七回転目 凍てつく牙
「そ、宗秋さま…」
「悪く思わないでくれ…私かてお前を
こんな風にはしたくなかった!」
横たわるひとつの大きな影は
苦しそうに抗い、もがきうごめく。
「私は人になりたかった…」影は言う。
宗秋と呼ばれている男の腹部は多量の出血が見られた…
あと数分の命だろう…
誰かの想いの中だろうか…
ゆらりと映像はゆれ混じり消えていった。
そしてまた、浮かび上がる…
「それ以上はやめるんだ!止まれ!!止まるんだ!」
グォォォッ~!
低く、大地をも揺るがすほどの
叫びは破壊音と共鳴するかのように響いた!!
牙をもつ巨大な生物は静寂を生む気配など、微塵にも感じられなかった。
その牙にくわえられた辛うじて人で
あろう物はやがて飲まれて消えていったのだった。
「な、なんて事を!八百顎朱!なぜ、私の制止を無視したのだ!やはり、貴様は虫なのか!」
僧侶はそう言って泣き崩れた…
そして映像は煙のように揺らぎながら
消えていった…
「16個の話しの中で結末が違うものが2つ。みな、神様に見立てた化け物に食べられてしまう中、太平佐衛門の話しと宗秋という僧侶の話しは退治ものですね。」
そう言いながら、鏡焔は眼鏡の真ん中辺りに中指をあて、クイッと上にあげた。
「それに、この8個の供え物をするのは死泉呪という、太古の昔からある禁呪の方法に似てますね。」
律子は理解していない意思を顔全面で
表現しながら聞いてきた。
「何?その死泉呪って?」
鏡焔は先程、芦屋家に起こった一連の事の話しと天上院の話し、そして八百顎朱の事、今起きている事実を話し、理解してもらった上で協力をしてくれる事をお願いしていた。
しかし、彼の中で後悔の気持ちが
強かった。巻き込んでしまっている事、
知らなければ楽しい旅行だったはずだと
いうこと、そしてなにより前回のような
不備があっては許されないのだ。
ゆえに少しの間、口を開く事が出来なかった。この場に二人の父がいたら許してはくれないだろう。
祖母は命をかけて守ったのだ。
その思いも強く、鏡焔を迷わせた。
しかし、律子の顔を見て何か少しの
安心感が鏡焔の気持ちを包んだ。
そして、話しを続けた。
「これは大昔からある呪術で、今は禁呪とされています。人が死んでしまった後、肉体に魂を戻すのは不可能ですよね。なぜなら、肉体の損傷が直接の死の原因、死因ならば再び戻すのは難しい。」
「まれに、一度死んでしまって甦ったりする人がいると言いますが、生死の境をさまよってはいるが、医学的にも私達の特殊な専門分野でも死、そのものとして判断はしてません。」
「まずは、不可能な事ですね。臨死体験も、生死の境をさまよったに、すぎないでしょうね。まあ、こんな事を言うと怒る人もいるでしょうけど…」
「死泉呪は一度、完全に死んだ人間を
呼び戻す呪術なんですよ。瓜などを人間の8の部分に見立てて、魂を呼ぶんです。頭、下顎、胸部、両腕、腹部、両足の8部分。」
「これは元々、交霊術に使われていた
ものだったんですが、この方法をより効果的に非人道的に呪術として扱う者が現れたんですよ。本当に死者を呼び戻す呪術としてね。あの昔話のやり方が非常に酷似していたので、ゾッとしましたよ。」
「八百顎朱に関わる人達って、誰も生きる気力が弱まってる人ばかりです。鉈彦さんもそうでした。そういう人達は魂が肉体から剥離しやすいんです。そこへ、生への執着の強い魂を下ろしたら…」
「八百顎朱は堕魂を下ろしては、自分の想う人でなければ、食べてしまう。そんな事を、繰り返していたのではないかと思います。あくまで推測ですが…」
律子は「なんだか怖い…」と一言いうと
