その七
左隣の患者が代わった。建築の勉強をしていた末広さんが退院して、新しく狭山さんという人がルームメイトになった。
この人のことで覚えているのは、舌鼓だ。一日中、にちゃにちゃにちゃと舌鼓を打っている。何故だか知らない。飴をしゃぶっているのかとも思ったけれど、そんなにたくさんの飴を貰っているはずもないし。
それはともかく、狭山さんは素朴な人だった。笑う時は目尻に皺を寄せて、にたぁっと笑った。外泊が明々後日なので楽しみで楽しみで、と言う。何が楽しみ、と聞くと、ビールを飲む。何本? 一本。それ以上飲むと叱られるから一本。にこにこしている。他には、と聞くと、鮨が食える。鮪が食いたいなあ。美味しいだろうね。うん。ビール飲むんだビール。うまい。それに兄ちゃんに病院へ電話かけてもらって退院出来るように言ってもらうんだ。
また一つ、つまらない事を思い出した。ここの患者は看護師に内緒で物々交換をするのである。煙草とパン、菓子、飴。TVのチャンネル権を煙草で得るなんてのもあったかどうか。僕は知らない。煙草はもうやめたし、パンは全部食べちゃわないと腹が減って仕方がないし、飴や菓子は人にやれるほどは持っていない。第一、飴や菓子を何と交換するのか。僕の場合交換できる物は何もなかった。食パンも今あるだけで十分。不足だと思っていない。
時間が逆行するが、お食事中の方には申し訳ないけれど、僕は一月過ぎた頃から極度の便秘になった。一週間くらいは普通に出ない。するとどうなるのかと言うと、看護師に訴えると、当然のようにアレを持ってくる。そう、浣腸である。それも病院のは特製のでかい奴だ。これを部屋でやるのである。トイレの隣の大部屋で。これが恥ずかしい。浣腸されて、出来るだけ我慢して、トイレへ這入り、さらに我慢して、当時ストップウォッチ付きのデジタル腕時計をしていたので、それで時間を計りながら、我慢した。もう我慢出来ない、となったら、出す。しかし、苦しい。こんな訴えを毎週続けたので、とうとう内科医の診察を受けることになった。と言っても、精神の薬の副作用であって、病気ではないから、「カマ」という整腸剤をもらうことで片付いた。この「カマ」。聞きしに勝る凄まじい薬なのである。どういう効き目かは敢えて言わない。並の便秘であったら処方されない方がいい。ところ構わず失禁しかねない薬なのだ。とにかく僕の便秘には片が付いた。
九月に入って、ようやく僕の退院が決まったらしい。と言ってもすぐにではない。一八日だと言う。こういう決定は甚だよくない。ただでさえ時間の経つのが遅いのにますます遅くなってしまう。未だ二週間以上あるじゃないか。たった二週間とは言うが、ここに入院した患者なら、時間の経過が恐ろしくゆっくりなのを知っているから理解できるはずだけれど、二週間というのは、外の生活の半年に匹敵するくらい長いのだ。一日、一日、指折り数えるのも飽きてしまった。それでも包布や敷布を替えている時、こんな煩わしい事ともおさらば出来るのだなあ、と思うと、嬉しくなってきた。
それでもやっと退院の前日までこぎつけた。未だ菓子や飴が沢山あったので、部屋のみんなに配って歩いた。鎌倉さん、通称鎌ちゃんというねだりの名人もねだりに来たので、その人にもくれてやった。荷物はもうまとめた。着替えは前の面会の時持って行ってもらったので、荷物は本などが多かった。
退院当日。迎えの車はなかなか来なかった。朝、6時にいつものように眼が醒め、エレベーターで上がって来たお茶をみんなで飲む。新聞は順番待ちであって、僕の番が廻って来るまで辛抱強く待つ。そういえば「天空の城ラピュタ」の広告がどこかに出ていた。七時に朝食。その後読書。「キャッチ22」を遂に読破した。八時台の朝ドラが終わると、薬の時間になる。このように書いてゆくと、矢のように時間が過ぎ去ってゆくように読めるかも知れないが、時間の経つのが遅い。迎えは九時以降と言う病院の決まり事がある。南端の大部屋から駐車場が見える。未だ来ない。いや、もうそろそろ来てもいいだろう。九時ならとうに過ぎた。いや、やっぱり来ない。どうしたんだろう。来ないなあ。あっ、来た!