メガネを外した時とのギャップが極端
山岳地帯、とはいったものの。
あの街からは霞ほどしか眺めることしかできないらしい。
らしい、とは俺がそこまで気にしたことがないだけなのだが。
かなり遠い場所だ。
ざっと丸一日ほどをかけて近くまで馬車で移動し休憩。残りは徒歩で現場へ向かう。
これがNEETだの引きこもりだのの運動であれば、次の日に彼らは布団から身体を起こすことが叶わないというほどのウォーキングだろう。
すでに登山すら兼ねているが。
ここまででこの仕事にウンザリしている次第ではあるが、逆に荷物を運ぶ距離の方が通勤距離より短いと聞いたとはいえ。
そう、仕事が未だ始まっていないことに何よりも気が滅入る。
泊りがけの出張が、しかも大半移動時間だとどれほどしんどいものか、考えたこともなかった。
軍にいた時でさえ遠征に行ったことはない。
アカネとの旅行はよかったな…………アカネがどこでも連れてってくれたから、少しも嫌なことなんてなかった。
遠ければ遠いほどアカネさんの背中に乗せてもらえたし、お腹が空いたらアカネさんが手頃なご飯を見繕ってくれたし、寝るとき寒くなったらアカネさんが身を寄せてくれたし、朝になったらアカネさんが起こしてくれたし、朝ごはんも用意されてたし、全く苦なんてなかった。
メニューのチョイスはもっと上品さを求めたいところだったが、とても居心地のいい一年を送ることができたものだ。
うんうん。
うん、誰にも突っ込ませないからな。
素晴らしいヒモじゃあないか。
割とどうかと思うヒモ生活満喫してやがった、俺。
だから行ってしまったのか…………アカネ?
ゴホンっ…………ゴホンっ。
まぁこんなどこから落ちても大丈夫なところを歩かなきゃいけないのは、馬車の通れるスペースがないから仕方のないことではあるが。
それにしても。
「遠いな…………」
「ハト、ヒョロい」
「ほんとに遠い…………」
「ほら見ろ、お前の精神がバケモンなんじゃねぇか…………」
俺やアマネさんはすでに息継ぎが億劫なくらいバテている。
仕方のないこととはいえ、かなり理不尽な距離じゃないかと苦言を呈したいところだ。
霧が出る前に到着したいとかいうカラスの意向で、日の出以降半日は歩き詰めなんだから。
俺やカラスのスタミナがここで切れることはないが、比較的一般人のアマネさんがそうとは限らない。
悪いことをした。
でもなんだか、結構余裕がありそうな雰囲気ではあるが。
何故だかこの女性の身体能力が俺を凌駕している気がする。
数日前にあったばかりでそんな鬼ごっこみたいなこともしたことないはずなのに、どうしてそんな風に知ってる感じがするんだろうか。
前世からの…………因縁…………っ?
まぁ、彼女も特に心配することもないということだ。
「いつになったら着く…………?」
「この峠が最後だから。この先に警備された場所がある。そこで荷物と運び手を受け取って、護衛する」
「なるほどね」
つまり、わざわざ襲撃を受けているらしい砦まで行くことはないということか。
ここから戦火の咆哮が微かに聴こえるが、その飛び火が届く距離ではないことは確かだろう。
助かったと思うべきか…………。
「着いたらすぐに受け取った荷物を持って峠を越える。山を抜けたら今回の仕事は終わり」
ここにきて、この仕事は案外チョロいんじゃないかというカラスの説明を聞いた。
そこでアマネさんから取り留めもない疑問が発せられる。
「すぐって、こんな明るい時に動くことってないんじゃ…………?」
「ここはよく霧が出る。夜になるまでに霧に紛れて敵を撹乱しようという算段。逆に夜までに山岳を抜けたいというのもある。暗闇の中では崖を察知して歩くなんて危険すぎるから」
「へー…………」
「なぁカラス」
「はい?」
ここからは俺の取り留めもない疑問になるが。
「何でこんなとこ通らなきゃなんないんだよ…………」
「見ての通り広い山々に囲まれたこの場所が、恐らく敵の追撃を阻んでくれればと考えた」
「へー…………」
「道も狭いから。荷物を分散させないと人間ごと崖に転げ落ちてしまう」
「へー…………」
それをどのくらい前から画策してたのか。
なんか余計ややこしい。
平原をひたすら逃げるよりかは効率的だろうけど。遠距離武器だって、この世界ではもう優れたものだ。
「ねぇ…………護衛ってそんな厄介な敵とかが出てくるの…………?」
続けてアマネさんだ。
アマネさんには今回の仕事は、およそ3割程度の情報しか開示していない。
俺が便利使いしようと連れてきてしまったが、確かに敵の程度によってはこの判断は間違いかもしれなかった。
