02
何度目かの世界大戦も末期になった頃、世界各国で遺伝子や神経を人工的に改造された人間、『強化人間』が造られていた時期がある。
通常の人間を大きく上回る身体能力や感覚神経・脳の処理能力強化など、様々な形の力を人間に付与する為の実験が彼らに行われていた。一部は完成したものの、大抵は実戦に投入される前に大戦終結を迎え、研究所の中で一生を終える者がほとんどだった。
しかし、戦後の混乱期の中…つまり現在、難を逃れた一部の者達は社会の中に紛れ、暮らし、もしくは今も戦いに身を投じている。
ルウもそんな『強化人間』の一人だった。
強化術式を施された視覚・聴覚・嗅覚・触覚に関する神経は脳に膨大な情報を送り込む。処理しきれない情報による負荷を避けるために、普段は脳にリミットを設けて制御しているが、集中して制御を外せば、ルウのその五感は野生動物よりもこと細かに、世界を感じることができた。
灰色のコンクリートと赤錆の、ツートンカラーの建物の間。道とも言えないような隙間に三人は居た。
その中の一人。捕虜兼傭兵となった少年ルウは地面に伏せ、目を閉じて顔を地面に着けて身動ぎもせずじっとしている。
後の二人、志柚と阿依は少し離れた場所に立ち、同じく音を立てぬよう、静かに周囲を警戒していた。
ややあって、ルウが立ち上がり、北を向いてまたじっとして、耳を澄ませる。志柚と阿依も邪魔をしないよう注意を払う。
今度はきっかり三十秒。ルウは止めていた息を深く吐き出して、二人に向きかえった。
「北方向約二千二百メートルに三台。千八百メートルに二台。人数は合わせて最低でも二十…四十人だな。スカウトしながら確実にこちらに向かっている」
「悪いニュースね。良いニュースは?」
「南側約三千メートル。街の出口にも三台。人数は最低十二か…十六人。先回りされていたな」
「良し。阿依!」
「確認したわ。衛星からの情報とも一致しているけれど…通信妨害を開始しているのか、さっきから通信が…」
言いかけて、阿依のタブレットのビデオブラウザは《通信不能》のエラーコードを吐いてブラックアウトした。
「これで頼りはこのガキの…アナログレーダーだけか」
「ガキじゃない」
「ガキはガキだ」
「やめなさい志柚。……強化人間と組むのは初めてじゃないわ。なんとかやりましょう」
歩き出したルウがふらふらとよろけて、壁にもたれ掛かる。
「おいおいおい。休んでる暇なんて無えぞ」
「大丈夫だ…誰かにしこたま蹴り入れられたもんでな。ちょっと響いてるだけだ」
「可愛くねえガキだ」
感覚神経以外にも、体力面や肉体の組成にも手を加えられている強化人間は、肉体的なダメージに対しても強く、怪我や出血の回復も常人以上に早い。
しかしそれは、十分な栄養や休息が与えられてのこと。強化人間に弱点があるとすれば、その集中力、膂力、回復力を発揮するためのエネルギーが常人よりも多く必要であるということ。ありていに言えば、燃費の悪さだった。
現状のルウはダメージ以上に長く休息と栄養を得られていないことが、心身に大きく影響していた。
浅い呼吸を繰り返して、息を整えたルウは二人に向き直る。
「作戦を立てる前に、あんたらの武装と脱出手段を確認しておきたい。車はあるか?」
「…一つ言っておくがな、クソガキ」
ルウの質問に志柚が返す。
「お前は必要上つるんでるだけのただのクソガキだ。武装も足もアタシらが把握してりゃあいい。お前が指揮官面する必要は無いし、アタシらのカードを見せる必要も無い」
「私も志柚もハンドガン一丁とナイフが一振り。口径は九ミリ。予備弾薬は手元に収まるだけ」
「阿依!」
志柚とは対照的な態度で、あっさりと手の内を見せる阿依。らしからぬ様子に志柚が抗議するが、阿依は冷静にたしなめる。
「戦闘が始まれば嫌でも協力せざるを得ない。知っておく必要はあるわ」
不満そうな志柚を無視して、ルウはさらに続ける。
「連中とやりあうなら最低限の火力も欲しい。ライフルかサブマシンガンは?」
