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あー…………。
やっと息ができる。
場所を一階のカウンターに移して、俺は汗や酒やタバコの臭いが充満するこの中を深呼吸せずにはいられない。
あの笑顔といい、まさしく魔女と呼ぶに相応しい女性だ。魔女と言っても美魔女だけど。自己申告アラサーらしいけど。
「兄ぃ、なんか一気に老けた?」
「マジで?」
「マジマジ」
精気でも搾り取られちゃったというのか…………。
恐るべし、美魔女。
「色気より脅しが伝わってくるのは何なんだろうな。一体どんな育ち方したらそんなお姉さんが出来上がるのやら」
「それは隊内でも七不思議の一つに数えられてる」
「残りの六つって何?にしても、結構いいとこのお嬢様なんだっけ、実際?」
「軍の偉い人がお父さんなんだって。ただ、そのツテじゃなくて士官学校から幹部候補としてしっかり英才教育を受けたって言ってたから、実力はまさしく折り紙付きの太鼓判。齢十七にして初めて重要な小隊の指揮を執ってこれを大成功に収めたとな」
素晴らしい。
当時ペーペー隊士だった俺たちがそんな方に教鞭をとって貰ったというのなら、それはそれで光栄に思える。
それがどのようなスパルタ式であろうとも、本当なら感謝こそするべきなんだろうがトラウマのせいで雨あられ…………。
「あの人がここにいないから言えるけど、あの性分のせいで絶対独身から抜け出せてないんだ」
「そうそう。少し前に王都に派遣された大尉が合コン誘ったら、やんわりと恐怖を植え付けられて逃げていったの、見たことある」
「やんわりと何されたんだそれ」
「そう。中庭で会議が終わった後だった。私が護衛をサボっ…………休憩している時にあったことだから真面目にしなきゃって早めに休憩を切り上げたくらい」
「うん。良い心がけだ」
護衛ってつまらないよな。
仕方ない。
「でも、姉様と結婚できる男がいるとすれば、もうその人、魔王とか指先で倒せそう」
「それな」
俺はビシッとカラスの言葉に同意した。
さらに言えばもうお姉さんが魔王倒しに行った方が確実なんじゃないだろうか?
残念ながらそう問屋は卸さない。
お姉さんと結婚できる男がいるとすれば、そいつはお姉さんのケツではなく足裏に敷かれたい猛者か、あるいはマシな関係でもただ利害の一致した政略的なもののはずだ。
何にせよ、魔王攻略なんてもうギャグのネタにするしかないのは俺やカラスはすでに身をもって体験しているので、お姉さんだろうとその伴侶だろうと太刀打ちできるとは限らないのである。
お粗末様。
「…………ていうか、カラスさん?…………隊長さんかな?帰っちゃいましたけど?」
二人分のお茶を淹れて来てくれた気のつくトキは、見事にこの場に打ち解けていたカラスの存在をやっと突っ込んでくれた。
いいところに気づきましたね。
お姉さんの護衛でここに来たんじゃなかったのか。
お姉さんを一人で帰しちゃダメでしょっ。
被害が出るかもしれないじゃん、お姉さんにちょっかいかけたやつが怪我したら誰の責任?
「その人は公務執行妨害の現行犯で逮捕するしかないかな」
「そっか。もうそいつの責任なんだな」
***
「カラスには君の仕事を手伝ってもらうことになってる」
そんなご無体な。
「安心してね。カラスは給料があるから報酬は君の総取りだ」
「はぁ…………」
そういう問題じゃない。
いやありがたいけども、一人の方が伸び伸び快適にお仕事に専念できるっていうか。
けれど、百歩譲っても優れた兵士である、顔もそこそこ人気のカラスが、一介の傭兵(という体の俺)と行動を共にするのは如何なものだろうか?
逆に怪しまれないかな、お役人さんに?
「君ら仲良いから大丈夫でしょ。その子は任務扱い、というか、有給溜まってて全然消化したがらないから、罰として休暇の代わりに使いまくってあげて」
「え…………?」
有給あるんだ————。
***
————もうないも同然だけど。
結局腑に落ちないが、どうせ監視とかいう名目なんだろ、カラスは。
妙な付き合いが延長してしまった仲だけど、結局何からすればいいのかわからん。
こんなところでゆっくりお茶を飲んでいる暇があったら、少しくらい人攫いの情報をかき集めろという話か。
でないと報酬袋よりお姉さんの堪忍袋が叩きつけられそうだ。
あれでいて気は長い人なのだが。
というか、この仕事はできるだけ短期間に解決するように言われただけで、噂が自然消滅するだけでも十分なんじゃないだろうか?
