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ペガサス競翔  作者: 明日テイア
6/13

図書館のソムニ

⑥ 図書館のソムニ


 夕刻、ラクスの街の食堂でプリタスがひとり、ベリー酒を飲んでいました。飲んでさわぐ人々とは離れたテラス席。テーブルの上にはマスのムニエルとキノコのベリー酒蒸しが乗っています。プリタスは考え深げにフォークとグラスを交互に口に運んでいました。

「ここ、ちょっとええかな?」

 プリタスが顔を上げるとイウベニスが立っていました。

「もうそろそろ、お出ましかなと思っていた」

 イウベニスは向かいのイスに座ってテーブルにふせてあるグラスに自分でベリー酒をそそぎ、一気に飲み干しました。

「ふー・・・男爵さんはどないした?」

「あの人は知り合いの家に行った。歓迎会だってさ。彼は、ここの出世頭だからな」

「一緒に行かんのか?」

「おれの歓迎会じゃないんでな」

「ふうん・・・で、何をたくらんどんねや」

 プリタスは鼻で笑って言いました。

「たくらむって何を?」

「おいおい、おれが聞いてんねや。聞き返してどないする。リベルタを伝説の翔馬の転生身やゆうて男爵に吹きこんだんはあんたやろ。ほんで無理やりでも手に入れろ言うたんやろが」

「その方が立ち上げとしてはおもしろいと思ったからさ。伝説の翔馬で勝つ、なんて、なんとも痛快じゃないか?だけど、リベルタ購入に積極的だったのは男爵さまのほうだぜ。あの人、あの翔馬が銀色ってところにえらく気に入ってね。おまえもラクスに来たのは、あの翔馬に興味があったからだろ?」

「あんたと一緒にすんなや。おれのは純粋な知的好奇心や」

「しかし、あの伯爵さまにはやられたね。ニコニコ笑顔で『自分の持ち翔馬なら快くゆずろう』なんて調子のいいこと言いながら、あの小娘を所有者に登録してるとはね。うまい逃げ方を考えるもんだ。こちらより一枚上手だよ」

「伯爵さんは好意でやってるんや。計算やない。けど、まあ、何の因果や。あんたがクラルスで、おれがラクス。同じ北国の辺境で会うやなんて」

「それは、おれのセリフだ。しかし、久しぶりに聞いても、その礼儀知らずの南国なまりは耳にさわるな」

「おれも久しぶりに聞いても、そのイジワルーイしゃべりようは耳にさわるわ。あ、そう言うたら西国で『赤の予言者』に言われたこと思い出した。あの気持ち悪い真っ赤な部屋で赤目でギッとにらまれて『ある年長の男性に縁がある。どんな道を選んでも彼に会う』って」

「おれも東国の『青の予言者』に『南国なまりのクシャクシャ頭にすっぱだかで殴られる。そして北国の辺境で酒代をおごってもらえる』って真っ青のくちびるで言われたよ」

「あほか」

「あははは」

 彼らの話の『赤の予言者』『青の予言者』と言うのは『黄』『緑』とともに帝国最高クラス女性予言者四人の事です。彼女たちは『四色の予言者』と呼ばれ、予知や遠隔視などの数々の高級魔法も熟知した帝国内外に名高い大魔法使いでした。

 談笑しながらイウベニスは帝都の公衆浴場で彼を殴ったことを思い出していました。

 サウナから上がって涼んでいたイウベニスにプリタスが近づき、次のレースでは故意に負けるように、つまり八百長をするように言ってきたのでした。それまでも弟子を通して何回か言ってきてはいました。けれども、イウベニスは、どんなに金を積みあげれらようとも、おどされようともガンとして受けつけません。最後にプリタス本人登場でイウベニスの堪忍袋の尾が切れたのでした。

『あんたに翔馬に乗る資格はない!』

 なぐったイウベニスは即刻、帝都レース会追放。なぐられたプリタスも八百長依頼が明るみになり出場停止処分になりました。

「あの時、おまえになぐられて目がさめた」

「へえ、あの時まで寝とったんか」

「まあ、聞けよ。自慢じゃないが、おれは帝都レース会では最多出場、最多勝騎手だった。上級レースに常に出場し、常に勝った。それが当たり前になっていた。当然、周りの期待もどんどん大きくなっていく。けれども『常に出て、常に勝つ』と言うことが、歳を重ねるにつれて困難になってきた。一度、おれの凡ミスで大敗した時、周りが潮が引くように、おれから遠ざかった。こわかったよ。どうしようもなくこわかった。あんなこわい思いは二度としたくなかった。だから、しょうがなく八百長にたよるようになってしまったんだ」