少し考えたような顔をして鏡焔に聞いた。
「ねえ?先生?結末の違う2つの話しはどういう意味?」
鏡焔は少し、緊張したかのような表情で
言った。「正直、八百顎朱は不死身なんです。倒せません。」
「そこで、封印する方法を私は探していました。その方法の手がかりが2つの話しにありました。」
「ちょっと!僕、もう、休み時間終わりなんですって…」
「なんだあ~ッ!コラッ!」
ショッピングモールのフードコートで
狸赤が鉈彦の胸ぐらを掴み、持ち上げていた。
そこには恭一の母の姿はすでになく、
五歌仙の三人が集まっていた。
「止めろって!狸赤の旦那!!」
そう言って狸赤を制しているのは
五歌仙の一人は酒天上 信玄。
銀色の髪を逆立たせ、顎と口髭を
生やした大柄な男で彼と並ぶと狸赤が
小さく見えた。
これでもアカデミー最年少だという。
四肢につけた大きな粒の数珠が特徴的で
祓い屋の中でも特殊なタイプで
堕魂を直接的にダメージを与える事ができる。腰につけた瓢箪の中に堕魂を封じ込めたりもする。
「おれぁ、よぉ、てめえのお袋がまいた種なのに、関係ございやせんって態度が気に食わんのよ!世の中、そんなに甘かねぇ!」
そう叫んだ時は酒天に軽々く掴まれて
持ち上げられていた。
「だから、旦那!!まずは落ち着いて!!」
そう言うと顎をクイッと前に付きだし、
鉈彦に(行け)と合図した。
鉈彦はペコリと頭をさげ、その場を足早に逃げるように去った。
「彼だって、俺達にはわからない辛い気持ちがあるんだと思うよ。それは俺らには理解しようとできないっしょ?」
と言ったのは、電話で狸赤にBBと呼ばれていた男。いささか、軽薄な軽い男に
見える。
「わかってらあ!そんなんは!だがよ…」と荒々しく狸赤が言いかけたとき
酒天が肩に手をポンと置いた。
酒天の顔は少し悲しそうに見えた。
狸赤は顔をしかめながら「フンッ!」と
ひとつ溜め息まじりで言うと、ふてくされたように黙りこんだ。
「まあ、こうしてさ、集まったんだし、なんか食べようよ。」
BBにその言葉にコメカミのあたりに血管を浮き出させて怒りをこらえる狸赤は
ダバコに火をつけようとした。
「あ、ここ禁煙ね♪」とBBが言う。
狸赤はテーブルの足をガツンと蹴った。
BB (ビル・ビーンズ・ジャック)
最初はBBJと名乗っていたが狸赤の面倒くせえ!の一言で今はBBと呼ばれている。
袖口に装備された小さな筒状のケースに
特殊な栽培法で作られた種を隠している。これを手の中に必要に応じて
それを指弾として発射する。
実体のあるものにもダメージを与えられるが、堕魂にはかなり効果的に作用する。効力のほどは、また後程…。
このBB、軽薄な感じと表現したが
本当の所、チャラチャラしていて一見ホストのような印象を受ける。
女好きで、実際、同じ五歌仙の紅一点、
楽珠に度々、ちょっかいを出しては軽くあしらわれている。
さて、話しは戻りまして…
暫くフードコートで三人、落ち着きなく
所在なくしていると、鉈彦が小走りで
こちらに、やってきた。
服装は私服に着替えていた。
「すみません…同行いたします。
狸赤さんの言う通りかと…」
鉈彦は俯きかげんで自信なく言った。
酒天は驚き、「バ、バイトは?」と
言って鉈彦を見つめた。
「いえ、そんな時ではないって、わかってました。母だって帰ってきてないですし、解決してない事が山積ですから。」
BBは鉈彦の肩をポンと叩くとニッコリ微笑んだ。そして狸赤の二の腕あたりを少し強めに叩いた。
「いてッ!なんだあ?」
一瞬、動揺した態度をした狸赤だったが
すぐさま皆に指示を出した。
