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準備運動いっちにっさんしー

 んー。さっき走ったばっかりだ。

 そもそも俺に準備運動は必要ない。理由は見ての通り。左腕のお陰。

 対してあいつは、全身にくっついてる筋肉を脳天から爪先まで入念にほぐし続けて、もうおよそ5分は経つ。

 セメントのごとくすっかり冷えて固まった筋肉を男はいつまでもほぐし続け、そろそろ筋肉がふりかけになってもいい頃合いなんじゃないんだろうか、なんて思うくらい今暇な時間を弄んでいる俺。

 時は正午を過ぎ、やがて多くの見物人が集まり始めると、ウブな俺としては本番で能力に支障をきたしてしまうかもしれないことを心配していた。

 長いなぁ…………。

 やっと終わったか。と思えば今度はシャドウボクシング始めだし、退屈な時間が一向に終わらない。

 イメージトレーニング?

 大事ですよね。

 野次馬も集まってきてるし、もしかしてアピールでもしてるのかしら?

 十分に客が集まったところでマイクパフォーマンスとかしないといけない空気に持ってかれているとでもいうのか。

 どうしよう。初めてだから緊張して上手く話せないかも。

 待てよ…………つまりはウブな俺の絶好調を奪い取り、より優位な状況でおっぱじめる算段を…………。

 策士…………それ以上効果的な俺の攻略法なんて知らないぞ。

「フゥー…………」

 男は最後に大きく深呼吸すると、肩や首をパッキパキいわせて、温めたばかりの身体を冷やさないよう小さいジャンプを数回繰り返した。

 俺としては、今となっては懐かしさしか感じることのできない行動だった。

「もういいか?」

 俺はもう待ち切れずに訊ねてしまった。

 人が多いよ。

 もう十分上手く動けない気がする。

 緊張で身体が固まるような危機感を覚え、やっぱり準備運動しとけばよかったと後悔した。

「ああ、待たせたな」

 返事はすぐされて、じゃあ事態の確認といきましょう。

 とある武具店を訪れた俺はあまり芳しくない品揃えに落胆し別の店へ行こうとしたが、足元の商品に目が止まりジジイにそそのかされて買う寸前までいったのに金が足りず出直そうとしたところ男に横入りされ一触即発、ジジイの提案で決闘の場を整え外に追い出されて今に至る。

「この決闘にどちらかが勝てば」

「勝った方に割引券があてがわれると」

 ぶっちゃけじいさんの手のひらで踊らされてる感があるけど、お金の工面をする面倒が減るから是非もない。

 ただしタダじゃないのは気に食わない…………。

 さぁやりまっせ。

 しかし、こいつもこいつで数々の修羅場をくぐってきたのだろう。

 丸太みたいな腕を振り回しやすいように肩当が外されている皮鎧を身に纏い、鎧に覆われていない素肌の部分には、歴戦の勇者たる証ともいうべき切り傷や火傷の痕が無数に確認できる。

 逃げ傷なんて言われる背中にもそれとなく刻まれている辺り、多分乱戦を腕力だけで切り抜けてきた猛者、なんだろう。

 俺とは違って、タフさが売りという感じか。

「得物はなしでいいんだよな?」

 ルールも、男に訊ねられ俺も都合を合わせにいく。

「ああ。貸してくれるんならありでも」

 なんせ剣のためにここに来たからね。

 俺は今、文字通りの丸腰。

「いいぜ。誰か貸してやってくれねぇか?」

 男の呼びかけに反応して、集まったわ集まった野次馬がわらわらと蠢きだし、何人かの戦士から様々な武器が俺の足元に投げ込まれた。

 だがそれを拾ってやるには、この決闘があまりにも茶番すぎる。

「どうした?どれでもいいから使ってやれよ?」

「…………」

 使ってやれよーーーーという貸した側への労いはさて置き、これどうやって返そうかな…………使う気なかったけどまさか貸してくれるとも思わなかったわけで。

 俺が余裕を持っていると感じたのか、男は此の期に及んで肩を回しながら挑発めいたことを口にする。

「俺が言うのもなんだが、体格差を考えると何かを持った方がチャラだぜ」

「…………むしろ軽くて小さい方が回りやすいと思う」

 俺が答えると、男は残念そうに両手剣を腰から外し、邪魔にならなさそうなところに置きながら、またもやこう言い放った。

「自信家だな。あまり自分の力を過信すると、痛いじゃすまねぇことがあるぜ」

「経験がある風だな」

「経験に勝るものはない、だ」

 それはこのところすごく実感します。

 ここにきてやっとか、待ちわびたぞとばかりに野次馬どもが沸き始め、応援やヤジに混じっては賭ける対象を大声で怒鳴り上げられる。

 …………俺賭ける人いるかな?