禁止魔法ドーピングもやろ」

「・・・・」

「今さらかくしてもしゃあないやろ」

 プリタスはベリー酒をグビリと飲んで言いました。

「ああ、そうだ。ドーピングもやった」

「おれが八百長やドーピングがきらいな理由、知ってるか?」

「さあ」

「翔馬がかわいそうやからや。翔馬は全力でレースに挑んでる。おのれの翼だけでや。それやのに人間は自分らのつごうで勝たせたり負けさしたりさせる。八百長された翔馬の目、見たことあるか?ほんまかわいそうやで。おれが乗った翔馬の横を『なんで?』って目をした翔馬が後方に消えていくんや。『なんで、ぼく翔べるのに翔んだらあかんのん?』って悲しそうな目をしとった。ドーピングされた翔馬もそうや。加速魔法かけられた翔馬を見たことがある。いきなりグンッと速うなるんやけど。やっぱり悲しそうな目をしとった。『なんで?ぼく自分で翔びたいのに、なんで?』って目ぇやった」

 イウベニスは、またベリー酒をそそぐと一気に飲み干しました。

「ふー・・・あんな目、もう二度と見たあない。幸い、こっちのレースでまだ見たことないけどな」

「・・・・あそこじゃ、それが当たり前になってたんだ。おまえはちがうようだけどな」

「もともとから、おれははぐれもんやからな」

「出場停止になったあと、おれは殺された。いや、殺されたようなもんさ。他にやっているヤツもいるのに罪をおれに押しつけて知らんぷりしてやがる。今まで築いた経歴がくずれさった。おれに騎乗依頼するオーナーはいなくなったし、弟子も次々に逃げていく。妻は若い男と逃げるし、嫁いだ娘も連絡がなくなる。おれは頭をかかえたよ。自殺も考えた。そんな時に男爵に再会したんだ」

 プリタスはウエイターを呼び、新しいベリー酒を注文しました。

「チビチビとしか飲めないような酒より、思いっきり飲める酒の方がやっぱり似合ってるようだな。おれには」

「何の話や」

「いや、まあ、こっちの話・・・まだ男爵が研究員だった時に公衆浴場で話をしたことがあった。いろいろとわけありでおもしろそうな若者だなあと思ってた。再会した時も公衆浴場だった。なぜか、おれの運命は公衆浴場で変わる。奇妙なもんだ。で、彼の話じゃ、今度、爵位をもらうって言うじゃないか。おれは考えた。もう、おれには無くすものはない。はじめからやり直すのもいいんじゃないか。おれは彼についていこうと思った。それを言うと、男爵は笑顔で、こちらこそ色々と教えてほしいと言われたよ」

「へえ・・・」

「これだけは言っておく。イウベニス。冒険は若い者の特権じゃない。無くすことを恐れない者だけが冒険に乗り出せるんだ」

 しばらく腕をくんで黙っていたイウベニスでしたが、バンッとヒザをうって、いきなり立ち上がりました。びっくりしたプリタスは、またなぐられるのかと身がまえました。

「な、なんだ?」

「プリタス。いや、プリタス騎手。あんた、ここで秋にやるレースにヴェロックスで出るんやろ?」

「あ、ああ」

「おれはリベルタで出る。正々堂々と勝負や」

 と、手を出しました。

 プリタスはニッと笑うと立ち上がって、

「ああ、勝負しよう」

 その手を強くにぎりました。

「いさみおとごぎふるわしき」

「プリタス騎手。ひとつ言わせてもろうてええかな」

「なんだ?」

「おれ、おごれんよ。給料日前なんで」

「ちぇ、予言が外れちまったな」


 その夜、ソムニは伯爵夫人の部屋にいました。

 いつものように伯爵夫人に髪をすいてもらっていますが、ずっと黙ったままです。伯爵夫人も昼間の出来事を聞いていて、どうやってなぐさめようか、と思いながら、ゆたかな娘の後ろ髪を魔法の込められたブラシでくしけずっていました。