つまるところ、住民を安心させてやればいい、って言ってたようにも思える。
大体、事件が数週間も前に発覚したのに、まだこの街でのさばっている犯罪者がいるだろうか?
本腰を入れても、それが事実となるか、犯人がどこかに存在するかどうか多少の時間をかける必要があるだろうが。
要は、有耶無耶にしてもバレないのではないか?
「おいカラス。作戦を思いついたぞ。お前の頭にズタ袋を被せて引きずり、大衆に人攫いを捕まえたと宣言する。そうすれば民衆の心に安心と信頼が芽生えて万事オッケー万々歳だ。その後は民衆の民衆による民衆のための裁判で決着つくだろうし、顔も隠れてるし、完璧な作戦だと思うぞ」
「ちょっと兄ぃ、それは人としてどうかと…………」
「それよりもハトがその役を演じた方が効率高い。私はこの通り身嗜みに気を遣ってる女の子だし、ハトは…………お風呂に入らない限り浮浪者との差を感じないから適役だと思う」
「トキ、風呂貸してくれ。代わりにこいつには泥遊びしてくるよう豚小屋まで案内してやってほしい。作戦に不備があったらことだからな」
「いい加減にしなよ兄ぃ。いくらなんでもふざけ過ぎだから」
「そうね。成すなら徹底に越したことはないから。じゃあ私はお風呂入ってくるからあなたは鳥小屋の場所を教えてもらって来て」
「お前頭いいな…………よし、俺が風呂に入ってる間お前はゴミ置場から光もんでも拾ってこい。その後すぐに作戦を決行ってことで」
「りょーかい。ではお先に」
「待て」
「ぬ?」
いや「ぬ?」って。
「お前は今どこに向かおうとしてる?裏口はあっちだ」
「愚問。あなたこそ何故私を止めるの?恐らく一番近い鳥小屋はこの店を出て郵便屋の屋根に登ったところにあるはず。その視線の先に、あなたは目的があるの?」
一触即発の事態だ。
これはどちらが退くかの押し問答。
しかしどちらも退く気がない以上、それは己が道理を貫くしかあるまい。
「ぶっちゃけお前に勝てる気はしねぇけど、俺は死んだことになってた間、別に遊んでたわけじゃないんだぜ」
「遊んでたろ。ロリと」
身内の野次がうるさいが、誤解を生みそうな言い方はしないでいただきたい。
ハッピーな人がいたら面倒なことになるだろうが。
「確かに私も腕っ節で負ける気はしないけど、まさかあなたが青少年保護法に喧嘩を売る人とは思っていなかったし…………どんな手を使われるかわからない。それを考えると私でも勝てるかどうか…………やめて、そんな目で見ないで。ほら、私は大人よ」
どんな目だ。
ほら、すぐここにハッピーな人がいた。
「諦めろカラス。大人しくゴミ置場からスプーンを探し出し、咥えて外で待ってな」
「ハトこそ往生際が悪い。私はポスト『しずかちゃん』と呼ばれたい女。本日1回目の温かいお湯は渡さん」
こいつ…………今日は5回も入る気だぞ…………。
いつだったか、自称ポスト『ミカサ』の方はもう収拾ついたのか?
「…………誰が風呂を貸すって言った」
***
最低な喧嘩は沸点に達したところで、妹が勝負を預かり引き分けに終わった。
「大体、普通に捜査して犯人洗い出していけばいいでしょうが。二人とも曲がりなりにも…………警察、だったっけ?」
「軍人です」
「傭われ兵です」
「兄ぃはただのホームレスニートだろうが」
「違っ…………」
違っ…………くないっ!
