスやアキたちの脇を通り抜け、謁見の間の扉の前で一度こちらを振り返る。


 アキたちがその様子を見守っていると、王女は「失礼いたしますわ!」と不機嫌そうな甲高い声を部屋中に響き渡らせ、力の限り扉を閉めて出て行った。


 ばあん、と扉が派手に閉められた轟音が謁見の間を震撼させ、扉の開け閉めを担当するはずだった衛兵が気まずそうにおろおろしている。


 立ち去った王女を見守ってから、レオは、はーっと深々と息を吐きながら前髪を掻き上げた。


「……おっかねぇ。ありゃ完全に怒らせたな」


「エリアスの反撃が痛快でしたけどね」


 ヨハンは小声でレオにうなづきつつ、アキの袖を軽く引く。


「……アキ、すみません、僕が軽率でした。まさか王女があそこまで過剰反応をするとは思わなかったもので」


「ううん。私も正直びっくりしました。ちょっと声を上げただけであんなにお怒りを買うなんて……。王女様、エリアスのことが大好きなんですね」


「好きすぎて嫉妬に狂ってる感じだけどな――」


「――レオ!」


 ヨハンが大声をあげて、レオの言葉をみなまで言わせないようにさえぎった。

 口が過ぎますよ、とヨハンがレオにぶつぶつお小言を言っているのを横耳で聞きながら、アキは国王を振り仰ぐ。


「国王様。さきほどは、自分の立場もわきまえずに発言をしてしまって失礼いたしました」


 勢いよく頭を下げて謝罪する。そもそも、自分が大声を上げなければこんな事態にはならなかったのだ。


 王は苦笑し、アキを責めるというよりは、娘の気性の激しさに手を焼いているような表情で髭に触れた。


「いや、こちらこそ娘が失礼をしたな。娘は人一倍気が強いものでな。――エリアスも、すまなかった」


「いえ。私もつい感情的になってしまいました。申し訳ありません」


 きちんと一人称を『私』と正して発言するエリアスに、アキは思わずどきりと心臓を跳ね上げた。公の場に出る彼は、勇者としての貫禄と自信に満ち溢れている。その凛々しい横顔を見ていたら、やはりカロリーナが惚れ込むのも無理はない気がしてきた。


 この話はここまでだ、と示すように、王は両腕を玉座の肘掛けに乗せた。


「――エリアス、本題に入ろう。これから魔王討伐の旅に出発するということであったな」


「はい。魔王の住む城があるといわれる魔の森に出発し、魔王を捕縛後、森に火を放ち、この城に連れ帰ります」


「頼んだぞ。魔王の魔力さえあれば、我が息子アーノルドの呪いを解くことができるかもしれぬ。息子を助けることが我が悲願なのだ」


「承知しております」


 エリアスが胸に片手を当て、首を垂れた。


 王様の言葉を聞くに、アーノルドの呪いを解くには、悪い魔法をかけた当事者である魔王の魔力が必要なのだろう。そのため、今回の勇者の旅は、普通に魔王を討伐するのではなく城に連れ帰る必要があるのかもしれない。


 ナコを連れ去ったあの一癖も二癖もある魔王を城に連れ帰ってくるのは骨が折れそうだけれど、体の不自由を抱えて生きていかなければならないアーノルドを救いたいという気持ちもある。


 つまり、ナコと魔王と話をつけてこの城に来てもらい、アーノルドを助け、そしてこの世界も救う必要があるわけだ。それらはすべて、自分たちの腕にかかっている。


 エリアスの力強い返事に、王は満足げに髭を擦った。


「うむ。貴公らにしか頼めないことなのだ。期待しているぞ」


「お任せください。必ず『勇者』に課せられた使命を果たし、無事にこの国に帰還してみせます」


 凄みのある笑顔で答えるエリアスに、アキとレオ、ヨハンもまた、胸に手を当てて頭を垂れるのだった。




 王への挨拶を終えると、各自、いったん自分の部屋へと戻ることになった。レオもヨハンも、それぞれに原野で魔物と戦うための武器や防具、それから食料や薬といった旅の荷物を装備する必要があるらしい。


 そうして準備を終えて集合したアキたちは、こっそりと城の裏道をとおり、街の裏門までやってきていた。勇者が旅立つとなると、住民が応援に殺到してお祭り騒ぎになってしまうため、ひと目につかないようにしてこっそり旅立つのが恒例らしい。


 街の裏門は、閑散とした住宅街の細い路地を下ったところにあり、街はずれの小さな教会の脇にひっそりと造られていた。木々に囲まれた中に低い鉄格子の門があり、門の柱頭には獅子が二匹向き合って座っている。