もし何かあれば、俺が責任を取らざるを得ない。
逆に何もなければ、働き盛りの彼女にとっては不完全燃焼を余儀なくされ、やはり俺がちょっとだけ恨まれるだろう。
嫌だな、仲介人。
今後二度とやらないようにしよう。
カラスが、アマネさんの質問に答えた。
「敵は魔王の兵団。中には厄介なのがいるだろうけど、私たちに構ってられる余裕はないはず。追ってくるのは多少有能な奴が紛れた小間使いだけだと思う」
「言い方」
辛辣だわ。
だが俺もそう思う。
山をハゲ落とそうとするなら未だしも、霧の中、手探りで情報を奪還しようとしにくる几帳面な魔王軍幹部でもいようものなら、いよいよこちら側の優勢に拍車がかかる。
大物ならば、自分の出した指示を己が陣のど真ん中に座って待っていてほしいものだ。
会うとメンドくさいから。
「ちなみに荷物の届け先は機密事項だから。それから仕事が終わったら安全なところまで送ってあげる」
「イツモスマンネェ」
「イイッテコトヨ」
「あなたたち、もっと感情とかこもらないかしら…………」
俺らのやり取りにそんな温かいものを求めても無駄だ。
お互い、ただの腐れ縁でしかないんだから。
***
敵の敵は味方というが、残念ながら魔物は魔王の味方なので、むしろ向こう側に相応しい言葉だ。
生まれ方を間違えた存在。
魔物。
そこまで言うのは酷かもしれないが、しかし学術上はそれで区別されている。
無論、もっと気持ちのいい書かれ方はされていた。俺がそう解釈しただけだ。
ひとまず彼らはれっきとした‘異物’であり、俺やカラスなどの戦力を持った人間は即時その討伐を義務化されていた。
全世界での条約として。
一体何の恨みがあってそんな否応無しの処理に出るべきなのか甚だ不思議ではあるが、向こうも敵意を持ってこちらを狩ってくるのだから悠長なことは言っていられない。
例えそれがネズミほど小さな、愛らしささえ兼ね備えた個体だとしても。
しっかりと急所を狙ってくるのだから、絶対に油断して慈悲ぶっているわけにはいかない。
幸いにも、久々に出くわした魔物は素晴らしい図体とガタイを持ったゴリラのようなものだったので、気兼ねなく鳩尾に刃を貫くことができた。
これが、あと何体出てくるのかわかったもんじゃない。
「何でこんなこと…………」
「魔物の巣窟…………それは話に聞かなかった」
カラスにまで出回っていない情報とな。
とっても腑に落ちないです。
まさか敵が人間に限ったわけではないとは話が違う。
新調したばかりの剣をこんなにすぐに使うことになるとは思わなかったけど、用意が無駄にならなかったことだけはホッとさせてもらおう。
「ちゃんと調べてルート決めろよ」
「上が決めたことだから…………どうせ知ってただろうけど」
どうやら我がクライアントはブラックらしい。
俺の知る限り、あいつらときたら魔物が束になってきた時の厄介さを知らない。
剣の振り方も忘れたおじさんたちが、今回の仕事の成果を多少は期待でもして待っていることだろう。
そう思うと途端に右手に持った剣が重く感じられた。
「…………まぁ、いい感じか」
柄が持ちにくい形状ではあるが、安物にしてはいい斬れ味をしている。
この剣。
持ち堪えてくれるかな。
「ハトさんって、一応剣士だったのね」
「むしろ剣しか使ったことないよ」
藪から蛇に俺が剣士であるという事実に気づいたアマネさん。
ここ最近は武器らしい武器を持ったことなかったからか、自分でもその事実に気づいた、どころか驚いていた。
俺って剣士だったんだ…………。
「私も」
何故か何も訊いていないのにカラスが同調する。
ともかくアマネさんにしては初めて見る組み合わせだったらしい。
「剣はどのくらい?」
「言っても二年くらいだ。戦場に出る時、こんなもんしか渡されなかったからな」
「へー。ん?やっぱりどこかに所属してたってこと?」
「…………そうそう。傭兵って武器とか貸与されることもあるんだ」
危ない危ない。何ですかその目は?傭兵だってば。
苦しい言い訳だ。だが意地でも軍との関わりを悟られたくはないと思った。
アマネさんは訝しげな顔で俺を睨んでくるあたり、もうバレたと思っていいだろうけど、無関係の体を保っていればこれ以上何かを訊いてくることもないはずだ、と願いたい。
「傭兵って貧乏でさ」
「あぁ…………そっか。ごめんなさい…………」
ちょっと重めのごめんなさい頂きました。
やめて…………確かに軍時代も稼ぎなかったけどさっ!その気遣い…………心にのしかかってくるよっ!