「ソムニ・・・おなかすいていない?」

 だまって首を振ります。フワッと持ち上がったソムニの髪もゆれました。

「そう?ちょうどここにキャンディがあるのですけど」

 と、ポケットから取り出すとソムニの前に手を出しました。それをソムニは無言でつまんで口に入れます。コロコロとキャンディが口の中で転がる音が聞こえました。

「これくらいなら伯爵さまもおしかりにはならないわ」

 昼から食事をしていなかったので、いつも以上にキャンディの甘さが感じられました。それは、ほほのあたりが痛くなるほどでした。

「お母さま・・・」

「なに?」

「お母さまがわたしくらいの時、『友だち』っていらっしゃいました?」

 ほんの一瞬、手を止めて伯爵夫人が答えました。

「ええ、いましたよ」

「じゃあ、お母さま・・・」

「なに?」

「『友だち』ってなんですの?」

 この子はこの子なりに悩んでいる・・・そして成長している・・・そう思うとなんとなく夫人の顔に笑みが浮かんできました。でも、それは娘に見られていないと思うからでした。

「そうね・・・『友だち』っていうのは、そう・・・ふたりだけの『秘密』を共有する間柄じゃないかしら・・・」

 とても意外な答えでしたので、ソムニは振り返って大きな目で母親を見ました。

「『秘密』って?」

「そうね。どんな小さなことでもいいわ。家族にも内緒のふたりだけの秘密・・・」

 ソムニはイニスとのふたりだけの秘密を思いました。

 ふたりだけの時はイニスは『さま』をつけずに『ソムニ』と呼ぶこと・・・

 幼いときに羊小屋の奥に布で囲った秘密の小部屋を作ったこと・・・

 大雪が積もった日に子犬のようにジャレて遊んでいたら古井戸に落ちて必死に登って助かったこと・・・

 近づいてはいけないと言われている、七色沼の七色ビーズを採りに行ったこと・・・

 集めたビーズでおそろいのネックレスを作ったこと・・・

 おたがいの結婚式に、そのネックレスをつけると約束したこと・・・

 そして・・・

 覚えたての魔法でイニスのショウマノキの葉摘みを手伝ったこと・・・

 ・・・でも、そういうたわいもない秘密(ドクシスじいやに知られたら、こっぴどくしかられるでしょうけど)のひとつになるはずのあのことが、ふたりの友情をこわしてしまった・・・とソムニは思いました。

「アクテ・・・」

「え?なんて言いました?」

 思わず、その名をつぶやいたのはソムニ。そして驚いて聞き返したのは伯爵夫人でした。夫人の手は完全に止まっています。

「え?」

「その名を、どこで、その名を聞いたのです?」

「あ、あのあと、口にしていたのです」

「だれが?」

 聞いたことのない強い口調の夫人の声。まるでなにか自分が悪いこと言ったのではないか、とソムニが思うほどでした。

「み、みんなですわ。ラクスの人々がコールしていました。何度も。翔んでいるイニスとリベルタを見て」

「それで!」

「え?」

「イニスの、イニスの体は何ともないのですか?」

「イニスの・・・いえ、大丈夫ですわ・・・どこもケガなどしてはいませんわ・・・」

「そう・・・そうなのですか・・・」

 何か・・・何かヘンだわ。お母さま・・・どうして今ごろになってイニスの心配をするの?

「お母さまは、その名のひとを知ってらっしゃるのですか?もしかしてイニスのお母さま?」

 と、それを聞いて伯爵夫人はブラシを持つ手のあげてはおろし、あげてはおろしを再び繰りかえしました。けれども、それは今までにソムニが感じたことの無い機械的なものでした。

「いいえ・・・わたくしは知りません。わたくしがラクスに来る前に彼女はここを去ったのですから・・・」

「そう、そうですの・・・」

 いつものこの暗い部屋。けれどもふだんのソムニはお母さんといて、その暗さを感じたことはありませんでした。

 今、はじめてソムニは本来の部屋の暗さを肌にして、もう、その名を口にしない、と心に誓うのでした。


 翔べるようになったリベルタは厩舎の仲間に入ることができました。その夜、人間たちがいなくなった厩舎では翔馬たちの話し合いが始まっていました。

 リベルタは知らなかったのですが、翔馬には翔馬の会話があり、人間には聞こえない声で会話をしていました。人間たちには厩舎の翔馬たちがおとなしく休んでいるように思えるでしょう。けれども実際は、いかめしく騒々しい議論をしていました。