「いいか、よく聞け!!これから決戦に備える!!まずは鉈彦の家にある8戒律の書を手に入れる。」
「さっき、BBから聞いた情報だと、
天上院一族の九堕使いは宗秋で三人、そして九堕使いは八百の事件以来、禁じられた祓い技として、一切許されていない。」
「が、その九堕との契約の時に使われる書が残されているって話しだ。それが8戒律の書だ。」
「で、それをなんとなく、心当たりがあるっつう、鉈彦と!優しい~酒天!お前らが取って来るんだ。」
酒天は少し不満そうに「俺?」と一言。
BBは不快にケタケタと笑った。
「そうだ。BB、二人だけじゃ心配だ。オメエもいけ!!」
明らかに噴火寸前の赤ら顔になりながら
狸赤が言った。
「俺は鏡焔の所に行ってくる。楽珠だけじゃ心配だからな。何かあったら、すぐ連絡しろ!」
狸赤は三人に背を向けると、片手を二回ほどダルそうに振りながら歩いていった。
「う、うわあ~なんかいや~!ああ、俺も楽珠ちゃん、ところにいきてェ~!狸赤さ~ん!!」
そう言って後を追おうとするBBを酒天が制した。「これ以上、狸赤さん怒らせたらヤバいから。な?」
「だね…」カクンと前に頭を項垂れるBBだった…
「結末の違う話しのひとつは、僧侶に封印されてしまう話し。宗秋という僧侶。この方、実在した方です。それから、太平佐衛門の話し。この武将も実在した方なんですよ。」
と鏡焔が言うと、律子がすぐに聞き返す。
「でも、太平佐衛門の話しの結末。少しおかしいなぁ。切りつけ、退治したってあるんだけど、八百顎朱は不死の怪物じゃない?これは、創作じゃない?」
「いえ、太平佐衛門はここの館長で
りっちゃん達のおじさん、柳沼さんの御先祖様なんですよ。おそらく、退治までは至らなかったと思いますが、特殊な刀でダメージを与え、山にでも追いやったのでしょう。」
「それから、宗秋という僧侶の話しは
封印したとあります。宗秋は天上院一族の御先祖様で、九堕の使い手。あ、九堕とは、堕魂や動物を自分の家来にする祓い法です。」
「推測上の話しですが、八百顎朱は宗秋の九堕だったのかな?と思います。
数え唄、そして昔話し…
それらを考えると、八百顎朱を倒す方法はひとつ。」
と、その時!
ガタンと部屋の外で音がした!
鏡焔は律子の盾になるかのように
前に踊り出た。
「しくじりました…。あの音の主が私の考えてる人物と違ったら…今、武器になるような祓い道具、全て、部屋に置いてきてしまいました…。」
そう言うと懐から、木製の魚の柄のついた鉄ヘラを三本ほど出した。
「先生!もしかして、八百顎朱!?」
律子は鏡焔の着ている作務衣の背中を
ギュッと握るように掴んだ。
鏡焔は律子を制し、この部屋の扉まで
ゆっくりと歩いて行ってそこで
息を潜めるように止まった。
確実に扉の向こうに気配がする…
カタン…カツン…カタン…カツン…
長さの合わない竹馬にでも乗り歩く様な独特なその音は、こちらにゆっくりと向かっているのがわかる。
律子の耳にもはっきりと聞こえ、その音は強い恐怖心となった。
鏡焔はミシミシと音がたつほど強く、
ヘラを握りしめた。
「万が一って事があります。りっちゃんはここで、じっとしていて下さい。」
鏡焔は振り向きもせず、そう言うと
ドアノブに手をかけた。
律子の頭の中には聞きたい事や言いたい事が
渦巻いていたが、それをこらえて鏡焔に従った…
カチャッ…
小さなドアの開閉音のはずがホールに響く…
鏡焔は次の瞬間、ホール中央に向けて滑るように移動し、展示物の陰にかくれ律子のいる部屋を見た。
そして辺りを見回した。
(確実に私の思った通りでしたね。)
カタカタカタッ!