 いや、俺はかなり野次られてますね。一旦こいつら蹴散らしたい。

 男は腰に手を当て、まるで野次応援を交響曲に聴き入るかのように目を伏せて静かに呼吸していた。

 俺はといえばどうしてもこのやっちまえ感に慣れることができない。

 人対人の闘いは、いくらここが異世界とはいえ、決められた場所以外で行われることがない。

 道端の喧嘩はよく目にするのに、実はチンピラやど素人のつまらない争いであるためか誰も気にも留めなかったりするのである。

 逆に戦場に幾度となく足を運んだ者たちはそのような馬鹿に体力を使うことを無駄だと思っている。

 生死を賭した戦いを経験した者にとっては、下らない喧嘩は一部を除いてウンザリしていると言ってもいい。

 今や戦国時代。

 戦場は聖地で戦士は英雄だ。

 こんな身なりでも俺はその雰囲気を醸し出しているのか、やはり英雄同士の小競り合いなんて物珍らしいようである。

 これだけ楽しそうに見られてしまうのも仕方のないことなんだろう。

 俺に賭けた人いるかな。

 ヒソヒソ話で俺の陰口が少し聞こえてくる気はするけど、多分いい風に言われてるんだと思う。

 多分。

 俺から行くつもりはないから、男が動くまで待つことにした。

 しかし俺たちは睨み合ったまま、一歩も動こうとしなければ野次馬も更に煩くなってくる。

 それでも初手が出てこないということは、案外、あちらさんも俺が只者じゃないと思ってくれてるのかもしれないな。

 特にこの左腕が異彩を放っているのを感じられるはずだ。

 プレートでグルグル巻きにしたガントレットが、俺の威厳を補整してくれていた。

 こっちでは殴らないから安心しよう。

 と、不意に右手が差し出された。

「ウィリーだ」

 気さくに名乗りおってからに。

 いいだろう、そんなやり方も嫌いじゃない。

 むしろ憧れる。

「ハトだ」

 俺は力強く手を握り返した。

 そして一瞬で足が地面から剥がされ、気づくと俺は、身体を仰け反って宙に浮いていた。

 別にそれが闘いなんだから文句はないんだけど、人がせっかく挨拶を返してやったのに間髪入れずっていうのはどういう了見か。

 男ーーーーウィリーの先制攻撃は、握手した俺の右手を掴み、片手でハンマー投げのように振り回すことだった。

 常人なら腕があらぬ状態になりかねない。常人なら…………こんな力任せに人間を振り回すような危ないことはしない。

 どんな経験を踏まえれば人体を否定したこんな攻撃ができるもんなのか。

 ウィリーは序盤から絶好調に俺をブンブン回した。

 何度も何度もタオルのように振り回される。

 もしかして腕が千切れるまで振られるのか。

 そこは俺は残念ながら柔軟性も優れているのでそう簡単に関節が壊れることもない。

 実は俺、人間じゃないんだ。

 言ってなかったかな。

 しばらく何もできそうにないので、ある程度現実逃避を行うのも、あるいは人生を上手く生きるコツに則っているんじゃないか。

 人生のみならず世界は回り続けている。

 地球然り太陽系然り今の俺然り。

 生まれて初めて自然に還ったと思えば、何とか気持ちを保つことができそうだった。

 すごく、気持ち悪いです。

 身を呈した絶叫体験とか、やめてほしい、俺ああいうのは苦手だったから…………。

 ようやく、ついにウィリーは回し続けていたのをやめてくれた。

 やったよ。ジェットコースターに勝るとも劣らないまさにスリルとサスペンスが隣り合った絶叫技を俺は耐えた。

 ハンマー投げのハンマーの気持ちがよくわかる。

 ウィリー、俺オリンピックとか世界陸上とかはもう見たくなくなちゃったよ。

 ちょっと待って…………目回って立てない。

 そのままのんびりしていると、またブワンっ!と身体が浮き上がり、今度はしこたま、地面に叩きつけられるという仕打ちをーーーーっ?!

 そんなことしちゃうんだっ!

 ぶほっ!

 ぐはっ!

 うぇっ!

 …………。

 最後に力一杯、地面が割れんばかりに振りかぶって叩きつけられてるという有様。

 そこでようやく、もう今度こそようやく汗を滴らせたウィリーが俺から手を離してくれたのだった。

 流石に痛い。

 おお、おお…………上はどっちだ?

「…………意識保ってやがる…………硬ぇぜ、お前」

 やるなウィリー。

 だがまだまだだウィリー。

 身体的嫌がらせに対する俺の経験値や耐久値を舐めるんじゃあない。

 今は大の字で横たわっている俺に対する大衆の目が痛くて、精神的にボロボロだけど、やはり頑丈さは至って自慢できる。

 それはそうと、今こいつ俺のことを知っているような口振りをしなかったかな?

「おいどうしたガキっ。もう痛くて動けないのかっ?」

 痛いのは痛かった。

 ちょっとだけ待ってくれウィリー。

 肩が抜けたかもしれないと心配してくれてもよさそうなのに。

 むしろこっちがウィリーの肩を心配できる。力一杯振ってくれたし、大丈夫かな。

 ちなみにガキ扱いは慣れてるけど、こんなぞんざいしていいわけあるか。いいわけがない。

 よし、節々が痛むが、生傷に鞭打って、実際は鞭を打たれて、鞭ぽく打ち付けられて。

「俺の番」

 反撃に移るとしよう。

 俺のターン、ってやつ。ドローっ!