酷い…………仕事ができたのに家がない…………。
やっとマシな人間になれたと思ってたのに。
「少なくとも本当に人攫いがこの街を去ったかを確かめないといけないでしょ?その確認さえ取れれば、お風呂の取り合いも別にしなくていいんだし」
風呂は論点じゃないんだけどな。
するとカラスが、俺の作戦がよほど気に入っていたのか反論を返した。
「でもこの街広いし…………」
「口答えしないのっ!」
トキが俺以外の人間に、強いて言えば初対面の人間に強く当たるのを初めて見た。
それによってカラスは拗ねてハイチェアの上で丸まってしまったほどだ。ナイス、トキさん。これはもうトキさんのところにこいつ置いてった方が効率いいな。
ていうかそんなふざけた作戦をマジで決行するはずないだろうが。
ノリに乗ってくれただけかと思いきや、カラスはただ動き回りたくないだけらしい。
「トキ、一応これ内緒の仕事だから、あんまでっかい声出すな」
「あ、うん、ごめん。え…………じゃああたし知ってるとマズイんじゃ…………?」
今頃気づいたとは、貴様も所詮は愚妹よな。
むやみやたらと、壁に耳あり障子にメアリーさんになるからだ。これを機に情報通も大概にしてもらいたい。
「どの道、最初は聞き込みからと思ってたから話が早い。お前は何か知ってるか?」
小っ恥ずかしいが、身内も重要な参考人になり得る。
そして情報もなしに走り回れば、内緒の話だと日が暮れるどころの捜査ではないだろうし、酒場の経営者というところが都合がいい。
口の軽いゴロツキからこっそり耳を立ててやれるし、運が良くて、犯人らが宴会でもしに来ていたかもしれない。
「別に怪しい話は聞かなかったけどなぁ…………怪しい人も、いや、この店を怪しくない人いないわ」
俺は今、少しだけ感動した。
あの愚かにも憎き妹と普通に世間話をしている。
いつも親父にする以上にゴミを見るような目で俺を見ていたトキには、今その感情は見られない。
この進展はやはり家族として喜ばしい気分になると共に、これから少しくらい優しくしてくれるかもしれない淡い期待がふつふつと沸き起こるようだ。
「何ジッと見てんの…………?」
怖っ!
だからそんな目で見ないでっ!
「役に立てなくて申し訳ないけど、あたしは何も知らない。割と遠くの方の噂ってだけで知ってたくらいかな」
「そっか」
そんな気はしていた。でないと街をしらみ潰しに探してこいだなんて無茶は言わないだろうから。
なら、次の人間に訊けばいい。
「じゃあそういう社会に詳しそうなやつは知らないか?」
「後ろに大勢いるけど」
わかってる。
人見知りだから怖いおじさんには声をかけられないんだよ…………それくらい察しろっ!
「旦那ならなんか知ってるかもしれないけど」
「あぁ…………おっけーちょっと訊いてきてくんない…………?」
トキはそれに了承し、またカウンターを留守にして奥に駆けて行った。
「ハト…………ハトっ」
「何だよ…………」
奇妙なテンションで、カラスが俺の袖をクイクイ引っ張って来た。
ヤサグレてた気分はすでに全快したらしい。
「妹さん、旦那って言った…………人妻…………っ?」
「そうだけど?」
それがどうかした?
「『扉』くぐって路頭に迷っていたところを酒場の店主に匿われたはいいものの、真っ赤な赤字だった帳簿を見て目を回しその店主から店を乗っ取り地道にコツコツ経営を回復させた上で繁盛させ、後に店主に請われて名目上夫婦にならされてしまった不憫な未成年の妹には旦那がいます」
「私より…………先に…………」
彼氏いない歴=年齢の女が、仕方なく店主に頼らざるを得なかった子と比べちゃダメでしょ…………。
相変わらず失礼な女だ。
「私もおじさんとハッピーしたい…………」
「ハッピーって言葉使わないでね。いや、店主つっても」
親に先立たれて店を継がざるを得なかったガキンチョだけど。
おじさんって…………ドン引きです、カラス。
「お前がいると話が下品になる」
「私のせいじゃない。ところでハトは彼氏とか作らないの?」
「何でも話に腐ったもん織り交ぜてくるのやめろっ!」
そして、トキが場を離れてから少しして、撫で肩の痩せた、少年と見紛う青年が顔を出した。
そう、あまりに頼りなさげな彼こそがトキの旦那だ。
「お義兄さん…………ご無沙汰です」
「お前にお義兄さんと言われる筋合いはない」
「ちょっ…………ハトっ…………そんなお父さんみたいな…………っ」
クスクスしだしたカラスは少し笑いのツボが浅いので、しばらく放っておこうと思う。
「えっと…………あの」
この子はケントくんという。
何だか、妹に手を出した男にもう少し強く当たってしまいたい兄心を出し抜く、妙に女子力を感じる男の子だ。
無論俺より年下でトキよりも年上のはずだが、トキが放っとけない理由がわからなくなくはないこの気持ちがわかりたくない。
「…………何か飲みますか?」
声が小さい。気が利くのはありがたいのだけど。
「じゃあコーヒーで」
「え、えぇえっ?!」
驚き過ぎだ。
俺がコーヒーを飲むのがそんなにおかしいかね。
「だってコーヒーお高いですよ…………」
「料理は未だしもコーヒーくらい買える…………」
「ごめんなさいっ!少し待っててくださいっ!」
「いや行かないで?トキから聞いてるだろ?ちょっと物騒なことに詳しそうな人間を紹介してほしいだけなんだけど」
「え…………じゃあコーヒーは…………」
「いらない」
「…………」
落ち込むなよ。
俺が悪いみたいじゃないか。悪かったからそんな風にドキッとするような目で目を伏せるんじゃないっ!何なのっ?!俺を試してるのっ?!
