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第百八話 追憶(2)


 メリアの案内で村の敷地内を歩きまわった僕は、最後に、村人たちが生活用水に使っているという村のはずれを流れる小川に連れてきてもらっていた。


「うーん……」


 砂利を積み上げて造られた小川のふちに屈んで、僕は水面を覗き込む。


「……なにを見ているのよ?」


 メリアが僕の後ろから同じように水面を見て、僕は屈んだまま彼女を振り仰ぎ、人差し指を口もとに当てて自分なりに可愛く片目をつむってみせた。


「秘密!」


「―――っ」


「わぁああメリア! 拳振り上げないで! 暴力反対!」


 ちょっとふざけてみせただけなのに、メリアは青筋の浮かんだ顔で、ぶるぶると拳を振り上げる。


 まったくせっかち……というか、怒りっぽいというか。


「メリアはせっかく可愛いのに、そんなに怒りんぼだとお嫁さんの貰い手がなくなるよ」


「かわっ……! あ、あなたには関係ないでしょ!」


 照れているのか、顔を真っ赤にしたメリアに今度こそ叩かれそうになったので、僕はそれをひらりとかわして立ち上がった。そうして小川の水に視線を戻す。


「……うーん、ちょっとね、水質が気になったんだ」


「水質?」


「うん。ねえメリア、この村では、この小川で洗濯や沐浴、汚水の排水、飲料水の取り入れまで全部やっているの?」


「まあ、そうね。村にはこの川ひとつしかないから。この村は海岸沿いに作られているから海もあるけれど、海の水じゃ塩辛くて飲めたものじゃないし」


「なるほどね……」


 僕は小川の上流に目を向ける。


 この川は、たしか内陸の植民都市から流れてきていたはずだ。


 内陸の都市はこの村よりもとても栄えていて、人も多く、その人たちが出した生活排水がこの川に流れているとなると――。


「……メリア、村の疫病の原因は、この川にあるのかもしれない」


「え? それって、どういう――」


「この川は内陸の植民都市から流れてきているものだろう? 僕はその都市を通ってきたからわかるんだけれど、そこはこの村よりも栄えた都会で、人口もとても多いんだ。その人たちが、この川に生活排水を流したり、沐浴をしたり、排泄物を流したりしていた。その汚染された水がそのままこの村に流れ込んでいたとすると――」


 僕の言いたいことがわかったのか、メリアが青ざめる。


「……その汚れた水を、私たちは飲料水として飲んでいたっていうこと……?」


「そうなるね。汚染された水には病原微生物がいる可能性が高いんだ。都市の保菌者や病気の人たちが上流で排泄したりするとね。この小川の水を通して、メリアたちが間接的にその病原体に感染していたのかもしれない」


 川の上流と下流での水の汚染の問題は、よくあることだと思う。


 ――さて、どうやって解決したものか……。


 メリアがかたかたと震えて手を口もとに当てる。


「し、知らなかった、そんなこと……。それじゃあ、いくら神に祈ったって、解決するわけが――……」


 僕は、震えている彼女の肩にぽんと手を置く。


「知らなかったのなら、これから知って改善していけばいいことだよ。これから君は、村長として村のみんなのことを守っていかなければならないんだからね」


 神に祈り願うことももちろん大切だ。けれど、願いを叶えるための努力を怠ってはならないと思う。


 だから、神に祈りを届けてもらうために、自分たちにできることをすればいい。おそらく疫病の原因が水にあるとわかったのなら、なおさら。


 僕の言葉にメリアは肩の力が抜けたようにほっとして、そして表情を引き締めた。


「ありがとう。疫病の原因があなたの言うとおりだとして――……でも、じゃあ、私たちはどうすればいいの? この村にはこの小川しかない。やっぱり村を捨てて別のところに住むしかないの……?」


 僕は首をふった。


 もちろん、対策についてはあらかた検討がついている。


 こういうとき、世界各地をあてもなく旅をしてきて、多くの事例や地形を見てきてよかったなあ、としみじみと思う。


 僕は、こういった事例の解決の仕方を知っているのだ。


「メリア、僕はこの村に立ち寄る途中にもうひとつ小川が流れているのを見かけたんだ」


 唐突に切り出す僕に、メリアは目を丸くする。


 僕はそんな彼女に、人差し指を立てていたずらっぽく笑いかけた。


「僕が思うに、その小川は植民都市を経由していなから、少なくとも病原体はいないと思う。だから、その小川の水を村の汚染された小川に引き込んで中和させよう。きっと効果があるはずだよ」