 トラップカードを設置し、更にマジックカードっ!俺の自尊心を墓地から手札へっ、あ、待って俺の番って言ってるのに。

 ウィリーは俺にそんな隙を与えないつもりか、即座にその巨大な身体でタックルをかましてきた。

 猪。

 あるいは闘牛か。

 わかってる。

 もう肩が痛くてパンチできないからそれで畳み掛けようって寸法に違いない。

 その他に、何か企んでいるのなら甘んじて受けよう。

 なんてったって…………なんてったって俺は…………。

 俺はそのタックルを避けようと身構えた。

 しかしウィリーは両腕をいっぱいまで広げており、脇を抜けるのは難しい。

 なるほど、そのまま足を取って地面に押し倒して乱暴する気でしょう。エロ同人みたいに。

 お前みたいなむさい奴と寝転がるとかやだっ。

 そう判断した俺は、ウィリーのタックルが当たる寸前で後ろに数歩、大股で退がり、余裕しかない間合いで隙を窺った。

 無論ウィリーに隙などない。

 追い込むために姿勢を崩しながらも俺の足を抱きかかえようと突っ込んでくる様は、岩が迫っているよう。

 受けて止めようなどとは思わなかった。

 すんでのところで、いや、俺はあっさりとウィリーの背中を馬跳びすることでこの窮地を切り抜けたにである。

 これが面白い程上手くいったため、巨漢はバランスを崩し、踏ん張れるものをなくしたウィリーは重心を前に残したままつんのめって地面に抱きつきにいったのだった。

 それでゴツッとエグい音がしたが、罪悪感を感じずにはいられない。

 …………痛そう。

 自分の体重が全部顔にいったのだ。鼻の骨くらいはいってしまったかも。

 うー…………想像するだけでも痛い。

 ウィリーはしばらくダウンしていたが、いきなりガバッと起き上がり、同時にクルリと回って蹴りを放ってきた。

 そのカウンターを予期していなかった俺は堪らず数歩下がって避け、途端に勢いを一瞬にして取り戻したウィリーの猛攻を受ける羽目に陥った。

 一体どこにこんなテンションが。

 こいつは思っていた以上に、タフだったということだろう。

 反撃は難しい。

 顔が血だらけのすごい形相で、ウィリーは右足を突き出した。

 俺はこれを避けるが、間髪入れずに右と左のワン・ツー、右フック、左足を前に進めて左アッパー、二歩で間合いを詰めてからの右正拳、一回転して右脚後ろ回し蹴りを繰り出された。

 俺はそれを順番に、上体を右左に動かし、頭を下げ、一歩後ろに下がって、また上体を右に捻ねり、頭を下げ、最小限の動きで確実にすべて避けた。

 造作もない、が、それでもウィリーの追撃は止まない。

 ウィリーは続けて右脚を着地させた瞬間、威力が高そうな左正拳突きを放った。

 でもあんたは、それこそ判断を誤った。

 大股で、回し蹴りの直後だ。重力と腕力をこの一手に乗せたのであれば、ここで決めるつもりなのなら、まだ軽快に動ける俺に対する一撃じゃなかった。

 俺もここで決めることにしようと思うには十分な勢いだ。

 すかさず、一直線で小技もない、単調になってしまったウィリーの拳を受け取り、勢いを殺さないよう細心の注意を払いながら、そのまま拳の向かう方へとウィリーを送り出した。

 スッて。あれがこうなってこれがああなって。

 するとどうなったか。

 ウィリーは自らの腕に引っ張られて、またしこたま巨体と大地で喧嘩をするのだ。

 頭は打たないようにしたけど、受け身もろくに取れていないだろうから、多少のダメージは入ったはずだった。

 デカい相手にこの類いの技を決めると爽快である。

 アイキドーでこんな感じのをやっていたからそれをもじって再現してみただけなのに、思ったより上手くいった

 けど、達人は触れずに敵を倒すらしいので高慢になりづらいな。

 修行が足りぬ。

 足りんがなんだ。

 決着は着いたんじゃあなかろうかっ!

 ウィリーは動かなくなった。

 この程度でくたばるほどヤワじゃないはずだけど、しかし戦意は喪失したように見受けられ、ひょっとしてまた騙し討ちかしらん…………と疑えるほどジッとしている。

 …………え、大丈夫?脳震盪?え、ヤバっ、医者…………お医者様っ!警察っ?に、逃げ————。

 それも杞憂に終わり、突然ウィリーは仰向けにひっくり返ったかと思うと、こいつはそのまま大の字で、空を見上げ大きな声でこう言った。

「やるなガキっ!なるほど話の通りだったっ!」

 両の手のひらを俺に見せて、敗北を宣言したのだった。

 ていうかウィリーさん。

 終わってすぐ大きな声を出すから勝った俺の注目度が著しく低下したんですけど。

 そんなことよりウィリーさん————。

 ウィリーさんはそんな俺の胸中などいざ知らず、俺が疑問を投げかける前に大きな声でこう続けた。

「ガキっ、俺と一緒に魔王退治に行かねぇかっ?」

 ーーーーお前は一体誰から俺のことを聞いたんだ。

「うん、行かない」

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