「…………私はね、最近格闘を習ったから、これがしっくりくるのよね」
言ってアマネさんが腰元に提げた籠手を揺らしてみせた。
話を変えてくれるのか。
自慢の武器を紹介してくれるようだ。
それは何かの生き物をモチーフとしているらしいが、金属製のそれはゴツゴツしていて、いずれにせよ一発でも食らいたくはない形状をしている。
同じく彼女の美脚に同じモチーフの具足も履かれており、一見女性の膂力で扱える重さのものなのか心配になる武器だった。
大きさは大したものじゃない。グローブやブーツくらい。
ていうか格闘って…………お得意なのはこないだ察することはできたけれど。
まさか経験者とはな。
「師匠でもいたのか?」
「少し前にね。もう亡くなったけど、私のような女の子でも容赦のない厳しい人だったわ」
「へー…………」
酷い。
いくら強くなるためとはいえ、女性に乱暴するなんて酷い師匠だ。
けれどアマネさんにとってはいい思い出となっているらしく、籠手を撫でて表情を和らげさせた。
「この籠手と具足は師匠の形見なの…………」
「へー。その師匠って、誰かに負けたとか?」
「ううん。寿命よ」
「寿命ね…………結構長い間教えてもらってたのか?」
「一週間くらいかな…………?」
短か。
それ師事してもらった内に入るのか?
「まぁでも、やっぱ師匠って強いイメージあるよな。どのくらいシゴかれたんだ?」
「うん…………えっと」
何だろう。
何か言いたげだ。
和らかかった表情がすぐに曇り始める。
別に下ネタで訊いたはずはないんだが…………少しよぎったけど。
「私より弱かったのよね…………師匠」
決まりだな。
それを弟子入りしたとは見做さない。
容赦ない?厳しい?ナメんな!
「身長が小さかったし…………目もメガネかけないと見えてなかったし…………何より身体の自由がもう利かなくなってたくせに、実践派だからって何度も飛びかかってきて…………やけに脚にしがみついてきたんだけど」
下心丸わかりじゃないすか師匠…………。
確かにアマネさんの脚はこう、グッとくるものがあるけど、そんなことでよくアマネさんは弟子を名乗れるもんだな…………。
「スケベジジイだったわけか」
「おいカラス」
だが正解だ。それ以外にその師匠への印象はない。
何がしたかったのかは火を見るより明らかだ。
「すごい勢いで勧誘されて護身術だと思って弟子入りを受けてみたのよ。でもしがみついては離さないの繰り返しで…………最初は説得して離そうとしてたんだけどね…………その内、蹴って剥がさないと離れなくて…………蹴ると、もっと強く、とか言ってたんだけど。まさか修行の一環だったなんて。私は気がついたのよ。あれは脚力を鍛える修行だったんだって、師匠が亡くなった頃に気づいた…………」
おっと、ポジティブシンキングですか?
ていうかただ脚に触りたかっただけじゃん。
それにこれはもう一つ性癖隠し持ってそうだな師匠。
もっと強くって、どんな顔して言ってたんだろうか。
もし疑惑が本物なら師匠も本望だったろう。
最期に欲望を満たしてくれるお姉ちゃんに出会えて。
全く恨まれることもないままで。何でそんなスケベジジイに理想の死に方ができる…………。
「師匠はね、言ってくれたの。私が娘みたいだって」
おいおい問題発言ですよ。
言ってみれば娘の脚に組みついてたわけですよ。
脚なら誰のでもよかったの、師匠?
「私は親と離れ離れになっちゃってたから…………嬉しくて。だからこの形見で戦っていくの。どうせ短い付き合いだったなんて思わないから。どれだけ短くても、縁は縁だからねっ。おかしかったのよ〜。なんかあの、変な渦巻きっぽいメガネかけててっ」
「…………」
瓶底眼鏡ってやつ?
いい話っぽくなりそうだけどダメだ。
だってMはMだもの。
脚フェチは脚フェチだものっ。
誰かの幸せのために何か為せと今、仮に言われればアマネさんの考えに喝を入れたいよっ!
お前の師匠エロジジイなんだよっ!!
ダメだ…………言えるわけねぇ。だってこの人の蹴り超痛いから、怒らせたらどうしようってなる。
まぁ本人がいいなら別にいいけど…………ほんとお人好しだな、この人。
今日、急に囮になったりとかしないよな…………?
「そろそろ着く」
「よしっ、やっと仕事ね!頑張るわっ」
「ああ」
そしてアマネさんの切り替えが素晴らしい。
やだなぁ。仕事始まっちゃうなぁ。
何でもっと実りある話とかしとかなかったんだろう。
ラストにスケベ脚フェチドMジジイの話とか気分が残念になるから聞くんじゃなかった…………。
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