 それがうまくいけば、きっとメリアたちはこの村を離れなくて済むはずだ。


 メリアの大切なお父さんとお母さんの思い出のある場所を、そう簡単に諦めるわけにはいかないから。


 メリアは驚いたように目をみはったあと、感動に潤んだ目で僕を見返した。


「あ、ありがとう……! その方法がうまくいって、この村を離れなくて済むなら、すごく、すごくありがたいと思う……! で、でも、他の小川の水を引き込むって、どうしたらいいの? 大変なんじゃ……」


「そこは心配いらないよ。水を引き込むための水路を造る土木工事が必要になると思うけれど、そのお金は僕の私財を売れば工面できる。なんとかなると思うよ」


「そんなっ……!」


 なんでもないふうに言った僕に、メリアはびっくりして首を激しくふる。


「そんな、悪いわ……! 私たちのために、そこまでしてもらうわけにはいかない!」


「いいんだよ。僕がこの村に立ち寄って、君たちに出会ったのもなにかの縁だと思うし、僕は自分の財産を人助けのために使えるなら本望なんだ。それに、善行をすれば、神に近づけるとは思わないかい?」


 善い行いをして生きていくこと、人のためになることをすること、そして権力に屈せず自由精神を大切にすること――僕は、誰にも咎められない生き方が好きだった。


 そうして知者として、神からのメッセージであるこの世界の自然の摂理を理解し、真理を知り、叶うならば神と一体化して神の眼でこの世界を見てみたかったんだ。


 神は、心や力を尽くし、知性を尽くして、神を愛せよ、と仰せになられた。また、あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ、とも願われた。


 だから僕は、神のお言葉に従い、善い行いをして人助けをして生きることで、神の御心に沿おうと思っていた。それが僕の生き方で性分なのだと思う。


 メリアは僕の申し出に、いよいよぽろぽろと涙を流しながら、両手で顔を覆った。


「ありがとう、ありがとうエドクレス様……! この御恩は一生忘れないわ! 私、あなたを神のように、救世主のように崇めながら生きていくわ!」


 くぐもった涙声で言うメリアに、僕は彼女の頭にそっと手を置いてほほ笑みかけた。


「そう言ってもらえると嬉しいよ。けれど、感激するのは僕の策が成功してからにしよう。きっとうまくいくと、約束するけれどね」


 神よ、どうか我らをお導きください。


 僕の隣人たちが幸せに生きられるように、彼女たちをお守りください。



 こうして僕たちは、小川に水路を造る規模の大きい工事に着手することになる。


 そして約一年後――水路が無事に完成し、汚染された小川の中和に成功、村の疫病は見事に鎮まることなるんだ。






(そろそろ、頃合いかなあ……)


 自分に割り当ててもらった家でくつろいでいた僕は、読みふけっていた学術書を閉じて、窓の外の風景に目を向けた。


 水路の新設工事が終わってから約一年が経ち、村の疫病は無事に鎮まり、さらに新たな小川から水が引き入れられたことで、村の耕作が盛んになったり家畜が増えたりといいことづくめの一年だった。


 これをきっかけに村には帰農する農民も増えて、村は以前よりも活気づき始めている。


(僕の役目は、そろそろ終わりかな……)


 自分にやれることは全力を尽くした。


 その結果ひとつの村を救うことができたのだから、これ以上ない喜びだった。


 善い行いをして隣人を助け神へと近づく――その信念に基づいたことができたと思う。


 僕は執務机を立ち上がると、すっかりこの村の生活に馴染んで散らかしていた服やら旅の道具やらを、くたびれた革鞄に無理やり詰め込む。


(もう、この村ともお別れかあ……)