俺をそっち側に引き込みたいのっ?
「私にカシオレを頂戴、僕」
「へ?あ、はい…………少し待っててください」
そして何で間髪入れずに何注文しちゃってんのカラス?
何でS字カーブを醸し出した姿勢で座ってるのカラス?
何でじっとりとした目で可愛い青年を誘っているのカラス?
「お待たせしました…………」
ケントくんも頰赤らめちゃダメだよ。浮気だよ。いやそもそもトキとは契約結婚みたいなもんだから別にいいんだけどね。
「ありがとう。中々美味しいわ。いい筋…………してるじゃない」
「ありがとうございますっ…………?!」
「でもまだまだね。お姉さんが…………美味しいお酒の作り方教えてあげようか?」
「…………っ」
「早速、今夜どうかしら。奥さんにはナ・イ・ショ・よブッっ?!」
長くなりそうだったので、あと見てるこっちが恥ずかしかったのでカラスが煽った酒にちょっかいをかけて黙らせ、話を元に戻した。
「だっ、大丈夫ですかっ?!」
「大丈夫。それで、そういう人に心当たりあるか?」
「えっと…………」
「あの…………その…………」
カシオレを溢して何か言いたげなカラスはさておき、トキ少しくらいは事情を言われてるはずだから、出てくるなら恐らく心当たりがあるのだろう。
トキは何をモタモタしているのか、早くケントくんの言葉を拡声してほしいのだが。
こうやってモジモジしてる姿、俺がイジメちゃってるみたいなんだけど。
「実は一人だけ、トキさんが来るまでお世話になってた人がいたんですけど、最近会ったんですけどそれっきりで」
「そいつの居場所はわかるか?」
「わか…………りません」
「…………泣かないでね」
うーむしかし道理で、以前は火の車だった店なのに辛うじて潰れなかったのは、そのお世話になってた人が尽力したおかげってことか。
トキの商才には未だに驚きだが、お人好しな人間もまぁまぁ、まだ世の中捨てたものじゃないな。
ここ最近でお人好しっていうのは、自分の存在意義がわからなくなってるやつの挙動だと思い込んでたけど。
「役に立てなくて…………ごめんなさい」
「あ、いや、いいんだよっ」
ケントくんはこの程度のことでシュンと気分を落とした。
そして、あまりに微妙なタイミングで、トキさんがカウンターに戻って来た。
おかえりトキさん。
俺耐えたよ。男としての何かモヤっとしたプライドに耐えたよ。
「もう…………ケントさん虐めんのやめてよ兄ぃ」
「いやいじめてないです」
「私も虐められました」
すっこんでろ引きこもりめ…………。
「それより兄ぃ、シエルさん来なかったの?」
「シエル?」
何で今シエルの話題になるんだ?
あの子は奥で寝ていたんじゃないのか。
「あれ?どこまで行っちゃったのかな?」
「シエルとは?」
「お義兄————ハトさんの…………お友達?えっと…………知り合いの女の子なんですよ」
ケントくん、俺のことはお義兄さんではなくお兄ちゃんと呼べと何度言えば。
それにカラスには関係のない、無関係の子だ。それ以上教える必要はない。
嫌な予感がよぎりながらそんな余計なことを考えてトキと店を見回すと、次にケントくんはとんでもないことを言い出した。
「そう言えば、お義兄…………ハトさんを捜すって言って外に出————ヒッ?!」
本当に役に立たない義弟だ。
あいつのことは少しでも教えたはずだが、それ以前に、こんな街に女の子を一人で徘徊させるなんて、普通止めるだろうが。
反射的に、俺は後ろを振り向いて店を駆け出した。彼に摑みかかる暇も、八つ当たりをする暇も惜しいと思うほどに、そんな余裕はない。
去り際にケントくんを批難するトキの声が聞こえた気がするが、そんなこともどうでもいい。
なんてタイミングの悪い。
俺はついさっきから、というか今もまさに人攫いという言葉がずっと脳で連呼されていうというのに。
「ごちそうさま」
カラスはそう言い、呑気に金を置いて揉める若い夫婦を尻目に店を去った。
ハトらきます。(ハト、働きます。(略))
下らんってか。
僕もそう思うよっ!