「移動しながら何箇所かに置いてきたわ。回収しながら南東の車まで向かう。位置は街の外れの集合住宅よ」
「その辺りだと、既に敵が回っている可能性が高いな」
「偽装はしてあるけど、発見されていない確立は半々って所ね」
情報をやりとりしながら行動計画を立てる二人を、志柚は面白くなさそうに、腕組をして眺めていた。
「まずは南へ移動するわ。接敵の可能性が低い住宅街の装備を回収する。もう一度索敵をしてから方向を決める。良いわね?」
「了解した。あんたはそこの赤髪ゴリラとは少し違うらしいな」
「やっぱり殺されたいか?クソガキ」
立ち込める暗雲を無視して、まずは阿依が。続いて殺気立った二人が南へ移動を始めた。
ほぼ同時刻。ルウ達が居る場所から北に五キロメートル程の場所。ルウが耳で察知した場所より更に遠くに、彼らは居た。
廃ビルの森、コンクリートジャングルの中の開けた場所。そこはかつて地下鉄の駅があり、地上の出入り口付近はロータリーとして賑わいを見せていた広場だった。
その一角、襲撃を受けにくい場所を選んで停めた軍用車両が三台。更に二台が周囲の索敵の為に移動していた。
すぐに移動が出来るようキャンプは張らず、数人の男が簡易な折り畳み椅子に座って何事かを相談し合っていた。
背後の車から降りてきた若い兵士が、その中の一人に通信機を渡す。
「大尉!C分隊から連絡です」
『大尉』と呼ばれた男が通信機を受け取る。
年は壮年か、最早老人とも呼べる程。短く刈り込まれた銀髪と、顔刻まれた深い皺といくつかの傷痕、そして戦線から退いて尚、かつての鍛錬を伺わせる鋼の肉体が、歴戦の兵士の風格を漂わせる。
この大尉、アダム・A・ガーゴイルがこの『亡霊中隊』の形式上及び実質上のリーダーであった。
中隊とは言っても、既に彼らの人数は既にそれに及ぶ規模では無い。ただかつての呼び名を引き続いて使っているだけである。戦闘の度に少なからず被害を受け、人員の補充されることの無い亡霊達を構成する兵力は減る一方であり、今では精精、小隊という規模だった。
彼らは最初から亡霊であった訳ではない。彼らは国軍の中から特に優秀な兵士を集め組織された極秘の特殊部隊の一つ、『名前の無い中隊』だった。
先の大戦でも幾多の戦場、幾多の敵地に潜り込み、潜入・攪乱工作を行い、戦況を有利に導き、影から勝利をアシストする存在であった。
だが、その後は。
大戦が終結して国が滅びたのか、国が滅びて大戦が終わったのか。今となっては彼らにも解らない。愛すべき国を亡くし、帰るべき家を無くし、守るべき民を失くし、戦いを命じる者も居らず、戦う理由を見つけられず、それでも戦うことしかできない者達。
戦う理由を見つけるために戦い続け、戦う理由を作る為に戦い続ける。
彼らは、肉体は生きていてもその魂は既に死者であり、故にいつからか『亡霊中隊』と呼ばれていた。
通信を終えて受話器を返したアダムが立ち上がり、その場に居た全員に告げる。
「たった今C分隊から報告が入った。南南東約七キロメートル地点に敵の痕跡を発見。状況から見て恐らく『星屑』を狙っているポリスの先行隊だ」
「星屑の行方は」
アダムの脇に控える副官が尋ねる。
「依然不明だがポリスの部隊が居る以上、相手側に発見、奪取されている可能性の元に動く」
「既にポリスへと連れ去られた可能性は」
「低いだろう。ポリスにそのような気配は無い」
他に質問は無いか、間を一瞬置いて、アダムが続ける。
「これより全隊の任務をフェイズBへ移行する。敵を発見次第、戦力を集中させ、確実に目標を奪取。その後に帰還する」
「作戦刻限はポリスの増援が到着する可能性のある約十時間後を基準とし、状況に応じて前後させる」
「以上!全隊行動開始」
全員がアダムに向けて了解の敬礼を送り、アダムはそれを受け敬礼を返す。
副官と分隊各々の分隊長の指示で兵士が素早く動き始め。五分後には跡形も無く全員が消えうせ、ロータリー広場はまた元の静寂に包まれていた。