〈銀の同志よ〉

 翔馬たちにそう呼ばれてリベルタは最初だれのことかわからずとまどっていましたが、自分のことだとわかると、なんだか気恥ずかしい感じがしました。

〈はい。なんですか〉

〈ようやく翼の魔法によって空へと導かれ、われらの同志に加わったことを一同を代表して歓迎する〉

 と、言ったのはセルタでした。

 リベルタにとって生みの母親ですが、おそれおおいリーダーとしか今は思えません。厩舎はいくつかの翔馬房に分かれていて翔馬たちはお互い姿が見えません。けれども、その会話はまるで顔をつきあわしてしているような感じがあります。ほかの翔馬たちがジッと聞いている様子もよくわかりました。

〈あ、ありがとうございます〉

 そうは言いましたが、実のところリベルタには仲間になった、という感覚が羊小屋の羊ほど彼らにありませんでした。

 次にセルタは幾分思い口調で言いました。

〈銀の同志よ。『聖なる翔馬』に会われたか?〉

 『聖なる翔馬』と言われてリベルタは、あの夢で会った光の翔馬にちがいない、と思いました。

〈はい。会いました〉

 すると、翔馬たちがそろって「クォオルルル」と鳴きました。それは不機嫌にうなっているようです。その鳴き声を聞いたリベルタはおどろいてすくんでしまいました。

〈紅の同志よ〉

 と、声を出したのはアエスタスでした。

〈なんですか。黒の同志〉

〈あなたは、出会った若い翔馬すべてに『聖なる翔馬に会われたか』と聞く。転生した『聖なる翔馬』をさがそうとしておられるのはわかるが、その行いは軽々しくはないか。『聖なる翔馬』の名をおとしめるのではないか。実際、その若者が、いたずらに今『会った』と答えたのが証しではないか。げんに『聖なる翔馬が二本足に転生した』と広めている者もいるくらいだ。そんな愚かな連中と同じく見られはしないかと、わたしは危ぶんでいるのだよ。同志諸君はどう思う?〉

 アウラが答えます。

〈黒の同志の言うとおりだ。『聖なる翔馬』に会った翔馬など今まで出会ったことがない〉

 次にイグニスも発言しました。

〈紅の同志よ。わたしも『聖なる翔馬』は現世に転生してはいないと思う。と、言うことは『最後の導き者』が選ばれるのも時期尚早だと思うのだ〉

 それを聞きながらリベルタは思っていました。

 『最後の導き者』・・・

 あの夢の翔馬は、そう自分を呼んでいたと思うけど、翔馬たちの議論に気おくれして言えなくなってしまった。

 そう言えば、あの若い青翔馬もいるはずなのに、とても静かでいないのかと思えるぐらい。

 昼間、湖の上を一緒に翔んだ時、

〈いっしょに翔べてよかったね〉

〈楽しいね〉

〈ぼくの方が速いよ〉

〈ぼくだよ〉

 と、笑いながら話しをしていたのに。

 たぶん、みんなの議論に、まだ彼もついていけないんだろう。

〈では、褐色の同志は、いつ『最後の導き者』が選ばれると思いか?〉

 と、セルタが聞くとイグニスが答えました。

〈それはわからない。わかる翔馬などいないと思う〉

 深いため息の後、セルタが言いました。

〈われわれ翔馬は最初の翔馬『聖なる翔馬』から生まれ、そして『最後の導き者』を選び出すために翔び競い合ってきた。『最後の導き者』は全ての翔馬の中で一番速いものだ。全ての者を導くためには常に先頭を翔んでいなければいけない。その『最後の導き者』の候補は翔馬全員なのだ。特に若い翔馬ほど可能性が高い。そして『聖なる翔馬』の転生身が『最後の導き者』を選ぶのだから、『聖なる翔馬』に会った若い翔馬がいたとしても、おかしくないではないか?〉