 門の先には、木ひとつもないだだっ広い平原が広がっているようだった。おそらくあれが原野なのだろう。


 裏門を越えると魔物が出現するエリアのため、その前に装備を整えようということになって、ヨハンが彼の武器と思われる身の丈ほどの十字架型の杖を背負い直した。『神官』らしい神聖さを思わせる武器である。


 大振りの杖だからか、小柄なヨハンには少しアンバランスに見えるのが可愛らしくて、アキは思わず小さくふきだした。


 途端、ヨハンが怪訝そうな顔でこちらを見る。


「……どうして僕のことを見て笑うんですか、アキ」


「あ、いや、ヨハンの杖って長いから、ちょっと重そうだなって思って。ぶんぶん振り回すわけじゃないですもんね?」


「振り回すわけないでしょう。杖は魔法を唱えるための触媒なだけですから。ですが、貴方が余計なことを言ったら頭を小突くくらいの用途には使おうと思いますが」


「ひ、ひどいっ」


 冗談ですよ、と笑うヨハンの隣、レオは動きやすそうな編み上げのブーツにジャケット、その上から真っ黒なローブを無造作に羽織っただけといった出で立ちをしていた。杖を背負っているヨハンとは違いほぼ手ぶらだ。彼がいつも使っている、小さい魔導書の入った小袋を太ももに括りつけたポーチに入れているだけだった。


 少し離れたところで体をほぐしているエリアスはというと、銀色の胸当てをつけて腰には聖剣を帯び、ロングブーツを履いたすっきりとした軽装であった。騎士のように甲冑で固められた格好で出陣するわけではないらしい。


 杖ひとつ持っていない『魔法使い』であるレオを前に、アキは首を傾げる。


「ねえ、レオはヨハンみたいに杖で魔法を唱えないんですか?」


 魔法使いといえば、たとえば木の枝を模したような使い込まれた杖を使っていそうなのだが。


 レオは腰に手を当てた。


「はあ? あんな野暮ったいもん使わねぇよ。そもそも、『魔法使い』と『神官』じゃ扱える魔法の系統が違うからな。それで杖の要否が決まってくるんだよ」


「系統?」


 訊き返したアキの隣にヨハンがやってきて、聞き捨てならないとレオを軽く睨みつけた。


「まったく、野暮ったいとは失礼ですね。――アキ、僕たち『神官』は創世の女神の力を杖に降臨させて唱える太陽系魔法たいようけいまほうを使用します。太陽系魔法とは、主に回復・補助系の魔法体系です」


 ヨハンの説明を、レオが継いだ。


「それに対して、俺たち『魔法使い』は、大気中に存在する自然の魔法元素をかき集めて発動する月系魔法つきけいまほうを使うんだ。月系魔法は、主に攻撃・状態異常系だな。で、さらにその中で火・水・風・土・光・闇の六系統に分かれるんだ」


 すらすらと説明するレオに、アキは、ふうん、となんとなくわかったように頷く。

 要するに、


【魔法体系】

1.太陽系魔法

 ・『神官』が使える。

 ・回復、補助系魔法がメイン。

 ・創世の女神の力を借りて発動。


2.月系魔法

 ・『魔法使い』が使える。

 ・攻撃、状態異常系魔法がメイン。

 ・大気中の自然元素の力を借りて発動。

 ・火、水、風、土、光、闇の六系統がある。


 ということなのだろう。


 つまり、ヨハンとレオは同じ『魔法』というものを使うとはいっても、原理はまったく違うものを取り扱っているということなのだ。『神官』と『魔法使い』では専門とする範囲が違うのだろう。


「あと、月系魔法は指で魔法陣を描けば発動できるんだが、太陽系魔法は女神の力を借りなきゃなんねぇから、女神の力の媒体となる杖が必要になるんだ。だから、そいつが太陽系魔法を使うのか月系魔法を使うのかで、杖のいるいらないが決まってくるわけだな」


 ああそれでレオは杖を持ってなかったんだ、とアキはレオとヨハンをかわるがわるに見る。


「そっかあ。なんだか難しいんですが、要するに、ヨハンは女神様の力を借りる魔法を、レオは自然の力を借りる魔法を使うってことですよね?」


「そんな感じだな。ちなみに、太陽系魔法と月系魔法は、回復と攻撃で相反する力を持つからかそのどちらかしか体得できねぇんだ。特に『太陽系魔法』は神殿出身者しか会得できねぇから、使える人間も限られてる」


