第十話 レオとヨハン
旅の支度を終えて謁見の間の入口付近までやって来たレオは、まだ仲間の誰の姿もないことに拍子抜けをして、ぼりぼりと後ろ頭を掻いていた。
「ったく、俺が一番乗りかよ。……ま、俺が早く来すぎただけかもしんねぇけど」
とはいえ、今日はいよいよ魔王討伐の旅に出発する日なのだから、少しくらい早く集まっても罰は当たらないのではないだろうか。
そんなことを頭の中でひとりごちながら、レオは廊下の壁に背を預けてその場に座り込んだ。
大きくあくびをしながら体を伸ばしていると、時間きっかりにヨハンが姿を現す。くつろいだ様子のレオを見るなり、ヨハンは眉間に軽くしわを寄せた。
「おはようございます。旅の出発日に大あくびとは、あいかわらず余裕ですね」
「おまえの朝からの嫌みもあいかわらずだな。俺、昨日ちっと遅くまで調べもんしてたもんだから、あんま寝てねぇんだよ。まあ、いつものことだけどな」
「なるほど。やはり例の調べ物をしていたのですか?」
「……まあな」
レオは気のない返事をして、思いに耽るように口を閉じた。
レオが連日寝不足になるほどに調べ続けているのは、勇者と魔王、そしてその片腕たちに課せられた使命とは一体どのようなものなのか、ということだった。
ヨハンから聞いた説明では、勇者と魔王の役目は世界に創造エネルギーを注入することで、その片腕らは彼らに女神の力を貸すために異世界から召喚されるのだ、と聞かされていたのだが、レオが調べたところによると、彼らにはそれではない、もっと別の隠された真の役目がありそうなのだ。
けれども、なぜかその真の役目については表立って公表されていないのである。
(俺が調べたかぎりだと、どうも創世の女神の誕生そのものに関係がありそうなんだよな……)
創世の女神とは、この世界が造られたときに世界の守り神として生み出され、今も世界を維持するためにどこかで全土を監視しているといわれる不可視の存在のことである。
女神は一度たりとも人前に姿を現すことはないため、その姿を確認した者がいないからか、女神とは伝説上の存在なのではないかとさえいわれているほどだ。
けれど、その深窓の令嬢のような女神が唯一姿を見せるといわれる国がある。
レオたちの暮らす王国と拮抗する権力と領土を持つ『神聖国』だ。
女神は、かの国にのみ仮初めの姿で降臨し、人間になんらかのお告げを授けるといわれている。
『王国』と『神聖国』――この世界は、その二つの大国が権力をせめぎ合うことで成り立っている。
『王国』はいわずもがなエリアスやレオたちのいるこの国のことで、統治する領土は広範囲に渡り、政治力や軍事力に優れた国家のことである。
対して『神聖国』は、この世界で最も古くに建国された国で、教皇が統治者をつとめる宗教国家だ。
国の性質上、聖職に就いている者しか国籍が与えられず、また聖職に就ける者も限られた血筋や家柄の出身者とされているため、神聖国は外部からの移民を認めない選民主義で排他的な神秘の国とされている。
この世界の起源から存在する国ということもあって、神聖国には、一般の民衆が知り得ないこの世界の創造の過程についての神話が残っているとされていた。
そういった特質もあり、神聖国は創世の女神のお膝元として、王国に並ぶ絶対的な権力を保持していた。
ちなみに、かの国には神官職養成機関である『神殿』があることも特徴のひとつで、神官であるヨハンは神聖国の出身者である。
しかも、神官は通常、緑色の祭服を着用することを義務づけられているのだが、ヨハンはそれとは異なる白銀色の祭服を身につけている。
白や銀といった清浄の色は女神のものとされ、神官の中でも高位の聖職者しか着服が許されていない。つまり、ヨハンは高い階位を持つ選ばれた神官なのだ。
(だから、ヨハンならエリアスたちの真の使命についてなにか知ってると思ったんだが――)
だが、レオが何度それについて追及しても、ヨハンがそれに関する情報をくれることはなかった。本当に知らないというよりは、おそらく『神殿』の厳しい規律によって、外部に情報を開示することを禁じられているようにレオには思えていた。
ヨハンはあてにできないと思い、レオが自力で調べたところによると、エリアスたちの真の使命については神聖国が保管している『創世記』と呼ばれる最古の宗教文書――いわゆる聖書に書かれていることがわかってきた。
けれど、その書物は現存するかぎり神聖国が管理している一冊しかなく、また、『神殿』が民衆に知れ渡ることを忌避して外部への公開を一切禁止しているため、レオたち神聖国外部の人間はおろか、神官の中でも高位の聖職者以外はお目にかかることすらできないのである。
(『創世記』さえ見ることができれば、なにか手がかりが掴めそうなんだが……。『神殿』に忍び込むわけにもいかねぇしなあ)
神官に変装して『神殿』に潜入している自分を想像して、自分のあまりの祭服の似合わなさにレオは肩を落とした。
その『創世記』には、この世界が誕生した創世暦時代の律法や歴史などについて広い範囲の事柄が書かれているといわれている。