 グッと対抗意識を持ち上げてイグニスが言いました。

〈まるで、紅の同志。若い頃、あなたは『聖なる翔馬』に出会った、と言うような口振りではないか?〉

 うめき声のようにセルタが答えます。

〈・・・ああ・・・会ったのだ・・・〉

 その答えにアエスタス、イグニス、アウラが「クゥオン!」と興奮の声を上げました。

〈そ、それは初耳だ!紅の同志!どうしてそれを我らに今まで話されなかったのか?何か隠しておかなければならない理由でもあったのか?〉

 それに答えるセルタの声は、とても苦しそうでした。

〈・・・いいや。隠しておいたのではない・・・信じられないことだが・・・忘れていたのだよ・・・〉

 カツン!カツン!と蹄を鳴らして三頭の翔馬が叫びました。

〈信じられない!忘れていただって!忘れていただって!忘れていただって!〉

 その突然の息巻いた声にリベルタはすっかり縮みあがってしまいました。

〈静かに!同志諸君!〉

 さすがにリーダーだけあってセルタの一喝で厩舎内はピタリと静まりかえりました。

〈どうか朝焼けの青き星のように落ち着いて聞いてほしい。信じられないかもしれないが同志諸君。きみたちが、この地に在する以前、わたしがまだ翼の魔法に空へと導かれたばかりの頃、『聖なる翔馬』の転生身に出会ったのだ〉

 セルタは翔馬たちの静かな反応に満足して後を続けました。

〈先ほどの黒の同志の発言にもあったように今世での『聖なる翔馬』の転生身は二本足であった。それも雌の二本足・・・〉

〈雌の二本足・・・雌の二本足・・・〉

 と、ひそやかな翔馬たちの声が厩舎内にざわめいたので、セルタは声がおさまるのを辛抱強く待ってから言いました。

〈果たせるかな。その者は二本足ながら偉大なる翔馬の言葉を解する者であり、また『追い足』であった〉

〈ホウ・・・〉

〈フム・・・〉

 厩舎内に納得の空気が流れます。

〈むろん翼無き身ゆえ自身は翔べなかったが、われらの翔びを助ける魔法や技術に秀でていた。われらと言葉が通じるゆえ、われらの欲するものが我が身のようにわかるのだ〉

〈なるほど・・・〉

〈だが『聖なる翔馬』は翔馬全体を統べるお方だ。この地にのみ留まっているわけにはいかない。次の地の翔馬に出会うため、それゆえに去られた。それを今日、銀の同志が翔ぶのを見て、まざまざと思い出したのだよ。なぜだかわからないが、もしかすると銀の同志が負うていたのが雌の二本足だったからかもしれない・・・〉

 フウと大きく鼻息を吐いてアエスタスが言いました。

〈紅の同志。『聖なる翔馬』の転生身に出会ったことを忘れていた、と言うのは、もしかして、あの名前の呪い・・・〉

〈そうだと思う・・・〉

〈なるほど・・・〉

〈そうか・・・〉

〈それならばわかる・・・〉

 それから深いため息の後、セルタが言いました。

〈ずっと忘れてはいたが、いつかまた、あのお方に出会える・・・そんな気だけがして、ついつい若い翔馬に聞いていたのだよ〉

 そこでとうとう我慢しきれなくなった、という感じでヴェロックスが言いました。

〈じゃあ!いつもレースで一番になればいいんですね!まだ『聖なる翔馬』に会ったことがなくても!ずっと一番でいれば会えるかもしれないんですね!ええと!その雌の二本足の転生身に!そして『最後の導き者』に選ばれるかもしれないんですね!〉

 少し驚いた様子でセルタが答えました。

〈その通りだとも。わが子、青の同志よ〉

〈ええと!銀の!銀の同志!〉

 急に自分が呼ばれてリベルタがとまどいます。

〈は、はい・・・青の同志〉

〈今日、一緒に翔べてうれしかったです!いつか一緒にレースに出られたらいいですね!おたがい一番になれるように、そして『最後の導き者』に選ばれるようにがんばりましょう!〉