 太陽系魔法を使える奴は希少だ、とレオはヨハンをちらりと見た。


 そういえば、アーノルドが神官養成機関である『神殿』は神聖国にあり、かの国は決められた血筋と家柄を持った者しか国籍を得られないと言っていた。


 飛び抜けた成績を誇らなければならないとはいえ、一般に門戸が開かれている『学府』を卒業すれば月系魔法を使える魔法使いになれるわけだから、月系魔法の使い手に比べると太陽系魔法の使い手が少ないのは納得できる。


 レオは、体をほぐすように屈伸をしながら言う。


「あと、これは月系魔法も太陽系魔法も共通なんだが、自分の持つ魔力容量が多いほど、連続してばんばん魔法を放てたり、通常は数人がかりで発動する高度な魔法を一人で発動できたりする。たとえば魔王が秒速で発動する異世界間の転移魔法だが、あれを人間の『魔法使い』でやろうとすると十数人がかりで夜な夜な魔法陣を描いて準備してからでないと無理だし、しかも成功する確率もかなり低い。つまり、魔王の魔力は人智を越えるってわけだな」


「なるほど……」


 あの魔王はそんなにすごい人だったのか、とアキは唸る。


 それなのにどうしてあんな残念な方向の性格にいってしまったのだろう。天才となんとかは紙一重ということなのだろうか。


 準備体操を終えたエリアスが、軽やかにこちらに歩み寄ってきた。


「魔王は本当にすごいよね。俺なんていっさい魔力がないのに」


 レオが片眉を跳ね上げる。


「おまえは魔力なくていいだろ。だいたいおまえ不器用なんだから、たとえ魔力があったとしても初級魔法のひとつも使えないと思うぜ」


「なにを根拠にそんな。じゃあ、今度俺に魔法を教えてよ、レオ」


「いやだ。なんでそんな不毛なことを俺がやらなきゃいけねぇんだ」


 ぎゃあぎゃあといつものように言い争いを始めるレオとエリアスに、ヨハンは頭痛に耐えるように頭を抱えた。


「まったく、出発前からはしゃがないでください。そもそもエリアスは、魔力がない代わりに身体能力が抜群に優れているでしょう。剣術や格闘技はもちろん、エリアスは舞踊も得意ですもんね。だから王女が猛烈に惚れ込むんじゃないですか」


 ヨハンが何気なく言った言葉に、アキは瞬いた。


「舞踏って、エリアスはダンスも得意なんですか?」


「得意というか、身体を動かすっていう意味では武芸と一緒だから、簡単だとは思うよ。俺、王侯貴族のパーティに呼ばれることもあるから、そこでは少し踊るようにしているんだ。突っ立っているわけにもいかないからね」


 平然と言うエリアスに、レオがにんまりと笑う。


「エリアスと踊るのは大変だぞ。そりゃもう毎回お姫さん方の行列だからな」


「……行列?」


 アキが訊き返すと、ヨハンが肩を竦めた。


「争奪戦ってことですよ。お姫様は皆、勇者エリアスと一度は踊りたいと思うんでしょうね。それで、いざ踊ってみたら大変上手なものだから、何度も踊りたくなるんじゃないですか。だから、パーティでエリアスと踊るには、そのお姫様の大行列を待つしかないんですよね」


「な、なるほど……」


 ただでさえ王子様のような見た目のエリアスに、軽やかにリードしてもらいながら踊るなんて夢見心地になれるかもしれない――とアキは思う。


 しかもエリアスは噂の『勇者様』なのだから、その人と寄り添って踊れるなど、この世界で特別な存在になれたのではないかと感じるかもしれない。


 自分も、いつか彼の手を取って踊れる日が来ればいいのだが、ダンス経験のない自分にとっては夢のまた夢だ。二人で踊る姿を想像することさえままならない。


 落胆しているアキの心情を察したのか、エリアスがやや考えたように頬を掻いてから、アキの目の前にそっと右手を差し出した。


「――アキ。よかったら、今度俺と踊ってくださいますか?」


「え?」


 なんだろう、今の聞き間違い?


 言われたことが飲み込めなくてきょとんとしていると、エリアスが自分の言葉の恥ずかしさに気づいたのか、弾かれたように顔を赤くした。


「お、俺でよければ、なんだけれど……」


 しどろもどろになっているエリアスの後方で、レオとヨハンが笑いを堪えるように震えている。

 二人のその背景が気になったが、アキは内心それどころではなかった。


 ――エリアスが、私と踊ってくれる?