 長かったような、あっという間だったような、そんな充実した一年だった。


 ――この村の人たちに出会えてよかった。


 僕自身、今回の水路工事を通して多くのことを学ばせてもらったし、それになにより、村のみんなと力を合わせて一生懸命に作業にあたる毎日は充実していて、楽しかった。


「……旅立つ前に、村長やメリアたちに挨拶していかないとな」


 そう思い立って、家を出ようとしたそのときだった。


 どん、どん、と力任せに扉を叩く音がして、僕は苦笑いとともに肩を落とす。


 この乱暴な叩き方は――間違いない、彼女だ。


「エドクレス、エドクレス、いるの!? いるなら返事をしてちょうだい!」


 どん、どん、どん、とさらに扉をノックされて、僕は後ろ頭をかきながら扉を開ける。


「メリア、そんなに大声で呼んでもらわなくても、そんなにノックをしてもらわなくてもちゃんと聞こえるよ。君はあいかわらずせっかちだね」


「う、うるさいわね! あなたこそその減らず口はあいかわらずね! ……って、そんなことより――……」


 一年間同じ村で暮らしたからか、慣れた様子でずかずかと家に上がり込んできたメリアが、僕がまとめていた荷物を目に入れてぴたりと動きを止める。


「エ、エドクレス、もしかしてあなた、この村を――……」


 ああ、気づかれてしまった……。


 僕はどことなく間が悪くなりながら、視線を伏せる。


「そうだね……。この村も平和になったし、僕ができることはもうなにもない。そろそろ旅に戻る頃合いかと思って……」


 メリアが勢いよく振り向いて、僕の胸もとの服をぎゅっとつかむ。


「ま、待ってよ! あなたにできることがないなんて、そんなこと言わないで! あなたはこの村の救世主なのよ! あなたはなんでも知っているし、あなたがいてくれるおかげで村のみんなは安心して暮らせているの!」


 メリアはそこまでひと息で言って、僕の胸もとにそっと頭を寄せる。


「村のみんなだけじゃない、私っ、私だって、あなたにずっとそばにいてほしい。私、あなたのことが――……」


「――メリア」


 僕は彼女のその先の言葉を止めるように、そっと彼女の肩に両手を置いて体を離す。


 彼女が僕を想ってくれていることは、なんとなくだけれど、わかっていた。


 僕だって、彼女みたいにまっすぐで、責任感があって、気の強い部分もある芯のしっかりした女の子は好きだ。


 けれど、僕はひとところに留まることはできない。


 自然の理を理解するまで、僕は知者として探求の旅をずっと続けるつもりだから。そうして少しでも神に近づいて最期を迎えるつもりだから。


 僕は、こちらを見上げているメリアの肩に手を置いたまま、静かに首をふった。


「メリア、君の気持ちはとても嬉しい。けれど、それを受け取ることはできない。僕は、ここで旅を終えるわけにはいかないから」


 メリアは、涙をこらえているのか少し鼻をすすったあと、無理に笑顔を作ってくれたのか、目の潤んだ顔で僕のことを見つめた。


「――……わかってた、わかっていたわ。私じゃ、あなたを引き留めることはできないって。あなたはきっと、いつか、私のもとを去ってしまうって。だってあなたは、この村を救うためにやってきてくれた神のみ使いのような人だもの」


「神のみ使いって、僕は、そんな大層なものじゃないよ。ただの、学者だ」


 メリアは首をふる。


「そんなことはないわ。少なくとも、私たちにとってあなたは救世主様だった。あなたが私たちにもたらしてくれた奇跡を、あなたへの感謝を、私たちは一生忘れないわ」


「メリア……」


 彼女のまっすぐな感謝の気持ちが伝わってきて、僕は言葉もなく胸がいっぱいになる。


 彼女のために、この村のために、力を尽くしてよかった。


 心から、そう思えた。


 メリアは、目もとの涙をぬぐうと、今度こそ晴れやかな笑顔を僕に向けた。


「あなたのこと、忘れないわ。――……それで、いつかあなたが去ってしまうときのために、あなたに渡したいと思っていたものがあるの。それをいま、あなたに渡してもいいかしら?」


 渡したいもの……?


 僕がうなずくと、彼女はくるりと踵を返した。


「じゃあ、いまから家からとってくるから、少し待っていて! 私を置いて、知らないうちに旅立ったら承知しないから!」


「わかってるわかってる」


 はいはい、といつものように軽く手をふれば、メリアはいつもならわざと不機嫌そうに眉根を寄せてみせるのに、今日は嬉しそうににこりと笑って家を飛び出していった。


 そうして彼女が戻ってきたとき、彼女の手に握られていたものが、神と僕を結びつけ、それによってエリアスたちの世界を創造する力を得ることになるなんて――このときの僕には、知る由もなかったんだ……。




あけましておめでとうございます!

今年もよろしくお願いいたします。

新年ということで活動報告にキャラ同士の小話を書きましたので、よろしければごらんください。

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