そこには、創世の女神がなぜ生まれたのか、世界を循環している創造エネルギーとはなんなのか、それにともなって生み出される勇者と魔王、そして並行世界から召喚される片腕はなぜ必要なのかなど、世界の成り立ちにまつわる話が神話の形で記されているらしい。
けれど、『神殿』が創世記の内容を秘匿として一部の聖職者だけのものとしているため、民衆はそのいっさいを知り得ることができない。『神殿』が開示する都合のいい情報だけを鵜呑みにしたまま、今までなんの疑問もなく勇者と魔王の戦いが繰り返されてきたというわけである。
だから、はたして本当にエリアスと魔王の役目は枯渇している世界の創造エネルギーを満たすためなのか、その確証がない。むしろ、『神殿』がこれ見よがしに『創世記』の内容を秘密にするものだから、エリアスたちにはそれ以外のもっと重大な役目があるのではないかとまで勘繰ってしまうのだ。
(だからこそ、高位聖職者のヨハンに『創世記』の内容を教えてほしかったんだが……)
やはり『神殿』に固く口止めされているのか、ヨハンがレオたちに対してその内容を口外することはなかった。
もしも自分の予想が正しく、エリアスたちの役目が創造エネルギーの注入以外にもあるのだとしたら、ヨハンがレオたちに嘘をついている、隠しごとをしているということになるのだが――。
そこまで考えて、面白くない結論にいたりそうだったのでレオは渋面を浮かべた。
ヨハンが自分たちに秘密ごとをしている。その事実は、同じ勇者一行という仲間としてはひどく寂しいことだったが、ヨハンにも自分の立場というものがある。仲間とはいえ、『神殿』が口外厳禁としている内容をおいそれとは話せないのだろう。
だから、こちらから彼の態度を一方的に責めるわけにはいかないのだ――けれど。
諦めきれないのもまた事実で、エリアスとアキがまだ姿を見せないのもあって、レオは駄目もとで彼に問いかけてみることにした。
「ヨハン、何度もしつこく聞いて悪いんだが、勇者と魔王、その片腕らの存在には、俺ら一般人の知り得ねぇ役目があるはずなんだ。おまえら『神殿』の連中は、俺ら勇者一行や王国の為政者には、勇者と魔王の戦いは世界の創造エネルギーの注入のためだなんて都合の良いこと言ってっけど、実際のところどうなんだ。あいつらの役目はそれだけじゃねぇんだろ」
一瞬考えたように黙りこんでから、ヨハンは小さく答えた。
「……お答えできません」
予想通りの答えだった。
レオは無駄とわかっていながらも、俯いたままのヨハンにさらに問いかける。
「あのさ、俺だっておまえが『神殿』からの命令で創世記について他言できないのはわかってんだ。けど、エリアスとアキはおまえにとっても大事な仲間だろ? あいつらにどんな真の役目があんのかはわかんねぇけど、あいつらにとって大切な事柄を『神殿』からの命令だからっつって内緒にすんのかよ? それでおまえは後悔しないんだろうな」
「それは――」
ヨハンが口を開きかけたところで、廊下のつきあたりからエリアスとアキが小走りにやってくる姿がレオの目に飛び込んできた。
ヨハンもまたエリアスたちの気配に気づき、レオの問いかけに答えることをやめて口を閉じてしまう。
……やれやれ。もう少しで聞きだせたかもしれなかったのだが。
また後日、エリアスとアキがいないところでヨハンに問いただしてみるしかなさそうだ。
レオはエリアスとアキを手招きする。
「おーい、おまえら遅ぇぞ。なにやってたんだよ?」
目の前まで駆け寄ってきたエリアスが、軽く息を整えてから申し訳なさそうに眉を下げた。
「待たせてごめん。俺たち、離れの塔でアーニーに会っていたんだ」
「アーニー?」
レオは首を捻る。それは、この王国の第一王子アーノルドの愛称ではないだろうか。
一般の国民には伏せられているが、アーノルド王子が魔王の呪いにかけられて体が不自由だということは、エリアスの仲間であるレオは知っていることだった。けれど、実際に会ったことがないものだから、アーノルド王子とは一体どんな人物なのかわからないのだ。
体が不自由だろうがなんだろうが、堂々と国民の前に顔を出せばいいのに――と単純なレオは思うのだが、王子本人の真意はわからないし、国王に塔にいることを強制されている可能性もある。
だから、アーノルド王子に関する話題は、城内で自然と伏せられる……いや、避けられるようになっていた。
「アーノルド王子に会っていたとは、なにか緊急の呼び出しでもあったのですか?」
エリアスたちのところに歩み寄るヨハンに、アキが首を振ってこれまでのいきさつを説明する。
アキは、レオが召喚した手帳に女神様からの啓示が書き込まれたこと、それをエリアスに伝えようと思っていた矢先に手帳が勝手に動き出して離れの塔に導かれたこと、その離れの塔でアーノルド王子と対話したことなど、朝から今までの経緯を身振り手振りを加えて必死に説明してくれた。
アキの能力が開花したことにエリアスは大喜びで、アキもまたそんなエリアスを見て嬉しそうに笑い合っている。アキに女神の能力が目覚めたことはおめでたいことだ、おめでたいことなんだが――。
仲睦まじい様子の二人を横目に、レオは思いに耽るように顎に手を当てる。
(女神からの指示が直接くだされる……?)