〈あ、はい、がんばりましょう〉

 ヴェロックスは「クゥルオオン!」と、うれしそうに鳴きました。しかたなくリベルタも答えて鳴きました。けれどもヴェロックスとちがってリベルタには、まだレースの事や、翔馬が競い合うものだとはよく理解できていませんでした。

 そして考えてみれば自分は翔びたくて翔んだのではありません。イニスを助けたくて翔んだだけなのから『聖なる翔馬』に出会う、とか『最後の導き者』に選ばれる、とか自分には関係ないように思えました。

 ただ、言えるのは昼間、ふだんと違ってとても運動したので、もう眠くて、眠くてしょうがない、ということでした。幸いにも、そこで議論は終わり、翔馬たちは眠りにつきました。

 その夜、リベルタの夢の中に、あの光の翔馬は現れませんでした。


 次の日、図書館にソムニがいました。

 別人のように元気を無くしたソムニが分厚い本を広げて一字一字をノートに書き写していました。手にあるのは魔法筆ではなく普通の筆です。石造りの壁に外の陽気さをさえぎられた図書館内は涼しいと言うより、そして肌よりも心に冷たく、壁にならんだ縦長の窓は聖人たちの後光を思わせ、棚の古い書物たちは独特のにおいの息を静かに吐きだしていました。

 みんなが働いている午前中まだあまり人はいません。入り口横の受付では図書館係の少年が記録帳を広げたまま居眠りをして、奥のイスに座った老人は新聞をめくるたびにセキをひとつしました。長づくえにひとり座っているソムニは幽閉の女王そのもでした。

 帝国律法の一節『皇帝陛下の聖魔法は人民の幸福のために休むことなく唱えられている』とソムニが書き写している時、図書館にだれかが入ってくる音を聞きました。革靴の足音が近づいてきます。けれどもソムニは顔を上げずにペンを動かしていました。その足音の主がソムニの前に立ちました。影になってソムニのノートが暗くなります。ソムニは顔を上げました。でもシルエットでよく見えません。目を細めて見ると、それは見知らぬ男性でした。窓からの光に銀髪がきらついています。

「こんにちは。あなたはマジェスタス卿のご令嬢ですね」

 父を伯爵と呼ばずにマジェスタス卿と呼ぶ人間は数が限られています。魔法貴族です。その証拠に、よく見ると銀髪は後ろに編まれていました。

「こんにちは。昨日いらしたお客さまですか」

「そうです。ここ、よろしいですか」

 と、前のイスを紳士らしく手でしめしました。

「どうぞ」

 と、ソムニはノートを閉じます。男性はイスに座ると両手をつくえの上で置いて、まっすぐソムニを見ました。コハク色の瞳がきれい、お母さまが持ってるイヤリングの色にそっくり、とソムニは思いました。

「おとりこみ中申しわけありません。少しの間、お時間をいただけますか。ああ、申しおくれました。アンビティオス・エア・クラルスです」

「ソムニ・ラクスです。握手の礼は略してくださいませ。お話しもなるべく短めに。失礼ですが、これを書き写すのは、わたしの罰なので、あまり休めないのです」

「そうですね。それでは手短に」

 男爵は図書館を見渡して感じいった様子で言いました。

「なつかしいなあ。ぜんぜん変わっていない・・・蔵書は少し増えたかなあ・・・天井の染みの形が大きくなったような気が。ほら、あの染み、翔馬のように見えるでしょう?翔馬が翼を広げているみたいに」

 と、天井のすみを指さしました。ソムニも顔を上げます。

「そうですね。翔馬に見えます。けれど、それがなにか?」

「わたしは少年時代、ここで図書係をしていました。そう、ちょうど入り口の彼のように」

 と、こっくりこっくりとしている少年を見ました。

「ええ、そのようにうかがっております」

「ここは、わたしにとって楽園でした。読書が好きだったので。どうやら受付の彼にはそうではないようですが。午前中、ここで働きながら、あいまに本を読む。借りてきて家でも読みました。今、あなたが書き写している本は八ヶ歳の時に読んだのをおぼえています」