 まさか彼から申し入れてもらえるとは思わず、アキは気恥ずかしさと狼狽で頭が真っ白になる。


 本当に、実際にそんな場面になったら照れて体ががちがちになりそうだけれど、それよりも、エリアスの気遣いがとても嬉しかった。


 そのときが来たときのためにこっそり練習しておこう――と、アキはひそかに心に誓う。


 アキは顔を上げ、幸せの滲み出るような笑顔で頷いた。


「はい! エリアスさえよろしければ、ぜひ。……ただ、私なんかでいいんですか? 私、絶対足踏みますよ」


 エリアスの足を踏むどころか、下手をしたら自分の足がもつれて盛大に転んでしまうかもしれない。


 エリアスはしばし考えたあと、間の抜けた笑顔で小首を傾げてみせた。


「大丈夫、俺、踏まれる前に避けられるから」


「いや、そうじゃなくて!」


 真面目にぼけてくるエリアスに、アキはがくりと肩を落とす。


 彼は、どうも恋愛面の反応に鈍いところがあるというか、たまにとんでもなくずれたことを口にするところがある。自分の気持ちが伝わるのは万に一つもないんじゃないだろうか。


 エリアスとアキの様子を微笑んで見守っていたヨハンが、ふと思い出したように口を開いた。


「ところで、結局『姫の祝福』が得られませんでしたが、どうしますか?」


「ああ、道中の無事を祈って姫が勇者に口づけするあれか。あんなの迷信だろ。そもそも、カロリーナ王女の祝福って逆に呪われそ――痛!」


「無礼ですよ、レオ」


 ヨハンが、レオの頭をさっそく杖で小突いて黙らせている。


 叩かれた頭を押さえて涙目になっているレオをさらりと無視して、エリアスは多少気恥ずかしそうにしながらアキを見やった。


「それなら、俺の姫に祝福をもらおうかな」


 ――え?


「どういうこと?」


 言われた意図がわからなくて首を傾げると、エリアスがアキの目前まで歩み寄り、その足元にすっと膝を折った。


 突然エリアスに跪かれて、アキは度胆を抜かれておろおろとエリアスの後頭部を見下ろす。


「エリアス、急にどうしたの――」


「――アキ」


 アキの言葉を遮って、エリアスは頭を垂れたまま、許しを乞うように口を開いた。


「俺の大切な姫様。どうか私たちの旅が無事に終わるように、私に祝福の口づけをお与えください」


 アキは目を剥いた。


 勇者の旅の成功を願って、姫から勇者の額に口づけを贈る儀式。

 そうすると、勇者は無事に旅を終えてこの国に帰ってこられるという言い伝えがある。


 以前聞いたエリアスの言葉が急に頭をよぎって、アキは爆発するように顔を赤くする。


 エリアスは、その姫の役目を自分がやってもいいと言っているのだろうか。

 自分が、エリアスの額に口づけをおくってもいいということなのだろうか。


 後ろで様子を見守っていたレオとヨハンが、良い考えだと言わんばかりにそろって頷いた。


「なるほど。アキこそ俺たちの紅一点、守るべき姫様だもんな」


「ええ。アキなら、僕たちに心からの祝福を贈ってくれそうですしね」


 早く早く、と急かすようにレオとヨハンから笑顔を向けられる。


 ここはもう、後には引けないかもしれない。


 アキがどぎまぎとエリアスに視線を戻すと、彼は顔を上げて、勝ち気そうに口角を持ち上げた。


「俺も、カロリーナ王女よりも君に祝福してもらえたほうが嬉しいんだ。君は『勇者』としての俺じゃなく、俺自身の幸せを願ってくれるからね」


 その少年のようなあどけない笑顔は、エリアスが『勇者』として取り繕っているものではなく、彼本来のやんちゃな表情だった。


 アキは、エリアスが自分に向けて自然に笑うようになってくれたことが嬉しかった。

 この笑顔を守りたいと思った。旅が終わって帰還する、最後まで。


 アキはその思いに突き動かされるままに、身を屈め、彼の前髪をそっと避けて、えいっと彼の額に唇を寄せた。そのまま、彼のおでこに自分のそれをそっと当てて、祈るように目を閉じる。


「エリアス、レオ、ヨハン。そして私の旅が、無事に終わりますように」


 できれば誰も傷つかず、みんなが幸せになれますように――。


 エリアスは立ち上がり、傍らにいたアキの肩をぐっと自分のほうへ引き寄せた。


「わっ!?」


 驚くアキの肩を抱いたまま、彼は片手で聖剣を抜き払って空へと掲げる。


「ありがとう、アキ。必ず君の願いを叶えると、この聖剣に誓うよ」


 光線に縁取られた剣は、その刀身で未来を切り開くかように瞬いた。

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