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その五

 百川さんは、僕と同じ大部屋で、向かいに寝ている人だった。片腕が肘のところからなかった。どっちの腕だったか、記憶があやふやで判らないが、恐らく利き腕でない方、つまり左腕であろう。僕が入院して二月ばかり経って、彼が身障者であることが判った。というのは、彼があまりにも上手にない方の二の腕を使ってフォローしていたから、つまり健常者と大差ない身のこなしをしていた所為でもあった。いつも彼は不自由な方の腕に風呂敷のようなものを被せていた。腕のないのを誰にも見られないようにしていたのだ。それで僕も気づかずにいたのだった。

 だけれど、身障者と判っても、僕は百川さんに何の親切もしなかった。彼にとっては大きなお世話だったのだ。それは彼を見ていれば判った。だから僕は彼に同情もしなかったし、対等な人間としての付き合いしかしなかった。第一、彼を助けることは彼の為にならない事が多い。そういうところ、精神障害者は健常者より人間が出来ている、というより、ハンディキャップを持った者同士だから相通ずるものが何かあるのだ。

 八月に入って、ようやく僕の頭の中もすっきりとしてきたように思えてきた。読書も捗ってきたし、TVを見ても楽しめるようになった。特に楽しんで見ていたのは、「夕焼けニャンニャン」「タッチ」。ほんとうのことを言うと、「夕焼けニャンニャン」なんてどうでもよかったのだけれど、食事の後で、未だ寝るには早いし、することもなかったので何となく見ていた。当時は詩もあまり書いていなかったし、書こうとしたって頭がぼんやりして書けなかった。「タッチ」は入院前から見ていた。結構楽しんで見ていた気がする。朝食が終わって何となくTVを見ていたら、なんと七時半から「未来少年コナン」の再放送をやっていた。これは感激。毎日楽しみに見ていた。ほかにも「コナン」の好きな人がいて、チャンネルをその時間だけ自由に使えたのでよかった。(当時僕のいる第二病棟にはTVが三台あったが、その後菅井一道が一台壊した)

 一週間で一番嫌な日は日曜日だった。看護師さんの数が少ないので掃除はしなくていいが、週に一度の蒲団の包布の交換をしなければならない(この包布の交換は日曜日では看護師の負担も大きく、問題になって、後に月曜日に変更になった)。まず、朝早く起きて、一週間使った包布を取り外す。それを丁寧に畳んで、集積場所へ持ってゆく。畳み方がきたないとやり直し。それだけでも面倒なので土曜日のうちにやってしまうのだが、それが看護師にばれるとえらいことになる。畳んだ包布は当番制で担当の班が紐でしっかり縛り、集積場所へ置いておき、月曜日に搬出する。

 朝食が終わり、薬の時間が済むと、リネン室から新しい包布が引き出され、班ごとに配られる。敷布、掛け蒲団の包布、枕カバー。敷布は布を被せるだけだから簡単だが、大変なのが掛け蒲団である。蒲団がむらなく包布の隅々まで行き渡るようにしっかり入れる。ただでさえ薬の為にぼうっとしている頭をフルに働かせ、頭を使って手先を器用に動かし、仕事を片付けてゆく。あんまり容態の思わしくない人は他の人がやってくれるが、そうでなければ全部自分でやるのだ。誰も手伝ってくれない。しかし面倒臭い。これを毎週やるのだ。もう週末になると明日の事を考えて憂鬱になる。

 これが終わるのが九時頃。ちょうどNHKで「日曜美術館」をやっている。どういうわけか、この病院の人は絵の好きな人が多い。院長先生が画家をなさっている所為だろうか。病棟にはどこにも先生の絵が飾ってある。その数は全病棟合わせると百点を優に超えているはずだ。

 お風呂の日は週二回。月曜と木曜。たぶん三つある病棟で日をずらし合うとこういう事になるのだろう。あまり清潔とは言えないが、仕方がない。当時、僕はお風呂があまり好きではなかった。身体を洗うのが面倒なことこの上ない。わざわざ着ているものを脱がなければならない。身体を満遍なく洗わねばならない。済めば身体を拭き、また服を着なければならない。人間は何と面倒なことをするのだろう。まあいい。這入るとしよう。温い湯がいいのだが、ここの湯は熱い。と言っても薄める事は出来ないので、湯舟にはほとんど這入らない。だからシャワーや蛇口を使って身体を洗ったり頭を洗ったりしたいのだが、四つしかないシャワーは既に独占されていて、それも各々洗う時間が長い。いつまで待っていても洗っている。だから僕は湯舟の湯を洗面器に掬って洗う。あんまり気持ち良くない。隣では菅井一道が看護師に頭や身体をごしごしがしゃがしゃ問答無用でシャンプーされ、こすられている。悔しそうに「ぐげぼごだぎぢげぐー」などと宇宙語で文句を言いながらなす術もない。二言目には「こんバーカ」と言っている。馬鹿はお前だ。シャワーが空いたので使うことにする。やっと気持ち良くなった。

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