「へえ、すごいですね。で、なにをおっしゃりたいのですか?」

 男爵は遠くを見る目で言いました。

「本を読む以外の楽しみは、わたしは知りませんでした。彼女に会うまでは」

 なにを・・・と言いかけてソムニは口をつぐみました。このひとは何か大切なことを言おうとしている。そんな直感がしました。

「彼女はわたしの歳ふたつ上でした。初めて、わたしとお話しをした時、彼女はここへ来て月ふたつになっていました。お話しをしたのは初めてでしたが、遠くで姿は見ていました。初めて見たのは彼女の結婚式で伯爵と並んで立っていました。とても美しいウエディングドレスで、目をつぶると今でもまざまざと思い浮かべることができます」

 ソムニの心臓の音が、だんだんと大きくなっていくような気がしました。彼にも聞こえるかと思えるぐらいドクドクとしたリズムです。

「彼女も、読書が好きだと言っていました。ご主人はやさしくしてくれるのだけども仕事がいそがしく、ろくに会話もできないほどだと。八ヶ歳も離れているので、いろいろとズレもあると言うことでした」

 でも、なぜ、このひとは、この話をわたしにするのだろう?

「わたしは彼女に色々な本を紹介しました。ほとんどが軽い読み物でしたけど、時には戦記や叙事詩、年代記も紹介しました。その中でも『マルティス年代記』はふたりが出会うきっかけとなった本だったので特別な思いがありました」

 と、彼は本だなの一冊の本に目を移しました。とても厚い背表紙の古い本で『マルティス年代記』といかめしい字で印刷されていて、ソムニは罰でもなければ絶対に読まない、手にも取らないと思いました。

「この人気のない午前の図書館で、わたしたちはふたりきりで話をするのが楽しみになりました。わたしたちは年齢が近く、とても気が合いました。しかし、若くても彼女は伯爵の奥さま。ふたりで会っていると妙な評判がたつかもしれない、と彼女は言いました」

 ソムニに顔をもどした彼の目のコハク色は光っていました。

「あの本は罰でもなければ誰も読まない、手にも取らないと彼女が言いましたので、そこで本の中に手紙を入れることにしました。わたしが手紙を本に入れて、彼女が取り出し、読んでから返事を入れる。それを読んでから返事を本に。それをくりかえしました。それだけで話はしなくなりましたが、とても幸せでした。満ちたりていました」

 そこで彼は視線を自分の手に落とし、指が動くのを見てからソムニにもどしました。

「あの本はディプドラの息に吸われて一ページが無くなっていました。懸命に探したのですが、どうしても見つかりません。なんと月ひとつの後、漁師が湖に浮いているのを見つけたのです。その本は防水魔法がかけられていましたので乾かせば元にもどります。漁師は港に行き、浮游船で国都から帰ったばかりの伯爵に、そのページを渡しました。伯爵は屋敷への道すがら図書館によって、わたしに渡そうと思ったらしいのですが、その時、わたしは亡くなった先生のかわりに学校で勉強を教えていました。しかたがなく伯爵は自分でページをもどそうと、あの本をとりました」

 と、もう一度、本に目をもどします。

 ソムニは一言も言えなくなっていました。

「実は、これは想像です。でも、漁師が彼にページを渡したのは事実なので、そうとしか思えないのです」

 また、ソムニを見ます。その目には何も光は無くなっていました。ソムニはゴクリと息を飲みました。

「そうして、彼女は光があたると体が弱くなっていく呪いにかかり、わたしは望んでもいなかった帝立大学留学が決まりました」

 自分は気を失うんじゃないか、とソムニは思いました。


「あの娘に会ってよかったのかな・・・」 

 ソムニを残して図書館を後にした男爵は思っていました。後ろ手にコツコツと石畳にかかとを打ちつけて歩いています。そうしながら自分自身に聞いてみました。

「会うとしても、あの場所で・・・」

 違和感・・・そんなものは浮かんではきません。男爵は『直感』を大切にします。そうやって歩く先には成功が待っていると信じていました。それは帝都に留学した時からでした。実際、犬面草をエキス化する方法を思いついたのも下宿先で部屋の床をブラシがけしていた時にエキスだけ削ぎとればいい、と思いついたからでした。

「でも・・・」

 そして白壁の間の青い空を見上げて言いました。

「ぜんぜん似てないな。目と髪の色・・・顔も似てるけど・・・ぜんぜんニベウに似てない・・・」

 男爵は屋台によってイモを焼いたものを買いました。渡された硬貨を見た屋台のおかみが驚き、立ち去る男爵を追いかけましたが彼は振り向きもしませんでした。男爵の姿が見えなくなるまで、おかみはうるんだ目で感謝の言葉をくりかえし、かたく硬貨をにぎった両手にキスをして遠くの彼に投げていました。