ずいぶんと特殊な能力だな、とレオは思う。
女神の啓示が得られるなど、この世界では神聖国のお告げ以外には考えられないことだったからだ。おそらく、歴代の能力の中でもかなり女神に愛された力なのではないだろうか。
ヨハンもまた、レオと同様になにか思うところがあるように眉根を寄せていた。
高位聖職者のヨハンのことだ。もしかしたら、アキの能力になにかぴんとくるものがあるのではないだろうか。それこそ、彼らの隠された真の役目に関するなにかを。
レオは思いたってヨハンを見やる。
「おいヨハン、どうしたんだよ。アキの能力に対してなにか言いたいことがありそうじゃねぇか」
ヨハンは、一瞬はっとして体を震わせた。なにかを言い淀むように視線を伏せる。
「――いえ、特にはなにも……」
言葉を濁して黙り込むヨハンに、レオは軽く肩をすくめた。
やはり、彼はレオたちに対して、彼が『創世記』から知り得ている情報を言う気はないのだろう。とはいっても、おそらくヨハン自身も、エリアスたちに対して真実を秘密にしていることを後ろめたく思っているのだとは思う。本音を伏せるときに時折のぞかせる彼の傷ついた表情が、それを物語っているように感じられるからだった。
(たぶんヨハンは、俺たちと仲間と、『神殿』との命令の間で板挟み状態なんだろうな)
真実を告げたくとも、その立場から伝えることができない。ヨハンは非常に難儀な立ち位置にいるのだろうと思う。あの若さで『神殿』の高位聖職者に登りつめ、さらに勇者一行に同行する『神官』として抜擢されたのだ。その実力たるや相当なものなのだろう。だからこそ、責任感や規律を重んじる堅苦しさ……言い方を変えれば融通の利かなさも人一倍なのかもしれない。
エリアスは、レオとヨハンの間に流れるどことなくぎこちない空気に気づいて、二人の間に割って入る。
「まあまあ、アキに特殊能力が開花したのは喜ばしいことじゃないか。アキは、女神から能力を授かれなかったことをずっと気にしていたみたいだからね」
「……そうですね、正直、女神様に嫌われちゃったんじゃないかと不安で不安で……。でも、これでそうじゃなかったってわかって、少し安心しました」
両手で手帳を持って、アキは嬉しそうに顔の前に掲げる。レオとヨハンは、そんな彼女の笑顔を見てほっと頬を綻ばせた。
どんな理由があるにせよ、彼女に女神からの特殊能力が与えられ、それで彼女が元気になってくれたのなら喜ばしいことだ。特に、アキは自分が異世界から呼び寄せた責任もあったので、女神からの能力が授かれなかったのは、自分のせいだったのではないかと密かに思っていたのだ。
(まあ、なんにせよ、旅に出る前に懸念事項がひとつ減ってよかったよな)
レオはそう自分を納得させ、謁見の間の扉を指差す。
「なあ、そろそろ王様のところに行こうぜ。早く出発しないと日が暮れちまうよ」
「そうですね。夜になるにつれて魔物の行動も活発になって、危険ですから」
ヨハンはレオを補足するように付け加えた。
魔物は基本的には夜行性で、昼間も行動はしているのだが、夜になると日中よりも出現数が増えたり攻撃力や防御力が増したりする種も多い。だから、原野を移動するなら夜を避け、昼のうちに次の街にたどり着けるように予定を組むのが定石なのだ。
エリアスは頷いて、改めてアキとレオ、ヨハンという仲間たちの顔ぶれを正面に捉えた。
「それじゃあみんな、いよいよ魔王討伐の旅に出発だ。アキ、レオ、ヨハン、みんなで協力して、必ず魔王を倒そう。――どうか、俺に力を貸してください」
律儀に頭を下げるエリアスに、アキは両手の拳を握って頷き、レオはエリアスの肩を叩き、ヨハンは軽く微笑んで、わかりました、と答えた。
マントを手で払って踵を返し、謁見の間の扉へと歩いていくエリアスに続きながら、レオは隣を歩くヨハンを盗み見る。
ヨハンは今のところ『神殿』の意向に従い、レオたちに『創世記』の内容を話す気はないようだが、見た目よりもずっと仲間思いの彼のことだ、きっといずれはレオたちに真実を話し、力を貸してくれるに違いない。
『神殿』からの拘束からヨハンを救うこともまた、自分たち仲間の役目なのかもしれない――とレオは思うのだった。