鏡焔の方へ音が近付く!気配のない
無機質な存在感だけが向かってきた!
そして、鏡焔の隠れた展示物の向こうから、二体の人影が現れた!
鏡焔は溜め息をつくと「やはり、あなたでしたか?悪質な行為をやめていただけます?」と大きめの声で言った。
二体のそれは、中央に飾られた農作業のマネキンだった。
マネキンは鏡焔の手前でピタリと止まっている。
「楽珠さん!バレてますっ!」
もう一度、そう言うとガタガタと音をたてて、ひとりの女性が現れた。
「わたりっチ!つまんない!」
どうみても祓い屋にみえない彼女は
楽珠といった。
人形を自在に操る人形使い。
元々は人形供養を専門にする祓い屋家系で、その他には口よせなどを行うことを生業として、代々続いた。
(口よせ…故人の魂などを呼び込み、遺族と話しをさせるための儀式。)
現在は死泉呪のような禁呪に近い儀式は
禁じられているため、こうしてマネキンを動かしたりしてはいるが、堕魂や魂などを入れたりはしない。
自らの霊力による遠隔操作のみである。
しかしながら五歌仙に選ばれるほどの
凄腕で、その実力はトップの狸赤に次いで二番手と言われるほどだった。
「農作業風景の展示物に1409年(応永16年)と書かれていたのとマネキンから、あなたの悪戯だとわかりました。」
「年号は鏡焔家が祓い屋として始まった年号ですし、あのマネキンは柳沼さんの趣味じゃない。」
鏡焔は眼鏡をクイッと上げる仕草をして
言った。
「わたりっチ!その態度、ムカつく!
いつも、優越感に浸っている時、その眼鏡をさわる仕草するんだよね~!」
楽珠は不機嫌そうに口を尖らせて言う。
その、やりとりから危険がないと思った律子が部屋から出てきた。
状況がつかめない面持ちで二人を見ている。
「あら?こんなに若い娘、連れ込んで~わたりっチ!悪い人だ!」
と鏡焔を指差しながら小馬鹿にしたようにニヤケた。
「あなたと話すとややこしくなる…
で?アカデミーの命令ですか?」
鏡焔は呆れ顔で楽珠を見据えた。
「今日はわたりっチに会いたくて、個人的理由っていったら迷惑?」と上目遣いで可愛い子ぶる…
「はあ~」深い溜め息をつく鏡焔をみて
喜ぶ楽珠であった。どうやら、怒らせて
その反応をみるのが楽しい様子…
その反応とは裏腹に肩からかけていた
ショルダーバッグから紙を無造作に取り出し嬉しそうに楽珠は言う。
「契約した時に使われる書!八戒なんとかと、数え唄の譜面、持ってきたの。ここに来る前にね、天上院の家に寄ってきたんだ~♪」
八百顎朱みたいな強力な九堕は言霊縛りという方法で服従させる。
契約者自身が契約を破棄しない限り
永遠に続く。
その時に使われるのが八戒律の書である。
八戒律の書の内容はどうでもよく、一項目ごとに印がかかるように言霊で形成された文章になっている。
これを九堕に復唱させることで言霊縛りという印が完成するのである。
(ここでの印は鍵のようなもので、完全に自由を奪う、封印とは別物である。)
その頃…
「こ、これは…」
天上院家の家の中は荒らされていた。
洋服や、生活品が散乱して酷い有り様である…
そして、部屋のタンスには一枚の紙が
貼られていた。
(ごめんね。ここに来た人!八戒何とかは借りていきますね! 楽珠)
「うぉ~ッ!無駄足だあー!」と酒天が
叫ぶ。
「さすが楽珠ちゃん!!行動が早い!」とBBが言う。
「あのぉ~、楽珠さんってあなた方のお仲間ですよね…これは、犯罪じゃないっスか?しかも、僕…バイトまで辞めて来たんですけど…」
鉈彦がポツリと呟いた…
楽珠