 その次の日、湖から離れていく浮游船に男爵とプリタスの姿がありました。

「青いなあ。男爵さま。したたかまぶたしばたたいてしまうぐらい青いぜ・・・」

「うん。青い。やおらきもちさめざめしくなるぐらい青い・・・」

 手すりに寄りかかって、ふたりが見ているのは空や湖の青さではありません。同じく船上のものとなったヴェロックスの翼の青さでした。

「あの銀翔馬が手に入らなかったのは、ちと計算ちがいだったかい?男爵さまよ。え?『我が復讐による帝国民幸福計画』に狂いが来たかい?」

「まあ多少はね。まだ修正はきくけど」

 ふたりの会話など気にもしていないヴェロックスは浮游船が進む風に水色のたてがみをなびかせて涼しげに甲板に立っています。

「まあ。おれとしては自分が乗る翔馬が手に入ったんだから、うれしい限りなんだけどね。あとは、こいつで次レースの勝利をいただくだけだ」

「昨日、図書館で彼女に会ってきたよ」

 急に話題を変えるクセが男爵にはあります。けれどもプリタスは逆にそれを楽しんでいるようでもありました。

「え?まさか!『図書館の君』かい?」

「ちがう。その娘さ」

「ああ、そうか。あの浮游魔法のほうか。図書館で罰とか言ってたな。あの娘、おっかさんとちがって相当おてんばさんのようだな」

「で、話した」

「何を?あ、あんたとおっかさんとの・・・そうか・・・言っちまったか・・・全部か?」

「いや、はしょりながら」

「じゃあ、あの娘。誤解したろうな」

「そうだろうな」

「だいぶ傷ついたんじゃないか」

「そうかもしれない」

「悪いヤツだな。あんた。あんなイタイケな少女を・・・ああ、それも『復讐計画』のひとつか?それとも伝説の天馬をもらえなかったハライセか?まさか、あんた。あの娘が裕福な貴族で美人だからイジメたくなったとか、そんな趣味があるとかなのか?」

 そこでやっと男爵は横にいるプリタスに顔を向けました。その目は大きく驚きに見開かれています。

「どうした?男爵さま」

「そうか・・・そうかもしれない・・・」

 そう言う男爵の目がヒラヒラと泳いでいます。

「なんだ?思わぬ自分の性癖を発見してビックリしたか?」

 軽い感じのプリタスに対して、キッと見すえた男爵の口から出たものは浮游船が沈むのでは?と思えるくらいの重量感がありました。

「ぼくがやろうとしていることがわかるかい?プリタス。『全ての人びとを幸福にする』と言うことは『幸福の配分のバランスを均一にする』と言うことなんだ。多すぎる者から少なすぎる者へ幸福を分け与えることでもあるんだよ」

 男爵につられてプリタスの目も鋭くなります。

「男爵さま。それってもしかして・・・『革命』とか言う危険思想じゃないのか?多すぎる者にとっちゃ自分は多すぎるなんて思っちゃいないぜ。それを減らされたら、そいつは不幸にならないか?」

「そうならないようにする。幸福を減らされても幸福感は減らないように」

「なるほど。幸福じゃないが幸福感があれば人間は満足できる・・・てか?」

「そう」

「おもしろいことを言うな。男爵さま。それってどうやってやるんだ?新しい魔法か?」

 そう言われて男爵はイタズラが成功した子どものように愛嬌たっぷりの笑顔を見せました。

「そうなんだよ。プリタス。人間の心は魔法でできているんだよ。それを当の人間自身がわかっていない。おもしろいと思わないかい?」

 この笑顔が好きでプリタスは彼についてきました。

 『男が男に惚れる』なんてかっこいいもんじゃない。けれど、あらためて考えてみれば、それもなぜだかわからない。これも魔法かもしれない・・・それも特別上等な呪い・・・

 と、プリタスは思いました。

 ふたりの会話など気にもかけず、ヴェロックスは船が進む風に目を細め、ただ甲板に立っていました

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